第4話 ―過去ー 常闇の魔法使い
――それは、五年前の春の事。
高校に入学した後、お袋に促されるままに足を踏み入れたのはお袋の実家である制空家の敷地の隅にあった小さな家。
家の奥に静かに佇む扉を開くと――そこには一人の少女が居た。
少女はゆっくりと尋ねてくる。
『あなたが雪野の子供ね?』と。
それが祖母との最初の出会いであり、接触であった。
『あら、聴こえなかった? それとも私の声を聴けないように制限を掛けられているとか』
頭の中に直接響く声は、どこか変な感じがして違和感がある。
――雪野の子供ってことはこの人が俺の祖母なのか?
今の状況は明らかにおかしい。
一瞬で判断してしまった自分に寒気がする。
薄暗い部屋の奥――僅かに見えるのはテーブルに置かれた二つのカップに紅茶を注ぐ少女。
少女の口は一度も動いていない。それでもさっきからブツブツと頭の中で語りかけてくる。
「あなたは一体……」
『はぁ……心配して損した。聞こえているのならちゃんと返事を――あらあら、私が怖い?』
ふふっと微笑むと、少女が静かに立ち上がり一歩――また一歩と俺の方へ近づいて来る。
揺れる黒髪は毛先が床に着いてしまうほどに長い。少女の小さな体格より数段大きいであろう着崩した着物の袖が長い黒髪と一緒にゆらゆらと揺れている。
そして――少女の背後に見える黒く禍々しいナニカが俺を後ろへと下がらせた。
なんだあれ……。
少女が近づく度に言い知れぬ威圧感が部屋全体を支配する。
恐怖のあまり、自然と体が後ろへと後退していたのだ。
そんな俺の様子を見た少女は歩くのを止めて立ち止まる。
『ああそう、やっぱりそうなの。あなたには見えているのね、この世界にとって普通ではないモノが』
「……あなたは本当に俺の祖母、なんですか?」
『ええ。正真正銘、私はあなたの祖母よ。あなたの母親――制空雪野を産んだのも私。ああそうだ、『おばあちゃん』なんて呼ばないでね? 絶対よ?』
頭の中で響く微笑む声に合わせるように目の前の少女が胸に片手を置き笑顔で答える。
見た目は中学三年生の俺より少し年上、高校生くらいだろうか。
普通なら祖母だと言われても信じられないが、その容姿とはかけ離れている異質な雰囲気が、祖母と自称する少女の言葉に信憑性を帯びさせる。
気のせいかもしれないが話の後半くらいで周囲の威圧感が更に強くなった気がした……。絶対に、おふざけだとしても『おばあちゃん』と口にしないと心に誓っておこう。間違えてでも口にしたら殺される気がする。
「そう……ですか。それにしてはすごく若く見えるのですが」
『あら、ありがとう。そう言ってくれるとお世辞だとしても嬉しいわ。それと、その言葉遣いは止めなさい。慣れていないのでしょ? 慣れていないことを無理にすることはないわ。それはあなたではない、私が見たいのはありのままのあなたなんだから』
頭に響く祖母の声は言葉の端々に色気のようなものを感じる。
なんだろう、好意とかそういうの関係なしに胸がドキドキしてしまう。
「お世辞ではないで……ないんだけどな。だったら俺からも一つお願いが……頭の中に直接話しかけるのは止めてくれないか? どうも慣れなくて」
『えぇ? こういうのは嫌い? ……ああ、そうだったわね。あなたはこっちの人だったわね。私の”アレ”が見えるのに怯えた表情をしないからつい』
「ごめんね?」と少女はおどけるように首を傾げて微笑んだ。
――なんだこの人、普通に可愛いんだけど。
あれってさっきの黒いヤツのことだよな。今はあまり感じないけど、この部屋に入った時は本気で恐怖を覚えた。
う~ん……ミステリアスな美少女か、悪くない。
「さて、これでいいかしら――ってどうしたの?」
「えっ、いやなんていうかその」
「ん~? お姉さん気になるなぁ~」
気づいた時には遠く離れていたはずの少女が傍まで来ていた。
ち、近い……ていうか意外とデカいな!?
着崩れしている胸元から見えるたわわとしたモノが目に入る。
あえて言わないが150cmあるかないかの小さな体には、ちょっとだけ不釣り合いだと思うんですけども。
頼むから祖母には自覚と自重をして欲しい……こっちだって一応思春期だけど我慢してるのに!
「近い近い、というかその見た目で本当にお袋の母親なのか?」
「ああ、それはまぁ追々話してあげるわ……さあ、そろそろ本題に入りたいのだけれどいいかしら。あなたを呼び出した理由――知りたいでしょ?」
えっ。
いま、何が起こった?
瞬きをする為に瞼を閉じた一瞬……その一瞬で少女は遠くへと移動していた。
目の前にいたはずの少女は俺のいる入口から離れた部屋の奥、ティーセットの置いてあるテーブル傍で椅子に腰かけ優雅に紅茶を飲んでいる。
「本当に……あなたは何者なんだ」
やっとの事出たのは当たり障りない質問。
そんな俺を見て小さく微笑み、少女は手に持っていた紅茶のカップをそっとテーブルに置いた。
『私の名前は制空ミラ……と言ってもこれはこっちの世界での名前ね。本当の名前は――ミラスティア・イル・アルヴィス』
その刹那、部屋の空気が重くなる。
頭に声が響くのと同時に感じた、心臓を掴まれるような感覚。
呼吸が上手くできない程に張りつめた雰囲気だ。下手に動けば殺される。
絶対的な支配者による重圧が、目の前の小さな魔法使いを中心に広がっていた。
『こことは別の世界、フィエリティーゼに存在する大国の一つ……いえ、もうあの国はないんだったわ、だから――元アルヴィス大国の建国者っていう所かしらねぇ?』
静かに微笑みこちらを見据える祖母の瞳は紫黒と表現するのが似合う面妖な光を放っている。
その光は忽ち小さな体を包み込み、紫黒の渦が祖母を飲み込んだ。
『そして、フィエリティーゼではこう呼ばれていたわ――神に届きし六色の魔女の一色、”常闇のミラ”ってね』
パチンッ。
唐突に部屋に鳴り響いた弾き音。
それが合図であるかのように祖母を飲み込んだ紫黒の渦は粒子となり消え去った。
紫黒の渦から現れた祖母の服は和服からドレスへと変貌を遂げていた。
黒いドレスを身に纏い、レースの手袋をした少女は指を弾いて周囲に広がる黒く禍々しいオーラを消し去った。
どうやらさっきの音は祖母の指パッチンだったらしい。
いや、それよりも――この人とんでもないことを口にしたような気がするんだが。
「別の世界……そして建国者で魔女?」
祖母であるミラスティアさんの口から告げられた衝撃の事実。
到底信じることは出来ない様な話だが、ミラスティアさんが話している時に感じたこの場を支配する様な威圧感が……まだ体の中に残っているように感じる。
この場所が、彼女の存在を”異常だ”と強く印象付けていた。
『ええ、あなたが信じようが信じまいが私が異世界から来た魔法使いだという事実は変わらないわ……私が怖い?』
そう言いこちらを見つめるミラスティアさんは悪戯を思いついた子供の様にニヤリと笑いその目に面妖な光を宿らせる。
その視線を直視した瞬間、視界が歪んで倒れそうになった。だが、それでもミラスティアさんの姿だけは不思議とハッキリ認識できている。
彼女が外との接触を拒んだ理由が今なら理解できる。
――彼女はきっと、この世界の全てを簡単に滅ぼせる力を持っているのだろう。
「じゃあ……俺の祖父も……異、世界……から……うっ」
声を少し出すだけで息切れを起こす。
言葉を繋ぐことが出来ず、まるで首元を掴まれているような感覚だ。
『ああ、
そうか……祖父は異世界で勇者をやっていたのか。
祖父との思い出は決して多くはない。俺が生まれる前にはもう亡くなっていたからだ。お袋の話では『若い頃に無茶したせいで、長生きできないと思う』と常日頃お袋に言っていたらしい。
……無茶って、異世界で勇者やってた事だったんだね。驚きだよ。
――過去に浸ってないで現実に戻ろう。
目の前で楽しそうに惚気話をしながらも、器用に殺気を放つミラスティアさん。
楽しそうに話しているのはいいんだけど、この場の雰囲気をなんとかしてくれないかな……。
頭の中に響く愉快な声とは裏腹に、周囲の重圧はより強さを増していった。
油断すると飲み込まれてしまいそうな紫黒色の瞳からは、鋭利なもので心臓を突かれるような鋭い殺気が休むことなくこちらへ向けられている。
「ああ、これは……まずいな」
不意に出た言葉。
意識とは別の何かが胸の奥に沸き上がる。
それは恐怖を、不安を、絶望を洗い流すかの様に取り除いていく。
――生まれて初めて死を覚悟したこの心は、目の前で微笑む未知の存在への探求心とぶつかり合っている。
逃げ出したい。
――目の前の非常識に触れたい。
これからどうなるんだ。
――今を逃したら、きっと後悔する。
死にたくない。
――ここで逃げれば、それは死んだのと同じことだ。
そんな葛藤をさっきから依然として繰り返している。
今すぐ逃げ出したい、そうしなければ死んでしまうかもしれない。
でも、今迄にない未知の世界が目の前にある。それがすごくわくわくして、楽しくて仕方がない。
『あら? 私の”支配”を体感して笑えるなんて……やっぱり蓮太郎の血筋なのね』
「えっ」
俺はいま、笑っているのか?
不思議な感覚だ。いつの間にかあんなに苦しかった呼吸も落ち着いてきた。
さっきまでの重苦しい重圧感から解放され、逃げたいという衝動も消え去っている。
徐々に緩和されていくような、体の異常が入れ替わるように抜けていく。
『不思議ね……どういう原理なのかしら? 魔術やスキルを研究している身としてはあなたの体を隅々まで調べたいのだけれど……』
そう言いながら祖母はペロリと唇を舌で濡らし、艶めかしい視線をこちらに向ける。
だから、そういう色っぽいの止めてくれませんかね?!
祖父に顔向けできないから!!
あの世で勇者の一撃とか食らいたくないから!!
そんなこちらの心境を察してくれたのか、ミラスティアさんは溜息を吐いて足を組む。
『……まぁいいわ、まずは合格と言ったところね。これくらいの殺気にも耐えられないようじゃ、これから託す力をロクに使うことも出来ないでしょうし』
そう言ったミラスティアさんは、ティーセットの置かれたテーブルの上空に手を翳す。
翳した手から紫黒色の光が出たかと思うと、その光が手の先の空間と混ざり合い空間に紫黒の亀裂が入り始める。
その光景を見慣れているのか、躊躇することなくミラスティアさんは亀裂に手を伸ばし、割れた空間の中をまさぐるように動かして一冊の分厚い本を取り出した。
「さあ、前へ進みなさい。私と一緒に紅茶を飲みながらお話をしましょう?と言っても、あなたが力を手に入れるのと同時にここでの記憶もいまは封印する約束になっているから、この世界に居る限り忘れてしまうのだけれど」
張りつめた空間がミラスティアさんの声と共に緩和されていく。
部屋の壁に掛けてある時計を見るとまだ五分と経っていなかった。
ミラスティアさんが指を鳴らすと部屋の天井に設置されたシャンデリアに明かりが点いた。
部屋の四方にあるランタンのみだった薄暗い部屋が鮮明に照らし出される。
中央の床には半径2mくらいはあるだろう大きな魔法陣が目に留まる。
その先にはシャンデリアの光に照らされたミラスティアさんが、笑顔でこっちを見つめている。
くっ、部屋が明るくなった所為で色気が……。
美少女的体格に似合わない色気が出てるから。
俺は足を組み直し手招きするミラスティアさんの元へと足を踏み出す。
――これは断片。
ファンカレアさんと邂逅して思い出した記憶の一部だ。
何故今まで忘れていたのか……それはきっとミラスティアさんによって仕組まれたことなんだろう。
あの日、俺はフィエリティーゼという異世界を知った。
それが異世界との最初のコンタクトであり、俺が転生者だと知らされた日でもある。
桜が映える満月の夜。
俺――制空藍はフィエリティーゼ最強の魔法使いに出会った。
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