第2話 初めまして、ファンカレアさん




「――お待ちしておりましたよ、制空藍様」

「……」



 ――俺……死んだよな?



 白い世界。

 何もない、ただただ真っ白な虚空の世界に――は突然現れた。


 白くて薄い布で作られた装束を纏い、自分よりも大きいであろう杖を携えた女性。白に近い金色の長髪は不思議とゆらゆらと動いている。

 儚げに微笑む彼女の瞳は、錯覚かもしれないが角度が変わる度に様々な色に光り輝いている様に見えた。

 見た感じ年上だと思う。

 布で覆われていてもわかってしまう女性らしい体のライン、そして――自然と目がそっちを直視してしまうほどの豊満なバストがそれを物語っている。


「……? お待ちしておりましたよ――制空」

「ああごめん、聞こえてなかったわけじゃないんだ」


 首を傾げつつさっきと同じセリフを語ろうとする彼女を止めて謝罪する。

 流石に『ごめん、君の大きな胸に目が釘付けだった』とは言えない……うん、絶対言わない方がいい。

 俺の言葉を聞いた後、彼女の顔からは儚さが消えさり眩しいくらいの笑顔へと変わったのがわかった。

 子供のような無邪気な笑顔に顔が少し熱くなる。


「聴覚・声帯共に大丈夫みたいですね。こちらの世界へ来るときに極少数ですが脳の一部が欠損していたり、聴覚機能に視覚機能、言語機能や運動機能など。様々な所に弊害が生まれることがあるのです。見たところ言語及び聴覚は問題ないみたいですが……体に何か不自由はありますか?」


 丁寧だけど硬すぎない、優しい口調でそう言われた。

 なるほど、さっきから体のパーツを説明するときに身振り手振りを大きくしていたのはそういう事だったのか。聴覚に何かしらの弊害が生じている人に向けてやってるんだろうけど、前に体を傾ける度に視線がどうもにいってしまう……いかんいかん、オヤジくさい考えはやめよう。


 彼女の声ははっきり聞こえる、心地よくて眠くなるくらい綺麗な声だ。

 体もそうだな、見た感じ問題はなさそうだ。指もしっかり動く。 

 喋ることも特に問題はなさそうだな。視界も特に――。


「えっと、君以外の周りが真っ白に見えるのはやっぱり俺の目が変なのかな?」


 この『場所』と言えるのかさえ怪しい白い世界。

 そんな世界で俺は座って名前も知らない金髪の女性と対話している。


――彼女は一体何者なのか。


 そんな疑問は俺の質問への答えと共に彼女の口から語られる。


「いいえ。ここは世界、あなたが見た通りの真っ白で退屈な白色はくしょくの世界。そういえば自己紹介がまだでしたね。私の名前はファンカレア、あなたの世界とは別の世界――『フィエリティーゼ』を守護する創世の女神です」


 笑顔で答えるファンカレアさんの背後に、二つの翼がくびれた腰から現われる。

 二メートル程の長さの翼からひらひらと舞う羽根は光輝く黄金の粒子に代わって白色の世界に降り注ぐ。


「ようこそフィエリティーゼへ、ずっとあなたに会いたかった。2000人目の転生者」

「……転生者」

「そうです。制空藍様、あなたはつい先ほど地球で命を落としました」

「そっか……」


 あっさり言ってくれるな女神様。

 というか哀れってなんだ哀れって。仮にも自分の世界に招き入れる人間に対してかける言葉ではないと思う。


「そっか、死んだのか」

「はい……」


 正直、自分が死んだなんて実感がわかない。

 ひょっとしたらこれも夢で、起きろと思い続ければ目が覚める気もする。

 両親がいて、雫がいて、大学に通いながらバイトをする毎日。

 そんな平和な日々が目を覚ませばあるのかななんて。



——でも、俺は知っている。



 あの日。あの時。あの場所で。


 痛みと共に蘇る記憶が視界を黒く塗りつぶしていく。

 心臓が握り潰されるような感覚だ。

 呼吸も徐々に大きくなっていく。

 ズキズキと痛む、気づけば体中に傷が――。


「大丈夫ですか?」


 肩に触れる手に気がつく。

 黒い世界がその声を合図に白色の世界へと戻り始めた。

 体を見るとさっきまで存在していた傷もなくなっている。

 前を向くとファンカレアさんの顔が目の前まで来ていた。あと数センチ前へ進めば口と口が触れあう距離まで。

 どうやらファンカレアさんがこんなに近くに来ていることにも気づけなかったらしい。


 ふう……。

 落ち着け、制空藍。

 ゆっくり深呼吸をするんだ。


「すぅ……はぁ……」


――不思議な感覚だ。

 ちゃんと息を吸って吐き出せる。

 会話もしていたから呼吸出来るのは当たり前のことなんだろうけど、さっき体感した死の現実がそれを違和感へと変えてしまっている。


 確実に死んだんだ。

 妹の雫を守って、ちゃんと死んだんだ。


 雫は両親と再会できただろうか。

 俺が死んだ事でどんな影響が出てしまうのだろうか。

 出来る事なら、笑って幸せを謳歌して欲しいな。

 死んだはずなのに家族の事を考えるとざわざわとした気持ちが湧き上がってくる。


 「大丈夫」と告げて俺は立ち上がり、数歩後ろへ下がる。

 冷や汗だろうか、気づけば額から数滴雫が垂れている。そんな俺の様子を心配そうに見つめるファンカレアさんの背後で二つの翼がパタパタと小さく上下に揺れているのが見えた。


 ……あれ、なんか最初に見た時より小さくなってないか?


「……あっ、私の翼ですか? これは大きさも自由自在に変えられるのですごく便利なんですよ?」


 翼を凝視していた俺に気づいたのかファンカレアさんがなぜか嬉しそうに説明してくれた。

 俺のすぐ近くでくるくると回り、パタパタと翼を上下に揺らす彼女がなんだか可笑しくて、そしてすごく可愛らしい。さっきまでのざわざわとしていた気持ちが落ち着きを取り戻していく。

 これが癒しってやつなのかな。

 俺はくるくる回るファンカレアさんを微笑みながら見ていた。

 そんな俺に気づいたファンカレアさんが眉をひそめて口をむぅと尖らせる。


「何ですか? 私が一生懸命説明しているのに笑って……」


 文句を言いながらも、回るのが楽しいのかくるくると回転するのを止める気はないようだ。

 どうやら女神様は見た目に反して意外と子供っぽい性格らしい。


「ごめんごめん。さっきまでは女神様って感じで神々しい雰囲気だったのに、くるくる回って嬉しそうに笑うファンカレアさ……まが、可愛いなって」

「なっ……」


 あ、止まった。

 片足立ちの状態でファンカレアさんが急停止する。俺に背を向ける様に後ろを向いているので表情は見えないが体をプルプルと震わせている様子を見るとどうやら怒ってるいるみたいだな。

 うーん……やっぱり少し馴れ馴れしくしすぎたかな?

 危うく”様”じゃなくて”さん”って言いそうにもなったし、もしかしたらそれもバレているのかもしれない。

 とりあえず、悪気はないので素直に謝ろう。


「えーっと……大変申し訳ありません。決して女神ファンカレア様を馬鹿にしたわけでは御座いませんので、どうかお許しを」


 俺は片膝を立ててひざまずき、頭を下げる。

 敬語って難しいな……そもそも神様に使う言葉遣いってどんな感じなんだ。

 目の前の女神様は許してくれるかな。「もう怒りましたよ!」とか言って転生する場所が地獄とかにならないよね?

 そうなったらもう土下座しよう。

 何もない真っ白な世界で土下座し続ける生活を送ろう。


「えっ、どうしたんですか急に?! わー! 跪かないで! 怒ってないです! 私全然怒ってないですから!」


 急に変わった俺の態度に驚いて両手をあわあわと揺らすファンカレアさんが目の端に見える。


「え? でも――」

「違うんです、その……か、可愛いとか、その親しげな口調とか、今までそんな風に話してくれる方はいなかったので……嬉しかったんです」


 少しだけ言いずらそうにもごもごしながらも、ファンかレアさんはそう言った。

 良かった。

 俺はどうやら地獄へ行かずに済みそうだ。

 雫……お兄ちゃん、無事異世界へ行けそうだよ。




――死んで直ぐに白色の世界へとやってきた。

 そこで俺を待っていたのは……とても可愛らしい異世界の女神様でした。

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