第二章 長二郎VS黒猫 4

 放課後。

 トオルは人気のない廃校舎のグラウンドに立っていた。

 バスケの「バ」の字も知らない保子莉の前で、バスケットゴールに集中する。本日8本目のシュート。カッコ悪いことに、それまで放った7本すべてはゴールに弾かれていた。

 ――なんとしても、これで決めないと

 トオルにとっての真剣勝負。黙って刮目する彼女の手前、もうこれ以上の失敗は許されないのだ。とチラリと彼女を見れば……飽きてきたのか、大きなあくびをしていた。

 ――8度目の正直!

 頼りなく放たれたボールは、リングのふちを二度ほど跳ねてゴールリングをくぐり抜けた。

「と、こんな感じで、輪の中にボールを入れるだけでいいんだけど、こうやって実際にやってみると、そんな簡単なことじゃないんだよ」

 面目を保てたことに安堵していると、保子莉が落ちたボールを拾い上げた。

「ちなみに訊くが、この競技における長二郎の腕前のほどはどうなのじゃ?」

 そう言ってトオルの隣に並ぶ保子莉。ボールを持つ彼女をあらためてみると、やっぱり小さく見える。

「バスケ部の人たちと比較すると、技術面で劣るんだろうね。それでも素人としては結構上手いほうなんじゃないかな。中学の時もバスケ部の顧問から、本気でやらないかって誘われたみたいだし」

 保子莉は「ふーん」と相づちを打つと、頭上に掲げていたボールを放った。見よう見まねのシュート。しかし案の定、ボールは力なく空を泳ぎ、ゴールリングに届くことはなかった。

「それで、あやつはそのバスケ部とやらに入ったのか?」

「ううん。読書クラブに入部して、持ち込んだ漫画を読み漁っていた三年間だったよ」

「あやつらしいのぉ。そうなると長二郎も特別、上手いというわけではないのだな?」

 ボールを拾って戻ってくる保子莉に、トオルも親友の浅い技量を認めた。

「まぁ、そうなるね」

「それで、このフリースローにはコツとかはあるのか?」

「何事にも基本があるように、やっぱりシュートの姿勢じゃないかな?」

 少なくとも、いい加減なフォームでは入るものも入らないだろう。

「まぁ、そうじゃろうな。では訊くが、おぬしはその姿勢……つまり理想的なフォームとか知っておるのか?」

「遊びや授業程度でしかやってないから、なにが理想のフォームなのか分からないよ。今だって、やっと入ったくらいなんだからさ」

 知っている限りの知識を教えるつもりだったが、すでに彼女の知りたい情報を満足に補足出来なくなっていた。

「なるほどのぉ。それは困ったのぉ……」

 ゴールを見上げて黙考する保子莉だったが、なにを思ったのか携帯電話を取り出し、電話をかけ始めた。

「クレアか。大至急、地球のバスケット競技に関する資料をこっちに送ってくれ。特にフリースローを中心にな」

 どうやら宇宙の保険屋さんに情報を要請をしているようだ。……が、それだけでなんとかなるものでもないだろう。

「どうしたのかって? 実は長二郎とフリースロー対決をすることになってのぉ。トオルの話では、あやつはかなりの手練らしく、その対策として今から練習するのじゃ。そう言うわけじゃから、よろしく頼むぞ」

 保子莉は用件を伝え終えると、携帯電話をパタンと閉じた。

「あとはわらわひとりで練習するから、おぬしはもう帰って良いぞ」

 いきなりの解雇通告に驚いた。

「ひとりで大丈夫なの?」

「おぬしがおったところで、これ以上、なんの協力もできぬじゃろ。もっとも、長二郎の鼻をあかすような反則技でもあるなら話は別じゃがの」

 フリースロー対決に反則技などあるはずはない。もしあるとするならば相手がシュートするときにヤジを飛ばし、集中力を欠くくらいだろう。誤魔化しの効かない実力勝負。それだけに、ひたすら練習を積むしかないのだ。ならば微力ながらもフォーム指導をするくらいのことはできるのだが。

「わらわのことなど気にせんで、おぬしは先に帰っておれ」

 小さな手をヒラヒラさせて見限る保子莉。そこまで頑なに断るからには、何かしらの事情があるに違いない。

 ――人に見られていると集中できないタイプなのだろうか?

 と、そこへ保子莉の携帯電話が鳴った。

「早速、きたか。どれどれ……ほぉ、ずいぶんいろいろあるもんじゃのぉ」

 クレアから送られてきた動画リストを見入る保子莉に、トオルは未練がましくスクールバッグを担いだ。

「じゃあ、僕は先に帰るよ」

 すると保子莉は携帯電話の画面に視線を落としたままいう。

「トオルよ。明日のわらわの活躍振り、どれほどのものか、しっかりその目に焼き付けておけ。そうすれば、おぬしの控えめな性格も少しは変わるじゃろうからな」

 すでに勝利宣言をほのめかすその自信はいったいどこからくるものなのだろう。もし宇宙人のハイテク技術を使用するならば、それは反則であり、賭けとして成立しないし、なにより長二郎が黙っているはずがないのだが。

「あまり無理しないでね」

 釈然としない気持ちを抱えたまま、トオルはグラウンドをあとにした。



「ルールはサドンデスマッチ。一本でも外した時点で負けということでいいか?」

「うむ。かまわん」

 翌日の放課後。

 廃校舎前のバスケットコート内で睨み合うふたりを、トオルは呉羽副担任とともに見守っていた。

「じゃあレディーファーストとして、保子莉ちゃんから先に肩慣らししていいぜぇ」

 余裕の長二郎に対し、保子莉がボールの具合を確かめて言う。

「先日、存分に練習をしたからウォーミングアップなど無用じゃ。それよりもおぬしのほうこそ、やっておいたほうが良いのではないか? 一発目から外して去勢などされたくもなかろう」

 嘲笑う保子莉に、長二郎は怒ることもふざけることもしなかった。

「じゃあ、お言葉に甘えて」

 長二郎はフリースローラインに立つと、我流スタイルでワンハンドシュートする。その理想的な姿勢と動作で放たれたボールは、バックボードに触れることなくストンとリングをくぐり抜けた。

「お上手ですねぇ、長二郎さん」

 クレアの拍手に、親指を立てて応える長二郎。ふざけていないところをみると、どうやら本気でやるつもりらしい。

「いつでもOKだ」

 10本すべてのシュートを決めた長二郎が、ボールを小脇に抱えて保子莉の前に立った。

「では、始めるとするかのぉ。それで誰からやるのじゃ?」

「保子莉ちゃんに任せる。先攻でも後攻でも好きなほうを選んでくれ」

「ならば、わらわから先にやろう」

 保子莉は迷うことなく先攻を選択すると、フリースローラインに立ってボールを胸元に抱えた。

 注目の一投目。

 自分の背丈の倍以上もあるゴールに向けて屈伸し、躊躇することなくジャンプシュートする保子莉。そのしなやかに伸び切った姿勢から放たれたボールは、綺麗な孤を描いてストンっとリングをくぐり抜けた。

「上手い……」

 鮮やかなシュートにトオルが言葉を失っていると、呉羽副担任が嬉しそうに手を叩いた。

「初めての本番にしては上出来ですよぉ!」

 ズバ抜けた集中力と身体能力。その運動センスは誰の目から見ても優れており、もしこの勝負が長二郎ではなく、トオルだったならば間違いなく一投目で負けていただろう。そのくらい保子莉のシュートは完璧なものだった。

「上手いじゃねぇか。まさかと思うが、ボールに宇宙技術の仕掛けとかしてんじゃねぇだろうなぁ?」

 皮肉る長二郎に、保子莉が高笑った。

「まぁ、わらわの華麗なるプレイを見たあとでは、そのように疑うのもムリもないことじゃ。なんならこのボール、おぬしが使ってみると良かろう。イカサマでないことがわかるじゃろうて」

 そう言って、保子莉は拾い上げたボールを長二郎に放り投げた。

「あんまり俺をなめんなよ。あのフォーム見れば、タネも仕掛けも無いくらいわかるってぇの。ついでに保子莉ちゃんがそんなことしないってのもな」

 長二郎は不敵な笑みを浮かべ、ボールを保子莉に投げ返した。

「小憎らしいヤツじゃな」

「それはお互い様だろ」

 長二郎はそう言い返し、真剣勝負の一投目を放った。

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