第二章 長二郎VS黒猫 3
時はお昼休み。
職員室の自席で、ランチに舌鼓を打つ副担任クレア。麺を啜ってはスープを飲み、また麺を啜り上げ、その度に至福の笑みを浮かべていた。
「さっきのもおいしかったですけどぉ、これもぉなかなかの美味ですぅ」
と食べきっていないカップ麺を置き、次のカップ麺にお湯を注いでいると、隣に座っていた1年D組担任の佐々倉先生が箸を止めた。
「いくらなんでも、食べ過ぎじゃないですか?」
「そうですかぁ?」と、クレアがズバババっと麺を啜っていると
「呉羽先生。ちょっとお聞きしたいのですが」
眉間に皺を寄せる佐々倉に、クレアは麺を簾のように咥えたまま箸を止めた。
「普段から、そんな食生活をなさってるのですか?」
と机の上に積み上げられた未開封のカップ麺を指さす佐々倉。開封前のインスタントラーメンの他に、様々なお菓子や炭酸飲料が所狭しと机を占拠していた。
「いえ、普段はもっと質素なんですけどぉ、あまりにもこの国の食べ物がおいしいのでぇ、いっぱい買っちゃいましたですよぉ」
すると佐々倉が、あきれたため息を吐いた。
「日本のインスタント食品が美味しいのは認めますが、そんなものばかりでは体を壊しますよ。余計なことかもしれませんが、できれば、こういう感じでバランス良く栄養を摂取しないと」
そう言って自前の弁当を見せる佐々倉。見れば、二段重ねの小さなお弁当箱に色とりどりのオカズが詰め込まれ、緑黄色野菜も添えられていた。
「あらぁ、美味しそうなお弁当ですねぇ。コレって、どこで売っているんですかぁ?」
「手作りです」
「佐々倉先生ってお弁当も作れるんですかぁ。凄いですねぇ」
感心するクレアに、佐々倉の頬がピクついた。主に「も作れる」と言う部分にウェイトを占めているようである。
「呉羽先生。今の発言……さりげなく他意を含みましたよね?」
「はて? なんのことですかぁ?」
真顔で首を傾げるクレアに、佐々倉はこめかみに浮かんだ怒りを引っ込めた。
「いえ、なんでもないです。私の思い過ごしだったようです」
「そうですか。それでぇ、もし良ければぁそのおかずをひとつぅ頂いてもいいですかぁ?」
「どうぞ」
お弁当を差し出す佐々倉先生に、クレアはアスパラベーコン巻きを摘んで口に放り込んだ。
「んまぁ、おいしい! お肉の塩味加減とぉ緑のお野菜が持つ本来の甘味がぁとってもぉマッチしてますですぅ」
表現のほどはともかく、クレアの正直な感想に気を良くした佐々倉は、手作り弁当の定番であるダシ巻き玉子も勧める。
「もし良ければ、コレもどうぞ」
「それでは遠慮なくぅ」
「どうですか?」
「フワフワ甘くてぇおいしいですぅ! カップ麺もいいですけどぉ、こっちはこっちでぇとっても美味しいですぅ」
味付けに自信があったのか、佐々倉先生が得意気に鼻を持ち上げていた。
「化学調味料のカップ麺では、この味は真似できませんからね」
羨ましい。私もこんなおいしい手料理を作ってみたい。とクレアの食欲魂に火がついた。
「あのぉ、佐々倉先生ぇ、ひとつお伺いしたいのですけどぉ」
「なんでしょう?」
「おいしいご飯を作れるとぉ、やっぱり男の人は嬉しいんでしょうか?」
「基本、手作りならば、どんなものでも嬉しいでしょうね」
「なるほどぉ」と箸を咥えたまま、虚空を見上げるクレアだった。
丁度、その頃。
屋上の一角を陣取って、保子莉と長二郎の3人で昼食をしていたときのことだった。
「えっ? 保子莉さんの家って、僕んちの隣なの?」
明かされた事実に、トオルはお弁当を手にしたまま箸を止めた。
「そうじゃ。断っておくが、元々空き屋じゃったし、ちゃんと日本の不動産手続きに則って間借りしておるから、法的において何の問題もないぞ」
保子莉がラベルのない缶詰の具をフォークですくい上げて口にしていると、長二郎が焼きそばパンの残りを口に押し込んでいう。
「なんだよ。そのご近所設定はよぉ? そもそも昨日、そのことを知っていたら、俺はクレアたんと一緒にお風呂に入って、寝るときは絵本を読み聞かせていたのによぉ」
握り拳を作って悔しがる長二郎に、保子莉が軽蔑な眼差しを向けた。
「おぬしが帰るのを見届けてから、家に戻ったのは正解じゃったな。そんな調子で家に押しかけられでもした日には、わらわも平常心を保てる自信がなかったわい」
その彼女の言い分にトオルも同意した。もし保子莉宅が隣家だと長二郎に知れてしまったら、間違いなくクレアを追いかけるように自宅へと押しかけ、保子莉と第2ラウンドを開催していたことだろう。
「交通事故の被害者の隣に美少女が住みつくなんて、まるでアニメじゃねぇか」
すると保子莉が持っていたフォークを長二郎に向けて感嘆した。
「おぬしの感性は理解したくはないが、わらわを美少女と認めたおぬしの心眼は高く評価してやろう」
「はぁ? なに勘違いしてんだよ。 俺のいうとこの美少女とはクレアたんのことだぞ」
してやったりと、ほくそ笑む長二郎。しかし保子莉は気にするでもなく、新たな無印缶詰を開けて舌鼓を打ち始めた。
「うーん。定番のマグロ&カツオも良いが、この鶏ササミも捨てがたいのぉ」
「なんだよ、その余裕の態度は? さては消すのか? あの古くさい携帯電話を使って俺の記憶をまっさらにするつもりなのか? そうなんだな? いや、絶対にそうだろ!」
「やかましい! そんなくだらん理由で消さんわ! そもそも、こんな面白い切り札を、そう簡単に使ってなるものか」
「じゃあ、どんなときに使うつもりなんだよ?」
長二郎の問いに、保子莉は暗い影を目元に落とし、怪しい笑みを口元に浮かべた。
「おぬしが生きるか死ぬかの選択せざるえないときに、使うに決まっておろう」
「どんだけ恐ろしい状況なんだよ」と長二郎が頬をヒクつかせていると……
「あ、それとついでに忠告しておくが、クレアに夜這いをかけようとしても無駄じゃからの」
「なんでだよ? クレアたんは一緒に住んでないのかよ?」
「いや、そうではない。おぬしの人体パターンは、すでに家のセキュリティーシステムに登録済みじゃからの。万が一無許可で敷地内に足を踏み入れようものならば、鼻水も凍てつくアラスカ北部の山頂に転送するよう設定してある。なので、もし夜這いをする覚悟があるならば、極寒装備で挑むことをお奨めしておくぞ』
親切なまでの事前警告。地球上に存在しない数々の宇宙テクノロジーを操る彼女のことだ。きっと単なる脅しやハッタリなどではないだろう。
「ちっ。つまらん防犯機能のおかげで、命がけの夜這いになっちまうじゃねぇか」
流石のトオルも親友の本気度がわからなかった。とは言え、仮にも女の子だ。彼女たちが宇宙人だとしても防犯対策は必要だろう。そんなことを考えていると、長二郎が良からぬ笑みを浮かべた。
「なぁ、保子莉ちゃん。ものは相談なんだけどよぉ、ひとつ、そのセキュリティー解除を賭けて俺と勝負しないか?」
悪党面する長二郎に、トオルがイヤな予感を覚えていると……
「賭けじゃと。ふむ、面白そうじゃな。それで、それはどんな内容じゃ?」
「俺とフリースロー対決しないか?」
唐突に持ち出した提案に、思わず異論の声を上げるトオル。
「長二郎。いくらなんでも、それは卑怯だよ。保子莉さんが長二郎相手に勝てるわけがないじゃないか」
「そうかなぁ?」
「だって、長二郎の身長は180センチ以上。それに比べて保子莉さんは僕よりも小さいんだから、どう見たって不利に決まってるじゃないか」
トオルでさえ苦戦している相手なのに、どうして彼女が勝てるというのか。第一、ふたりの身長差からして勝負以前の話だ。
「ちょっと待て、トオルよ。勝負する前から、なぜわらわが負けねばならんのじゃ?」
と面白くなさそうに仏頂面する保子莉。どうやら根っからの負けず嫌いな性格らしい。
「だから、バスケットボールは身長が高いほうが有利だし、フリースローならなおさらじゃないか」
普通にジャンプしたところで、手の届くはずのないゴールリング。ゆえに女子の平均身長を下回る彼女からすれば、そびえ立つ大木に等しいはずなのだ。
「何で143センチのわらわでは勝てぬと決めつけるのじゃ?」
憤懣する保子莉に、トオルは怯みつつも付け加えた。
「僕もバスケに詳しいわけじゃないけれど、背が高いほうがリーチも長いし、必然的にゴールに近くなるわけであって……」
「では訊くが、そのバスケとやらの選手たちは長二郎のように高身長を満たしていないとできぬ競技なのか?」
するとトオルの代わりに、長二郎が補足する。
「確かに体格差が左右する競技ではあるけど、一概にそうだと言い切れないだろうな。実際、身長が小さくても活躍してる日本人選手も少なからずいるし」
「ほれ、長二郎もこう言っておるではないか。なんでも先入観や固定観念で判断するのは良くないぞ。ましてや、やってもおらぬうちから、わらわが負けると決めてかかるなど言語道断じゃ」
彼女を擁護し、不利な勝負をさせないようにしたはずなのに、なんで説教されなければならないのだろうか。
「良し、トオルよ! おぬしのその偏見、このわらわが身を持って覆してやろう」
小さな胸を反らしての宣言。どうやら余計な藪を突っついてしまったようだ。
「それで勝負はいつじゃ? なんなら今からしても良いぞ」
「俺はそれでもいいけどよ……保子莉ちゃん、バスケ知らねぇみたいだし、練習もしたいだろうから、明日の放課後ってのはどうよ?」
「ふむ。近頃、わらわも運動不足じゃったのでな、ちょうど良い。それで賭けの対象はクレアの夜這いか?」
肩の付け根から腕をぐるぐる回してやる気満々の保子莉に、長二郎が少考する。
「そうだなぁ……それよりも保子莉ちゃんが俺に服従するっていうのはどうだ?」
その屈辱的な条件変更にトオルは肝をつぶした。冗談でも、そんなことを口にしてはならないし、言われた彼女も流石に黙っていられるはずがない。しかし保子莉は怒るどころか、口角を持ち上げて笑った。
「ほぉ。それでわらわが勝ったら、おぬしは何をしてくれるのじゃ? 当然、わらわの服従に見合うほどの等価条件があるのじゃろうな?」
「それも、そうだよなぁ」と長二郎が考えていると……
「去勢じゃな。一生、子供が作れぬ体にするというのはどうじゃ?」
その発言に、男たちふたりが身もだえたのは言うまでもない。
「何をそんなに驚いておるのじゃ? このわらわを一生服従しようとするのじゃから、当然じゃろ。それともなにか? まさか、この期に及んで怖じ気づいたのではあるまいのぉ」
挑発同然の言動に腕組みして考え込む親友。調子に乗りすぎたとは言え、流石の長二郎も即答できないようだ。……が、同じように保子莉にもリスクが伴うはずなのに、まるで人ごとのように笑っているのだから、肝が据わっているとしか思えなかった。
「イヤなら、この勝負、取りやめてもかまわぬぞ」
棄権を促すその言葉に、長二郎がいきり立った。
「なに言ってんだ! や、やるに決まってんだろうが! その条件で勝負してやるぜ!」
万が一負けた場合、残りの人生がオカマになってしまうかもしれない条件。しかも長二郎が言い出しっぺだけに、今さら「ごめんなさい」と言えるはずもなく、引きつった笑顔で虚勢を張っていたりするのだから、バカすぎて同情する気にもなれなかった。
――もう勝手にやればいいさ
こうなると、なにを言っても無駄。しかし本当にこのままやらせてしまっていいのだろうか。と思っていると、保子莉が不敵な笑みを浮かべた。
「明日の放課後が楽しみじゃわい」
「ふん。保子莉ちゃんが泣いて謝る姿が目に浮かぶぜ」
視線が激しく絡み合う両者に挟まれ、トオルは大きなため息をつくしかなかった。本人には言えないが、たぶん彼女が勝てる見込みは、まぐれや奇跡を含めて一割の可能性もないだろう。
「ところでトオルよ。今日の放課後、ちょっとだけ、わらわに付き合ってはくれぬか?」
「付き合うってなにを? もしかして明日の勝負に備えて、バスケットシューズでも買いに行くつもりなの?」
と軽く皮肉を口にしてみれば……
「いや、フリースローとやらのやり方を教えてほしいのじゃがのぉ」
急浮上してきた根本的問題。こうなると勝負以前の話だ。
「もしや、フリースローというのは頭を抱えるほど難しい競技なのか?」
のんきに小首をかしげる保子莉に、長二郎が補足する。
「まぁ、一言で説明できるほど簡単じゃねぇけど、いたってシンプルだぜ。正確なルールは知らんけど、フリースローラインってところからボールを輪の中に入れるだけだからな。俺が稽古をつけてやってもいいんだけど、あいにく今日はバイトが入ってて付き合えないんだわ。と、いうことでトオル先生、あとはヨロシクな」
勝ったも同然。そんな余裕の態度が長二郎からにじみ出ていた。
「ほれ、長二郎もこう言っておる。おぬしが少し手ほどきをしてくれれば、あとはひとりで練習するから余計な心配をせんでも良い」
勝負すると決まった以上、教えないわけにもいかず、トオルは仕方なく指導を引き受けることとなった。
「明日になって、後悔しても知らないよ」
「やることをやってベストを尽くす。それがわらわの信条なので、後悔などせぬわい」
そう言ってニッと笑う保子莉だった。
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