第一章 黒髪転校生 6

 学校休日の土曜日。

 それは店舗限定で販売中のアニメのブルーレイBOXが欲しいという理由で、長二郎に連れられて市内までくり出した日のことだった。

「遅くまで付き合わせちまって悪ぃな」

「ううん、大丈夫だよ。じゃあ、あさって学校で」

 駅前で長二郎と別れたトオルは、駐輪場に停めて置いたマウンテンバイクにまたがり、スマートフォンで時刻を確認した。

 午後8時38分。

「母さん……怒ってるだろうな」

 母が用意する夕飯をすっぽかし、再三に渡る帰宅催促の電話応答もおろそかにしたのだから、笑って済まされるはずはない。

 ――急いで帰らなきゃ

 ぐるりと山を迂回する平坦な道では時間がかかりすぎる。となれば、アップダウンを繰り返す最短帰宅ルートを選ばなければならなかった。

 ――ちょっとハードだけど、しかたないな

 母の怒りを少しでも和らげるべく、トオルは普段使っている道を使わず、裏山の峠道を目指してペダルをこぎ始めた。



 時を同じくして……

 裏山の頂上の小さな駐車場で、怪しくうごめく人影があった。タイヤのない箱型コンテナを積んだトラック。その荷台から奇妙なビックスクーターが下ろされた。もちろんトラック同様、前後についているはずのゴムタイヤはない。

「お嬢さま。ライドマシンの準備が整いました」

 白髪の老人はそう言って、ビックスクーターを黒髪の少女に委ねた。フワフワと宙を浮くビックスクーター。通称ライドマシン。少女は意気揚々として、その摩訶不思議なマシンのエンジンを掛けた。

「ふむ。今日も絶好調じゃな」

 ライドジャケットを羽織り、襟元から黒髪をすくい上げる少女に老人が問う。

「ここ最近、毎晩のように走り込まれておりますが、いったい、なにがお嬢さまをそこまで駆り立てているのですか?」

 すると少女は、自身が背負う宿命のように、神妙な顔つきで夜空を見上げた。

「きっと、わらわの中の代々受け継がれる狩猟本能が、そうさせておるのじゃろう」

「そうでございますか。しかし爺の立場といたしましては、いつか事故を起こすのではないかと肝を冷やしているゆえ、くれぐれも安全運転をしていただきたいのですが」

「事故じゃと? 爺はなにもわかっておらんのぉ。良いか。この星にはバトルと呼ばれる熱い闘いがあるのじゃ。ゆえに不運な事故など恐れていては最速の称号などありえんのじゃ』

 瞳の奥で炎を揺らめかせる少女に、老人がぼそりと呟いた。

「その妙な物言い……。この間から仕事の合間に、この星の娯楽雑誌を熱心に読みあさっていることは存じておりましたが……まさか、そのようなものに感化されていたとは、まったくもって嘆かわしい限りですな』

 小言をこぼす老人の声に、少女は耳も貸さずにライドマシンにまたがると、ウォーミングアップとばかりに狭い駐車場内を回り始めた。

「華麗なローリングスルーでございますね」

 老人の控えめな嫌味に、少女はエンジン音をうならせて無視を貫いた。

「さて、エンジンも暖まってきたようじゃし、そろそろ行くとする」

「お早いお帰りを、心待ちしております」

 少女は頭を下げる老人の返事を聞き届けると、ライドマシンとともに夜の峠道を下り始めた。

「ゾクゾクするのぉ、この加速感! さて、今宵の相手はどこのどいつじゃ」

 慣れた操作でもってシフトチェンジを繰り返し、猛スピードで峠道を走る少女。

「まずはひとつめのコーナーじゃ!」

 迫るカーブに対し、少女は長い黒髪をなびかせながら、威勢良くマシンを押し倒した。


 外灯の無い峠道。

 その暗闇の中、薄汚れたガードレールの反射板が返すのはマウンテンバイクが照らすライトの光だけだった。

「はぁはぁ……」

 傾斜のきつい坂道に対し、トオルは立ち漕ぎする両脚に力を込めた。峠の頂上を越え、母校である中学校前の坂を下れば、我が家はもう目と鼻の先だ。……と、思った矢先、目の前のカーブを境に、対向車のヘッドライトが視界に飛び込んできた。

「見よっ! わらわのこの華麗なるドリフトテクニックを!」

 カウンターテクニックを駆使し、ライドマシンを横滑りさせる少女。……が、マシンはコントロールを失い、オーバースピードのまま対向車線に飛び出した。

「「えっ?」」

 まるで時が止まったかのようなスローモーションの中、トオルと少女の目が合った。次の瞬間。トオルは飛んできたライドマシンとガードレールに挟まれていた。

「!」

 身構えることもなく、突如、襲いかかってきた強い衝撃。もちろん血の匂いはおろか、痛みさえ感じることもないまま、トオルの意識はそこで断ち切られてしまった。



「どうでしたかぁ? 今、見ていただいた記憶再現で、事の経緯がおわかり頂けましたでしょうかぁ?」

 褒めてもらいたそうに、トオルに話しかける幼女。だが当の本人の瞳孔は開いたままだった。

「どうしたのじゃ、まるっきり反応がないようじゃが?」

 ベッドの上でキャットフードをつまみながら問う保子莉に、トオルを診察しながらクレアがいう。

「事故のショックが強すぎてぇ気を失ってますですねぇ。きっと実体験の記憶にぃ、脳ミソさんもビックリしちゃったんでしょう」

 そういって、クレアは放心状態のトオルにスマートフォンの蘇生プログラムを発動させた。

「はっ? どうして僕はここにいるんだ?」

「事故における記憶を見てもらいましたですよぉ。ところでぇ、ご気分のほどはいかがですかぁ?」

 にっこり微笑む幼女に、トオルは返事もせず朦朧としていた。

 ――いったい、なにが起こったんだ?

 現実なのか、それとも夢だったのか区別ができなかった。

「そうだ……。遅くなったことを母さんに謝らなきゃ」

 部屋で遊んでいる場合ではない。とおもむろに立ち上がるトオル。その脈絡のない突然の行動に、ベッドに横たわっていた保子莉が跳ね起きた。

「藪から棒にどうしたのじゃ? って、クレア! こやつはなにを考えておるのじゃ?」

 自室を出ようと、徘徊するゾンビのように歩き始めたトオルを、慌ててクレアが取り押さえた。

「どうやらぁ、今のトオルさまは再現された事実を拒絶してぇ、本来の目的を果たそうとしてますですぅ」

「どういうことじゃ?」

「つまりぃ、本能的に命の危険を感じてぇ、無意識のうちにぃ事故に遭う二日前まで記憶が退行してしまっているようですぅ」

 クレアの説明に、保子莉も眉間にしわを寄せた。

「めんどくさいやつじゃのぉ……。仕方ない。クレアよ、済まぬがもう一度、こやつに当日の記憶を見せてやってくれ。ただし今度は衝突寸前までじゃぞ。そうすれば、このような混乱も多少なりとも回避できよう」

「わかりましたですぅ。では早速ぅ」

 言うや否や、クレアは幼児とは思えない怪力を発揮し、トオルを部屋の中央へぶん投げてねじ伏せると、トオルの体にまたぎ乗った。

「トオルさまぁ。お手数ですがぁ、もう一度、事故当日の記憶を見てくださいねぇ」

 そう言って、クレアは記憶再現プログラムを発動させた。

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