第一章 黒髪転校生 4

 下校時刻。

 『のべ川』の河川敷で走り込みをする運動部員を横目に、トオルは重い足を引きずっていた。

「今日はツイてない日だったなぁ……」

 朝から一里塚深月にサイテーと罵られ、加えてバスケットゴールの破損。もっとも先生からは経年劣化と判断され、無罪放免となったのだが……無断で廃校舎の敷地に立ち入ったということで、さきほどまで反省文を書かされていたのだ。ちなみに長二郎はといえば、普段から目立つ素行の悪さも含め、追加反省文という居残りを命じられている。

「本当に一里塚さんの誤解が解けたのかなぁ」

 あまり目を合わせることができなかっただけに、彼女の心境が気になってしかたがなかった。

「嫌われてなければいいけど……」

 同時に自分のウジウジした性格に幻滅した。

 いったい、いつからこんな気弱で後ろ向きな性格になったのだろうか。小学生のとき? いや、きっと中学校に入ってからだろう。同級生にからかわれ、イジメの対象となったときから性格が歪んでしまったのかもしれない。


「ふっ。寄ってたかって弱い者いじめか。かっこ悪ぃな」

 中学一年。1学期の終わり間際のことだった。

 当時、同じクラスで早くから厨二病を患い、目立っていた長二郎。そんな彼が、何を思ったのか、トオルをかばい、ケンカ沙汰にまで発展した事件を起こした。……が、幸いなことに大怪我もなく軽傷程度にとどまり、それ以来トオルへのイジメもなくなったのだ。

「所詮、俺にとって、やつらはモブだから気にすんな」

 気取って手を差し伸べる彼の言葉。正直、さっぱり意味がわからなかった。

 その日を境に、そんな彼と遊ぶようになったのだが……それでも、このウジウジした性格は治ってなかったのだ。

 ――もし、こんな性格じゃなかったら、今頃は……

 願望を胸に抱きながら、うつろな視線で川を見下ろした。

 川のほとりで好きな異性と愛を語りあう下校時間。しかし、いくら妄想を繰り返しても到底実現できない自分に嫌気がさし、途方に暮れた。

「もっと前向きに行動してみろよ」

 落ち込む度に日頃から言い聞かされる親友の言葉が脳裏をかすめた。

 ――まずは、このネガティブな性格を治さないと

 前向きに。と自己啓発を巡らした反面……

 ――でも性格って、そう簡単に変わるものでもないしなぁ

 どうすればいいんだろう。と自意識改善を諦めた矢先、川向こうで懸命になって両腕を振り上げている女子高生の姿が視野に入った。延河原高校の制服。胸元の赤いリボンからして、トオルと同じ1年生だと遠目でもわかった。

 ――あんなところで、いったいなにしてんだ?

 遊歩道を外れ、土手下の若草をかき分けて近付いてみれば……

「おお! いいとこに来たな。敷常トオル」

 川向こうにいた黒髪転校生に名指しされ、トオルは眉をしかめた。

 ――困ったな……関わりたくない子と出くわしちゃったよ

 見なかったことにして遊歩道へと引き返そうとした矢先……

「お願いじゃ、早くクレアを助けてくれ!」

 川音に混じる急迫した声に、トオルは足を止めて彼女が指し示す足下を見た。幼い女の子が川の奔流に揉まれ溺れていた。基本的に流れの穏やかな『のべ川』。しかし場所によっては足元がすくわれるほどに流れが強く、ところによっては水深の深いところもあり、学校側からも再三に渡って川遊びなどしないようにと忠告をされているのだ。

 ――遊泳禁止の看板を見てなかったのか?

 対岸で溺れる幼女に、出かかった叱責の声を詰まらせた。時折、水面下に沈んでは顔を出し、川岸から頼りなく伸びた小枝を離すまいと必死に握っている。

「君の方が近いんだから、早く助けてあげなよ!」

 無理をして手を伸ばせば、届くはず。しかし

「苔がぬめってて足場が悪いのじゃ!」

 足下の積み重なった大きな岩場。それは不安定なほどに危なげで、彼女自身も何かに掴まっていないと川に落ちる危険性をはらんでいた。

「待ってて! 今すぐ、先生を呼んでくるから!」

 妥当な判断だと思った。このような救出には、状況を見極められる大人の手を借りるべきなのだ。だが非常なことに、時は待ってくれなかった。

 パキッ! と幼女の掴んでいた枝が折れ、一瞬にして小さな体が急流に飲み込まれた。

 ――まずい!

 トオルはスクールバッグを放り投げ、急いで上着と靴を脱ぎ捨てた。決して泳ぎが得意なわけではない。だからといって、黙って見過ごせるほど無神経ではない。冷たい川に足を踏み入れ、川底に張り付く藻を感じ取りながら流れていく幼女を見据えて泳ぎ始めた。

 ――僕の泳ぎで追いつくのか?

 消えかねない幼き命に、トオルは全力でもって泳ぎに集中した。そのせいか、水の抵抗を感じることもなく、幼女との距離がぐんぐんと縮まっていく。

 ――よし、捕えた!

 小さな体の腰を抱えて一気に担ぎ上げると、頭に幼女がしがみつく。呼吸の心配もなくなり、まずは一安心だろう。トオルは岸に上がると抱っこしていた幼女を降ろした。

「怖かったね。でも、もう大丈夫だから安心して」

 落ち着きを取り戻しつつある半ベソの幼女。震えてはいるものの、大泣きするほどパニックになってはいない。小さいときに同じ経験をした自分とは偉い違いだ。そんな自分が人命救助をしたのだ。場合によってはトオル自身も溺れる可能性があった危険な救助。正直、運が良かったとしか言いようがない。

「助けていただきましてぇ、ありがとうございますですぅ」

 ずぶ濡れのまま、ペコリと栗色の頭を下げる幼女。トオルの腰ほどにも満たない背丈と未発達な体。ユニタードのような白のインナーウェアの上から大人用の女性ブラウスを羽織った一風変わった身なりに、トオルは首をかしげた。

「服はどうしたの? まさか、その変な下着とシャツ一枚だけってことはないよね?」

「スカートと靴を履いていたんですけどぉ、川に落ちた拍子にぃ、流されちゃったみたいですぅ」

 靴はともかく、着衣が流されるほどの激流だっただろうか。と背後を流れる川面へと目を配らせるものの、幼女が着ていたと思われる衣類は見当たらなかった。

「とりあえず、おうちの人に連絡して着替えを持ってきてもらおうか」

 そう言って幼女の頭を撫でた。……が、同時に自分の目を疑った。

 指の間に形成された水かきと、手の甲を覆う鱗。慌ててシャツの袖口をまくり上げれば、魚のような鱗がビッシリと腕全体を覆っていた。

「なんだ……これ?」

 ホモサピエンスの進化から逸脱した異質な皮膚形状。少なくとも敷常家のルーツにカッパの祖先や魚類の親戚はいないはずなのだが。

 ――いったい、なにが起きたんだ?

 信じがたい異変に戸惑っていると、聞き覚えのある声が河原中に響き渡る。

「おーい! おぬしら、無事か?」

「はーい。ごらんのとおりぃ生きてますですよぉ」

 黒髪を振り乱して駆けてくる転校生に向かって、元気に手を振る幼女。

 最悪なタイミングだった。こんな得体の知れない体を転校生に見られでもすれば、気持ち悪がられた挙げ句、クラスに言いふらされてしまう。同時に虫ケラを見るような一里塚深月が脳裏に浮かんだ。

「気持ち悪いから、近寄らないで」

 想像するだけで、もう切腹したい気分だった。

 ――とにかく、見られる前に早くどこかに隠れないと!

 しかし流れ着いた場所は対岸が見渡せるほど拓けており、怪しげな肉体を隠せる建物はおろかダンボールさえない。

「くそっ!」

 近づいてくる転校生に、トオルはたまらず川へと飛び込むと、人目を逃れるように一目散に泳いだ。

 ――もう、死にたい!

 その威勢は、水面に白い軌跡を残すほど速く、その凄まじい逃げっぷりに、転校生保子莉と幼女が感嘆の声を上げて拍手していたことをトオルは知るよしもなかった。


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