第一章 黒髪転校生 3

「まだ、気にしてんのかよ。トオルぅ」

 昼休み。

 昼食を終えたトオルは、長二郎とともに廃校舎前のグラウンドに来ていた。

「本当にわかってくれたのかな、一里塚さん」

 死んで詫びたい今朝のBL事件。憧れの女の子が同性愛の本を読んでいた事実も信じられなかったが……今のトオルにとっては嫌われることのほうが大事なことだった。

「俺の貴重な休み時間を削って誤解を解いてやったんだから、いい加減忘れろよ」

 長二郎曰く、深月本人を呼び出し「あいつは何も知らなかったんだ」と説明してくれたらしいのだが……

「少なくとも、おまえと違って根に持つようなタイプじゃないから安心しろ」

 そう言って、長二郎は手にしていたバスケットボールをさびれたゴールポストに向けて放った。

「ひゅー! 俺ってば天才!」

 輪をくぐったボールは垂れ下がるネットを揺らし、白線が剥げ落ちたコートに落ちた。

「いつまでもシケた顔してないで、早くやろうぜ」

 足でボールをすくい上げ、ワン・オン・ワンゲームを催促する長二郎に、トオルは面倒くさそうに答えた。

「そんなにやりたければ、ほかの人を誘ってやればいいじゃないか」

 なにも僕じゃなくったっていいのだから。

「教師に本を奪われた親友が落ち込んでいるんだぞ。どこへ向けていいのかわからない怒りのストレスを発散できず、非行に走る親友。……なんてことにならないためにも、ちょっとは付き合ってくれてもいいんじゃね?」

 担任に没収された漫画の話を持ち出す長二郎。元はといえば、授業中に読んでいた長二郎が悪いと思うのだが。

「ったく、冷たいやつだよなぁ」

 愚痴りながらドリブルを繰り返し、長二郎は容易く二度目のゴールを決める。

「ボブ子の誤解を解いてやったのによ」

 と恩着せがましくチラリとこっちを見て、突然わけのわからないことを口走った。

「なぁなぁ、トオル。ひとつ、俺と勝負をしないか?」」

「しょうぶぅ?」

 バスケットボールを小脇に抱え、崩壊寸前の二階建て木造廃校舎を背にして言い放つ親友。ニヤニヤしているところをみると、どうせろくでもないことを考えているに違いない。

「しかも、ただ勝負するだけじゃない」

 賭けをしようぜ。と楽しげに語る長二郎にゲンナリした。正直いって、この後に控える午後の授業のことを考えると、余計なエネルギーは使いたくはないからだ。

「くだらない」と顔を背けたときだった。視界の隅に黒髪の女の子が映った。

 ――時雨さん?

 彼女は何をするでもなく、新緑香る桜の木の下でこっちを見ていた。

 ――なんで、あんなところにいるんだろ?

 ここは、もう使用されていない廃校舎だ。もし転校生が見学するならば、基本的に新校舎や部活動を主とする各グラウンド施設のはず。なのに、なぜこんな寂れた廃校地にいるのだろうか。

 ――もしかして、迷ったのかな?

 と何気なく疑問を感じていると……

「賭けの内容はこうだ。俺と勝負して、俺に勝てばボブ子に好きなヤツがいるか、それとなく聞いてきてやる。んで、逆におまえが負けた場合、ボブ子本人にトオルが惚れていることバラしてやる。もちろん拒否っても同じことすっから。どうだ、やるか?」

「あぁ、うん」

 上の空で返事をするトオルに「よし、決まりだな」と成立する長二郎。……って、ちょっと待って。今、なんて言った? 一里塚さんに暴露するとかしないとか言ってなかったか。


「敷常くんが私のことを」

 一瞬、ポッと頬を染めて照れる一里塚深月が脳裏に浮かんだ。

 いや、本人からの告白ならともかく、長二郎からの又聞きでは、たぶんそれはありえないだろう。

「残念だけど、自分で告白してこないような人は、ちょっと遠慮したいかな」

 真面目で頭の良い彼女のことだから、確率としては、むしろこっちのほうだろう。

「返事をした以上、聞いてなかったなんていわせねぇかんな。ほら、時間が無いからサッサと始めんぞ」

 そう言って長二郎からボールを投げられた。授業と違って生き生きしているのは気のせいだろうか。

 ――困ったなぁ

 勝負に負けても拒否しても同じ結末。

 もしここで勝負を放棄し、当人を差しおいて告白でもされれば、トオルだけではなく深月本人の気分を害することとなる。正直、今朝の出来事のあとでは、もう目も合わせてくれなくなるだろう。逃げ道をふさがれた賭け。もっとも長二郎に勝てばいいだけの話なのだか、長身相手の親友に勝てる手段や奇策などあるはずもなく……せめて何かしらのハンディキャップがほしいところだ。

「じゃあ、ハンデとして先行はトオルからでいいや」

 いや、そうでなく身長差のギャップを埋める条件がほしいのだけれど。

「遠慮しねぇで、いいからな」

 と手招く親友にトオルはドリブルしながら思索を巡らせた。もともと身体能力がズバ抜けている長二郎だ。それだけに全力で……いや、死ぬ気でボールを死守するか、本気で出し抜かない限り、絶対に勝てないだろう。だが、いくら考えてもこれと言った勝算が思い浮かばなかった。

「いつまでボールと遊んでんだよ。仕掛けてこねぇなら、俺から取りにいくぞ!」

 ――冗談じゃない!

 長二郎に急かされ、考えなしにゴールへと足を踏み出す。両腕を広げて行く手を阻む長二郎を牽制しながら、ボールをゴールリングに放り投げた。だが190センチを超える相手の前では得点にはいたらず、易々とはじき落とされた。

「そんなぬるい調子で、点が取れると思ったら大間違いだぜ」

 もう一回だ。と長二郎は奪ったボールをトオルに戻し、再度、攻撃の主導権を譲る。

「もっと気合い入れてやれ。それとも俺の口から、ボブ子にカミングアウトさせたいのかなぁ」

 にやける長二郎に、トオルは微かな怒りを覚えた。うやむやのうちに賭けを決められた挙げ句、卑しめられたのだ。普段から温厚な性格のトオルでも、流石にこの態度にはカチンとくるものがあった。

 ――ちくしょう。バカにしやがって!

 とトオルは怒り任せに大地を蹴った。それに合わせ、腕を伸ばして道を阻む長二郎。対し、トオルも俊敏な動きでもって相手のディフェンスを難なくかわしていく。

 ――なんだろう、体が軽いぞ

 普段の自分とは異なる軽快なフットワーク。その証拠に相手の動きが遅く見えていた。

 ――勝てるかもしれない!

 猛追してくる長二郎を振り切り、2度目のゴールを狙う。……が、寸前のところで、またもやボールを奪われた。

 ――くそ、もうちょっとだったのに!

 募るイライラ感。こうなると、どうにかして長二郎を出し抜き、一矢報いたくなる。

 ――なんとしても勝たなきゃ

 一里塚深月へのカミングアウトの断固阻止。そんな思いを胸の奥で煮えたぎらせていると、長二郎がドリブルしながら笑った。

「やる気になればできんじゃんよ。そうとなると、そろそろ俺も本気出しちゃおうかな」

 そう言って長二郎は瞳に闘志を宿らせ、人差し指を立てた。

「1分だ。1分でゴールを決めて、ボブ子にバラしてやる」

「ふざけんな、意地でもさせるもんか!」

 ドリブルしながら駆けだした親友に、トオルも負けじとディフェンスで応戦する。

「動き早っ!」

 金髪を振り乱して足を止める長二郎。そのわずかな隙を突き、長二郎からボールを奪い取ると、ゴール目指して全力疾走した。

 ――今度こそ絶対に入れてみせる!

 渾身の力でもって跳躍するトオルに合わせて長二郎もジャンプする。

「そうはさせっかよ! って、なにぃぃっ!?」

 3メートル以上もあるゴールリング。しかしトオルはそれ以上の高さを飛んでいた。

 くたびれたゴールポストと驚愕する親友を眼下に見下ろしながら、トオルはボールを頭の上へと振り上げた。

 ――これで僕の勝ちだ!

 落下と同時にボールを振り下ろし、力任せにゴールリングに押し込んだ。

「勝った……。長二郎に勝った」

 しかも人生初のダンクシュート。自ら繰り出したその大技に打ち震えていると、長二郎が賞賛の声をあげながら拍手する。

「おめでとう、トオル。残念ながら俺の完敗だ」

 演技かかった声音。サブカルチャー好きの親友のことだ。きっとマンガやアニメに出てくる台詞を言ってみたかったのだろう。

「そんで、その握っているゴールはどうすんよ?」

 敗者長二郎に指摘されて手元を見れば……なぜか、ひしゃげたゴールリングを掴んでいた。

「あれ?」

 理解できないまま頭上を見れば、用のなさなくなったバックボードがあったりする。

 学校備品の器物破損に血の気が引いた。

「ち、違うんだ! 壊すつもりなんか全然なかったんだ! ねっ、そうだよね。普通にプレーしてただけだったよね?」

 顔面蒼白で無実を訴えるトオルに、流石の長二郎も困惑していた。

「いや、だからって俺に言われてもなぁ……」

 弁解を受け入れてくれない親友に見放され、トオルは桜の木の下に目を向けた。

 もうひとりの証言者。目撃していた彼女ならば、不可抗力な事故だったことを証明してくれるに違いない。……が、転校生の姿はすでになかった。

「そんな……さっきまでいたのに」

「なんのことだか、わかんねぇけどよ……それより、その手にしているゴミ持って先生んとこに謝りにいこうぜ」

 消えた転校生の存在を気にしながら、長二郎と一緒に職員室へと自首するトオルだった。

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