第一章 黒髪転校生 2

 登校後。

 教室では男子生徒たちが鼻息荒くして、己のフェチ自慢を暴露していた。

「見たか、あの胸の大きさ!」

「あぁ、あれこそ巨乳の名称にふさわしい。ちなみに俺の見立てだが、あれは90以上はあるぞ」

「いやいや、胸だけではないよ。全体的にバランスのとれたプロポーション。あのスタイルの良さは日本人の遺伝子だけじゃないだろ」

「見た感じ、混血っぽいけど。たぶんハーフか、クォーターなんじゃないのか?」

「どっちにしても、あんな先生に課外授業など申し出られた日には、俺の強靱な理性もバグってしまうわ」

 話題の対象は、全校朝礼で紹介された臨時女性教諭だった。

 日本における教育環境の視察という理由で、海外から赴任してきた美人女性。

 中東系を匂わせる顔立ちとウェーブのかかった栗色のロングヘア。加えて、タイトスーツを着こなす抜群な悩殺ボディ。そんな大人の色香にあてられた男子たちが興奮するのも当然かもしれない。

 もちろんクラスの女子たちに聞こえないように配慮するも、その愉悦の声は自然と大きくなり、彼女たちからは……

「スケベ」「ヘンタイ」「ガキ」

 とゴミでも見るかのような眼差しを送られていたのは語るまでもない。

 明暗分かれるクラスの空気。その中でトオルは机に突っ伏したまま、負のオーラを垂れ流していた。

「帰りたい……。今すぐ家に帰って、引きこもりたい……」

 誰にも干渉されず、くすぶる感情をぶちまけて泣きたかった。

「まぁ……おまえの気持ちも、わからないでもないけどよぉ……」

「入学式から彼女を見続けてきたのに……。そりゃ、チラッとだけ他の子にも目移りはしたよ。でも、なにもしてないのにフラれちゃったんだよ。分かる? このやりきれない僕の気持ちがさ?」

「あぁ。もし俺たちが未成年でなければ、居酒屋で話を聞いてやりたいくらい、おまえの気持ちは良くわかるぜ」

 うんうんと頷く安っぽい同情に、トオルはふて腐れた。

「イケメンの長二郎に、僕の気持ちなんか理解できてたまるもんか」

「ったく、面倒くせぇヤツだな」

「うるさいな、余計なお世話だよ。とにかく放っておいてくれよ」

 とトオルは親友をおざなりにして廊下側をチラ見した。空席を挟んだ向こう側で、一時限目の用意をしている深月。普段なら目の保養となるところだが……今朝の出来事のあとでは、あまりにも気まずく直視できる心境ではなかった。

 ――月曜から憂鬱な気分だ

 好きな人のためなら命を捧げる覚悟はあるし、それこそが純愛だと思っていた。それなのにクラスの男子の話題ときたら、異国の新任女性教諭で持ちっきりなのだ。トオルにとって、それが非常に不愉快でバカらしく思えてならず、自身の純粋な思いを共感してもらおうと前席の親友に目を向けてみれば……

「それな。分かる分かる。あの先生だったら、ぜひメイドさんのコスプレを所望するところだ」

 長い付き合いの親友も同類だった。陰気なトオルに目もくれず、アニメ談義を交えてほかの男子と談笑していたのだ。そんな親友に、トオルは裏切られたような孤独感を覚えた。

 ピーヒョロロ……。

 開け放たれた窓の外を見れば、トンビが空高く旋回していた。

「……死のうかなぁ」

 惨めな目をして青空を仰ぎ見るトオルに、長二郎が振り返った。

「いつまでナメクジみたいにメソメソしてんだよ。生きていれば、いいこといっぱいあるんだし、もっと前向きになって人生を謳歌することだけ考えようぜ」

「一里塚さんにフラれた以上、この先、生きてても何もいいことなんかないよ」

「なぁ、トオル。何度も言うようだけどよ、本気でその後ろ向きな性格、どうにかしたほうがいいぞ」

 しかし、そのようなアドバイスを聞き入れられるほど心に余裕のないトオルは、勝手にイジけるだけだった。

 そんな会話を交わしているうちに予鈴が鳴り、担任の女性教諭が二人の女性を引き連れて教室に入ってきた。

 誰? とクラス全員が視線を注ぐ。

 ひとりは話題沸騰中の異国美女。

 そして、もうひとりは黒髪の美しい小柄な女子生徒だった。

 整った顔立ちに白い柔肌。

 澄み切った琥珀色の瞳。

 眉のあたりで切り揃えられた前髪と腰まで届くロングヘア。

 そして気品高く物怖じしない凜とした態度。

 見ようによっては、まるで戦国時代に登場するお姫さまのようだった。

 ――綺麗な人だなぁ

 と不覚にも転校生に見とれた瞬間、頭に鋭い痛みが走った。同時に聴覚を失い、迫る危険に焦る転校生の表情が脳内でフラッシュバックした。

「あれ? どっかで見たような?」

 面識のない少女のはずなのに、つい最近どこかで出会っているかのような記憶。だが、それがいったいいつのことで、どこだったのかまるで覚えがない。

 気がつけば、教室内の喧噪が耳に蘇っていた。

 ――デジャビュ?

 垣間見えた記憶に首を傾げていると、登壇した担任が出席簿で教卓を叩いた。

「静粛に。えー、今朝の朝礼で知っていると思うが、副担任と転校生がこのクラスの仲間入りすることとなった。ということで二人とも自己紹介を」

 端的に事を述べて二人の名前を黒板に書き記していく担任の横で、異国美女が口を開いた。

「えーとぉ、みなさん初めましてぇ。今日からぁ、このクラスの副担任さんを任されていただきましたぁ呉羽(くれは)クレアと申しますですぅ。ふつつか者ではありますがぁ、どうかお見知りおきのほどをお願い申し上げますですぅ」

 メチャクチャな日本語を連ね、朗らかに頭を下げる挨拶。その見た目と異なる可愛らしさが受け、和やかなムードが教室内に漂った。

 そして……

「時雨(しぐれ)保子莉(ほずり)じゃ」

 続く黒髪少女の無愛想な自己紹介で、場が一気にシラけた。

「…………」

 誰もが彼女の次の言葉を待っていた。だが長い沈黙が教室を占拠するだけで、これと言った変化は見られなかった。

「そういうことで、みなさん。二人が困ったことや分からないことがあったら、いろいろと教えてあげるように」

 何事もなく締めくくる担任に、壇上の少女が不遜の一言を放った。

「おい、教師よ。わらわの席はどこじゃ?」

 その発言にクラス全員がギョッとした。女子の平均身長を下回るであろう転校生が、教師に向かって横柄な態度で訊ねたのだから当然だ。風雲急をもたらす対峙に誰もが緊張する。が、しかし……

「なるほど……。物腰のしっかりした態度でなによりです」

 担任は笑顔をこぼしながらそう言うと、後列の空席を指さした。

「席は敷常くんの隣です」

「うむ」

 素っ気ない返事とともに黒髪を靡かせて闊歩する転校生。その堂々たる立ち振る舞いに、ほかの生徒たちが異端の目を向ける。だが、トオルだけは記憶の断片に残る少女との面影を重ね合わせていた。

 ――どっかで見たことあるんだよなぁ

 肘をついた腕の手のひらに顎を乗せて、少女を眺めていると……

「なんじゃ、さっきから? わらわの顔がそんなに珍しいのか?」

 気づけば、目の前で時雨保子莉が冷然と見下ろしていた。同世代の女子に比べ、どことなく大人びた少女。それだけに威圧感もハンパなく鋭いものだった。

 ――ヤバイ、睨まれてる!

 もしここで印象を悪くすれば、これからの高校生活において、どんな難癖をつけられるか分かったものではないし、なにより弱りきっている今のメンタルでは、正直いって心臓が堪えられそうもない。

「いや。べ、別に珍しくなんかないよ」

「そうか。ならば良い」

 彼女は無愛想に応え、長い髪をひるがえして隣の席に座った。

「それでは授業を始める。呉羽先生、初日の今日は後ろの方で見学していてください」

「わかりましたですぅ」

 異国の副担任は教壇を降り、生徒たちに愛想を振りまきながら教室の後ろへと移動し、用意してあったパイプ椅子に腰を下ろした。

「はい。それでは授業を始めます。えー、先週の続きから。教科書の……」

 授業開始とともに生徒たちが揃って教科書とノートを開く。そんな中、トオルは授業そっちのけで深月の横顔をチラ見していた。

 嫌われたとわかっていても、やっぱり好きな人は気になるもの。

 そんな淡い恋心を胸に秘め、人知れず至福を噛みしめていると、不意に隣の時雨保子莉に視界を阻まれた。

「おぬしは授業も聞かずに、いったいなにをしておるのじゃ?」

「べ、べつに……。君には関係のないことだよ」

 疑わしい顔で覗き込む転校生にトオルは小声で返し、視線を黒板へと向けた。だが隣からの張り付くような視線を感じ、転校生を見れば、なぜか時雨保子莉がジーッとトオルを見つめている。

 ――さっきから、なんなんだよ

 女の子から見られるのはかまわない。それも好意があってのことならば、なお良いだろう。しかし転校生のそれは、まるで人のことを観察しているようで、正直ウザかった。

「ちゃんと前を向いて、授業を受けなきゃダメだよ」

「こっちばかり見ておったおぬしに、言われたくはないのじゃがのぉ。それに、そやつも勉強などしておらぬではないか」

 不満あらわな指摘に前席を見れば、立てた教科書を壁にし、買ったばかりの新刊コミックを読んでいる親友の猫背姿が。これでは授業に集中できてない転校生に示しがつかないどころか、なにも言い返せない。すると転校生が得意げに小さな鼻を持ち上げた。

「もっとも、隣に見目麗しき絶世の美少女が座っておるのじゃから、気になってソワソワするのも致し方ないことではあるがのぉ」

 艶やかな黒髪をたくし上げて臆面もなく言い放つ少女に、トオルは気の毒に思った。カワイイとか、綺麗とかならともかく……自分のことを絶世の美少女とまで自画自賛したのだから。

 ――この子、アタマ大丈夫かな?

 こういうときは、なるべく関わらないようにするのが無難だろう。と考えた矢先、背中に人の気配が漂った。

「おとなしそうなわりにはぁ、裏表のある人だったんですねぇ」

 耳元に触れた柔らかい息に驚いて振り返れば、副担任の顔が鼻先にあった。男心を惑わす香りとエキゾチックな顔立ちに、トオルの心臓が跳ね上がった。しかし、かといって異性を直視できるほどの度胸は持ち合わせてはいない。もしそんな度胸があれば、とっくの昔に一里塚深月に告白しているのだろう。

 すると転校生が副担任を呼び捨てた。

「クレアよ。そやつは何を考えておったのじゃ?」

「えーっとぉ、お嬢様に対してぇアタマ膿んでる人ぉ? って、思ってるみたいですよぉ」

 ねぇ。と笑顔で同意を求める副担にトオルが戸惑っていると……転校生が頬をひくつかせた。

「ほぉ、わらわのアタマがイカれておるとな……。これまた初対面の美少女相手に、手加減なしの酷評じゃのぉ」

「ちょ、ちょっと待って! ちょっとだけ変と思ったことは間違ってないけど、イカれてるだなんてこと、僕は言ってないよ!」

 口に出した覚えのない思考のはず。だとすれば自覚のないまま口を滑らしたのだろうか。と自身の行動に疑問を抱いていると、担任が黒板にチョークを走らせたまま背中越しで言う。

「敷常。時雨ばかりにかまけて話しているのもかまいませんが、ここは中間試験に出ますので、ノートはちゃんと取ってくださいね」

 名指しで注意され、身を縮めて返事をした。いつも思うことだが、この先生は背中にも目があるのだろうか。

「それから芝山田。授業が終わったら、今読んでいる漫画持参で職員室に来るように」

 担任からの出頭命令に、長二郎が小さな舌打ちをしてコミックを引き出しに押し込んでいた。その暴かれた不正行為に、転校生が腕組みをし「うむうむ」とほくそ笑んでいた。

 ――妙な女の子が近くに来ちゃったなぁ

 と転校生の存在に、気苦労の予感を覚えながらも……

 ――そう言えばBLってなんだったんだろう?

 結局、時雨保子莉の隣に座る一里塚深月が気になるトオルだった。

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