第一章 黒髪転校生 1

「死にたい……」

 春も過ぎ、うららかな5月のこと。

 1年D組の窓際最後尾の席で、敷常トオルは本気で悩んでいた。

 もちろん過ぎ去ってしまったGWへの未練や、五月病になったわけではない。

 理由はただひとつ。

 好きな人に告白することもなく嫌われてしまったからだ。

 しかもあろうことか親切に拾ってあげた文庫本で「サイテーな人ね!」と全力でひっぱたかれたのだ。

 不幸を絵に描いたような出来事。

 死んで、あの世の神さまに文句を言いたいくらい不幸だ。と机に突っ伏してイジケていると、前席に座っている金髪頭の親友があきれた調子で声をかけてきた。

「今朝のこと、まだ気にしてんのか? そんなんじゃ、ますますボブ子に嫌われちまうぞ」

 その言葉にトオルは顔をあげ、事の発端の引き金となった親友を睨みつけた。

「長二郎が悪いんだ……」

 そもそも非運の始まりは、学校へ向かう登校中での出来事だった。


 いつものように親友の柴山田長二郎と延河原駅を降り、通学路である河川敷の遊歩道を歩いていたときのこと。トオルは先を行く一里塚深月の背中を目で追っていた。

 ――いつ見ても、素敵だなぁ……

 仲の良い友達と楽しげに話すボブカットヘアの女の子。スタイルも良く、顔貌の整った少女。加えてスポーツもそつなくこなし、成績も学年トップ5に入るほど頭の良いクラス委員長だ。

 そんな彼女をトオルは入学以来、毎日のように見続けてきた。

「……って俺の話、聞いてっか、トオル?」

 170センチにも満たないトオルの肩に、180センチを優に超える長二郎の重い腕がのしかかった。

「えっ、なんだっけ?」

「また、ボブ子のこと眺めてたのかよ。おまえさぁ、ほどほどにしておかないと、ホントにストーカー扱いされちまうぞ」

 呆れ顔をする親友の忠告を、トオルは胸を張って否定した。

「何、言ってんのさ。この僕がストーカー扱いされるわけないだろ」

 人を犯罪者扱いするのもいい加減にして欲しいものだ。どちらかと言えば、自分よりも親友のほうが犯罪者っぽいだろう。高校に入ってから髪を金髪に染め、ズボンの裾をまくった腰パンスタイルと、制服のボタンを留めないはだけた身なり。上着の下に見えるブリントされたアニメキャラのTシャツが無ければ、誰もがガラの悪いDQNと勘違いするに違いない。ついでに言えば、トオルの妹を溺愛する性癖も持ちあわせているのだから、相当ヤバイといえるだろう。

「で、なんの話?」

「だから、トモちんのことだよ」

 何かと思って耳を傾ければ……案の定、妹の智花の話だった。

「色気づいて、カレシとかできてねぇだろうな?」

 保護者面して訊ねる長二郎に、トオルは眉根を寄せた。

 男三兄弟の次男坊の親友。女兄妹に憧れるのもわかるけど、実際はそんなに良いものではない。

「僕が知るわけないだろ。まったく、うちの父さんみたいなこと聞かないでよ。まぁ、カレシがいるかいないかはともかく、相変わらずの調子であることは間違いないよ」

 イタズラ好きのあわてん坊。今朝だって、入部したばかりのソフトテニスの朝練のため、早く家を出たかと思ったら、玄関に置き忘れたラケットを慌てて取りに帰ってきたくらいなのだ。その挙げ句「トオルにぃ、送ってって」と自転車の荷台に跳び乗り、兄に送迎させようとさえしたのだ。

「別に、普通に送ってってやればいいじゃん」

 何の疑問も持たずに言ってのける長二郎に、トオルは二度眉根を寄せた。

 二人乗りもさることながら、なんで駅と正反対の中学校へ行かなければならないのだ。それに高校の制服を着たまま、春に卒業したばかりの母校の校門で元担任に出会った日には、目も当てられないくらい恥ずかしい。

「俺だったら、チース。遊びにきました。って言うけどな」

「長二郎はそれでいいけど、僕はイヤだよ」

 公開処刑同然の場で平然としていられるほど、図太い神経など持ち合わせてはいないのだ。

「それに中学校なんかに寄ってたら、遅刻するじゃないか」

「トオルの家からだったら、大した距離じゃねぇだろ」

 自転車で飛ばして片道15分。往復で30分。それでいて電車の発車時刻を考えれば、到底1時限目には間に合わない。

「ド田舎だから、しょうがねぇだろ。恨むならJRを恨むしかないな」

 根本的な原因を二両編成の田舎鉄道にすげ替える親友の思考回路が、まったく理解できなかった。

「ところでトオル。今夜、ヒマ?」

 長二郎とは違い、バイトなどしていないのだから当然予定などはない。

「じゃあ、今夜付き合えよ」

 ニヤリと笑う親友に、トオルは三度眉根を寄せた。人には言えない何かを企んでいる表情。中学1年のときからの付きいだからこそ分かるのだ。

「悪いことするなら、僕はイヤだよ」

 今夜は町内会の集まりがあるといって、家に母親はいないし、妹も塾だ。もちろんサラリーマンの父親は夜遅くまで仕事。そんな中で夜の外出をして、警察のお世話になるような真似などしたくはない。

「そんなことしねぇよ」

 と長二郎は周りを見渡し、登校中の生徒に聞こえないよう声量を下げて言う。

「親父から聞いたんだけどさ、中学の裏山に峠道あっただろ」

 地図の表記に、国道名も県道名もない地元道のことだ。

「それがどうかしたの?」

「最近、その峠道で宙を浮くビックスクーターに乗った美少女が現れるって噂があるんだってよ。しかも高笑いしながら、走っている他の車を抜き去っていくらしいぜ」

 真面目な顔をして話す親友に、流石のトオルもドン引きした。オタクが拗れて、ついに現実と空想の区別がつかなくなったのか。しかし、それにしてはおかしい。幾度となく会ったことのある長二郎のお父さん。長二郎の話では、若い頃、元傭兵部隊に所属していたこともあると聞いている。それだけに、そんなオカルト話をする人物とは思えないのだが。

「だから、それを確認しに行こうぜ」

「イヤだよ。行くなら長二郎ひとりで行けばいいじゃないか」

「あれれれれぇ? もしかして怖いのかな?」

 肘でしつこく肩を小突く長二郎に、イラッとした。

「怖くなんかないさ!」

 とは言ってみたものの、神出鬼没な怪しい存在に、ちょっとだけ恐怖心があるのも嘘ではない。

「じゃあ、決まりだな。今夜7時、迎えに行くからヨロシクな」

 正直、くだらないと思った。でも、待てよ。考えようによっては、これを機にオカルト美少女など存在しないことを知ってオタクを卒業してもらうチャンスなのかもしれない。きっと真人間となった親友の人生は素晴らしいものになるだろう。と生まれ変わるであろう新生長二郎を想像していると……目の前を歩いていた一里塚深月のスクールバッグから何かがこぼれ落ちた。

「やれやれ。友達との話に夢中で、落ちたのも気づかないとはな」

 書店カバーがかけられている文庫本を拾い上げ、パラパラとめくる長二郎。それに合わせ、トオルも首を伸ばして覗き込んだ。好きな人が読んでいる本なのだから、無関心ではいられるはずがない……が、めくるスピードが早すぎて内容がまるでつかめない。分かったことといえば、挿し絵らしきものが入った小説だということだけ。

「フッ、なるほど……。委員長といえども、所詮人の子だったか」

 つぶやくと同時に、悟りを得たような顔をする親友。正直言って、自分だけ見るのはズルい。

「ちょっと僕にも見せてよ」

「ダメだ」と、長二郎は本を高く持ち上げ、トオルから遠ざけた。

「なんでダメなのさ?」

「腐女……いや、この場合は純真無垢な乙女の秘密と言ったほうがいいだろうな。いずれにしても汚れるから見るのはやめておけ。これは、おまえを思う親友としての忠告だ」

 真顔での強い説得。きっと女性のプライバシーを覗くようなかっこ悪い真似はするなと言うことなのだろう。

「そのかわりっと言っちゃなんだが、ここで俺からの提案だ」

「ていあん?」

「そうだ。この提案を実行し、成功した暁には、おまえは俺を敬うこととなるだろう」

 そう言って両腕を広げて空を仰ぐ親友。どう転んでも120%それはありえない。

「では訊くが、この本をきっかけにボブ子とお友だちになれるとしたら?」

 だらしない身なりをしている親友が、一瞬にして神に見えた。

 延河原高校に入学して以来、引っ込み思案の性格も手伝って、まともに会話など交わしたことのなかった憧れの異性。

 いつかは、話ができるだろうとチャンスをうかがっていた毎日。

 その夢が今、訪れたのだ。

「そう。おまえ自ら、このBL本を手渡すことによって、二人の間に愛が芽生えることは間違いない」

 中学時代からモテまくっている親友の言葉に、引っ込み思案のトオルの心が大きく揺れ動いた。

「神の気まぐれで手に入れたこの本を、お前に託すとしよう」

「ありがとう、長二郎」

 トオルは突き出された文庫本を受け取り、親友と熱い握手を交わした。そして……

「ところで、びーえるってなに?」

「女はなぁ、いちいち細かいことを気にする男は嫌いなんだぜ」

 確かに、それも一理あるだろう。……が、やっぱり好きな人が読んでいる本の内容は知っておきたい。

「まぁ、こうなった以上、今回は特別に教えてやる。要約すっと禁断の愛の物語といったところだ」

 なるほど。いかにも女の子が好きそうなジャンルだ。

「わかったよ。じゃあ、返しに行ってくる」

「俺のことは気にせず、存分にボブ子とお近づきになってこいよ」

 親友の声援に背中を押され、夢を叶えるためにトオルは大地を蹴った。

「一里塚さーん。大事な本、落としたよ」

 友達と振り返る彼女に、トオルは笑顔を向けられることを期待して本を振り上げた。が、しかし……

「!?」

 トオルの掲げた文庫本を見て、肩から提げたスクールバッグを確認する彼女。そして半分ほど開いたファスナーを見るや否や、血相を変えてバッグに手を突っ込み……ガックリと肩を落とした。

「ない……」

 その反応を見て、トオルは自信を持って彼女に文庫本を手渡した。

「でしょ。はい、これ」

「ひ、拾ってくれてありがと……。え、えーと、敷常くんだったっけ?」

 困惑気味に本を受け取る深月に、トオルは首を傾げた。

 ――どうしたんだろ? 落とし物が見つかったのに嬉しくないのかな?

 なぜか一緒にいた友達も怯えに似た表情をしていた。察するに、交流の少なかった男子が突然話しかけてきたから驚いているのかもしれない。

「あの……その……もしかして本の中身…………見た?」

 上目づかいで口ごもる深月に、トオルの心はブレイクダンスさながらに舞い踊った。

 まさに恋の予感!

 これをきっかけに、しがないクラスメートから一気に友人へとクラスチェンジだ。とトオルは会話を盛り上げようと勇気を振るった。

「ううん、見てないけどBLでしょ。頭の良い一里塚さんが読んでるくらいだから、きっと面白いんだろうね」

 本日最高の笑みを作り、聞きかじりの単語を披露した瞬間、パーンッとBL本で左頬を引っぱたかれた。

「人のプライバシーを覗き見るなんて、サイテーな人ね!」

 一里塚深月は涙を浮かべてトオルを睨みつけると、友達の手を引いて走り去ってしまった。

「……僕、なにか気に障るようなことした?」

 熱を帯びた頬と巻き添えを食らった左耳。耳の奥がキーンと鳴りっぱなしで痛い。なのに、なぜか胸の奥が一番痛かった。

「どうして?」

 叩かれた理由を探して立ち尽くしていると、親友に肩をたたかれた。

「えーと……とりあえずトオルにしては一歩前進といったところかな」

 いや、もしかしたら後退したのかも。とポツリと呟く長二郎の横で、トオルはしゃくりあげた。

「まだ告白もしていないのに、フラれた気分なのはなぜ?」

「まぁ、その……ボブ子にとって、おまえに対するインパクトは強かったと思うぜ……たぶんだけど……」

 まったくフォローになっていなかった。

「一里塚さんに……一里塚さんに嫌われちゃった……」

 高校を卒業し、同じ大学へと進学して誰もが羨むような恋人生活を過ごした後、就活に苦労しながらも、どこかの会社に就職を果たし、二人の子供と小さなマイホームを築くはずだった。……が、早くも人生設計に狂いが生じてしまい、脳内で描いていた淡い夢がガラガラと音を立てて崩壊していく。

「もう死にたい……」

 将来の目標を失ったトオルにとって、この先の人生が真っ暗闇に思えた。

「なに朝っぱらからくだらねえこといってんだよ! ほら、早く学校へ行くぞ! こんなところでボーッと突っ立ってたら遅刻しちまうだろ!」

 登校を急ぐ長二郎に、トオルは霞んだ笑みを浮かべた。

「幸せな家庭が築けない以上、もう学校へ行く意味なんてないよ」

 腐った目をして青空を仰ぐトオルに、長二郎は金髪頭を抱えた。

「もう高校生なんだから、いい加減、そのウジウジした落ち込み癖、治せよ!」

 だがトオルは応えることなく、むせび泣くだけだった。そんな無様な姿を横目に、クスクスと笑って通り過ぎていく同校の生徒たち。そんな哀れむ視線に居たたまれなくなった長二郎は、強引にトオルの背中を押した。

「ほらほら。グズグズしてねぇで、キリキリ歩け!」

 こうしてトオルは親友に煽られながら、徘徊するゾンビのように登校することとなった。

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