井黒力也

 湘南高校は県立高校のご多聞に漏れず部活動の成績において私立に大きく後れを取っていたのだが、去年入学してきたある数名の男子の登場により僅かな光明が見えてきた。運動部の男子は彼らのことを「特異点」と呼び尊敬するのと同時に、羨望のまなざしを向けていた。


 そんな「特異点」の一人が井黒力也だった。剣道部大将にして部長。湘南高校内に彼に敵う剣士はおらず、しかも県内個人戦でも二位の成績をとっており、神奈川県で敵は一人しかいないという状況を築き上げたまさに湘南高校の侍である。


 その練習方法はストイックを極めることで有名である。


 素振りは五百本するらしい。五百本の中には早素振りと呼ばれる反復横跳びのような瞬発力を求められる素振りも含まれているので相当なエネルギーが消費されていることが推測される。


 素振りでこれほどまでの熱意を見せるのだから当然、実戦練習も気合が入っている。


 面打ち、小手打ち、胴打ちなどといった基礎練習はもちろん、実戦を想定した稽古では並み居る部員たち……先輩後輩含めて……を一人でさばき切るというのだからまさに剣鬼といったところか。素早く的確、かつ力強い一撃は格技場の外にいても音だけで「井黒の一撃だ」と分かるくらいだ。


 湘南高校剣道部には二年生男子が五人いるのだが……何でも団体戦参加ギリギリの人数らしい……五人のメンバーそれぞれに特色があって面白い。


 八田友史、先鋒。勝気な性格と勢いとが求められる先鋒というポジションながら、しかし彼は堅実な性格であることで知られている。先鋒の敗北は団体戦の士気に大きく関わる。勢いばかりで突撃してくる敵の先鋒を着実な手つきでさばく彼は湘南高校剣道部の要と言っても過言ではなかろう。

 彼のプライベートについてはいずれ語ろうと思う。何を隠そう、彼も立派な「奇人」の一人だからである。


 小山正則、次鋒。井黒の宿敵として有名である。剣道部内で井黒の言うことを聞かない唯一の存在にして剣道部の反乱分子。稽古はサボるわ試合には遅刻してくるわ挙句の果てに顧問の白崎先生に竹刀を投げつけるわという正に問題児。しかしそれなりに戦績はよく、まず確実に一本を取り、その後は時間切れまで逃げ回るという戦法を取っているらしい。剣道は二本先取。無理に二本取りに行くリスクを冒すより確実な一本の方が喜ばれる場面もある。逃げ回るというところがやや侍魂には欠ける、というよりは根性が腐り果てている嫌いはあるが、何にせよ一本取って帰ってくるからチームには貢献している。


 津嘉山真一、中堅。彼について語るにはまず容姿が一番だろう。ファッションセンス、見た目、さらには見た目とは関係ないが彼が口にするジョーク、どれをとってもどうしようもなく中年臭い。さる修学旅行は飛行機に乗り、丸々ひと便貸切っての移動だった。CAの皆さんも当然ながら「高校生以外は乗らない」という認識でいた。しかしその飛行機に明らかに中年の男性がやってきたので「お客様、当機は修学旅行生専用でして……」と声をかけてしまい、その正体が侍ボーイにして真正大和男の津嘉山真一だったからCAさんはひどく気まずい思いをしてしまったという次第である。

 彼の中堅としての実力は悪い。良くて一本勝ち、できれば引き分けで後半戦に繋げてほしい中堅という立場で派手に二本負けしてくるから手に負えない。先鋒と次鋒が積んだ勝ち点を無に帰する冒涜行為である。

 ところが彼、本来ならどうしても勝てるはずのない相手に二本勝ちを決めることが多々あり、その実力は未知数であるそうだ。たまに場外ホームランを打つ変わり種バッターみたいな存在なのだろう。


 中谷賢吾、副将。彼は影が薄いことで有名で同じ部屋にいても存在に気づかなかったという事例が数々報告されている。別名幽霊。幽霊部員ではないのに幽霊部員扱いされているのが滑稽だが趣味はバードウォッチングだそうである。なるほど気配を消す必要がある。


 さて、ようやく井黒の出番だが彼の特異さたるやこれまでのメンバーの比ではない。まず彼は女装癖がある。


 目覚めたのは一年の文化祭でのことだった。井黒のいた一年四組は女装カフェを出し物とした。剣道部でも部長候補として注目されていた彼はクラスでもリーダー格であり、気乗りしない男子たちを引っ張るためにバチバチのメイクをかまして見目麗しい女子高生に化けたのだがこれがいけなかった。異常な人気が出たのである。

 男子校から湘南高校に遊びに来た憐れな童貞たちは井黒の女装を見て「あれこそ理想の女子だ!」と連絡先を送り付けた。送りに送り付け、井黒の友達リストはその男子校の出欠簿になるとまで言われたほどである。


 その頃はまだ剣鬼とは呼ばれていなかったが、それでも「特異点」だ。部活のエースたる自分が唐突に美少女になったのがよほどの快感だったのだろう。井黒はそれ以来、男子トイレや誰もいない教室でこそこそと女装を楽しむようになった。それに気づいたのが次鋒の小山だった。


 最悪の相手にバレたものである。日頃から井黒と喧嘩をし、練習をサボり試合に遅刻し、剣道部の反乱分子にして問題児の小山に趣味がバレてしまった。井黒はここで諸々の覚悟をしたのだろう。しかしその覚悟が功を奏した。


 小山にも女装をさせたのである。折しも井黒は度重なる女装の経験で、そこら辺に落ちているじゃがいものような男子でさえスクールカースト上位の女子高生に転生させるだけの手腕を持っていた。井黒はあの手この手で小山を篭絡し、彼に女装を施した。ここに女装癖の男子がもう一人誕生した。


 かくして彼らは女装をした状態で藤沢の駅を練り歩いた。不思議なことに普段喧嘩をしている二人も女装をするとお互い熱い視線を絡め合えるほどに仲良くなった。


 女装散歩は剣道部との兼ね合いもあり、基本的には練習のない日曜日に決行することが多かったようである。声の出し方も訓練し、ちょっとハスキーな女の子くらいの声が出せるようにしていた辺り徹底している。


 そんな二人に手をかけたのが津嘉山だった。彼は見た目中身ともに中年臭かったが、ここに来て盗撮癖が発覚したのである。


 経緯は簡単だ。津嘉山は階段を上る女子高生に近づいてそのスカートの中を盗撮しようとした。しかし相手が悪かった。井黒と小山だったのである。


 剣鬼と呼ばれた井黒だ。背後の殺気には敏感だった。愚かにも津嘉山は、スカートの中に見えた大きな一物に激怒し、殺気を放ってしまった。その殺気に井黒が気づいた。


 かくして井黒は津嘉山を確保。二人は犯罪でも何でもないが津嘉山の行為は犯罪である。黙っていて欲しければと半ば強引に女装を施し、悲しい中年男性に間違われる津嘉山は三十代くらいの仕事のできそうなセクシーお姉さんへと変貌した。日頃「おじさん臭い」「キモい」と罵られていた津嘉山は男子トイレの鏡に映った自分を見て思った。これは抜ける。


 そういうことで「きゃぴきゃぴしたちょっと声のハスキーな玉あり女子高生二人と、それを引率する気だるげなセクシー玉あり女教師一人」という構図が完成し、三人は藤沢の町を満喫した。時に男性に声をかけられ、時に男性の下卑た目線を浴び、女性からは羨望のまなざしを向けられることでその心を満たした。


 次の犠牲者は中谷であった。


 彼は気配が薄かった。ある日、井黒小山津嘉山が部室で女装している際に奇妙な声が聞こえた。ネズミが潰されるような、小鳥の断末魔のような。

 三人が振り返るとそこにいたのは中谷だった。一人で詰め将棋を指していたのである。彼も驚きだっただろう。将棋を詰めていたら目の前で男が胸を詰め始めたのだから。


 しかし井黒の方が上手だった。

 この頃にはすっかり予備の女装グッズを持ち歩くようになっていた井黒は流れるような手つきで中谷に女装を施した。その結果は言うまでもない。


「今時系女子高生二人と気だるげな女教師、さらに図書室の片隅で本でも読んでいそうな眼鏡女子」という一大勢力と化した面々が次の餌食としたのは八田だった。八田が如何なる変貌を遂げたかについては、いずれ回を作って触れたいと思う。


 とにかく、無事刀を振るう女装軍団と化した剣道部であるが、二年生の冬、事件は起きた。井黒が恋をしたのである。


 お相手は学年一の美女と名高い塩田百合だった。彼女は交際を申し込んでくる男子はおろか連絡先を知りたがる男子でさえ片っ端から切り捨てていくまさに現代の侍ガールだったのだが、井黒には勝算があった。彼は「特異点」だったのである。


 部活で優秀な成績を残しているから、という井黒の自信は、しかし木端微塵に粉砕された。「話がある」という提案そのものを「私は話がない」と拒絶されたのである。


 空っぽになった井黒の胸を満たしたのはやはり女装だった。


 悲しんだ井黒はより女装にのめり込むようになり、地雷メイクや量産型メイク、世界観メイクからオルチャンメイク、チャイボーグメイクは当然のことながらカラーメイクからナチュラルメイクまで、およそメイクと呼ばれるものは全て制覇した。鼻のシェーディングはもちろん涙袋の作り方、二重瞼の作り方や自然なチークの塗り方までばっちり把握している、そこら辺の女子高生より女子高生している男子高生となったのである。


 と、ここで井黒に転機が訪れた。女装した状態で塩田さんと遭遇したのである。


 最初、井黒は女装がバレた、と恐怖した。ただでさえ好きな子に拒絶されて病んでいた心に、女装癖がバレて嫌悪されるという追い打ちまでかけられては堪らない。井黒は逃げようとした。しかし塩田は逃がさなかった。


 塩田が井黒に紙切れを渡してきた。井黒はすぐさまその紙を見たのだが、何と塩田の連絡先であった。学校の男子が誰一人として手に入れることができなかった、幻の秘宝、もはやオーパーツとまで言われた塩田百合の連絡先である。


 驚愕する井黒に塩田は告げた。

「お仲間じゃない?」

 その言葉の示すところを知った井黒は天を仰いだ。

 塩田は同性愛者だったのである。百合は百合だったのだ。


 井黒は悶絶する。

 塩田と付き合えるならこれ以上の幸せはない。しかし彼女が愛したのは女装をした井黒であって井黒自身ではない。明かすべきか、隠すべきか。


 苦難の末、井黒は告白することを決意する。元よりフラれた身だ。もう一度フラれても大したことはあるまい。そう思って告げた。


 果たして塩田は困惑した。自身が嫌悪する、男性器を持った、臭く醜く、汚らわしい男体が、これほどまで可憐な女子高生に化けるとは。そして同時に、塩田は新天地に達した。


 ボーイッシュな女子を好む男子がいるように、ガーリーな男子を好む女子へと変貌を遂げたのである。もっともこの場合、ガーリーというよりはガールそのものになろうという涙ぐましい努力の結晶であるが、しかしそこは当人たちの間では些末な問題だったようだ。


 もちろん二人で会う時は必ず井黒が女装した。そうでない時の井黒も、塩田はそれなりに愛したがやはり女装している時の方が愛が顕著だった。井黒は塩田に愛されるために女装の腕を磨いた。傍目には二人の女子高生が黄色いムードを発しているだけのように見えただろう。


 かくして学年一の美少女は陥落した。彼女の友達は、口を揃えていい人ができたのかと聞いたが、しかし塩田は沈黙を守った。


 井黒の女装癖は、こうして多くの人間には明かされることなく済んだのである。


 無論、これは噂に過ぎない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る