湘南奇人伝

飯田太朗

松本冬樹

 我らが伝統ある湘南高校の、稀代の色男と言えば彼だろう。


 先に述べておくと男子からの評価は最低を通り越して最悪である。ある後輩女子をヤリ捨てただの、女教師……それも老年……を犯しただの。その手の噂をここに挙げればそれだけで今回は終わってしまうだろう。なので一旦彼の噂については後述するとして、話を先に進める。


 ひとまずここで、彼の容姿について触れたいと思う。


 眉目秀麗という言葉があるが、その言葉があれほど似合う男子もいなかろう。まずその眉と目。彫りが深いからかほとんどくっついているように見える。アジア人特有ののっぺりした顔ではない。立体的なのである。


 では脂っこい感じの見た目なのかと言うとそういうわけでもない。目がキリッとしているからかどこかあっさりした顔をしている。塩顔とも醤油顔ともソース顔とも取れる。しかもそれらが互いに潰しあうのではなく見事なまでに共存している。優れた言い方をすればいいとこ取り。女子が好む顔つきの完成形、そんな顔である。


 筆者が注目したいのはその鼻。高い。だが強調された高さではない。すっと、濡れた筆のように立っている。鼻に特徴のある男は男性ホルモンが多く優秀な種を持つという説があるがそういうことだろう。実際彼に抱かれたがる女子は多かった。繰り返そう、抱かれたがるのである。花も盛りのうら若き乙女、セクシャルな話題はゴキブリの如く嫌がる女子高生が、抱かれたがるのである。


 実際彼に抱かれたことを言いふらす女子はいた。確認しているだけでかなりの数がいるが、ここでは鈴木美和という学年で四番目に人気の女子のことを話そう。


 彼女は松本と熱いキスを交わし、それ以上の行為に及んだことを匂わせた。このスキャンダルは学年の多くの鈴木ファンに鋼の槌を叩きつけ、噂が発祥した直後には松本暗殺計画まで立てられたほどである。


 この噂が悪質なのは、松本当人が否定しないことだった。


 まだ、黙秘するならいい。女子の貞節を守るため、抱いた事実について沈黙を守れば、いくら人気の女子との逢瀬とはいえ暗殺計画にまでは及ばなかっただろう。


 しかし松本は、親しくしていた吉澤修哉氏に次のように語っていたことが、複数の情報筋から確認されている。


「美和ちゃん? ああ、熱い子だったよ」


 無理やり英訳すれば「She is so hot girl」といったところか。「hot」である。何が「hot」なのかは推測するまでもない。


 松本は、近づいてくる女子は全て拒まず、それなりのもてなしをしてから放流するというポリシーを持っているらしかった。このもてなし、がどのレベルを指すかは松本当人しか知らない。しかし松本は、逆に言えばそれなり以上のもてなしはしなかった。このことを知っている吉澤氏は、次のような説を提唱している。


「童貞なのではないか。実際、彼は重度の勃起不全を僕に告白した。嘘だと思って試しに彼の股間をしばらく摩ってみたのだが、しかし彼の生殖器は微塵も反応を見せなかった」


 吉澤氏がどういう心境で彼の股間を摩ったのか、我々は想像するほかにないが、しかし電車の中で自分の鞄が当たっただけで勃起してしまう、過敏な男子高生がピクリともしなかったとは奇異である。やはり彼は童貞だったのだろうか。


 ここで過去形を用いたのは、如何なる女子にも一定程度のもてなししかしなかった彼が唯一、その権利を尊重し、優遇した、一人の女子がいたからである。


 名を福島春香と言った。悲しいことに、彼女は修学旅行の翌週、福岡県のさる高校に転校することが決まっていた。


 折しも、松本はその時、福島との関係が噂されていた。吉澤氏を含め、周りの男子は、どうせ福島とも関係を匂わせ、しかし振ってしまうのだろうと、そう思っていた。だから修学旅行の夜……男子が一堂に集まり女子の批評をしたり、モテる男子は女子の部屋で危険な気配を楽しんでいる夜……彼がホテルを抜け出していたことが確認されても、男子たちはあまり驚きもしなかった。


 しかし同様に、さる女子の情報筋から、福島春香も謎の失踪を遂げていたことが分かっている。


 修学旅行で泊まったホテルの近くには、星空が綺麗な丘があった。憶測するに、だが。


 二人は降ってくるような星空の下、あるいは愛の言葉を、あるいは視線を、あるいは唇を、交わし合っていたのではなかろうか。


 無論、これは噂に過ぎない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る