第15話

「立川、いるんだろ!」

 彼女の家の前まで来たはいいものの、彼女は出てこなかった。当たり前だろう。あんな最悪な別れ方をして、素直に呼びかけに応じるわけがない。

あと五分。五分待って反応がなければ帰ろう。そう思ったときだった。

「……なんであんたがここにいるの」

 背後から声がした。慌てて振り返ると、そこには立川が呆然とした様子で立っていた。

「少し、な」

 あからさまに警戒されている。だが、ここでおとなしく帰れば二度と話せないかもしれない。それだけは嫌だ。

 意地でも動かないという姿勢を見せると、立川も観念したのかカギを開けた。

「……入って」

 付き合っていたころ、デートの帰りに送り届けたことはあったが、部屋に入るのは初めてだ。これから話すことと、女の子の部屋に入ること。二つの意味で緊張しながらも、俺は彼女についていく。ファンシーな装飾に包まれた部屋は立川らしいといえばらしい。それに似合わない数多くのゲーム機たちは、ライバーになってから買ったものなのだろうか。どれもかなりきれいな状態で並べられている。

 炊飯器はしばらく使っていないのか、うっすらとほこりをかぶっていた。親が転勤して一人暮らしをしているとは聞いていたが、ここまで生活感がないとは予想外だ。

 適当な場所に腰かけると、俺は話を切り出す。

「……とりあえず元気そうでよかった」

「そんなこと言いに来たんじゃないでしょ」

 様子をうかがいながら話そうと思っていたが、立川はそれをあっさりと切り捨てた。

 正面に座ったが、興味のなさそうにゲーム機を取り出した。まるで取り付く島もない。

「……ライバー、やめるのか?」

「まぁね、これで清々するでしょ」

「それでお前はいいのか?」

「別に自分でなりたくてなったわけじゃないし」

 やはり一筋縄ではいかないらしい。

 そりゃそうだ。彼女は俺たちとは違って自分の意志でなったわけじゃない。未練なんてものも、俺よりかはないのだろう。こんなときにまで比べてしまう自分をぶん殴ってやりたいが、こうでしか彼女の気持ちに近づく術を知らなかった。

「用はそれだけ? ならとっとと……」

「待ってくれ!」

 話を終わらせようとする立川を無理に引き止める。

 何か、何か手はないのか……

「何を言ったって無駄だよ。私はもう配信なんてしない」

 そんなことを言わせてしまった。たぶん、彼女自身も一番言いたくなかった言葉だろう。相当無理をしているのは、表情を見ればすぐにわかる。苦しんで、眉をひそめる姿は、見ているこっちまで張り裂けそうになってくる。

「ごめん!」

 本当は第一声にするべきだった言葉を、ようやく俺は口にする。擦り切れるかと思うくらいに頭を地につける。これしか、もう彼女に届く言葉はない。

 しばらく反応がないだろうと思っていたが、近づいてくる気配があった。

「そのごめんは何に対してなの?」

「……立川の努力も見ずに軽率な発言をしたこと」

 はぁ、と深いため息が聞こえた。

だが、俺の言いたいことはまだ終わっていない。

「それに!」

 話をどうにかつなげようと声を出す。

「こんな状況になっても! 何もできない自分のふがいなさに! 立川を助けることのできない無力さに!」

 心からの言葉だった。

 そりゃ、こんなことになってしまったのは立川の責任だ。だけど、俺があんなことを言わなければ、彼女だって感情的にならなかったかもしれない。

 沈黙の中、部屋は重苦しい空気に包まれている。

「……とりあえず顔上げて」

 立川に言われるまま俺は顔を上げた。

そのときに見た立川は、複雑そうな表情をしていた。しばらく言葉に詰まっていたようだったが、ゆっくりと口を動かす。

「とにかく、そうまでして謝るのなら別にいい」

「……ありがとう」

 これで、すべてが丸く収まるのだろうか。そう簡単にいくわけではないだろうが、これから一つずつ……。

「でも」

 思考がたった二文字でさえぎられた。

そのあとに何が続くのか。聞きたくなかった。それが肯定的な言葉であるはずがないからだ。今ここで耳をふさげば……そんなどうしようもない考えまで浮かんでくる。

「私は、もう戻りたくない」

残酷に、冷ややかに言葉は紡がれた。

今にも泣きだしそうな顔で、俺を見つめている。そんな彼女を、俺は無理に引き止めることはできなかった。

「……そうか」

ならば、今の俺にできることはもう何もない。

藤野さんからもらった寄せ書きを机の上に置いて、俺は立ち上がる。

「これ、藤野さんから。あと……」

今の彼女には、残酷な一言を言わなければならない。胸が締め付けられるようだったが、バーチャルライバーとしてのけじめはちゃんとしてほしいからだ。

「引退配信だけはちゃんとしろよ」

 彼女の表情をこれ以上見たくはなかった。その思いで、俺は家を出る。

 あとは、もう彼女次第だ。その間に俺がやるべきこと。

 スマホを取り出す。発信ボタンを押すと、通話相手はすぐに呼び出しに応じた。

「もしもし……」


 ◆◆◆


「ありがとう、ホンッッットにありがとう!」

 翌日。

藤野さんが俺の手を握ってそう言った。どうやら、あれから立川から連絡がきたらしい。ツイッターのほうもちゃんと更新されていた。謝罪文と『引退配信のお知らせ』なんてロクでもないつぶやきだが、何も更新しないよりかははるかにいい。

「ともかく、引退配信はすることになったから。手はず通り頼むよー」

「わかってますって」

 からかうように藤野さんは俺の頬をつっついてきた。いつもの藤野さんが戻ってきたようで、うれしくなる。あとは立川さえどうにかできればいいのだが。それは彼女の引退配信にかけるしかない。

「てかさ、そういえば話してもらってないよね」

「何がですか?」

 ふと、藤野さんが話題を変える。話していないことなんてあったっけか。今がこんな事態ということもあってか、すぐに思い出せない。

「ほら、あかりちゃんが配信やめちゃった理由。中学生のときにさ」

「あぁ」

 そういえば、あとで話すって言ったきり話せていなかったんだっけか。

「どこまで話しましたっけ」

「確か、身バレして喧嘩したところまでかな」

 だいぶ話したな。となれば、あとは本当に理由だけだ。

「そこからはもう結末だけですよ。結局、リスナーの一人があいつのストーカーになったんです」

「さらっと言ったけど大事件だからね? もっとあったでしょう」

「まぁ、でも本当にこれしか言えないので……あのころにはもう会ってませんし」

 本当に俺が知っているのはこれだけなのだ。そのころにはほぼかかわりもなくなっていたし。浩平から聞いた情報を話しているだけだ。

「何かあるとすれば掲示板での誹謗中傷ですかね」

「それが一番大事じゃないか」

リスナーがストーカーになったこの事件は一時期ネット掲示板を騒がせた。まぁ、特に珍しいことではないが、見えない人から好き勝手言われるのは気持ちのいいものではない。立川だってそうだったはずだ。結局のところ、その騒動が落ち着く気配がなかったせいで、立川は配信をやめてしまった。彼女がやめてからすぐに収束していったのは、本当に悔しかったことだけはよく覚えている。

「あかりちゃん、そのときを思い出してるのかな」

「おそらくは。直接的な被害はなかったですけど、相当ショックを受けていたみたいですし」

「だろうねぇ……そりゃ、今回のことで辞めたくなるのもわかるよ」

 配信者として、同じような経験があるからだろう。藤野さんは深刻な表情でつぶやいた。

 しかし、それも一瞬。すぐにいつもの表情に戻ると、彼女は俺の肩に手を置いた。

「でも、今回はいっちゃんがいる。だから大丈夫だって」

「藤野さん……」

 そうだ、もうあいつは一人じゃない。俺もそうだが、藤野さんや熱狂的なリスナーたちだっている。あの頃とはまるで状況が違うんだ。

 それに、あいつを救い出す秘策だってあるんだ。もう、あんな思いはさせない。



 昨日の電話。それで俺は藤野さんに連絡を取っていた。立川に会えたことの報告もそうだが、それとは別に話したいことがあったからだ。

『……で、話したいことってなんだい?』

 立川と接触できたことで、少し気を持ち直したのだろう。いつもの調子に戻りつつあった藤野さんがそう言った。

「俺はこのまま立川を……二条あかりを引退させたくありません」

『そうだね、それに関しては大賛成だ。でもあかりちゃん自身に活動の意志がないんじゃ……』

 藤野さんの言うことはもっともだ。活動を続ける意思のない人間に、無理強いしてまでさせるようなことではない。自分が楽しまないと、配信者としてはやっていけないだろう。だから。

「彼女にもう一度配信の楽しさを実感してもらいます」

 これしか方法はない。そう思った。

 自分の意志でライバーになっていなくても。今はふさぎこんでしまっていても。二条あかりとして輝いていた立川咲は本物なのだ。そんな彼女の配信活動がこんな幕引きなんてあっていいはずがない。

 二条あかりを通じてやっと気づいた。彼女は本当に輝いていたんだということに。それを目立つためにやっていたなんて思いこんでいた俺のほうが大馬鹿者だ。

『でも、どうやってだい? 聞いている感じだと、とてもじゃないけどもう一度楽しむことなんて……』

「だから、アポなしでいきなり勝負を申し込むんです」

『勝負?』

「真剣な勝負だったら、もしかすれば楽しさを見出せるかもしれない。そう思ったんです……まぁ、イチかバチかですけどね」

 告げると藤野さんはんー、と考え込む。

 だが、ゴーサインが出るまでそんなに時間はかからなかった。

『ま、いいよ。勝ったら連れ戻すってことだよね?』

「はい、それともう一つ」

 呼吸を整える。まだ大事なことを藤野さんには話していない。

「勝負に負けたら、俺も一緒に引退します」

『は!?』

 騒々しい物音が聞こえた。これひっくり返ったりしてないか? 割と本気で心配になってくる。

『本気なのかい?』

「もちろんです」

 立川に復帰を強要させようとしてるんだ。これくらいのリスクがないと釣り合わない。

「俺は、絶対に立川を連れ戻します」

『……一つだけ確認したいんだけどさ』

 藤野さんはそう言うと、咳払いをした。

『いっちゃんのその原動力はさ、同期である二条あかりちゃんを連れ戻したいから? それとも立川咲ちゃんのことが好きだから?』

 前にも、浩平にされた質問だ。けれど、答えはすでに出ている。

「もちろん、あかりちゃんを連れ戻したい気持ちはあります。でも……」

 これで俺が配信者としていられなくなっても、それはそれで構わない。

 それよりも大事なことがある。

「それ以上に立川のことが好きなんです」

 返事は即座に戻ってこない。しかし、スマホ越しにかすかに笑い声が聞こえていた。

『うん、合格だ! 上には黙っておくから、存分にアオハルっちまえ』

「……なんですかそれ」

『決まってるだろ。青春しろってことだよ』

 そう言って、藤野さんは通話を切った。まぁ、最後のはともかく、これで心置きなく立川に向き合える。あと必要なのは彼女を連れ戻すためのゲームだが、それはすでに決めている。彼女との初めてのオフコラボでプレイしたバトパテだ。いくら汚い手を使っていたとはいえ、彼女に俺は負けている。それに小細工なしでも彼女は強い。それは過去の配信を見ていればわかる。正々堂々と戦っても、勝率は五割ほどだろう。勝負を申し込むにはうってつけのタイトルだ。

 立川の引退配信まであと三日。その期間を、俺はすべてバトパテに費やすのであった。

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