第14話

 事務所内。俺と藤野さんは重たい空気の中スタジオにいた。

 騒動から一週間。とりあえず事務所側から謝罪文を出してくれたおかげで、騒ぎはほんの少し収まっていた。しかし、いまだに立川からの連絡はない。同様に、俺もまだ活動を自粛していた。

「……あかりちゃん、大丈夫かな」

 すっかりしおらしくなってしまった藤野さんが口を開いた。

 あまり寝ていないのだろう。立川を心配しながらも、眠そうに首がふらふらと縦に揺れている。

「これ以上は、待てそうにないですよね」

「まぁね……事務所的には結構ギリギリかも」

 今動かなければ、本当にこのまま引退なんてこともあり得る。でも、それじゃダメなんだ。あれだけ真剣に向き合っていた彼女をこんなところで終わらせたくはない。

「……俺、立川の家に行ってきます」

「大丈夫なの?」

「このまま何もせずに終わるよりは……また自分勝手ですけどね」

「そっか……」

 行くなら少しでも早いほうがいいだろう。そう思い立ち上がったが、それを藤野さんは制した。

「行くならさ、ちょっとだけ話に付き合ってよ」

「でも……」

「今じゃないと、たぶん話せない」

 立川にかかわることだろう。彼女の促すまま、俺は座りなおした。

「あかりちゃんがどうしてライバーになったかって、聞いてる?」

「確か、スカウトされたんですよね?」

 デートのときに言ってたな。急遽空いた穴を埋める形で、立川がスカウトされたって。確か藤野さんがスカウトしたんだっけか。

「じゃあ、元々二条あかりになるはずだった人の話は?」

「いや、そこまでは……」

 彼女自身、それは知らないって言っていた。バーチャルライバーの中では特に珍しい話でもないし、気にしなかったのだが。

「実はね……」

 中々言い出せないようで、藤野さんは頭を抱えている。しばらくして、ようやく振り切ったのだろう。よし、と言って彼女はまた口を開いた。

「元々は私がなる予定だったんだ、二条あかりに」

「え……」

 驚きのあまり、言葉が出てこなかった。

 二条あかりに藤野さんが? でも彼女は……

「なんで私がって顔だね。そりゃそうか」

 見透かすように、藤野さんは言う。まぁ、実際見透かされているんだが。

「元はさぁ、私も配信者だったんだよ。えふこって知ってる?」

「えふこ!?」

 感情が追いつかない。二条あかりの件で精いっぱいなのに、それ以上の衝撃が俺の体を突きぬける。

 今目の前にいる彼女が、俺と立川が好きだったえふこだって? そんなこと考えもしなかった。確かに、時期的にはつじつまが合う。俺たちがデビューする少し前から、えふこは活動をしていない。だが、それでも。

「えふこって、本当にあの?」

「その顔は信じてないな? ほら、エッフェルン☆」

 この絶妙にダサい挨拶は間違いなくえふこのものだ。三年間、欠かさず聞いていた挨拶だ。間違えるはずがない。

「これで信じてくれた?」

「は、はい……」

 無理をしているようだったが、その声はまさにえふこそのものだった。信じざるを得ない。それにしても、なんで俺は気づくことができなかったんだ。己の未熟さを恥じたいが、今はそれどころではない。

「んで、なんであのえふこがマネージャーに? そのまま二条あかりとしても……」

「ダメなんだ」

 語気を強めて藤野さんは言う。

 やるせないといった表情は、彼女に何か深い事情があることを悟らせる。

「その様子だと知らないっぽいけどさ。私身バレしちゃってね……事務所は構わないって言ってくれたけど、何かあったときに迷惑をかけたくなかったからさ……」

 悲しそうな顔で藤野さんは言った。

 今の自分たちを見ているようだった。えふこに、藤野さんにそんなことがあったなんて。考えもしなかった。

 近況を知らなかっただけに、ショックも大きい。

「だからさ、今のあかりちゃんを見てると責任感じちゃって……私のほうこそ自分勝手だよね」

 自分勝手なんて自嘲した俺を気遣ってくれたのだろう。優しそうな、それでいてどこか悲しそうな笑顔が痛々しかった。

立川もそうだが、藤野さんにだってこんな顔はしてほしくない。だからこそ、ここで俺が動かなきゃいけない。

「……ありがとうございます」

「感謝されるようなことはしてないよ」

 藤野さんは、そう言いながら一枚の紙を渡してきた。

「これ、あかりちゃんに見せてあげて」

 その紙は、彼女と交流のあったライバーたちの寄せ書きのようだった。書き足すスペースがないくらいにびっしりと書かれており、彼女がどれだけ慕われていたか思い知らされるようである。

 託されたその紙をポケットにしまいこみ、俺はドアノブに手をかける。そこで一度だけ藤野さんの方を振り返った。

「……いってきます」

「いってらっしゃい」

 藤野さんの笑顔を背に、俺は立川の家まで走った。

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