第13話

「いっちゃんてさぁ……ホントデリカシーないよね」

「すみません……」

 翌日。

藤野さんに事情を話した俺は、事務所に呼び出されていた。

「これ、何かわかる?」

 そう言って差し出されたのは、一足の靴だった。どれほど履き続けたのだろう。靴底はすり減って、まっさらになってしまっている。いたるところが傷だらけになっており、お世辞にもきれいとは言えない。

「レッスンシューズ、ですか?」

「そ、あかりちゃんのね」

 驚きはしなかった。

 あのとき俺を突き刺した視線、褒められたときの表情、ダンスのキレ。それだけ見ていればいやでも気づいてしまう。あれだけ完成されたパフォーマンスの裏には、途方もない努力と決意があったのだと。

「とにかく、反省はしてるみたいだから今日はもういいよ。あとで直接謝っておきな?」

「はい……」

 話を終え、外に出た。十月の空は冬の訪れを待っているかのように冷えこむ。

 さて、いつ謝ったものか。本当なら今すぐにも直接会いに行きたいが、確か今日は配信をするって言っていたはずだ。準備もあるだろうし、押しかけるわけにもいかない。

 ダイレクトメッセージでも送ろうかとスマホを取り出したとき、いやな記憶がよみがえった。

「……そんなわけないよな」

 腹をくくり、彼女宛のメッセージを書き始める。

 というのも、前にも一度こんな経験をしているからだ。立川がライバーになる前、中学時代に配信をしていたとき、ひょんなことから炎上してしまったことがある。すでに距離を置いていた俺は、気まずさからダイレクトメッセージを送るだけで気にかけたつもりになっていた。あのとき、俺が無理にでも押しかけていれば、彼女は配信活動をやめなくてすんだかもしれない。捨てきったはずの後悔が、今になって押し寄せてくる。

 本当に大馬鹿野郎だ。

 書きかけのメッセージをすべて消し、俺は発信ボタンを押した。相手はもちろん立川。出るかどうかはわからないが、少なくとも履歴には残る。直接声としてあいつに思いを伝えられる。それだけでも前とは違う未来を見れるかもしれない。

 発信音は鳴り続ける。やっぱり出ないか。無情にも通話は留守番サービスへとつながった。

「俺だ。里宮だ。この前のことを謝りたい……配信が終わったら電話してくれ」

 手短に言葉を残して、俺は通話を切った。



「もしもし……」

『いっちゃん、あかりちゃんは!?』

 スマホに着信が入る。立川かと思い急いで出てみるが、声の主は藤野さんだった。

「立川なら今配信を……」

 言いかけて気づく。待機画面がいまだに変わっていない。つまりは配信を始めていないのだ。普段なら寝坊とかも考えられるが、状況が状況だ。そんな単純な理由だとはとてもではないが思えない。

『その様子だといっちゃんも知らないか……ごめん!』

 そう言って、藤野さんは通話を切った。嫌な予感がする。配信の画面を閉じ、急いでツイッターを確認してみると、やはり彼女のリスナーが騒いでいた。

 だが、騒いでいた理由はほかにあったらしい。立川のツイートが目に入った途端、俺は血の気が引く思いだった。

『マジで配信とかどうでもいいわ』

正気だとは思えない。だが、これで終わりではなかった。更新をかけるたびにツイートは増えていく。『一とかマジで最低なんだけど』、『あいつ中学の時からなんも変わってないし』。

完全につぶやくアカウントを間違えている。公式でいうべきではない投稿が、次から次へとされていった。間違いなく炎上は避けられないだろう。

 ツイッターを見ていたパソコンをそっと閉じると、俺はベッドに力なく倒れる。

「配信と恋愛、か……」

 ふと、前に浩平に聞かれた言葉を思い出した。

 あの問いに答えられていれば、こんなことにはならなかったのだろうか。考えれば考えるほど、自責の念に駆られていく。結局俺はどっちが大切なのだろう。確かに配信は大事だ。こんなことになってしまったものの、まだ続けていたいとは思う。けれど、立川のことだって大事なのだ。やっぱり、あいつは怒っているときよりも笑った顔がかわいい。そんなやつに、悲しい顔はさせたくはない。

「俺、は」

 考えながら、俺の意識はいつの間にか沈んでいくのだった。



『二条あかり、同期と付き合っていたw』

 そんな記事が視界に入る。そこまでは立川も言っていないはずなのだが、うわさが勝手に独り歩きして今に至ってしまった。うっとうしいことこの上ない。もちろん明言しているわけではない。だから誤魔化すことだってできるだろう。だが、事実なのだ。真っ向から否定することもできない。

 あの配信から一週間。立川の配信はもちろん、ツイッターの更新も止まっていた。その間にさまざまな憶測が飛び交っていた。『中学からの知り合いが同期?』、『さすがに付き合ってたでしょ』、『こりゃ終わったなw』。そんなつぶやきが目に見えて拡散されている。裏のアカウントも特定されてしまい、そこに非難が集中する。まぁ、騒がれてからすぐにアカウントごと削除されたようだが。

他のライバーさんたちも、気を使ってくれてはいるが、それが余計に真実味を帯びさせてしまったようだ。もちろんのことながら立川は炎上。騒動を収めるために、多くのスタッフさんたちが対応に追われていた。肝心の立川は連絡が取れなくなっていて、今も藤野さんが必死にメッセージを送っている。俺は普段通りでいいと言われたが、責任がないわけではないので自主的に謹慎生活を送っていた。

そんな俺のスマホが激しく揺れる。見ると、藤野さんからの着信だった。

『もしもし、今どこ!?』

「自宅ですけど……」

 久しぶりに聞く声は、どこかいつもの元気さを感じられなかった。立川のことで相当頑張ってくれてるのだろう。それに、ひどく慌てているようにも聞こえる。

『今すぐ事務所来て!』

「あ、ちょっと!」

 こっちの返事を待つこともなく、電話は切れた。

 このタイミングで俺に用があるといえば立川のことだろう。急いで用意を済ませ俺は家を出る。

「あ、おーい!」

 事務所へ向かうと、藤野さんが紙の山をかき分けていた。こっちに手を振る姿には覇気が感じられない。

 疲れているようだし、早く本題に入ったほうがいいだろう。

「何か進展が?」

「これ見て」

 そう言って差し出したのは、藤野さんのスマホだった。画面には、立川とのダイレクトメッセージが表示されている。

「これって……」

 注目するべきは最後のやり取りだった。『もうやめます。今までありがとうございました』とだけ書かれているその文は、彼女から送られてきたものである。

「まずいことになっちゃったんだよぉ……」

 ひどく困っている様子の藤野さんに、俺は声をかけることができなかった。

 メッセージの内容を考える。いくら立川といえど、そんな投げやりなやめ方をするとは思えなかったからだ。

「ごめんね。いっちゃんも大変なのに、弱音なんて」

 明らかに無理をしているようだった。作り笑いが痛々しい。

 それに藤野さんの苦労に比べたら、俺のことなんて大したものではないはずだ。

「引き続き連絡は試してみるけど、いっちゃんからも話しかけてみてくれないかな?」

「……わかりました」

 ひどく迷ったが、藤野さんの負担を少しでも減らすことができるならと、重い首を縦に振るのだった。

 事務所を出て、俺はまだ立川のことを考えていた。確かに、こんなことがあったからやめてしまおうと考える気持ちもわかる。だが、本当にそれでいいのか。彼女の頑張りをすべて無駄にしていいのだろうか。

 また彼女の笑顔を思い出す。

「あぁ……」

 不意に言葉がこぼれる。手遅れかもしれないが、やっと自分の気持ちに気づいた。




 俺は、また立川のことを好きになっていたんだ。


 ◆◆◆


「んー……」

 翌日。

「大変そうだな」

首筋にほんのりとぬくもりを感じる。振り返ると、いつもの缶コーヒーを両手に持った浩平が立っていた。

「それにしても、まさかあかりちゃんが立川だったとはなぁ……」

 正直なところ、ツイッターの反応は擁護と批判の半々といったところだ。ただ、そんな言い争いが起こっている時点で普段通りの活動というものはできていない。

 その中でも、こうして普段と変わらない接し方をしてくれるのは本当にありがたい。今だって、放課後だというのにこうして気にかけてくれているのだ。浩平がいなければ、今頃どうなっていたか考えたくもない。

「んで、連絡はついたのか?」

「いや……」

 俺からも連絡は取ろうとした。しかし、最後に話したのがあれでは返事などくるはずもなく。結局詳細は分かっていない。

「まぁ、考えてばっかもしんどいだろ。飲めよ」

「サンキュ」

 手渡された缶コーヒーを口に含む。ブラックの苦さが心に沁みる。

 こんなときでも、浩平はいつもと変わらず笑っていた。

「とにかくさぁ、付き合ってたのは過去なんだし気にすんなって」

「そうは言うけどさぁ……」

 缶コーヒーをちびちびと飲みながら浩平は言った。

 だが、気にしないわけがない。元はといえば、俺が余計なことを言わなければ起こらなかった炎上騒ぎなのだ。正直今どう動けばいいのかわからない。

「あ、そうだ」

 思い出したように、浩平が手をたたいた。

 缶コーヒーに向かっていた意識が、こっちに切り替わる。

「結局前の質問の答え聞いてなかったよな」

 前の質問。というと、配信と恋愛どっちを取るかというやつだろう。その答えを出せなかったから今こうなっているのかもしれない。だが、考えたところで時間はもう戻ってこないのだ。それに。

「答えは出たのか?」

「……もちろん」

 もう答えは決まっていた。俺は……。

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