第12話
「おはようございまーす」
「おはよー」
打ち合わせのためにスタジオに入ると、挨拶が返ってくる。だが声の主は藤野さんではない。立川だ。
あの日以来、本当に俺に対しての接し方が変わってきた。会話は普通にするし、一度だけだが一緒に出かけたこともある。中学の頃にできなかったことを今更ながらしている気分だ。焚きつけた藤野さんでさえ「あかりちゃんと何があったの?」と不思議そうに尋ねてくるくらいである。
逆に俺のほうから話しかけることが少なくなった。デートのこと、浩平の言葉。いろいろなものが重なって、変に意識してしまったからだろう。一緒に出かけても、話を合わせるので精いっぱいだった。配信だけは滞りなく続けられているのが、唯一の救いだろう。
「それで、明日の配信でやるやつ決めたの?」
立川はスマホを見つめながら問いかけてきた。
何を見ているのかは知らないが、表情はとても穏やかである。
「あぁ、どうせなら雑談枠でも取ろうかなって。立川のところって普段しないだろ?」
「まぁねー、一人でやるのも疲れるし」
「疲れるってなぁ……」
机の上のポテチを頬張り、立川はクスリと笑みをこぼした。そんな仕草さえ、今の俺の視線を奪うには十分すぎる。
「でも、いいんじゃない? 話題はそっちから振ってくれるんだし」
キリのいいところまで見たのだろう。軽く伸びをした立川と目が合う。
これまでの敵意ある目ではない。思い出の中にあった、いつも何かに全力な輝いている目だ。その輝きは、当時と何も変わっていない。本性を知っているというのに、思わず吸い込まれそうになってしまう。
だが、悟られるわけにはいかない。なんとかして意識を別のほうに逸らそうと試みる。しかし、見慣れたスタジオで興味深いものなどあるはずもなく、ただその瞳に惹かれていった。
「おはよー、進んどるかね?」
「また変なしゃべり方して……」
会議が終わった藤野さんが入ってきたことで、意識はそちらに向くことになった。
手には、さっきまでの会議で使っていたであろう書類が見える。
何かうれしいことでもあったのか、鼻歌交じりに近くの椅子に腰かける。
「今日はまたご機嫌ですね」
「ん? わかっちゃう?」
待ってました、と言わんばかりに藤野さんは言った。
書類を机に置くと、彼女は息を大きく吸い込む。
「なんと!」
うるさいくらいの声に思わず耳をふさぐ。
しかし、そんなことなど気にする様子もなく彼女は話を続けた。
「ワンツーコンビ、スリーディー化が決定しました!」
「「えぇっ!?」」
嘘みたいだ。こんなにも早くスリーディー化が決まるなんて。
立川と顔を見合わせる。嘘みたいな事実に、彼女もぽかんと口を開けている。このときばかりは、立川のことなど頭からすっぽ抜けていた。
すかさず藤野さんから資料が渡された。『今季スリーディー化する配信者』と題された書類には、確かに『桐谷一』と『二条あかり』の名前が入っている。
受け止めきれない大きな喜びに、俺はその場にへたり込んでしまった。
「登録者の伸びもいいし、コラボも活発化してきたから二人同時にお披露目して話題性を出そうって。嫌々でもやっといて本当によかったね」
藤野さんは優しく俺たちに笑いかけた。
「本当に、なれるんだ……」
そもそも、スリーディー化というのは簡単にできるものではない。多少の動きがあるとはいえ、二次元的なイラストである俺たちを立体的にするのだ。かかるコストは数万などではきかない。だからこそ、人気である配信者にだけその権利が与えられるのだ。つまりは、スリーディー化=人気があるということにもなる。
スリーディーになれることよりも、それだけの人に応援されているという事実がただただうれしかった。
「まぁ、今すぐにってわけではないけどね。早くても二か月くらいはかかるんじゃないかな」
「いえ、全っ然待てます! てか待たせてください!」
自分でも何を言っているのか理解できなくなってきた。けれど、今はどうでもいい。スリーディーモデルをもらえるんだ。これでよりいろんなことができる。VRを使ったゲームとか配信でしてみたかったんだ。今から楽しみで仕方ない。
「とりあえず、今は目の前の配信だ。もちろん、時期が来るまでは口外しないようにね」
「「はい!」」
二人して声がそろう。
その日の打ち合わせは特に盛り上がった。
スリーディー化が決定してから、俺たちの生活はさらに多忙を極めた。
お披露目配信で歌う曲のレッスンがあるせいだ。事務所から言われたわけではないが、俺たちは自主的にダンススタジオに通っていた。ここ二週間はスタジオにいる時間よりも、レッスン場にいる時間のほうがはるかに長い。
いつから始まったのかは俺も知らないが、スリーディー化のお披露目ではほぼ毎回一曲歌うという習慣がある。ただ歌うだけでは、日常的に配信で行っている人もいるのだが、なんといってもスリーディーだ。歌って踊ることもできる。その姿はまさにアイドルのようなのだ。
「はい、今日はここまでねー」
「ありがとう、ございました……」
息も絶え絶えになりながら、その場にへたり込む。こんなことなら普段からスポーツの一つでもしておくんだった。くたばりかけている俺をよそに、立川はまだ自主レッスンを続けている。こんなにも体力に差があることに驚きだが、それ以上に完成度が高い。一挙一動にまったくの無駄がないのだ。彼女の横に、俺なんかが並び立ってもいいのだろうか。
「ふぅ……」
通しを終えるとようやく隣に座り込む。三角座りが妙に愛らしい。
直前まで踊っていたからか、熱気がこっちにまで届いている。
自分のボトルを取ると、グイっと勢いよく水を飲み始めた。
「ぷはー、美味しい」
「おっさんみたいだぞ」
「うっさいなぁ……」
ムッと眉をハの字にする。その姿も、今見るとかわいらしく見えてしまう。
「それにしても」
一息ついて、立川が口を開いた。
「アンタとこんなことするなんて思ってもみなかったわ」
「それ、前にも言ってなかったか?」
「あれ、そうだっけ」
二人きりで部屋にいるからか、いつもよりも胸が高鳴る。
そんなことなど欠片ほど気にしていないのだろう。立川は、その場で足を崩した。
「そ、それよりさ」
少しでも気を紛らわせようと口を動かす。
目も合わせまいと、俺は正面の壁をじっと見つめていた。
「いろいろしてたことは知ってるけどダンスまでやってたのか?」
「ううん、別に?」
なんということだろうか。同じスタートラインからここまで差が出るものなのか。才能というものも、ここまで顕著に表れると笑えてくる。
「ってことは一からやってあそこまで?」
「まぁ、そうだけど」
褒められたのがうれしいのか、照れ臭そうに立川は言った。
こんな風に話すことができるまで俺たちの関係性が元に戻っている。それはうれしい反面、俺の気持ちをさらに揺さぶっていた。
「やっぱ、何でもできるやつは違うよなぁ……」
「どういうこと?」
「いやー、そういう才能が俺にもあればなーって」
暖かな表情から一気に色が抜けていった。
「……何それ」
声色が急に変わる。慌てて立川を見ると、再会したときの蔑む視線にも似た、怒りに満ちた視線が俺を再び突き刺していた。
「じゃああんたは? 才能がないってなら努力はしたの?」
「そりゃもちろん……」
「帰ってからも練習してるの? 配信だってあんまりしてないでしょ? その時間を、あんたは何に使ってるの?」
「いや……疲れてずっと寝てる」
それ以上の言葉が出なかった。正直軽はずみな発言だったとは思うが、立川がここまで怒るとは思ってもみなかった。
「疲れて寝てる? バカみたい」
そう言って立川は鼻で笑い捨てた。
「その間も私はずっと練習してた! ひたすら見て、歌って、踊って! 疲れてもずっと! あんたみたいに真剣に考えてないやつに何がわかるっていうの!?」
そこまで言い終わった立川は、ずっと顔を伏せていた。息を切らし、先ほどの熱気がさらに高まっているようにも思える。
そんな彼女を、俺は正面から見ることができなかった。
「……そんなこと言ったって、お前は最初からできるやつじゃないか」
ハッと顔を上げる。立川はもう一度俺のほうを見ていた。頬に伝うものを見て気づく。
思うだけでとどめようとしていた言葉が、口からこぼれていた。
「この数日、少しは態度を改めていいかなと思ってたけどさ……」
話しながら立川は立ち上がる。そのままの足取りで、出入り口まで向かっていく。ドアに手をかけると、少しだけ俺のほうを振り返った。
「……やっぱ、あんたは何も変わってないんだね」
ドアの音だけが空しく響き渡る。彼女を引き留めることもできないまま、俺はずっとその場に座りこんでいた。
「……何やってんだ、俺」
一人残されたレッスン場は、やけに大きく見えた。
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