第8話

 憂鬱だ。とてつもなく憂鬱だ。事務所に来るのがこんなにも嫌になる日が訪れるとは思ってもみなかった。

 重い足取りでスタジオに向かう。すでに二人は来ているようで、事前の打ち合わせをしているようだった。

「おはよーございます……」

「お、おはよー」

 相も変わらず、立川はこちらに見向きもしない。

本番前だってのに、こんな調子で大丈夫なのだろうか。先行きが不安になるが、まぁ俺がなんとか合わせればいいだろう。

それよりもと、俺は机に放り投げられていた一枚の紙を取る。今日のスケジュール表のようだが、特に何かが書かれているというわけでもない。こんなものを使って話してたのか。そう思い二人の紙を見てみると、走り書きのようなものでびっしりと埋め尽くされていた。

「結構話してたんですね」

「まぁねー、あかりちゃんったら随分早く来るんだもん」

「仕事前なんですから当然です」

 一瞬だが、立川と目が合う。どうやら俺の出社が遅いと言いたいようだ。機嫌が悪いというよりは、俺を見下しているような冷たい視線が刺さる。

 これでも結構余裕をもって来たつもりなんだけれどなぁ。そのプロ根性だけは見習いたいものだ。

「よっし、それじゃ説明がてら今までの話を整理しようか」

 そう言うと、藤野さんは自分のスケジュール表を俺に手渡した。

 メモは走り書きではあるものの、文として読めないほどに汚くはない。読みやすいように、重要なところは色を変えて書かれている。ちゃんと俺に見せるために考えてくれていたのだろうか。こうして改まってみると、藤野さんも立派なマネージャーなのだなと実感する。

さらによく見てみると、ご丁寧にバトパテの説明なんかも書いてある。多分ゲーム前にする説明の台本だろう。こういうのはその場のノリでやってたから、こうして書き記されているのを見るのは新鮮だ。

「ざっと見てくれたかな」

「はい」

「まぁ、基本は二人の話とゲームのプレイ。この二つがメインになるしピシッとした予定はないけどさ。やってほしいことだけ言っておくねー」

 すでに頭の中に入っているのだろう。立川の紙を覗き見るわけでもなく、そのまま藤野さんは話を進めていった。

 その表情はいつになく真剣だ。素性がわかってから初めての配信だし、いくら藤野さんといえど、俺たちがこの様子だとふざけれないよなと、少し申し訳なさも感じる。

「まずはバトパテのゲーム説明。まぁ、これは普段から二人とも出来てるし言うまでもないと思うけど。あとは配信の最後に、次の配信予定の告知。今後のスケジュールとかは私の紙に書いておいたから確認しておいてね」

 彼女の言う通り、スケジュール表にはデカデカと二人の今後の予定表が書かれていた。むしろ、これのせいで書くスペースがほとんどないといっても過言ではない気がする。

「それと、もう一つ」

 言葉を付け加えると、藤野さんは俺たちの目を見た。

「本番中は絶対に喧嘩しないこと。今の二人だったら、間違いなく前みたいになっちゃいそうだからね」

 真剣というよりも、くぎを刺すような言葉に身が引き締まる。

そりゃそうだ。ここでやらかしたらこれまでの活動が全部水の泡になることだってあり得る。そうなってしまえば、俺だけの問題ではない。もしかすれば、会社にだって飛び火する可能性だって捨てきれないのだ。

 俺はどうなろうと自己責任で済むが、それで会社にまで迷惑はかけたくない。やり遂げるには、絶対に立川の協力が必要だ。本番までに、ほんのわずかでも心を開いてくれればいいのだが。

「何?」

 この調子である。少し目が合っただけで、とてつもない嫌悪感を抱かれるのだ。俺から何か手を尽くせるとは思えない。

「まぁ、ざっと説明はこんな感じだけど、何か質問とかある?」

「……質問というか」

 恐る恐る手を挙げる。この後となれば、立川に聞くタイミングなんて本番までないだろうと思ったからだ。

 俺がこうすることは想定済みだったようで、藤野さんは動じることもなく俺を指さした。

「はい、早かった」

「立川に話がある」

 自分に飛んで来るとは思ってなかったのだろう。今まで仏頂面を決めこんでいた立川の表情が初めて驚きを見せた。

 改まるように立つと、俺は今の思いを正直にぶつける。

「お前は俺と組むのが心底嫌なのかもしれない。俺だって同じだ。お前となんてできればもう関わりたくはなかった」

「は? 何、喧嘩売ってんの?それなら……」

 案の定といっていいのか。立川の機嫌が一気に最底辺にまで沈む。

 こうなることはわかっていた。けれど、今の俺にはこれでしか彼女と真正面からぶつかることができなかった。

 立川の言葉をさえぎって、俺はもう一度口を開く。

「お願いだ。ここだけはグッとこらえてほしい。頼む……」

 そう言って、俺は頭を下げた。

 表情こそ見えはしなかったが、もっと驚いているだろう。

 それを物語るように、スタジオの中はしんと静まり返っていた。

「……なんでそこまでするわけ」

 ようやくでてきた一言は、率直な疑問だった。

 彼女の疑問に答えるため、俺は頭を上げる。じっと目を見つめ、俺は語りかけるように声に出す。

「待ってるリスナーのためだ」

「それだけじゃないでしょ」

 見透かしたような目。三年前を思い出す。別れ話をしたときも、立川はこんな目をしていた。

 そして、こういうときの立川は勘がいい。

「あぁ……俺たちのためだ」

「俺たち?」

 怪訝そうな表情で、立川は俺の言葉をなぞった。

 とりあえず突っぱねられることはなさそうだ。椅子に座り直し、俺は話を続ける。

「俺たちって言っても、俺と立川だけの話じゃない。今お世話になってるのは誰だ?」

「そりゃマネージャーとかでしょ」

「そうだ」

 指名されたことで、藤野さんは少し照れ臭そうに笑っている。

「藤野さんもそうだし、会社にだってお世話になってる。その恩を俺たちのわがままで不意にするわけにはいかないだろ」

 その言葉で、またしてもスタジオは静寂に包まれた。

 彼女なりにも考えているのだろう。ライバー用と思われるスマホを取り出し、じっと見つめている。

 しばらく考えていたかと思うと、彼女は急に立ち上がった。

「よっし!」

 頬を両手でたたくと、俺をじっと見つめる。その目には、今までにはなかった熱意があった。

「……とりあえずは乗ってあげる」

「立川……」

 立川は手を俺の前に差し出している。

 正直ここまで踏み込んでくれるとは思っていなかった。

 よくてまともな会話が成立するくらいだと想像していたから、握手の誘いにもとっさに反応ができなかった。

「……ちょっと」

「あ、あぁごめん」

 指摘されてようやく握手に応じる。

 本当の意味で停戦協定がなされたといってもいいのだろうか。真偽はわからないが、今は彼女を信じるしかない。

 スケジュール表を片手に、俺はモニターの前に腰を下ろした。

 

「「どーもー!」」

 口をそろえて、挨拶をする。

 同時接続も三万人を超えている。いつもの比にならない数に圧倒されながらも、俺たちは配信を進めていく。とりあえずは立川も、しかけてくる様子はない。休戦協定は本当のようだ。

 何事もなく進んでいくことに違和感を覚えながらも、配信を続けていたときだ。ついにその瞬間はやってきた。

「いって!」

 足に鈍い痛みを感じる。その拍子に手元の判断が遅れた。それが勝負を決定づける。

 画面には勝者である立川が使ったキャラが堂々と映し出されている。彼女の初勝利ということもあって、配信は一層盛り上がりを見せていた。

 にらみつけると、意地の悪そうな視線が飛んできた。配信にはのらないよう顔の向きは変えないあたり、さっきのはわざとやったということで間違いないだろう。

「あー、くっそ!」

 思わず声に出る。それも悔しいからと思われているのか、疑うようなコメントは特にみられない。

 その後も彼女はあの手この手を使って俺を妨害してきた。足を蹴るなんてことはまだ序の口で、しまいにはわき腹をふいに突かれる始末。何度も素が出そうになったのを、俺は必死に抑え続けた。

「また勝ったー!」

 何も悪いと思っていないのだろう。これだけ卑怯な手を使っても、立川は自分の勝利を全力で喜んでいた。どこまで性根が腐ってるのだろうか。こんなやつを好きになるバカがいれば見てみたい。

 こうして喜ぶころには、配信も一時間を超えていた。そろそろ締めに入らなければならないから、次がラストになるだろう。

 このまま屈するわけにはいかない。俺にだって、配信者としての意地があるんだ。配信だからって遠慮して使ってこなかった持ちキャラを選ぶ。こんなことになっては恥も何もない。

 さすがに使い慣れているキャラを選んだからか、試合は俺が主導権を握る形となった。

 さっきまでとは違う展開に立川はかなり慌てていたようだったが、今さら気づいてももう遅い。残機は三対一。視聴者に気づかれないように妨害していては、まず負けることはない。

「もらった!」

 最後の一撃が決まろうとしたときだった。またしても彼女の足技がこちらに迫ってくる。しかし、痛みや衝撃程度ではこの差を埋めることはできない。バカなのはお前のほうだ、立川。

「なっ……」

 そう思って油断していたのだ。気づいたときには、俺の手にあったコントローラーは空を舞っていた。

「お前やったな!?」

 ついに本音が口からこぼれる。あーあ、やっちゃったよ。ガッツリ配信に乗っちゃってる。とはいえ、ここでごまかそうとするのは逆効果だろう。このまま続けるしかない。

 募る不満を抑え、俺は配信を続けた。

「……というわけで、お疲れさまでしたー!」

 さっきの騒ぎから、十分も経たぬうちに配信は終わった。いろいろと言いたいことはあるが、とりあえず終わらせることができて何よりだ。

「ふぅ……」

「お疲れさん! いろいろ大変だったと思うけど今日はゆっくり休んで!」

 威勢のいい藤野さんの声が体に染み渡る。ほかのスタッフさんたちも、早速配信の片付けを行ってくれていた。

「僕たちも手伝いますよ」

「いいのいいの。今日はスタッフがいるんだから、楽できるところは楽しないと」

 言いながら、背中を押される。

 振り返ると、藤野さんは白い歯を見せて笑っていた。

「ほら、今日はもうおしまい。帰った帰った!」

 彼女なりに気を使ってくれているのだろう。ならばと、それに甘えるように俺は帰路に就いた。

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