第7話
『はーい、こんばんは!』
彼女に配信を教えてから三か月が経った。立川は配信者として、立派に配信を続けていた。サポーターも百人は超えたようで伸びも悪くない。
『それでさー、隣の席の子がね』
今日もいつも通り、大勢のサポーターに見守られて配信が始まった。
この頃になると、自分なりのスタイルを見つけたようで、もう俺が教えることもなくなっていた。とりとめのない雑談が、彼女のメインスタイルだ。どんなことにでも一喜一憂する姿が受けたようで、正直俺の枠よりもにぎわっている。
『あ、そうそう』
話題が切り替わる。こんなことは彼女の配信じゃ日常茶飯事なのだが、いつにも増してうれしそうだ。なにか特別なことでもあったっけか。
『今日さー、クラスの子に話したんだよね!』
ふとそんな言葉が耳に入った。その瞬間、全身が凍り付く。
話した? いや、まさか。そんな一瞬で身バレするようなことをするわけがない。そこまで配慮ができない人ではないはずだ。
俺の不安に反して、コメント欄はここ最近でも特に流れが速かった。みんな期待しているのだろう。それに乗せられ、彼女はうれしそうに語り始める。
このままだとまずい。確実にバレる。
かといってどう伝えればいいんだ。配信をしているときはスマホなんて見ないし、コメント欄に直接書き込むなんてもってのほかだ。頭を抱えても、いい案なんて出てくるはずもない。
『あ、噂をすれば』
嫌な予感しかしない。恐る恐る画面に目をやると、『咲、約束通り来たよ!』なんてコメントが見えた。
『ちょうど来た! この子が今言った子だよ!』
一足遅かった。思いっきり苗字で登録されたユーザー名は、変わったユーザー名の多いこの場でも一際浮きだって見える。流れのはやいコメント欄の中でも、しっかりと確認することができるくらいにはだ。名前から察するに、立川とよく話しているクラスメイトだろう。というか本名でここに来るか普通。リテラシーもクソもあったもんじゃない。
彼女が何も話さないまま終わるなんて希望は持っていなかった。だからこそ、どんどん弾む話も、今日ばかりはどこでボロを出すかが気になって仕方がない。
(頼むから何もしてくれるなよ……)
そんな祈りとは裏腹に、女子生徒はコメントを連投していた。『この人たちみんな咲の友達なの?』とかとんちんかんなことも言ってるし。というか咲って名前も出ちゃってるし。
クラスメイトとの会話が進むにつれ、配信はますます盛り上がりを見せていた。今だけでも本名と大まかな地域が出てしまっている。しかも当分終わりそうな気配もない。
『ひなもそう思うー?』
挙句の果てにはこれだ。女子生徒の名前も普通に出してしまっている。立川も彼女も、取り返しのつかないところまで来てしまったのだ。
『あ、ヤバい。そろそろ寝なきゃ』
その一言で、配信は突発的に終わった。それでもいつもの倍はしていることになる。気が付けば日付も変わっていた。
そして、立川からメッセージが届く。配信終わりにいつも届くものだ。だが、今日に限っては正直見る気力もなかった。とはいっても、無視をするわけにもいかない。開いてみると『今日はどうだった?』なんてお気楽なメッセージが来ていた。
『今、通話いいか?』
文字を打つ指が重たい。返事はすぐに送られてきた。
『いいよー』
一呼吸置き、発信ボタンを押す。ワンコールもかからずに、立川は出た。
『お疲れー、どしたの?』
自分のしたことが分かっていないのだろう。普段と変わらない声が聞こえる。
どう話したものか考えたが、結局いい言葉なんて出てこない。ストレートに伝えようと、口を開く。
「あのな、今日の配信なんだけど……」
『すごかったでしょ!? いつもより人も来たしさー。大満足だよ』
そう、来てしまったのだ。最終的に二百五十人くらいは来ていただろう。いつもの倍近い数だ。クラスメイトのことがなければ素直に喜んでいたんだけれどな。
『おーい、もしもーし』
「あのな立川……あれはまずいぞ」
少しキツい言い方になったかもしれない。そうは思ったけれど、今後のことを思うとこう言うしかなかった。
返事はすぐにこなかった。無言の時間が、永遠にさえ感じる。どれほど経ったのだろうか。立川がようやく口を開く。
『……なんでさ』
事を察したからなのか、それとも共感されなかったから不満なのか。理由はわからないが、立川の声色も微妙に変わっていた。
その流れで、俺も話を続ける。
「個人情報だよ。名前もそうだけど、近所のデパートの名前まで言ってただろ」
『それの何が悪いのさ』
「それで凸を仕掛けるリスナーだっているかもしれないだろ。それが危ないって言ってるんだよ。友達の本名までバレちまってるし……」
『うるさいなぁ……誰もこんなとこまでわざわざ来ないって』
必死の忠告も、立川には届かなかった。俺の言い方が強かったせいもあるんだろうけど、さすがに危機感がなさすぎじゃないか。
『とりあえず、今日はもう寝るね』
「あ、ちょっと……」
こっちの話に耳を傾けることもなく、そのまま通話は切れた。
モヤモヤとした感覚が胸に残る。
その日、俺は一睡もできなかった。
翌朝。
正直学校に行くのも億劫だったが、親に無理矢理家から出されてしまった。オール明けの体に、太陽の光が容赦なく降り注ぐ。もう今すぐにでも帰って寝たい。
ぐったりとしながら登校していると、見知ったやつと出くわした。立川だ。目が合ったが、何事もなかったかのようにスタスタと先を歩いていく。夜中のことを、まだ根に持っているのだろうか。
「おはよう」
後ろからの声に振り向くと、雪野がいた。昨日のことを知らない彼女は、俺と立川を交互に見る。
すると、何かを悟ったのか、俺の脇腹を肘で思いきりつついてきた。
「いてっ!」
「なんだぁ、喧嘩か?」
からかうように雪野は笑っていた。
さて、どう説明したもんか。頭が働かないせいで、言葉が見つからない。
「ま、なんでもいいけど。ちゃんと謝っとけよ」
「はは……わかったよ」
まぁ本当にわかったかどうかはさておき。
雪野はそれ以上追及をしてこなかった。ようやく日常が返ってきたようで、なぜだか少し安心する。そのまま俺は雪野と一緒に学校へと向かった。
しかし、このときの俺はまだ知らなかったのだ。ここから別れるまで、立川と話すことはなかったということを。
◆◆◆
「え、何々。急展開なんだけど」
追加で来た肉を焼きながら、藤野さんは言う。
そりゃそうだ。話を一気に端折ったんだから。正直なことを言うと、別れるまでにはまだまだ出来事はあった。けれども、どれも直接的に関係があるわけじゃない。今回は必要ないだろうと思ったんだが、藤野さんはそこが気になるらしい。
「今日は我慢してくださいよ。別れた原因が聞きたいんでしょ?」
「うぐぐ……まぁ確かにそうだけどさ」
網を見つめて、藤野さんは言った。食べごろになったであろう肉を頬張っていると、誰かが扉をノックする。さっき頼んだものは全部来てるはずだが……
開いてみると、店員が申し訳なさそうに立っていた。
「すみません、ラストオーダーになりますが……」
「っとと。もうそんな時間か。大丈夫ですよー」
「かしこまりました」
深々とお辞儀をすると、店員は扉を閉めた。
ただならぬ雰囲気が少しでも和らいだと思うと、このタイミングはありがたかったのかもしれない。
「なんだよぉ、いいとこだったのにさぁ」
「ぶちぶち言っても仕方ないですよ。また今度話しますから」
店員さんが去ってから、藤野さんは不満そうな顔で肉を食べていた。
そんな顔をしながら食べる肉はおいしいのか?
「時間も時間ですし、さっさと片付けませんか?」
確かに、追加の肉を食べるとなると閉店ギリギリになってしまう。そんなにも話していたのかと思うと、時間が過ぎるのは本当にあっという間だと感じる。
立川の言葉を皮切りに、俺たちはただただ肉を食べ続けた。
「いやぁ、食った食った」
満足そうに、藤野さんはお腹をたたいていた。動作だけ見ると、完全におっさんである。
そのままつまようじでも取るかのように、伝票を手に取った。中身を見て眉がピクリと動いた気もするが、まぁ俺も払うんだしなんとかなるだろう。
少しだけ残った水を飲み干し、俺たちは店を後にした。
「ごちそうさまでした」
「ごちそうさまです」
結局、会計のほとんどを俺が支払うことになった。
立川に気づかれないよう、言葉だけでも感謝を伝えておく。いつも通り笑ってはいたが、藤野さんからは『本っっ当にありがとう!』とだけメッセージが来ていた。
「まぁ、なんだかんだざっくりした話は聞けたし、明日からも何とかできそうね……」
メモ帳を見ながら、藤野さんはポツリとつぶやいた。
明日からはこいつと一緒に配信をやってかなきゃならないんだ。気を引き締めて……ん?
「待ってくださいよ、明日からなんですか?」
「うん、もうスタジオも抑えてるし、ツイッターに投稿だってしちゃったしね」
わざとらしく舌を出して藤野さんは言った。
立川も聞いていなかったようで、少しだけだが、驚いた様子で藤野さんを見ていた。
「まぁ、時間はまだあるしどうにかできるでしょ! それに本番は私も横についてるから大丈夫だって」
「心配だなぁ……」
「悩んでいる暇はないぞ少年!」
背中を思い切り叩かれる。その勢いのまま、俺たちは帰路に就くのだった。
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