第5話

「…………」

「…………」

 険悪な空気が、再び事務所を包む。

 あの日から一週間。お互いに連絡を取ることのないまま、この日を迎えた。間に座っている藤野さんも、どうにも気まずそうだ。

「とりあえず、話を始めようか」

 何かを振り切るように、藤野さんは口を開いた。

 それでもなお、立川は俺をにらんだまま口を閉ざしている。話す気がないという意思の表れなのか、立川は一人その場に立っていた。

「前は話が進まなかったけど、結局二人はどうしたいの?」

「俺は、リスナーが喜んでくれるならコラボしてもかまいません」

 率直な感想を述べた。

 話はかなりの長期戦になると思っていたのか、藤野さんは驚いた顔で俺を見た。

「え、ホントに?」

「えぇ、俺はかまいませんよ」

 立川を横目で見る。彼女自身はまだ納得していないのだろう。不満そうな目で俺をにらみつけていた。

「あ、あかりちゃんはどうかな」

「え、いやですよ絶対」

 依然として彼女の気持ちは変わっていないらしい。

 藤野さんの言葉もむなしく、立川はそっぽを向いたまま話そうとはしなかった。

想像通りの反応に、藤野さんは肩を落とす。それを見ることが俺には耐え切れなかった。

「なぁ、一回だけでもやってみれば……」

「あんたと仲良しこよしをしろって? 冗談言わないでよ」

 もはや隠す気のない怒りが、こちらにまで伝わってくる。仮にもバーチャルアイドルである彼女がしていい表情ではない。立川の怒りは、はたから見ていても最高潮に達していた。

 藤野さんも力になろうと頑張ってくれてはいるが、今のあいつの相手は厳しいだろう。

「なぁ」

 声をかけるが、返答はない。

重い空気が、それ以上は話しかけるなと言っているように感じる。

「なぁって」

 二度目にも返事はない。

 彼女の機嫌がますます悪くなっていることだけはわかる。

「いい加減にしろよ!」

声が響く。事務所内は再び静まり返った。

思わず腕をつかむ。藤野さんが間に入ろうとしていたが、それをもう片方の手で制した。

「俺たちのせいでどんだけ迷惑かけてるのかわかってるのか!?」

「……離してよ」

 無理に引きはがそうとするが、それにしがみつく。

 ごみを見るようなひどく冷たい視線が、まっすぐに俺を射抜いた。

「離してってば!」

「じゃあ話し合おうぜ」

 腕をつかむ力をほんの少し強める。

 立川は迷った素振りを見せていたが、このままではらちが明かないと判断したのか、彼女はおとなしく席に着いた。

「……それで? そこまでして話したいことって何」

 彼女に言われて我に返る。

 席に座らせることに必死で、後を考えていなかった。さて、ここからどうしたものか。

「前に言っただろ。組めばバズるって」

 とりあえず何か言わなければまずい。後のことは話の流れでどうにかなるだろうと話したが、実際のところかなりピンチだぞこれ。

「ああ、そんなことも言ってたっけ」

 興味など微塵もないのだろう。こうやって話している間も、立川はこちらを向くことはなかった。

 なんとか彼女に興味を持たせようと、俺は動画配信サイトのマイページを開いた。配信者向けのページになら、話し合いのステージにまで持っていける何かがあるはずだ。あれこれ探しながら、俺は話を続ける。

「それでさ、一回調べてみたんだよ」

 手始めに、動画の視聴者層が記録されたページを見せる。サービスに登録された情報をもとに、どんな年代に見られているかなどを把握できるものだ。俺もよく見ているが、事細かにデータ化されているので、非常にありがたい。

「俺たちのコラボのときだけ、視聴者層が思いっきりバラけてるんだ」

 そう。コラボ配信だけとは言い切れないが、特にバラツキを見せているのはコラボ配信なのだ。

 桐谷一は十代を中心に若年層が多い。俺なりの分析なのだが、これは桐谷が学生だからだろう。共感する話題も多く、話に入りやすいからだと思っている。

 対して、だ。コラボ動画の視聴者層は三十代の視聴者が多くなっているのだ。おそらくだが、この多くなった部分は二条あかりのリスナーだと思っている。伸びも悪くないし、決してウケないわけではないのだ。

 データ自体は立川も確認しているだろう。コラボすればバズることだって、十分に理解しているはずだ。それでもなお、決心が固まらないところを見るに、俺というやつは自分の想像以上に嫌われているのだなと改めて実感する。

「それで? 何が言いたいわけ」

 うすうすはわかっているのだろう。声色の中にあったトゲが、ほんのわずかだが弱まったような気がした。

「コラボすればもっと視聴者層が広がる。人気になることだって夢じゃないんだぞ」

「それでもいやなものはいや」

 これだけでは揺るがなかった。それでも収穫はあった。

 やっと俺のほうを向いたのだ。口に出せばまた振出しに戻るだろうが、それだけでも効果があったと思いたい。

 彼女の腹の中を探りながら、俺は次の一手を仕掛ける。

「それにだ、タグだって見てみろよ」

 ツイッターで使われる検索に便利な機能の一つだ。俺たちワンツーコンビの名前もタグという形で機能している。

 これを見れば、自分たちがどれだけ注目されているかが丸わかりなのだ。なんせ、つぶやかれる回数の多いものは、トレンドという形でピックアップされる。それがさらに人を呼ぶことで、俺たちのようなライバーにはとてつもない宣伝効果があるのだ。

 そんな重要なタグでだ。俺たちはコラボ配信をするたびにトレンド入りを果たしている。それも国内一位の勢いだ。そりゃ注目されないわけがない。配信後は登録者数が一気に伸び、さらには他の動画の視聴回数も面白いくらいに増加する。

 それに立川が食いつかないわけがないのだ。

「この前の配信のとき、またトレンド一位だっただろ? あれで四回目だぞ」

 立川はすぐには言い返しては来なかった。俺よりもツイッターの更新頻度が高い彼女にとっては、データよりも実感がわくのだろう。

 深く考え込んでいたようだが、彼女は苦しそうな表情で口を開く。

「別に一位になんてこだわってないわよ。話題に上がればそれでいいんだし」

「でも、目立ちたいんだろ? 一位にだってこだわるんじゃ……」

「は? 現実見て言ってる? 今の力で頂点とるなんて無理に決まってるじゃない」

 こいつ、思ったよりも手ごわいぞ。こんなにちゃんと現実も見ていたか。

となれば攻め方も変えるしかない。さてどうしたものか。このままではまた前と同じになってしまう。

「もっとトレンドに載りたくないのか?」

「あんたの力を借りてまで載りたいと思わないわよ」

 ダメだ。これ以上はどうしようもできない。藤野さんに助けを求めるが、彼女は手を小さく交差させた。自分ではどうすることもできないということだろう。

 必死に知恵を絞りだそうとするが、どうしてもアイデアが出てこない。何かないものかと、俺はスマホを見る。彼女に関しての何か決定打を見つけ出せればいいのだが。

「もういいでしょ。何を言われたって、私はあんたとコラボなんてしない」

「待ってくれ!」

 くそ。やっぱ言葉だけではどうにもできないのか。

 そう思ったときだった。

「……あった」

 奇跡かと思った。『#二条あかり』で検索した俺のタイムラインに、一つのつぶやきがあった。ギリギリでつかんだ切り札を手に、立ち去ろうとする立川の前に回りこむ。

「これを見てくれ」

「まだ何かあるの?」

 心から嫌そうな顔で、立川は手渡されたスマホを見る。リスナーのつぶやきを見ると、彼女は驚いた顔でこちらを見た。

「お前のリスナーだって望んでるんだよ。俺たちのコラボを」

 彼女に見せたツイート。

『もう一回ワンツーコンビで配信しねえかなぁ』

多分、これだけだと彼女には響かなかっただろう。決定打はそのツイートのリプ欄にあった。『めちゃくちゃわかる』、『一くんとのコラボ以外見たくねぇわ』など、賛同の声がそこには集まっていた。

「これを見てもまだしたくないってのか?」

 下手をすれば、また喧嘩になってしまうかもしれない。ある意味での賭けだったが、どうやらうまくいったようだ。

 立川は何も言い返せぬまま視線をそらした。

「リスナーの声も聞けないやつが、バズることなんてできるのかって聞いてるんだよ」

「それは……」

 それ以上の言葉は返ってこなかった。押し通すなら今しかない。

「俺にはお前が必要なんだよ!」

「は!?」

「……え?」

 場の空気が凍り付く。というか立川の表情が過去最高に歪んでいる。なんでだ、何が失敗だったんだ。自分の発言に不備があったのは間違いな……あ。

「いや、そういう意味じゃなくてね!? 配信者として二条あかりが必要なんだよ」

「ふーん」

 とてつもなく視線が痛い。絶対に疑われてる。何とかできそうだというのに、こんなことで全てがなかったことになるなんて絶対に嫌だぞ俺は。

「本当かなー」

「本当ですって」

 ここぞとばかりに藤野さんが首を突っ込んできた。

 ただこの状況に限ってはめちゃくちゃありがたい。最高の助け舟だ。

少し緩んだ空気の中、立川は精一杯といった感じで口を開く。

「……一回だけよ」

「本当か!?」

 思わず立ち上がった。勢いに押された椅子の倒れる音がする。

 気持ちは同じだったようで、同じ目線で藤野さんと目が合った。

「……正直あのときのことをまだ許しているわけじゃない。けど……」

「けど?」

 さっきまでの仏頂面が嘘みたいに表情が変わっていく。それが昔の彼女を見ているようで、なんだか懐かしいと思えた。

「……あー、もう。リスナーが望んでるなら、どれだけいやでもするしかないじゃない」

 さらさらとした髪を、乱雑にかきながら立川は言った。彼女なりに納得したということでいいのだろうか。

「よっし、話はまとまったね!」

 ひと段落がつき、藤野さんは大きく手をたたいた。

それで事務所内の空気が緩む。やっとこの空気から解放されたのかと思うと、俺は胸の中のつっかえがとれたような気がした。

「それじゃ、ご飯でも食べに行くか!」

 いつもの調子で、藤野さんが言った。慌ててスマホを取り出すと、藤野さんはどこかに電話をかける。彼女の言葉から察するに、どこかの店を予約しているようだ。丁寧な言葉遣いから、そこが普通の居酒屋とかではないことがわかる。通話を切ると、またしてもどこかへ電話をかけていた。

「なんか慌ただしいですね……」

「そりゃ、こんな大ごと片付いた後だし? パーッといかないと! あ、タクシー呼んだから。すぐに出れる準備しといてね☆」

 そう言った藤野さんはかなりご機嫌だった。完全に彼女が食べたいだけだと思うのだが、口にするのも野暮だろう。

 荷物をまとめていると、すぐにタクシーはやってきた。

「ほらー、行くぞー!」

「ちょ、待ってくださいよ」

 まるで子どものようにはしゃぐ姿を見ていると、さっきまで真面目に話していたことが馬鹿らしくなってきた。

 藤野さんに続くように事務所を出る。彼女はすでにタクシーに乗り込んでいて、空席は後部座席だけとなっていた。

「正気ですか!? あんだけバトった後なんですよ!?」

「まー、親睦を深めてもらおうとね。あの調子でやるのも厳しいでしょ?」

 またこっちに苦労がやってきた。これから食事だってのに胃が痛い。

 そして、何も知らない立川が遅れてやってきた。残された席を見て露骨に表情を歪めたが、彼女はすぐにタクシーへと乗り込んだ。

「何してんのよ」

「え……いや」

 戸惑いながらも、俺も続いて乗り込む。

 あれだけのことがあったのにもうこれか。立川が特殊なだけなのだろうか。

 無言の中、三人を乗せたタクシーは走り出す。

「そういや、どこに行くんですか?」

「あれ、聞いてなかった?」

「聞いてないですよ。行き先も、俺たちが来る前に言ってたんでしょ」

 そっかー、と藤野さんはとぼけたように言った。そのまま自分のスマホを取り出すと、座席越しに画面を見せてきた。

「叙々苑って……藤野さん」

「どうだ、これが大人の財力ってもんよ」

 威張っていたが、それも虚勢だろう。藤野さんがいつも財布とにらめっこしているのは知っている。特に今月はやばいってついこの間も言ってたのに。

『あとでいくらか出しますよ。今月ピンチなんでしょ?』

 口に出しちゃメンツも丸つぶれだろう。メッセージを送ると、藤野さんは激しくせき込んだ。

 立川にバレないよう、窓側から俺をにらみつける。

『それに、あの約束覚えてくれてたんですよね? それがうれしくて……俺が出したいんです』

 納得していないようなので、メッセージを連投。納得したのか、少し時間をおいて『すまん!恩に着る』なんて返事が来た。

「……それにしてもさぁ、なんでそこまで仲悪くなっちゃったわけ?」

「あー……それは、その」

 そりゃ聞かれるよな。一度立川を見るが、彼女は興味もなさそうに外をぼんやりと見ていた。

 どうせ聞かれても困るような話でもない……はずだ。

 軽く咳払いを挟み、俺は口を開く。


そう、あれは三年前のこと……。

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