第2話
「ね、眠い……」
あっという間に次の日の朝。
あれからベッドに入ったはいいが、緊張のあまり一睡もできなかった。緊張を紛らわせようとあかりちゃんの動画を見るも、逆に興奮して寝られない負のループ。いや負とは言ってもあかりちゃんは全く悪くないのであって自分の怠慢というか愚かというか……誰に言ってるんだ俺は。こんな状態であかりちゃんと話してもいいのか? 一回顔でも洗ってくるべきか。
「うわぁっ!?」
着信音がけたたましく部屋中に鳴り響く。しかし、その姿はどこにもない。おいスマホよ。遊ぶなら別の日にしてくれ。音は確かに近くで聞こえるんだ。机の上か、それとも……。
「あった」
どこにいたのかと思えば、ベッドの下に落ちていた。
今もなおラブコールが鳴りやまない彼をなだめるように俺は通話に出た。
『遅いぞー、今何時だと思ってるんだ』
「すみません……って、まだ八時ですよね」
『まだとはなんだ、まだとは。もう八時だぞ』
寝ぼけた頭に、ハキハキとした藤野さんの声が響く。相変わらずというか、朝までこうも元気だと尊敬する。しかもどうやら調理中らしい。声の向こうから、何かを焼くいい音がこっちにまで聞こえてくる。まずい。この音は完全に飯テロだ。こっちまで腹が減ってきた。
通話をスピーカー設定にして、俺も飯の準備を始める。
「それで、こんな朝早くからどうしたんですか? まだ打ち合わせまでは時間があるでしょうに」
『いやぁ……どうせなら君の実力を知りたいなと思ってね』
「ほう?」
これは挑戦状と受け取っていいのだろうか。というか藤野さんがゲームしてるとこ見たことないな。強いのだろうか。
「いいですけど……俺その手のゲーム得意ですよ?」
『そんなの知ってるにきまってるじゃないか。どれだけ君を見てると思ってるんだい』
それはそうだ。ということは藤野さんもかなりの強者なのでは? これは期待してもいいということだよな。
体がうずきだす。飯なんて食ってる場合じゃねえ! 今は一刻も早く戦いたい。
「あの、今から事務所でやりませんか」
『え、事務所で? 別にオンラインでもいいんじゃ……』
「ラグを言い訳にしたくないでしょう!」
そう、オンラインでやれば少なからず現れるラグ。回線による遅延だ。ほかのゲームでならまだしも、あらゆる格ゲーにおいて一瞬のラグも命取りになりえる。そんなものに勝負を邪魔をされたくはない。
『おっし、わかった。十時くらいに行くから』
藤野さんもそれを察したのか、あっさりと予定を合わせてくれた。心なしか声も弾んでいたように思える。
十時ならまだ時間があるだろうし、一足先に事務所に向かおう。朝飯も適当にコンビニですませば問題ない。
顔を洗い、俺はとっとと家を出た。
「ありがとうございやしたー」
覇気のない挨拶を背に受け、俺は店を後にする。眠気覚ましのエナジードリンクを口にしながらスマホを見ていると、ツイッターに一通のダイレクトメッセージが届いた。
「また来たのか……」
というのも、ライバーとして活動してからその手のメッセージはちょくちょく受け取るようになったからだ。面白いものならいいんだが、明らかにアンチのようなやつからメッセージが来ると結構へこむ。だからこそ事務所との話し合いでオープンにはしていなかったのだが、今でもこうしてすり抜けてくることがたまにあるのだ。
うんざりしながらツイッターを開く。まったく、こんな素晴らしい朝を台無しにしたのはどこのどいつ……
『おはようございますー』
俺は思わず噴き出した。こんな当たり前の挨拶をわざわざダイレクトメッセージで送ってきたからではない。これの送り主があの二条あかり本人だったからだ。
いや、そりゃ同期なんだしやり取りの一つや二つあってもおかしくはないんだけれども。不思議なことに俺たちはそんなことを一度もしたことがない。そりゃコラボだけなら何回かしたことがある。けど、そのたびになんだか自分ごときが彼女の横に並び立っていいものなのだろうかと思っていたからプライベートとかでもロクに絡んだことがない。
それもこれも、俺のほうが一ファンとして彼女の配信をじっと眺めていたから声をかけるのもなーって思ってたからだが。全部藤野さんを介してやり取りをしていただけに、今回のこれはあまりにも衝撃的だ。これってドッキリかなんかじゃないよな。
思わず頭の中が真っ白になる。とりあえず返事でも送りたいけれど、なんて書けばいいか全然出てこない。こんなんで打ち合わせとかできるのか俺は。
「おはようございます! 今日はよろしくお願いします」
とりあえず何か言わなければ。その一心でありきたりな返信を送る。向こうもスタンバっていたのか、すぐに返信が返ってきた。
『はい! こちらこそよろしくお願いしますね』
はい神対応きましたわ。あかりちゃんマジ天使! 表も裏もない、心からのアイドル。仲間である以前に俺はすっかり彼女のファンになっていた。
なんてただの文字に感動を覚えていると、続けざまにメッセージが来た。
『マネージャーから聞いたんですけど……今日事務所でバトパテやるって本当ですか?』
「あ、そうなんですよー」
もう話していたのか。というかこれじゃあかりちゃんを仲間外れにしているみたいじゃないか。すごく申し訳なくなってくる。
少し出方をうかがったほうがいいか。いやでもそれはそれでしのびないしなぁ……そんな風に思っている間にも、彼女とのメッセージ欄は更新されていく。
『いいなぁ……私も誘われたかったなぁ……(泣)』
俺はなんて大馬鹿野郎なんだ。あかりちゃんを悲しませるなんてことあってはならない大失態だぞ!? それを気づかなかったとはいえ、自分がしてしまった。唯一の同期で、仲間である自分が。壮絶な後悔と自己嫌悪が襲いかかってくる。こんな俺が彼女と一緒に配信なんてしていいのか?
『なんて、冗談ですよ♪』
「あぁっっっっっ!!!!」
かわいいがすぎる。え、このやり取り本当に独り占めしていいのか? 全世界に発信したほうがよくない? ヤバい超尊い。いやでも冗談とはいえ彼女に悲しませるような素振りをさせてしまったことは事実だし……。ダメだ。もう何を言われても内容が入ってこない気がする。
『もしよかったらなんですけど……』
また焦らされてる。今日のあかりちゃんは一味違う。こんなにも小悪魔みたいな人だったっけか。多分だけど藤野さんじゃないのか? いや、仮にあかりちゃん本人だったとして、それはそれでギャップがあってすごくいいんだけれども。
息も絶え絶えになりながらメッセージの続きを待つ。そして。
『そのままオフコラボなんてどうですか?』
「へ」
なんてことだ。あのあかりちゃん直々にコラボの。しかもオフコラボのお誘いをもらえるとは。今までのコラボとはわけが違う。オフだぞ、オフ。リアルで会えるんだぞ。もしかして今日俺は死ぬのか!?
『あのー……嫌でしたら遠慮なく言っていただいても』
気が付けばそんなメッセージが送られていた。というかオフコラボに気を取られて、メッセージを全然見てなかった。
「……最悪だ」
口に出しただけのつもりが、そのまま送信してしまっていた。多分だが、あの「へ」という一文字でコラボに乗り気でないと思われてしまっている。それは非常にまずい。この機会を逃せばもう二度とないかもしれないビッグチャンス。これに乗らないわけがない。
「ち、違いますよ!? 決してしたくないってわけではなくて、うれしさのあまりフリーズしちゃってたというか……」
やばい。動揺のあまりおかしなことを言ってる気しかしない。これ引かれちゃったりしていないだろうか。返信が来るまでの時間が永遠のように長く感じる。
永遠のような時間の後、ようやくあかりちゃんからの返信がきた。通知欄を見ることさえ恐いが、恐る恐る確認してみる。
『冗談ですよ、冗談。それじゃ、用意できましたらお邪魔しますね』
「ありがとうございます!!!!」
即答だった。
ついに、ついにあのあかりちゃんに会えるのだ。これ以上うれしいことはない。完全に気持ちが舞い上がっている。このままここで小躍りでもしてやろうか。
「なーーーーにしてんの。気持ち悪い」
「うぉわっ!?」
背後から誰かに声をかけられる。活発そうなこの声は間違いなく彼女だろう。
「驚かさないでくださいよ、藤野さん」
「ありゃ、バレちゃったか」
舌をペロッと出して、藤野さんはあざとく言った。下手にかわいい声を出そうとしたせいか、軽くせき込んでいる。それに合わせて、つやのある黒い髪がゆらゆらと左右に揺れていた。
「何やってるんですか、もう」
そんなことをしなくても、本人は十分魅力的なのだが、おそらく気づいていない。こんな風に妙な絡み方をしてくるから、実年齢よりも老けて見られるのになぁ。
息を整えると、藤野さんはバッグから一本のソフトを取り出した。
そう、それこそがバトパテだ。
「
まるで印籠のようにそれを見せつけてくる。だが、それには人をひれ伏させるほどの魅力が詰まっている。俺はその箱が持つ圧倒的なまでの魅力にあらがえなかった。
「ははー!」
ついノリでやってしまった。何も本当にやることはないのにと、自分でも思う。
しかし、それで満足したのか、藤野さんはうれしそうにゲーム機本体を起動させた。
「そういや、あかりちゃん来るんだよね? よかったじゃん」
「全部知ってたんですね……」
「まぁねー。焚きつけたの私だし」
ほらやっぱりだ。そんなことだろうと思った。けど超絶グッジョブ。
俺の心境など知りもしない藤野さんは、コントローラーの動作を確認していた。どうやら本気でやるらしい。一通りの確認が終わると、それをこっちに放り投げた。
「ま、やろうよ」
目がギラギラと燃えている。こんなにも燃えている藤野さんを見るのは初めてかもしれない。できるのなら、それはマネージャー業で見たかったのだが、いかんせんこれは真剣勝負だ。燃えてくれなきゃ困る。
「それじゃ、行きますよ」
「いつでも」
キャラの選択も終わり、今まさに勝負が始まるときだった。
「お、お疲れ様です!」
思わず振り向いた。そう、これこそ俗に言う条件反射というものだ。あのあかりちゃんと会える。ようやく、ようやく……
「「え?」」
全身が石のように固まった。
いや待て、悪い夢でも見ているのか? それとも脳がバグっちまったのか。ははーん、さてはまだ寝ぼけてるな。目をこすって、頬をたたけばもう大丈夫……じゃなかった。
「嘘だ……」
「あ、あああ……」
目の前にいるあかりちゃん(?)に至っては声さえ出ていない。そりゃそうだ。こいつとは初対面ではない。くそ、言いたいことが山ほどあるってのに、うまい言葉が見つからねえ。
だからこそ、俺は一言だけ。そう、たった一言だけを口にした。
「「なんでお前がここにいるんだよ!」」
最悪だ。よりによって被っちまった。こいつと被るなんて論外だ。
俺の元カノだ。
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