遺書
中原しずく。彼女の名前です。当初は中原と呼んでいましたが、家族を名字で呼ぶのは妙だということで、しずくと呼ぶことになりました。彼女も私を瑠璃と呼びました。
毎朝七時に起こされては、しずくの作った朝ごはん。テレビではニュースが流れ、交通事故に殺人事件に、時には自殺の報道、毎日必ず一つは入る悲報を眺めつつ、その他どうでも良いニュースで世間の情勢を知ります。
食後はしずくが洗濯、私が食器洗い。終われば自室か書斎で一人遊び。その間しずくは庭の手入れ。雨が降っていれば一緒にリビングでテレビでも見ます。
昼食は二人で準備します。しずくに任せていると、サンドイッチばかり作るからです。サンドイッチは中身を好きにアレンジできますから、確かに毎日違うものが出てくるのですが、どこか面白くないということで、私も手伝うことにしたのです。共に調理場に立つことは、特に家族らしい営みであったことでしょう。
昼下がりにはしずくとゲームをしました。チェスや将棋、オセロなどのボードゲーム。ポーカーやスピード、神経衰弱などのトランプゲーム。百人一首やかるた、競技クイズなどの真剣勝負もありました。勝った方は三時のおやつを多めに貰えます。ほんの一口程度ですが。
夕方には本を読みます。書斎に幾らでもある学術書です。もうそれを読む理由などなくなってしまったのですが、敢えて言うのならば過去を消化するためです。どこかで向き合う、触れ合う時間を作らなければ、ただ心の隅に追いやっただけの感情というものは、いつその刃を振りかざすか、分かったものではありません。だからこうして、それが「特別な意味を持った行動」でなくなるまで、読み続けるのです。できることなら、別の目的のために読めたのなら、それが最善なのでしょうが。
夜はしずくの料理に舌を踊らせ、お風呂に入ります。上がれば水滴をぽんぽんと拭き取って、リビングでソファに深く座ります。化粧水、美容液、乳液をぺたぺたとして、ヘアオイルの後はドライヤー。全てしずくがやってくれます。美容に気を使いなさい、と言ったのは単なる言い訳で、ただ私と触れ合う時間が欲しかったのだと、伝わっていました。私もそれがやぶさかではなく、厚意に甘えるのでした。
しずくの入浴中には、その日の日記を書きました。今日はしずくと散歩をした。今日はしずくと花を買った。今日はしずくと昼寝をした。今日はしずくとしゃぼん玉で遊んだ。今日はしずくと買い物に行った。今日はしずくと水遊びをした。今日はしずくとアイスを食べた。今日はしずくと花火をした。今日はしずくとカメラを買った。今日はしずくと夕焼を見た。今日はしずくと怪談話をした。今日はしずくとお祭りに行った。今日はしずくの誕生日だった。今日はしずくと月見をした。今日はしずくと海を見に行った。今日はしずくと絵本を読んだ。今日はしずくと紅葉を見た。今日はしずくとマフラーを買った。今日は私の誕生日だった。今日はしずくと一緒に寝る。今日はしずくと初詣に行った。今日はしずくと雪を見た。今日はしずくとかまくらを作った。今日はしずくと二人で写真を撮った。
こうして、ほんの一行日記で一日を振り返りながら、その多幸感の中で眠るのです。私はしずくと過ごす日中が、明日のしずくを期待する夜半が、好きで好きで仕方がありませんでした。いつしか、しずくが本当に大切な存在となっていたのです。
だから、それが最後の一年に差し掛かった時には、涙を隠す場所に悩んでいました。お手洗いか、自室か、とにかくしずくに見られない場所を選びました。しずくに見られないだけなら書斎が便利だったのですが、両親の記憶に近い場所で泣いていては、まるで両親に縋っているかのようで余計に惨めだったのです。
しずくは家を出る準備を刻々と進めていました。新たな住居を探し、職を探し、家を空けることが多くなりました。私はできるだけ気丈に振る舞いました。時にしずくの仕事を代わり、時に一人で外を歩き、時に自分で髪を梳いていました。しずくがいなくなっても、私は一人で生きていけるのだと、そう訴えるように。
そんなある時、しずくが大きな封筒を持ち帰ってきました。
「瑠璃。いつまでも私に頼っていてはいけません。瑠璃もやがては友人に囲まれ、愛を知り、自分の幸せを見つけなければなりません。これはその一歩目になるでしょう」
しずくが手渡したのは、橋枝高校という一風変わった県立高校の入試案内でした。見るに、中学での出席が極端に少ない生徒にも、その受験資格を与えるとのことでした。様々な事情で中学に通えなかった人間にも勉学の機会を与えたい、という校長のコメントが痛く刺さりました。
筆記試験と面接、それ以外の成績は加味しないということですから、つまり中学での成績や出席状況、内申が何も関係ないということです。これをどう捉えるかは個々人の判断に依るのでしょうが、私にはどうにも、真面目な人間ほど損をするシステムに見えました。だってそうでしょう。いくら中学生活を真面目に送ったとしても、その努力は一切反映されないのです。これほど残酷なことがありましょうか。そうは思いつつも、私はこのシステムに縋ることにしました。中学をなおざりにした私には、この道しかなかったのです。
冬になると、しずくは次の職を見つけました。敢えてその場所も業種も聞きませんでしたが、どうせなら遠く離れた場所であってほしいと願いました。しずくの部屋の前を通るたび、そこに積まれた段ボールが増えていきました。その身一つで入って来たというのに、三年の間に随分と荷物が増えたものだと、感慨深くも、胸が痛みました。
しずくが家を出たのは、三月のことでした。初めて見た頃の幼く脆い表情は、いつしか凛々しく、たくましく育っていました。その年齢の三年は随分と大きいんですね、などと言えば、瑠璃の方こそ、別人みたいに明るくなりました、と言うのです。ああ、この日はついに、初めて涙を見せてしまった日です。最後の最後にして、私はまだ子供なのだと思い知らされました。それでも、子供なりの意地はありましたから、しずくのハンカチには触れませんでした。袖で目を擦ると、精一杯の笑顔を作って、しずくを見送りました。
しずくが門を出るまで力強く振っていた手は、重力に従うように折れて、私はそのまま泣き崩れました。声を上げて泣いていました。生まれ落ちた赤ん坊のように、ただ、その背を抱く者はいないままに。
一通り泣き終えてから、私は立ち上がりました。しずくがそうしたように、私も自分の幸せを探しに行こう、と。高校受験の参考書を買い、ざっと一週間目を通しました。私はかつて天才と呼ばれていた事実の通り、すぐに合格ラインを超えることができました。あとは本番で失敗しないだけ、そう思っていました。
浅はかだったと知りました。面接の時です。教師三人と受験生四人による集団面接で、一人ずつ自己紹介をしました。そこで、彼らは自らをこう語るのです。
「体育祭で白団のリーダーをしていました」「合唱コンクールで指揮者を」「文化祭の実行委員を」「最高の思い出ができました」「皆の協力があってこその成功だったと思います」「私のアイデアが採用され」「生徒会にも立候補しました」「内申点はオール5です」「陸上部でも成績を残して」「協調」「創造」「勤勉」
私の番になってしばらく、声が出ませんでした。私はそのようなものを知らなかったのです。真面目な人間が損をするシステム? そんなものはここにはありませんでした。真面目な人間はどこに於いても真面目で通用するのです。
私はしずくとの日々で、たくさんのものを得ました。しかし、それは世間の人間が中学以前に得るものに過ぎず、私はただ、借金を返したに過ぎなかったのです。そして、社会に関わらなかった三年間で、私は新たに三年間の借金をしていたのです。それに気づいた時、全身が怯えているのが分かりました。私は本質的には、あの頃から何も変わっていなかったのです。しずくがいればまた違ったのかもしれません。帰りを待つ者がいれば、もう少し踏み出せるのかもしれません。しかし、しずくはもう、あの家にはいないのです。
どうして強がってしまったのでしょう。どうしてしずくの手を離したのでしょう。いいえ、分かるのです。十分な自尊心を養えなかった人間は、相手にとって最大に幸福な環境は、少なくとも自分が与えるそれではないと思い込んでしまうのです。私はこんなにもしずくを求めますが、しずくはきっと夫と子供を得て、どこかでもっと幸せに過ごせるのだと思うと、そんな彼女を私の元に置いておくことなどできないのです。
「大丈夫だ」
そう言ったのは、教師の一人でした。私はどのくらい黙っていたのでしょう。分かりません。ただ、その声を聞いて、その目を見て、私の震えはいつしか止まっていました。そうして語り始めました。両親に憧れていたこと。その両親を亡くしたこと。家政婦と暮らしていたこと。二人で家庭を築いたこと。たくさんの思い出を重ねたこと。そして、自分の中学三年間は空白であること。最後に、このように。
「私……私は、だから、この学校で、この三年間で、六年分の幸せを手にしたいのです」
どうにもそれが好評だったらしく、私は橋枝高校への進学を叶えました。しかし、それは強がりを超えた、飢えでした。私は楽しいことを必死に探し、捕まえ、収めて、終われば次に向かう人間になっていました。それで私の借金は完済され、ようやく一人の人間として完成するのだと、そう思っていました。
それに違和感を覚えたのは、一学期が終わる頃です。隣のクラスのよく知らない人間から、「苫屋さんって変わってるね」と言われたのです。
普通に過ごしていれば三年間の借金は返せません。しかし、普通でない生き方をしていれば、決して普通に生きていた人間と同質のものは得られず、結局、六年分の幸福を得たとしても、出来上がるのは周囲とずれた人間でしかないのです。私は気づいてしまったのです。人生の借金をした人間は、二度とそれを返済することなどできないのだと。
無気力になっていました。学校には行っていました。休む気力などなかったのです。ニュースでもよく見ていました。そうやって何かを訴えられない、不登校にもなれない人間が、学校を墓場に変えてしまうのです。
勉強も辞めました。授業は聞いてはいても、何も頭に残りませんでした。成績は滑空するように落ちていき、やがて赤点の中に落ちていきました。いくら天才でも、知らないことはできないのです。やればできるというのは、やらなくてはできない、なのです。原動力が失われた私には、何も残っていませんでした。
年末に呼び出しを受けました。赤点の取りすぎです。補習でも何でも好きに受けさせたら良い、私はそれも意味のないものにするでしょうが、などと考えていた私。そこにいた進路の教師。どこかで見た気がしたのです。
「どうだ、幸せは掴めそうか?」
そう言われて、その声で、思い出しました。この人は面接官の一人だったのです。一度聞いただけの声だというのに、やけに覚えていて、奇妙にも思えました。いいえ、この時はっきりと理解していました。その声は、私の父親にとても似ていたのです。
書斎での習慣が功を奏したのでしょう。何か暗い感情が湧くことはありませんでした。あるいはその感情さえ湧かないほど、心が枯れていたのかもしれませんが。
「全然です。結局一度落ちた人間は、這い上がることなどできないのです」
先生は笑いました。馬鹿にしているのかと聞くと、そうではない、と。
「落ちてない人間なんていないんだよ。人間はどこかで絶対に穴に落ちてるんだ。世の中には落ちたことに気づかない馬鹿の方が多いんだが、苫屋は気づいてるんだろう。だったら余計なことを考える必要なんてないんだ。もっと楽しめ。横穴でも掘ってみろ、誰かの穴と繋がるもんだ」
なんだそれは、と思った。あまりの詭弁に口をつぐむ。
「そうか。分からないか。なら、部活を始めないか。そっちの方が面白いぞ。俺が顧問をしてる文芸部が、丁度部員不足なんだ」
差し出された手は、ただ勧誘のジェスチャーに過ぎなかったのでしょう。ですが、私は無意識の間にその手を取っていました。かつてしずくに手を引かれて歩いた時のように、ごく自然に手が伸びていたのです。
とはいえ、そうですね。生憎年末だったので、それを叶えるのは年始になりました。文芸部とは何ぞやと思って、部員募集のポスターを眺めていた頃です。後ろからちょんちょんと肩を叩く者がありました。それが小原まり、そして豊田莉子との出会いでした。
今だから言いましょう。なんだこいつらは、と思いました。初見の印象です。能天気そうな小娘と、友人の手伝いで部員集めをしているとか言うメガネ女。俳句甲子園とやらを目指しているらしいが、話を聞けばろくに俳句を詠んだこともないと言う。目眩がした。どうやったらそんな思考になるのだと思って、気づいた。
彼女らもまた、穴の底の人間なのだ。生真面目そうなメガネも、小娘の横穴に繋がった存在なのだ。そう気づいた時、私は文芸部に入っていました。
翌日、クラスメイトを一人一人見ていました。なんということでしょう、皆穴の底の人間ではありませんか。穴に落ちたら這い上がれない、そう思っていましたが、穴の上に人間などいなかったのです。結局、私の杞憂でした。ずれた人間になりたくなかったのですが、まさか、世の中にはずれた人間しかいなかったのです。それを承知で、皆生きていたのです。中学にまともに通っていれば、その程度のことにはすぐに気がついたでしょうに。
そうして私は、横穴も縦穴も好き放題掘りました。ただ面白いことを求めて、ただ幸せになりたくて。そのついでに、一人称をルリと改めました。しずくに呼ばれていた発音は瑠璃でしたが、どうにも綺麗な発音ができないもので、カタカナ表記が似合うでしょう。
その後のことは、姫ちゃんの小説でも読めば分かることでしょう。私たちは俳句甲子園に挑んで、負けたのです。その悔しさよりも、楽しかったと言えた幸せは、何よりも大きかったとは言えます。
ただ、以来私はしずくに言われたことを求め始めていました。友人に囲まれた次は、愛を知りたかったのです。小原先輩のきらきらとした目を羨み、先生の父性に惹かれ、宗谷くんと姫ちゃんの仲に嫉妬し、どうすれば恋ができるのかと、色々と模索していました。
難しい、ですね。私にはどうにも難しいです。先生に恋をしようとしても、クラスメイトに恋をしようとしても、どこか空虚なのです。今は宗谷くんにそれを任せようとしていますが、きっと上手に諭されてしまうのでしょう。しずくが愛を知れと言ったのは、そこまで深い意味ではなかったのでしょう。しずくが大切にしている「愛」というものを、私にも大切にしてほしかったのでしょうか。自分の分まで子供を生んでほしかったのでしょうか。いずれにしても、私が固執する理由はなかったはずなのです。
今になって、私にはしずくしかいないのだと、改めて思い知らされました。しずくは「自分の幸せ」を見つけるように言ったのに、私はしずくに言われた「愛を知る」以外の方法が思いつかないのです。ああ、だから愛が分からないのかもしれません。しずくで埋め尽くされた私の中に、他人を入れる余地なんてないのかもしれませんね。
最初に、これは遺書ではないと言いました。ごめんなさい、それは嘘です。私は夏の終わり、しずくの誕生日に、優しい夢の中で一人この生を終わらせようと思います。私は最後まで、しずくの手を離せなかったのです。もう、しずくを失った今、私は赤子のように泣くことしかできません。せめてゆりかごの中で、幸せな夢を見せてください。
愛すべき母、しずくの幸せを切に願います。
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