③
***
宗谷が持っていたそれは、瑞姫の小説『てふてふや』の原稿だった。昨年の文芸部の軌跡を描き、そして新人賞に落選した、他でもないその原稿。応募した原稿ではなくコピーに過ぎないが、宗谷が使う上では何の問題もなかった。瑞姫についても、引き出し深くにしまっていたコピーの安否を確認するような人間ではないというのが、都合が良かった。
「これを売ります」
宗谷は言った。瑠璃は顔を曇らせていたが、その原稿を眺めているうちに、段々と表情を回復させる。
「どうかしましたか」
「何もないです。ただ、紙束には良い思い出がないだけです」
売るというのは当然、原稿を直接ということではない。宗谷はこれを製本し、文化祭で販売すると言っているのだ。金銭のやり取りが生じる企画については事前の申告が必要なため、副部長である瑠璃は便利が良いのだ。いずれは桜や悠希、そして瑞姫にも話す必要があるだろうが、それはまだ先の話だ。
さて、宗谷に製本の経験などなければ、そのノウハウなどあるはずもない。ただ分かるのは、この原稿をコピーしたところで本にはならないということだった。瑠璃に目配せをすると、深く溜め息を吐かれる。
「なんで何も知らないのに行動力だけあるんですか、もう。面倒ですけど、全部入力してしまいましょう。それより、印刷所に頼むんですか、自家製本ですか」
瑠璃は飽きれた顔をしつつも、どこか楽しげに話す。パソコンの電源を付けては起動を待つ間、氷砂糖をひょいと口に投げていた。
「自家製本の方だと思います。俺が自分の手で作りたいんです」
「はーん。まあ頑張ることです」
瑠璃は氷砂糖をもう一つ頬張ってwordを開く。
「入力って、この原稿の一字一句をですか」
「ですです。文句なら今時アナログで書いてる姫ちゃんにお願いします。データ化したらコピペで済むんですから、時代の流れに逆らうのが悪いんです」
「は、はあ」
さあさあと椅子に座らされ、瑠璃が幾らか設定する。すぐそばにある瑠璃の体、ブラウスから透けるキャミソールのライン。見るまいと逸らした先に写真立てがあった。そこに写る瑠璃は中学生ほどの容姿だが、隣の女性は二十歳前後のようだった。
「二段組みで良いでしょう。いたずらにページ数が増えても面倒ですからね」
「そうですね」
言われて画面に目を戻す。二段組みの意味は知らなかったものの、上下に分かれたレイアウトを見て理解する。
「はい。一応ざっとこんな感じで良いと思うです。あとは勝手にどうぞ。瑠璃はもう何もしません。トイレは出て右の突き当りです。七時くらいに起こしに来てくれますか、二階に上がってすぐの部屋にいるので」
「何から何までありがとうございます。了解しました」
瑠璃は写真立てを伏せて部屋を出る。宗谷はすぐにでも書き始めようと思ったが、原稿を見ているうちに読み返したくなった。これを書いていた時は常に隣にいたが、改めて読んだことはない。大切なものを思い出すように、作品に没入する。
しばらくは瑞姫と宗谷のいない、小原まりを主軸とした物語。俳句甲子園を目指す彼女だったが、部員の集まらないまま数ヶ月が過ぎ、ついに諦めようとする。しかしその年のクリスマス、彼女は小学生時代の友人、誠二に出会う。彼とのやり取りの中でまりは自信を取り戻し、親友である莉子の協力を得て部員集めを再開する。
最初に出会ったのは瑠璃だった。自由奔放な性格が句にそのまま表れ、とても独特で魅力的な俳句を詠んでいた。瑠璃のクラスメイトでもある桜が、中学生の頃に県の俳句大会で優秀賞を得ていたことを知ると、三人で勧誘に向かう。だが、桜は俳句甲子園への嫌悪感を持っており、入部を頑なに拒否するのであった。三人は俳句甲子園の何に嫌悪感を示しているのか、その原因を探るうちに俳句甲子園への悪評を見つけてしまう。相手の俳句を強く批判する文化は俳句を愛する桜にとって、許しがたいものだったのだ。
俳句甲子園を変えよう、と言ったのは瑠璃だった。批判しない俳句甲子園のため、批評をする戦法で勝ち上がろうと意気込んだのだ。強い者の戦法を真似するのはスポーツでも常識だ。だったら批評戦法が優勝すれば、次々に真似をするチームが増え、いつか俳句甲子園から批判が消えるのだと、そう訴えた。桜にとって瑠璃の存在は特別で、彼女を信じてみようと思ったのだろう、その手を取るのは一瞬だった。
瑞姫と宗谷が加わるのは四月の話だった。小説を書きたくて文芸部に入る瑞姫、瑞姫と一緒に居たい宗谷。小説を書かず俳句ばかりに専心する部に瑞姫の不満が溜まるが、瑠璃の何気ない言葉で二人が俳句を始める。
そうして揃った五人は、いよいよ俳句甲子園に向き合うのだ。
顔を上げると、既に瑠璃を呼ぶ時間になっていた。ここからは俳句甲子園に挑む章に入るが、それよりも、宗谷は執拗なほどに書かれたある描写のことが気になっていた。そういうことか、と呟いて、瑠璃のところへ向かう。
二階の部屋は瑠璃の寝室だった。宗谷はノックをしては返事を待たずにドアを開けた。その癖のことを意識することもなかった。尤も瑠璃は眠っていたため、返事などできなかったのだが。
***
文化祭の日はやけに晴れていて、蒸し暑かった。体育館に扇風機を搬入する後ろを、吹奏楽の列が続く。ギターを背負ったバンドマンが、扉の高さを気にしながら歩いていた。展示の準備をしている教室では、最終確認だとか、シフトの調整が忙しい。
文芸部の準備は前日に済んでおり、この朝にすることはなかった。黒板には大きく「文芸部」と書かれ、その周りには悠希によって花や動物がふんだんに描かれている。
手持ち無沙汰な瑠璃は輪飾りを頭に乗せて遊び、桜は目の前に積まれた本のひとつを取ると、その表紙を撫でた。
「上手くいくと良いですね」
誰に向けた言葉でもないが、誰もが受け取った。それはあるいは、ここにいない二人にも届いただろう。悠希は室内を大きく一周して、本の一つを抱き寄せた。
「この本は、文月先輩が書いて、吉松先輩が作ったんですよね。まるで二人の子供」
「ふむ。そういう見方もありますね」
「私気になるんです。もし子供が不出来だったとき、親はどんな顔をするんでしょうか。上手くいかなかったとき、この子は生まれてこない方が良かったんじゃないかって、冷たい目を向けてしまうこともあるかもしれません。それはとてもつらいことです。誰にとっても、はい」
悠希は本を置き直すと、窓から外を眺めていた。一般入場まで時間があるというのに、他校の制服が校門に集まっている。
「文月さんと吉松さんに限ってそのようなことはないと思います」
「どうでしょうね。新人賞に落ちてあれだけ心折った姫ちゃんが、今度は本が売れないのを見て心折れるかもしれないじゃないですか。ルリは宗谷くんの行動が正しいとは言い切れませんが、どうなるかは見たいですね」
桜のフォローを瑠璃が切り捨てる。瑠璃の目は笑ってはいなかった。むしろ今にも泣きそうな目で、輪飾りを膝に置いた。教室はしんと静まり返って、廊下を慌ただしく走る音ばかりが響いていた。
「もう私たちにできることは、信じて待つ、ただそれだけなんですね」
悠希の目には制服の行列が映っていた。チャイムが鳴ると、遠くで歓声が上がる。
文化祭が、ついに始まったのだ。
宗谷が何度インターホンを鳴らしても、瑞姫は一切の反応を見せなかった。家の中からは足音の一つも聞こえず、とても人が住んでいるとは思えない。
「まだ寝てるんだろうな」
宗谷はぽつりと呟いた。手提げには母親から預かったパンや惣菜が入っている。普段は母親が届けていたものだが、今日に限っては宗谷の仕事だ。インターホンをもう一度押して、玄関にもたれて座り込んだ。
長く息を吐いて、空を見上げる。一塊の綿雲が青空を泳いで、初夏の風が重い。ポケットに入れていた飴玉を取り出すと、包み紙にひっついたそれをぺりぺりと引き剥がす。
考えていたのは昨年の今日のこと。瑞姫は大切な日ほど寝坊を重ねる性分で、宗谷が何度起こそうとも、寝返りを打つばかり。諦めて遅刻をすることにした宗谷だったが、瑞姫は起きてこう言うのだ。どうして起こしてくれなかったの、と。どうして起きなかったのか、というのは宗谷の台詞だった。
瑞姫が起きてからは大慌てだった。寝癖を直したもののヘアゴムを切らしていることに気付き、通学中に買おうと考えるも、いざ家を出てみれば二人して財布がない。取りに帰る時間も惜しく、校則違反の素髪登校。担任は文化祭だからと黙認、結果オーライ。てんやわんやの橋枝高校文化祭には、最もお似合いな朝だった。
思い出し笑いをして、もう一つ思い出す。そんな瑞姫も俳句甲子園の朝は早起きだった。緊張で目が覚めた、などではない。物語を前に気が急いていたのだと言う。
瑞姫は俳句を「読む」ことに長けていた。作者の意図をも超えて、その句の魅力を最大限に引き出し、その世界を創り上げる。そんな読み方をする。それは瑞姫にとって、新たな物語との出会いに他ならない。彼女にとっての俳句甲子園は、俳句の、物語の山。ただ図書館を歩き回るようなものだった。物語を前にした彼女は、寝てなんかいられない。
しかしそう考えてみると、こうして寝坊している彼女にとって、文芸部とは、文化祭とは何なのだろうかと、宗谷は思わずにはいられなかった。彼女にとって、現実とは物語ではないのかもしれない、と。
小さくなった飴玉を一思いに噛むと、木の軋む音、階段を下りる音がした。一歩一歩が遅く、不安定なリズム。手すりに掴まってうつらうつらしながら降りていることだろう。玄関に向かって来る足音に合わせて、宗谷は立ち上がる。
「お母さん……? インターホン鳴らしてくれたら良いのに」
ドアのガラス部から瑞姫の影が見えた。瑞姫はそこにいるのが宗谷だとは知らず、いつもごめんなさい、と謝り、扉を開ける。
「おはよう、姫」
「……何、してるの」
瑞姫が扉を閉めようとするが、宗谷が咄嗟に足を挟み込んで止める。
瑞姫は顔色も良く、大きな肌荒れがあるわけでもない。思春期特有のニキビが頬に一つあるくらいた。パジャマはいつもの空色で、左の髪が外に跳ねていた。宗谷の想像と違う、健康的な姿。
「これ、届けに来たんだ」
宗谷が手提げを差し出すと瑞姫は困った顔をして、ありがとう、と小さく言う。瑞姫はドアから手を放した。ドアの内と外に立ったまま、二人は話し始める。
「思ったより元気そうだな」
「お母さんが、いつも来てくれるから」
瑞姫は目を逸らしながら言う。
「学校、行かないのか。今日は文化祭だぞ」
「行かない。みんなに合わせる顔がないよ」
「なあ、小説を書くって言ったよな。文芸部の皆で新しい物語を作るんだって、そう言ったよな。あれはどうするんだ」
「もう、無理だよ。私にはもう何も書けないの。私にはもう創作はできないの」
ただ自信をなくしてこう言っているわけではないと、創作者ではない宗谷にも、それは分かった。宗谷はそのくらい、瑞姫の創作を隣で見てきた。
「私、宗くんのために書いてたんだ。宗くんと一緒にいたくて、宗くんに笑ってほしくて、そのために本を書いてたんだ。なのに、なのに、私は宗くんの幸せを壊すばっかりで……もう、何もできないよ」
「なら書いてくれ。姫と、皆と一緒に物語を紡ぐのが俺の幸せなんだ。だから」
瑞姫は涙声にも近い、まるで腹に刃物でも刺さったかのような溜め息を漏らした。苦しみと悔しさと、そして後悔の音だ。
瑞姫は玄関マットの上に腰を下ろすと目を擦った。
「……宗くんには分かんないよね。創作ってね、誰にでもできるわけじゃないんだ。世に創作って呼ばれるものは溢れてるけどね、本当に創作と呼べるものは本当に少ないの。才能、なんて呼ぶのは創作に失礼だから、もっと丁寧に言うとね、神様に選ばれないと、創作はできないんだ。しあわせな苦しみだとか、恐ろしい喜び、あるいは人間の手に負えない思考、あるいは罰のように抱えた病、そういったものを代償に、やっと創作は完成するんだ。だからさ、宗くんだって聞いたことあるでしょう? 癌で余命一ヶ月の人が書いた詩。冤罪で仕事も家族も失って、ストレスで目も見えなくなった人が書いた本。芸能界で大ヒットして、子を授かって、幸せの絶頂で書いた記事。猟奇殺人で逮捕されてから、獄中で書かれた日記。そういったものに心震わせたことはない? 創作っていうのはね、本当に大きな衝動であって、命そのものなんだよ。そうでないものは創作として一歩足りないものを抱えたままで、ずっとずっとその先には行けないの。その一歩が、創作者にはあって、それ以外にはないの」
「分かんねえ。俺は創作者じゃない。だから分かんねえ。姫が言いたいことを、俺に分かるように言ってくれ」
「もう、私にはその一歩、衝動がないの。だからもう、今の私には創作ができなくて、ただ醜い言葉の羅列だけがそこにあるの。でも、それを私の成果物として出すほど、私は泥が好きじゃないんだ。きっと話に聞いた彼もそう。水の音が聞こえなくたって、十七音は幾らでも降って来たと思うの。ただ、そのどれもが都会の泥に塗れていて、彼の創作に数えるなんてできなかったんだ、きっと」
宗谷には全く分からなかった。彼女が何を言っているのか、彼女が何を言いたいのか。ただその目が、その焦点が宗谷にないことだけが分かった。
分からないでしょう、と言うように微笑んで、瑞姫は立ち上がる。
「ねえ、宗くん。上がってよ。見せたいものがあるんだ」
玄関の向こうに足を踏み入れた。冷たい空気が足元をさらうように流れて、靴紐を解く手が重い。瑞姫は廊下奥、リビングへと歩いた。靴を脱いだ宗谷がそれに続くと、足跡がくっきりと残るほど、埃が積もっている。
「ごめんね、掃除。しないといけないんだけど」
「気にしなくて良いよ。それで、見せたいものって何だ」
軋みつつドアが開く。どんよりとした空気の漂うリビング。瑞姫は撫でるように「それ」の埃を払い、咳き込む。
「宗くん、覚えてるかな。もう、十年も経ったんだよ」
「ああ、覚えてるよ」
「それ」は宗谷の記憶に懐かしく、しかし随分と小さくなってしまったと感じさせた。かつては背丈の二倍ほどもあり、ジャンプしても頭に届かなかった柱時計。今では文字盤が目線の高さで、金色だった針はくすんだ銅色になっていた。この部屋を象徴するように、針は一切動かない。
「お母さんが入院する日も、ここで遊んでたんだよね。小学生になったっていうのに、積み木なんてしてさ」
「あの頃はどっちが先に時計より大きくなるかって、競い合ってたな」
「そうそう、結局二人とも同じ身長で、時計も同じ身長だから引き分けだね」
「いや、俺はまだ成長期だぞ。むしろ今からってくらいだ」
「それはやめてほしいなあ」
笑い合う二人。余韻もなく、無表情に戻る二人。
「あの日、お母さんがしばらく帰れないって聞いた時、ずっとここで泣いてたんだ。そうしたら、宗くんが言った。『この時計くらいおっきくなったら、ぜったい姫の母さんも帰って来る!』って。そんな訳ないって思ってたけど、本当になっちゃったね」
その顔が本心から笑っていないのを見て、宗谷は鞄を開けた。中から一冊の本を取り出し、瑞姫に手渡す。
「姫。その通りだよ。本当になったんだ、全部。『この時計くらい大きくなったら、宗くんをびっくりさせるすごい本を書くんだ』って姫は言ってた。だから、全部叶ったんだ」
「何……これ?」
表紙に書かれた「てふてふや」の表題、そして文月瑞姫という著者名。印刷して中をホチキス留め、端を切り揃えて製本テープを貼っただけの簡易製本。瑞姫は何事かと思って中を捲り、そうして、本から目を離さないまま喋り出した。
「え、宗くん。何、これ?」
「姫の本だよ。ルリ先輩に手伝ってもらってさ」
「そう、じゃないよ。なんで、こんなことしたの」
瑞姫は顔を上げない。怒気を潜めた声で尋ねる。
「俺がそうしたいからだ。俺は創作者じゃないけど、それでも姫の物語を支えていたい。姫の作品を皆に届けたいんだ。それが俺にできることだから」
「違うよ! なんで、なんでこんな、こんなものを――」
瑞姫は本を宗谷に投げつけようとして、その表題が目に入り、踏みとどまった。そのまま力をなくした腕が宗谷の胸を叩いた。宗谷はその肩を掴むと、瑞姫に目を合わさせた。今にも落としそうになっている本を取り、持ち直させる。
「こんなもの、なんて呼ぶなよ。確かに賞には落ちたさ。でもそれは姫の作品で、俺たちの物語なんだよ。賞が何だ、創作が何だ、それは立派な姫の作品だろ。もっと誇って良いんだよ、もっと大切にしろよ。それは、「てふてふや」は、俺をびっくりさせるすごい本なんだよ! 頼むから、終わらせないでくれよ。続きを書いてくれよ。俺たちの物語は、姫にしか書けないんだよ。それに、そこに姫がいないとダメなんだ。だからお願いだ、一緒に来てほしい。姫にもう創作ができなくたって、俺が支えてやる。俺は創作者じゃなくても、姫の幼馴染なんだ。だから、頼むよ」
宗谷は深々と頭を下げて、右手を差し出した。瑞姫はその手と、自分の持つ本との間で視線を迷わせ、胸の奥からこみ上げる言葉の数々を声に出せずにいる。自分の作品が、文芸部の思い出が本になることをずっと夢見てきた。賞を取れば本になって、本になれば永遠に残ると思っていた。あの輝かしい日々が、確かにそこにあったのだと、証明が欲しかった。
それが今、思いもしなかった形で叶っている。手に確かに重い本に、あの文芸部が生きていた。それに安堵したから、と言えば短絡的だろう。手にはかつての五人がいて、目の前には宗谷が手を伸ばしている。瑞姫はやっと今と向き合い始めた。
伸ばされた手を取った勢いのまま宗谷に飛び込み、その胸に顔を埋める。嗚咽を吐きながら宗谷の服を掴んで、すがるように引っ張っていた。
「宗くん……宗くん、宗くん……ばか、ばかばか……ばか。寂しかった。一人の夜が怖かった。朝になっても宗くんが起こしに来ない、誰もノックしてくれない。私が望んだのは、こんな形じゃなかったのに」
「悪かった、悪かったよ……」
同じ身長のはずなのに、抱き締めた瑞姫はどうしても小さく感じられる。二人はもう子供の体ではなくなっていたが、子供の頃と変わらない二人でいる。
「宗くんは、かっこいいよ。いつもいつも、物語の主人公みたい。いくら年月が過ぎても、いくら背が伸びても、宗くんだけは変わらないでいてくれる。私、そんな宗くんがずっとずっと、好きだよ」
「ああ、俺も姫が好きだよ」
瑞姫は優しく微笑んで、宗谷には聞こえないよう、いじわる、と呟いた。瑞姫の嗚咽が止まるまで、抱え込んでいた苦しみを吐き出し終えるまで、宗谷はその背を撫でていた。
やがて瑞姫が顔を上げた時、本の表紙が数滴の涙を含ませていた。
「文化祭に行こう。皆が待ってる」
「うん、行く」
リビングを出ると、二人して廊下の明るさに目を眩ませる。瑞姫は目を擦り、ちょっと待って、と言って階段を上る。空色のパジャマが二階に消えて行くのを、宗谷は清々しい顔で見つめていた。
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