吉松宗谷

 いつだって人間の選択には責任が付き纏う。その責任というのは他人に支払うものではなく、自分に降りかかる呪いだ。それは例えば誰かと結婚した人間が、一生その誰かに縛られて生きていくような。人間には択を曲げる権利があるが、択を曲げたという事実がまた、新たな呪いとして降りかかる。

 だからこそ人間というものは、一度決めたことを易々と曲げてはいけないのだ。

「お待たせしました」

 入浴を済ませた彼女が部屋の明かりを消した。彼がベッド脇のランプを灯すと、橙色の光が柔らかく広がる。彼の表情はそんな光の中で、やけに神妙に映っていた。

 ぎいい、とベッドが大きく軋む。少女はベビードールの上から自分の胸に触れると、そのまま下に撫で下ろす。

「本当に良いんですか、姫ちゃんのこと」

 聞きながら、彼女は彼の膝に乗る。見つめ合ってから首に手を回した。勿論、その返事は決まっている。彼はそれを選択したのであり、今更変えるような人間ではない。彼女はそのまま唇を突き出して、目を閉じた。

「良いんです。姫は創作者で、俺は何にもなれないどうしようもない人間なんです。それでも、俺にできることがあるなら、するべきだと思います」

「そうですか」

 彼女は彼からの動きがないと感じて、目を開ける。彼は目を逸らしていた。現実を受け入れきれずにいるように。しかし、彼の性器が反応していることを感じると、じれったくて、彼をベッドに押し倒す。

「約束は約束です。私に、愛を教えてください」

 彼は、宗谷は瑠璃を抱き込んだ。全ては瑞姫のためだと、胸中で訴えながら。


  ***


 瑞姫を新しい家族として迎え入れた時、宗谷は違和感の中にいた。夕方以降も瑞姫と一緒にいることだとか、今までの明るさがない瑞姫のことだとか。

 先に生まれたのは宗谷だが、これまでは男女の成長の差から、瑞姫が姉のように振る舞っていた。それが崩れただけでも彼には大きな出来事で、せめて年上なりに瑞姫を引っ張ろうと考えたのも自然なことだろう。

「思えば、あの違和感がずっと続いていただけなのかもしれません。俺は姫を本当の家族とは見れなくて、その距離を掴み損ねていたんだと思います」

「ふうん。要は姫ちゃんを姉とも恋人とも見れず、中途半端に終わったんですね」

「……はい」

 当初は瑞姫自身も戸惑っていた。家族という生活の基盤が変わり、自分の立ち位置を探していた。しかし、吉松の家は既に役割分担の完成した家で、瑞姫がそこに立ち位置を求めるのは非常に困難だった。彼女は家事を手伝おうとするが、子供の手などかえって邪魔になると、すぐに悟った。

 聡い子であった瑞姫は、だからこそ、役割に割り込むのではなく、役割を足すように動き始めた。そして見つけた、家族に享楽を与える役割。母への寂しさを紛らわすために書いた本を、宗谷一家はそうとは知らぬまま楽しんだ。彼女は以来、本を書いては宗谷に、新しい両親に読ませることで家族に溶け込んでいった。

「だから姫にとって、創作は吉松家に対する帰属意識と同じだったんだと思います。だから創作に対するプライドが高くて、それができなくなったことに焦っていたんでしょう」

「ふうん。それがいつしか人生の目的になったって訳ですか。創作をしないと生きてる意味もないだなんて、よく言ったものです。ただの帰属心を」

「それは違うと思います。家族と共に生きることは、人生の土台じゃないですか。そこが崩れるのは、生きていないのと同じです。姫はきっとそういう意味で」

「……そう」

 瑠璃はとても寂しそうに、笑った。


  ***


 瑠璃の体を抱いたまま、宗谷は微動だにしなかった。瑠璃がその腕を解こうとするも、宗谷との力には性差がそのまま表れる。

「どういう、ことですか」

 瑠璃が怒気を孕んだ声を上げる。宗谷の顔を見ようとするも、抱かれたままの体勢ではそれも叶わない。

「俺にはできません」

「私に恥をかかせるのですか」

 じたばたと暴れる瑠璃をじっと抱き続ける宗谷。その目には薄暗い天井が映るばかりだった。瑠璃の抵抗は非力で、宗谷の体をいくら殴ろうとも、びくともしない。

「そんなつもりじゃないです」

「セックスが嫌いなんですか」

「そんなんじゃないです」

 瑠璃はふと思いついて、体と体の間に腕を滑り込ませるようにして彼のズボンをまさぐり、睾丸を引っ掴んだ。

「意味が、分からないんです!」

 思いきり睾丸を握ると、宗谷が呻いた。痛みに悶えて手を解いたところで抜け出し、距離を取った。

「いった……それはずるくないですか」

 股間を押さえてうずくまる宗谷に、瑠璃は罪悪感を覚えていた。その罪悪感で熱が冷めないうちに、もう一度怒りを沸かす。

「ずるいのはどっちですか、約束を破っておいて」

「先輩に手を出すなんて、俺にはできません」

「姫ちゃんのせいですか。今更そんなことを言うのですか。自分で選んでおいて、優柔不断が過ぎるのではないですか」

 宗谷は否定も肯定もしない、それこそ優柔不断な顔で瑠璃を見ていた。股間の痛みも徐々に落ち着き、起き上がっては乱れた服を整える。

「約束は先輩に愛を教えるということです。でも手を出したところで、それは俺からの愛ではありません」

「性と愛は違うって言いたいんですか。そうやって姫ちゃんを抱いてあげないから愛想を尽かされたんでしょうに」

「そんなんじゃないです」

「そんなんですよ。人間なんて快楽には勝てないんです。姫ちゃんに居場所を与えたかったなら、さっさと抱いて恋人としての立ち位置を与えれば良いんですよ。創作が帰属意識だとか、そんなまどろっこしいことさせてるから愛想を尽かされるんです」

 目を合わせると、瑠璃は皮肉ったように鼻を鳴らした。宗谷はベッドの上で立ち上がり、ほんの二歩で瑠璃に歩き寄る。

 そして、その頬を引っ叩いた。とても乾いた音がした

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る