昼下がりの鐘が鳴ると、小原先輩のティーカップが久々にお湯を受けた。昨年は俳句の練習に雑談に、何をするにも何もしないにも部室に集まっては、こうしてお茶会をしていた。

「それで、先輩はどうしてここに?」

 紅茶を蒸らしつつ、宗くんが尋ねる。

「連休だからね、莉子ちゃんと帰って来たんだ。今日は先生たちに挨拶に行って、それで……懐かしくなっちゃって、ちょっと寄り道。莉子ちゃんもそのうち戻って来るよ」

 莉子ちゃん、というのは豊田莉子先輩のことだ。私との直接の関わりは薄いが、この文芸部が小原先輩一人だった頃、部員集めに協力してくれた方。受験勉強の邪魔になりそうでろくに取材もできず、彼女のエピソードはあまり作中に出せなかった。それでも、陰から文芸部を支えてくれていた人だ。

「わざわざ制服着て来たんですか」

「ああ、そう、そうなの。それね、莉子ちゃんにも笑われちゃって。私服で来て良いって知らなくて」

 先輩は苦笑する。相変わらず抜けた人。

「大学生活はどうですか」

「すっごく楽しいよ! クラスに俳句の話が通じるひとも見つかったり、文藝部の新歓でお鍋囲んだり。最近は小説書くのにも興味出てきたんだ」

 先輩の笑顔が、胸にずんと重かった。

「先輩」

宗くんが割り入るように声を上げるが、遅すぎた。

「うん? どうかした?」

「宗くん、やめてよ……気を遣われるのも、あんまり嬉しくないよ」

 自分でも分かっている。いつまでも引き摺るべきではない。いつか先輩にも言わなければいけなかったのだ。それが昨日の今日だっただけで。

 先輩も察して、表情を暗くする。

「瑞姫ちゃん……だめ、だったんだね」

「…………はい」

 宗くんが紅茶を用意し終えて、先輩には砂糖とミルクを、私の方には砂糖のみを置いた。

「ごめんなさい」

「謝ることじゃないよ」

 私は不意に謝っていた。先輩は私をなだめるが、どうしても、申し訳なかった。あれは私だけの作品ではなかったのだから。

 先輩は紅茶をふうふうと冷まそうとして、飲めないままにカップを置いた。

「瑞姫ちゃんは、この部の生活は楽しかった?」

「はい、とっても……本当に、何よりも。ただ……だからこそ、あの本は大切にしたかったんです。賞を取って、出版されて、たくさんの人に読んでほしくて」

 宗くんが背中をさすってくれる。泣きそうで、泣いてしまいそうな、そんな私を支えてくれていた。

「なるほどね、そっかあ」

 先輩は、くすっと笑いかける。

「ねえ、瑞姫ちゃん。瑞姫ちゃんは、作品に満足してる?」

「はい、勿論です」

「評価されたかった気持ちは分かるよ、みんなの思い出を託した本だったもんね。でも、評価されなかったからって、その作品が悪い訳じゃない。言いたいことを言えた、書きたいことを書けたなら、それが一番大切なんだよ」

 先生の受け売りだけどね、と先輩は付け足す。

「確かに、その通りです……ただ、それでも、このもやもやした気持ちが片付かないんです」

「なら、また書こうよ。またこの部で、次はもっと素敵な思い出を作ろうよ。今度こそ賞が取れるかもしれないし、取れないかもしれないけど、だめだったものは変わらないんだから。せっかくなら、これからを楽しもうよ」

「また、小説を?」

「うん。瑞姫ちゃんならできるよ。ずっと、夢だったんでしょ」

「…………」

 先輩の言葉に、すぐには返事が出来なかった。それが正論だったからだ。そういえば、初めて小説を書いた日から、その根幹は変わっていなかった。私は小説が好きだ。まだ、諦めたくはない。小説を書かないなんて私らしくもない。

 宗くんと目を交わして、大きく息を吸い込んだ。賞はまた取れないかもしれない。また落ち込んでしまうかもしれない。それでも、私はまた小説を書くのだ。宗くんと、そして文芸部のみんなと、最高の思い出を語り継ぐために。

「私、書きます。また、小説を書きます。今度は、今度こそは」

 大きく揺れた若葉が夏の始まりを告げていた。五月の空は、眩しいほどに青い。



 紅茶を飲み干した頃、豊田先輩が部室に来た。紅茶を入れようとするが、手持ちのお茶があるから、と断られる。

「久しぶりだね。瑞姫ちゃんに……そうそう、宗谷君だっけ」

「正解です。豊田先輩はどうですか最近は」

「まだ何とも言えないかなあ。実習とか始めると大変って聞いてるけど、まだオリエンテーションばっかりだから」

 豊田先輩は、都内の医学部に進学したらしい。何でも両親からして医者の家系らしく、彼女もその道を選んだということだ。彼女が部員でなかった理由は、受験勉強に真剣だったからだけではなく、曰く創作の才能がないから。彼女の俳句を見たこともあるが、本当に才能がないのか、真偽は定かではない。むしろ才能がある部類だと私は思っている。

「あなたたちこそ、どうなの最近は」

「どう、と言いますと」

 宗くんがティーセットを洗いつつ応じる。

「俳句甲子園。そろそろ締め切りじゃないの?」

「ああ、そうだ。それ私も聞きたかったの。部員って新しく入ったの?」

 宗くんと目を合わせた。そして、先輩方に向けて首を振った。戸棚のティーカップは、埃を被り始めていた。

 俳句甲子園とは、五人一チームで行われる大会だ。小原先輩は、あれを最後に引退し、受験勉強に専念し始めた。

「モチベーション、ですかね。また出ようとは、あまり……」

「特に、その……ルリ先輩が来なくなったのが」

 私の補足に、小原先輩は納得してしまい、苦笑いを浮かべる。

「るりちゃんは気分屋だからねー、難しいよね」

 ルリ先輩というのは苫屋瑠璃先輩。面白いことに目がなく、普通という言葉を極端に嫌う人だ。もはや変わったことをするために生まれてきたような人で、非常に飽き症でもあった。冷めやすいだけに熱しやすく、その熱が私たちを引っ張っていたのも確かだ。

「桜ちゃんはどうなの?」

「ルリ先輩がそうならって、お手上げですね」

「そっかあ、難しいね」

 もう一度私たちが結束するには、きっかけが足りない。いつだって、物語の始まりには動機が必要なのだ。私たちには、それがなかった。

「先輩は、どうして俳句甲子園を目指したんですか」

「私は……うん。知ってると思うけど、私の先輩たちが負けたから、かな。先輩たちが全国に行けなかったから、その代わりと言ったら何だけどね」

 それについては本にしたから知っている。あの本は、そこから始まった。

「あと、ここだけの話、先生にああ言われたからっていうのが一番かも」

「『小原が大人になれば分かるさ』ですよね」

 そう言うと、四人とも笑い出す。

「嫌味な先生だよね。でも、そういうところなんだよね。なんだかんだ先生の言うことは説得力があって、私たちに必要なことをしっかり見てる。だから、『先生』なんだよね」

 小原先輩は、懐かしそうに、優しく微笑む。

「あんまり言われると、俺も照れるんだがな」

 その声に振り返ると、先生こと文芸部の顧問、西村先生が入って来た。殊勝な態度で、腕を組んでいるのが常。

「懐かしい声がすると思えば。久しいな、小原に豊田」

「久しいって、たった二ヶ月じゃないですか」

「女子三日会わざれば、だな」

 それを言うなら男子ですと、小原先輩が突っ込む。

「おう、そうだな。一つだけ良いことを教えてやる。小原と豊田も、よく聞け。何事も、しない理由の方が見つかるものだ。あれが嫌だから、これが面倒だからと言っていれば、何もしなくなる。だからこそ、動機はもっと気楽で良い。楽しいか楽しくないか、それだけだ」

 じゃあな、と言い残して、先生は廊下に消えて行った。

「先生だね」

「うん、先生だった」

 先輩方が笑い合う。つられて、私たちも笑い出す。いつだってそうだ。妙にタイミングが良くて、いつも、全部見ているかのように語るのだ。

 ふと、小原先輩が立ち上がる。

「それじゃあ、私たちはそろそろ」

「もう行かれるんですか」

「こんなに長居する予定でもなかったからね。ごめんね」

 そう言われて、ここで出会ったのが偶然だったと思い出す。

「小説、完成したら読ませてね」

 豊田先輩のそんな言葉に、くすっと笑う。

「はい、著作者価格で取り寄せますね!」

「よく言うわ」

 楽しみにしてるよ、と残して豊田先輩が先に出る。小原先輩は思い出したように、くるっと振り返る。


 花は葉に愛にもさまざまなかたち


「俳句……?」

 宗くんの口から、ぼそり、と漏れる。

「これね、大学の句会で褒められたの。瑞姫ちゃんたちを想って詠んだから、上手くいってよかったよ」

 先輩の笑顔が眩しい。俳句に久しぶりに触れたということもあるが、それ以上に、どうしようもなく楽しそうなのだ。かつては五人で、こうして笑っていたはずなのに、先輩の笑顔が遠い。それでも、たった十七音のそれが、胸の底へとどうにも温かく響いてくる。

「愛にもさまざまなかたち。良いですね、これ。どう読んだら楽しいでしょうね」

 一番面白い読み方をしろ、とは先生の言葉だ。家族愛、自己愛、同性愛、性愛、禁断の愛。それこそたくさんの愛がある中で、誰を主人公にして、誰と誰の愛が詠まれているのか、そういった想像を膨らませるのも、俳句の醍醐味だ。

「まり、そろそろ時間危ないよ」

 豊田先輩が催促すると、小原先輩は時計を見て驚く。

「もう時間なさそうだから行くね。瑞姫ちゃん、宗谷くん、その……元気でね」

「はい! 先輩も、どうかお幸せに」

 悪戯っぽく笑うと、小原先輩は顔を赤らめる。

「もう……! ばいばい!」

 そして扉に隠れるように、部室を後にした。二人、振っていた手を下ろすと、部室は急に静かになる。宗くんと目を合わせるも、言いたいことはあるのだが、何も言わない。

「姫、帰ろうか」

「うん」

 宗くんもきっと同じことを思っていて、しかし言葉にはしない。この気持ちを私は知っている。宗くんも少なからず知っているだろう。うずうずと、胸の奥から湧き上がるこの心は、闘志と呼ぶものだ。

 すぐにでも帰って、小説を書きたかった。汗ばみながら待つ信号も、子供の後ろを歩く歩道も、何もかももどかしかった。夕暮れの鐘と共に帰り着いた私は、一目散に自室へと駆け込んだ。鉛筆を取り、裏紙にプロットを書きなぐる。

「入るぞ」

 ノックに返事はしない。私たちの間では、ノックは意味を成さない。形式ばかりが残るのは、人間らしいと言えるだろう。たまに返事をするときは、つまり鍵を掛けているときは、一人にしておいてほしい時か、着替えの最中くらいだ。

「どうだ、書けそうか?」

 先輩の前ではああ言ったものの、本当はまだ怖かった。でも、それ以上に、私は小説を書くのが好きだった。

「楽しいか楽しくないか、だよ」

 そうか、と素っ気なく返し、宗くんはベッドに腰掛ける。

「話しても良いか」

「うん」

「去年のことだけどさ。姫は小説が書きたくて入部して、でもルリ先輩への恩返しとして俳句を始めたわけじゃないか」

「そうだね」

「じゃあ、また俳句を……また俳句甲子園に出たいと思うか?」

「…………」

 私は鉛筆を置いた。実際、分からない。そして、よく考えてみると、去年の五人は誰ひとりとして、俳句甲子園に出たくて俳句甲子園を目指していたわけではない。

 桜先輩は元々、俳句甲子園に出たくないと言っていたが、ルリ先輩に流されただけ。ルリ先輩は面白いことがしたかっただけ。私はルリ先輩に恩返しをしたかっただけ。宗くんは私に付いて来ただけ。

 そして小原先輩も、元を正せば、先生の言葉の意味を知りたかっただけだ。

 全員の歯車が、どうしてか噛み合って俳句甲子園に向かったのであって、そもそも誰も俳句甲子園に向かってはいなかった。

「じゃあ、宗くんは出たい?」

 宗くんは首を横に振る。

「俺は、俳句が楽しいんじゃない。五人で語り合うのが楽しかったんだと思う。少なくとも、俺はまだ俳句の楽しさを知らない」

 そうだろうとは思っていた。宗くんは特に、文学からは疎い人間だから。

「でも」

 宗くんは言葉を続ける。

「部活なんてそういうものだと思う。漫研に漫画を描きたくて入部する奴なんて少数で、音楽が好きでバンドを組む奴なんて滅多にいないと思ってる。少なくとも、部活っていうのは、もっと気軽で良いと思うんだ」

「それ、本気の人に失礼だよ」

 軽く笑いつつも、困ったことに、全てが一点に収束してしまうのだ。楽しいか、楽しくないか、なのだ。

「俺は文芸部の皆でする全てが楽しい。姫もそうだ。だから、俳句甲子園に出よう」

「……でも、それって俳句甲子園じゃなくても良いんじゃないの?」

「そうだな。皆とするなら何でも良い。だからこそ、せっかくならもう一回出ようじゃないか。小原先輩のためにもな」

「でも待ってよ、あと数日なんだよ、部員だって足りてない」

「それが、大丈夫なんだ」

 宗くんから一枚の紙を渡される。その紙を見て、私は目を見開いた。

「どうしたの、これ」

「先生からこっそり渡されたんだ。言い出すタイミングが見つからなかったけど」

「入部届……」

 一年三組の、竹柴悠希さん。聞いたことのない名前だった。一年生に知り合いなどいないのだから当然ではあるが、私は動揺していた。

「偶然か必然かは知らないが、これでメンバーは揃ったわけだ。残りは桜先輩とルリ先輩の説得、そして句作だ」

「待って待って待って、無理だよそんなの! あと何日かで句を用意して推敲して……そんなの間に合うはずない! 去年だって二週間掛かったんだよ!」

「間に合わなかったらドンマイだ、そのときは出場を辞退したら良い。ダメ元なんだ、多少の無理は良いだろ」

 宗くんがにっと笑って、私はそれ以上返す言葉がなかった。

「うー……私の負け。良いよ、やろっか」

 書いていたプロットをくしゃくしゃに丸めて、ゴミ箱に捨てた。そのままベッドに倒れ込む。新しい小説なんて書いている暇はなさそうだった。もっと新しい物語が、ここから始まるのだ。

「じゃあ、俺は先輩達に電話するから。制服、早いところ着替えた方が良いぞ」

 はーい、と返事をして、部屋を出る宗くんに手を振る。足音が聞こえなくなるまで、息をひそめていた。

「まったく、こういうときばっかり強引なんだから」

 悪態をつきながらも、私の頬は上がっていた。ああいうところが格好良くて、ああいうところが好きなのだ。

 制服を乱暴に脱ぎ捨てて、枕をぎゅっと抱き締める。

「枕……枕に、枕を……」


 枕を抱く幼馴染のその笑顔


 改めて自分で俳句を詠んでみると、どことなく安心する。季語がないのを気にしてみるが、これは要らない、と思い直す。そして、そのまま夕飯まで眠り込んだ。



 その夜、私は宗くんの部屋をノックした。返事を待たずにドアを開けると、宗くんは机に向かって何かを書いていた。

「宗くん、ちょっと良い?」

 宗くんはペンを置いて振り返る。そして、私の持つ枕を見て、察したとばかりに笑みをこぼす。上手く眠れないのは夕方の仮眠だけのせいではない。

「参加締め切りが明々後日の九日、投句締め切りがその二日後の十一日だとさ。一応先輩達には電話したから、明日も部室に行こうな」

「う、うん」

 返しつつ、ベッドに座り込む。枕は膝に抱く。

「今日は何も書かないのか?」

「短いの書こうか迷ったんだけど、しばらく執筆力を溜めたくて」

「何だそれ。溜めたら何か使えるのか」

「うーん……魔法とか? 手が三本になるみたいな」

「三本になったところで意味あるか?」

「ううん、ないかも」

 宗くんが呆れたように笑って、私の隣に来る。宗くんが座ると、ベッドが苦しそうに軋む。

「あれ、何書いてたの?」

 そっと机を指差す。

「俳句だよ俳句。俺は今から始めないと間に合いそうにないからな」

「あ、そっか……今年の兼題って何なの?」

 兼題というのは、俳句のお題のようなものだ。俳句甲子園では、事前に指定された季語で俳句を用意しなければならない。

「陽炎、しゃぼん玉、立夏」

「なんかぼんやりした季語多いね」

「陽炎と立夏は分かるけど、しゃぼん玉もか?」

「何だろう、なんかこう……言葉にしづらいんだけど、儚いと言うか、はっきりしない感じ? ふわふわしてる」

 私の言葉に、宗くんは難しい顔をする。彼は感覚的な話が苦手なのだ。代わりに論理的な話は大好きで、私とは正反対だ。

「宙に浮いてるって意味ではなさそうか」

「うーん、それもあるかも。ふらふらしては消える感じで、命が短いって言うのかな」

「なるほどなあ。何となく分かってきた」

 俳句において感覚にせよ論理にせよ、季語を理解することは重要だと思っている。特に、その季語の本質というものは、辞書を引いただけでは分からない。

「それで、何か詠めたの?」

「全然。久しぶりだと詠めないな」

「久しぶりじゃなかったら?」

「時間の問題だな」

 宗くんの悪戯っぽい笑みに、悪戯っぽく笑い返す。少しだけ眠気が生まれてきたようで、欠伸をした。

「ねえ、小原先輩の句、宗くんはどう思う?」

「愛の句か。そうだな……もう少し景を見せた方が良いんじゃないかとは思ったな。愛を詠む割には人が見えてこないと言うか」

「うーん……まあ、そっか。私たちを見て詠んだって言ってたもんね」

 花は葉に愛にもさまざまなかたち、恋の句を詠むのが好きな先輩が、愛を詠んでいるというのが、まず可笑しかった。

「これね、私は、さまざまなっていう部分が大切だと思うの。だってつまり、二つ以上の愛を見てきたってことじゃない? 誰が何を愛してるのかは読者の想像次第だけど、どんな愛を想像しても、この句が伝えたいことは一切変わらないよね。それに、この句はある意味、読者を試してるような気もする」

「試す?」

「そう、試してる。幾つもある愛の中から、最初に浮かぶのはどんな愛なのか、きっとこの句は試してる。そして、最初に浮かんだ愛が、読者の最も大切にしてる愛なんだって訴えてくる。そういうところが、この句の良さじゃないかなあ」

 宗くんはおぼろげに納得したようで、相槌を打つ。

「じゃあ、姫はどんな愛が最初だったんだ?」

「家族かな……うん」

 今の家族も愛しているが、やはり産みの親というのは特別だった。

「家族か。なあ、後悔してないか?」

 宗くんはたまにこんなことを言う。親元を離れることがどれだけ難しい選択だったか、彼も分かっていて、だからこそ心配してくれているのだ。何かを選ぶということは、何かを諦めることだから。

「何度も言ってるよ。それより、そろそろ眠くなっちゃった。明日は何時に起きたら良いの?」

「昼過ぎに部室って話だから、適当に起こすよ」

「そっか、了解」

 膝に抱いていた枕をベッドに添える。宗くんが電気を消しに立つと、私は先に布団に潜り込む。

 真っ暗になった部屋で、宗くんのシルエットだけが歩く。布団に入ってきた辺りで、ぼんやりと宗くんの顔が見え始める。

「おやすみ」

「うん、おやすみね」

そのまま目を瞑ると、やわらかな眠りに落ちた。




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