ぬくもり

市街地からほど近い、点々と住宅が並ぶ場所にある古びたアパート。点滅する電灯の元、古びた鍵を回し、電気を灯す。ほのかに甘い香りが立ち上る。廊下に服が、机に化粧品が散乱する、あまり整頓されていない室内が浮かび上がる。


「お風呂沸かしたんだけど……、入る?」


どこか感傷に浸っていた少女は微かに頷いた。


壁に無数の染みがついた洗面台。コンビニで購入した下着と古いTシャツを携え、予備のボディタオルを少女のすぐ近くに置いた。少女は不慣れな様子でボロボロの衣服を脱ぎ捨てる。細く角ばったその背中に、大きく「19」と彫られていた。禍々しい雰囲気を湛える文字に、早苗は息を呑んだ。少女はもう慣れてしまっているのか、輝は特段気にすることもなく、湯気の中に消えていった。


 *


『なにそれ?! めっちゃ不気味じゃん……。早く警察に連絡した方がいいんじゃないの』

『ガチでヤバいと思う。危険な目に巻き込まれる前に何とかしないと……。あたしから連絡しようか?』


出来合いの総菜を盛りつけている間も、通知音が絶えない。


『いや、連絡は大丈夫……。そこまで迷惑かけられないし、私の方で何とかするよ。ありがとね』


スマホを閉じ、溜息をつきながら天井を見上げる。


見捨てられないと思ってる。だけど、不安も強く募っている。本当に助けて大丈夫だったのか。そもそもあの子は何者なのか。後に引けない状況になったことは自分が一番わかってる。でも、中々覚悟が決まらない。


立て付けの悪いドアが開く。少女が部屋に入ってきたのだ。リビング奥のカーテンから、台所をのぞき込む。美味しそうな匂いに惹きつけられたのだろう。その顔には僅かながら、笑みが浮かんでいた。早苗は何となく悪気を感じ、スマホを隠した。


「ブカブカ」

「私が高校生の時着てたTシャツだからね……。ご飯できてるけど食べる?」

「タベル」

「分かった。座って待ってて。」

「ウン」


少女は懐かしい香りが漂う畳に座る。じっと待っていると、ふわりとカーテンがなびき、物が揺れる音がした。少女はあたりを見回たが、特に異変は起こっていない。窓の方を覗こうとした時、早苗がリビングに戻ってきた。

オムライスとポテトサラダ、ポトフが卓上に並ぶ。ごく普通の食事だが、少女は宝石を眺めているかのように目を輝かせていた。


「あたしは食べてきちゃったから、全部食べていいよ。」

「イイノ……? ……イタダキマス」


猛烈な食欲だ、よほどお腹を空かせていたのだろう。休むことなく食べ進め、みるみるうちに消えてゆく。


そんなに急がなくても、と声を掛けようとした早苗は、少女が涙を流していることに気が付いた。何度も、何度もしゃくりを上げる。


「え、ど、どうしたの…?!」

「オイシイゴハン、ヒサシブリ……、ウレシイ、モウタベラレナイッテオモッテタ

……、アリガトウ……。オネエサン……。」


か細い声を聴いている内に、早苗は居たたまれなくなった。惨い生活を強いられていたのだろう。気が付くと、先ほどまでこびり付いていた不安が、憐みに変化していた。早苗は少女の前に向き直る。


「あの、さっきはごめんね……。突き飛ばしたりしちゃって……。痛かったでしょ……。」


少女はスプーンを運ぶ手を止めた。静まりかえる室内。少女は口を閉ざしていたが、ゆっくりと、そっと痛々しい靴ずれの痕を指さした。


「オネエサン、ケガシテル」

「え、あ、いや、こんなの大したことないから……。」

「ソンナコトナイ、ココロモイタイ、デショ。」


妙に大人びいた言動、投げやりな眼差し。他人事のように、わざと感情を遠くに置き去る声。


「オネエサン、アヤマラナイデ。……ワタシモイッショ。」


先ほどの暗い表情から一転、笑顔を浮かべている。だが、早苗には分かっていた。無理してる。瞳に哀しみが滲んでいる。自分を気遣ってくれたのだ。

この子の頑張りを認めてあげないと。早苗は腹に力を込め、笑顔を浮かべた。


「……ありがとう。」


少女は満足げに頷く。その姿があまりにも切なくて、早苗は無意識のうちに手を差し出していた。遠慮がちに繋がれた手は震えていたが、じんわりと存在を証明してくれるものだった。

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