路傍の少女

同時刻。


橙、ピンク、黄色のけばけばしいネオンに照らされる繁華街。居酒屋や不審な雰囲気が漂う店が立ち並び、酒に溺れながら街を闊歩する多数の影が重なる。

淀んだ香りと安っぽい音楽が充満する大通りを、飯田早苗いいださなえはとぼとぼ歩いていた。


不意に、ごつごつした大きな身体が視界に入る。強烈なアルコール臭を放つ妖怪二人に道を遮られたのだ。


「姉ちゃん、大丈夫か~? びしゃびしゃじゃねえか。傘忘れたの?」

「こりゃ随分とべっぴんだな、ね、どこから来たの?」


ひるんでいる早苗をよそに、一つ目の妖怪たちが言葉を浴びせる。早苗は無視して逃げ出そうとするが、一向に譲る気配がない。


「そう邪険にするなって~、ほら、飲みに行こうぜ!いい店知ってるんだよ!」


妖怪の一人が腕を握る。早苗は危険を感じ、さっと身を引いた。


「邪魔なんだよ、離せよ!」


華奢な見た目からは想像つかない怒鳴り声。妖怪がひるんだすきに、早苗は一目散に駆け出した。

路上で眠っている妖怪、口喧嘩する人々の群れ、怪しいキャッチをする不気味な妖怪の声……。あらゆる雑念を器用にかわす。換気扇が張り巡らされ、腐った匂いがうっすらと漂う、暗く細い路地裏をいくつも通り抜けた。


視界が晴れた。古びたベンチが鎮座するこじんまりとした広場が現れる。


(ここまでくれば大丈夫……。)


高ぶる呼吸を落ち着けながら、なだれ込むようにベンチに座り込み、ズキズキと痛む足を労わる。顔を伏せ、目を閉じた。


(本当に最悪だ。無理やり連れて行かれた飲みの席で、長ったらしく説教されて、お局様に嫌味を言われて……。何でこんな辛い思いしなきゃいけないの。私なりに一生懸命やってるのに。

この島に来てからいいことがない。妖怪も不気味で気持ち悪いし、職場環境も最悪だ。もう嫌だ、やってらんない。)


「何なん……。まじで……。」


手首をつかむ。嫌な思いを潰すかのように爪を立て、歯を食いしばる。


……その時。ゆっくりした足音と気配が向かっていることに気が付いた。

まさか、さっきの酔っ払い……? 早苗は硬直した。逃げなければならないことは分かっているのに、体が動かない。言うことを聞かない。


「ネエ……?」


幼い女の子の声。酔っ払いではない。内心ほっと溜息をつき、視線をあげる。


見るも無残な姿になった鬼が、ぼんやりと佇んでいた。痛々しく腫れあがる頭部、赤黒い口元、もぎ取られた角。ぎょろりと動く瞳には、愕然とした早苗が映り込んでいた。ボロボロの衣服を纏い、必死に言葉を投げかけてくる。


「ゴハン……、ゴハン……」


細くしなびた指が触れる。それを払いのけると、早苗は彼女を視界に入れないよう立ち去った。


「マッテヨ!」


しがみつこうとする少女を強引に避け、歩き始める。直後、体を強打する音が響いた。無造作な砂利に足を滑らせたののだろう。少女は悲鳴を上げ、そのまま泣き崩れた。薄暗い中でも膝から血がほとばしっているのが容易にわかる。

早苗は我に返り、立ち止まった。転ばせておいて立ち去るのはあまりにも冷淡すぎるのではないか……。

早苗は少女のもとに駆け寄った。ベンチまで誘導し、ティッシュで血をぬぐう。


「……迷子になっちゃったの? お父さんお母さん、近くに居そう?」


絆創膏を不思議そうに触っていた少女は、黙って首を振りながら、「オトウサントオカアサン、イナイ」と答えた。


「え? じゃあおじいちゃんとおばあちゃんいるでしょ? どこにいるか分かる?」


少女は目線を下げ、黙りこくってしまった。沈黙に耐えきれなくなった早苗が矢継ぎ早に問いかける。


「じゃあ交番行く? ここら辺危ない奴しかいないし、そっちの方が安全だし。

あ、でもその前に病院行った方がいいのかな……。」


病院、交番。


少女は表情を一変させ、ぐわっと掴みかかった。


「イヤ! コウバンモビョウインモイカナイ! クロイヤツニツレテカレタ! ミンナコロサレタ! シニタクナイ!」


とてつもない剣幕でまくし立てたのち、少女は腕を激しく搔きむしり、唸りながら蹲ってしまった。


(何、この子……。)


早苗は底知れぬ莫大な不安も感じていた。ここまで病院と警察を怖がるなんて、何かよからぬ背景があるのだろう。巻き込まれたら大変な目に遭うかもしれない……。でも……。

頭を抱える少女を見つめる。だからって、ここでこの子を見捨てるわけにはいかない……。一回関わった以上放っておくなんて、無責任すぎる。


早苗は意を決した。


「分かった、じゃあ、私のおうち来る? 汚いけど……。」

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