少女を追って
時雨が降り、陰鬱な影が落ちる深夜三時。立誠綜合警備会社生活安全課の一室が輝いている。
二〇一五年二月十四日。当時五歳だった鬼の少女「
だが、大きな転換点が訪れる。代賀港に設置されていた防犯カメラが衝撃的な事実を捉えていたのだ。
七月十日、午前九時三十八分。中年男性と輝が共に入島する姿が撮影されていた。
その男の名は、
これだけではない。輝が、近ごろ島内で多発していた、閉店間際の飲食店を狙った窃盗事件の犯人である可能性が高まったのだ。
警察は、清道ら組織の人間が「橋本輝ちゃん誘拐事件」に関与しており、何らかの事情により輝が彼らのもとから離れ、食い繋ぐために窃盗を行ったのだろうと仮定、少女の保護と事件解明のため捜査に乗り出した。
生活安全課は、警察が立ち入ることのできない、妖怪たちが暮らす地域への調査を依頼されているのだ。
……扉が音を立て開く。ほどなく、黒色のベストを着こなした長身の男性がビニール袋を鳴らし、ぺこりとお辞儀しながら入室する。
馳田の部下、
「只今戻りました。遅くなってしまい申し訳ございません。」
井波は上司のもとに急いで駆けより、梅のおにぎりを手渡す。急いで戻ってきてくれたのだろう、ズボンの裾がぐっしょり濡れている。
「いや、こんな雨の中悪かった、ありがとな。」
「いえそんな……! お気になさらないで下さい。」
井波は飾り気のない柔らかな笑顔を浮かべた。連日の激務で疲弊しきっているはずなのに、少女を一刻も早く見つけ出すため、遅くまで仕事に付き合ってくれている。仕事柄、理不尽を突き付けられることも、いざこざに巻き込まれ心が荒みかけることもあるが、温和な彼と接しているだけで不思議と心が安らぐのだ。有難さを感じつつ、馳田は仕事に戻った。
*
静まり返る室内。雨の音とタイピング音だけが反響し、切れかけの電灯が強く激しく点灯する。井波は、黙々と作業を続けている馳田に声を掛けた。
「完成しました。確認よろしくお願いします。」
馳田は頷き、目撃証言に目を通し始める。
『午後二時半ごろ。暗い路地裏を裸足で歩いていたのを男性が発見。男性の影に気が付き、走り去った。同日四時五十分。
無機質な文字が深刻な事態を淡々と羅列する。眩暈がしそうな気持ちをこらえ、ふうと一息つく。
「なるほどな……。食糧を求めて市街地の方へ向かったんだろう。商店街と森を中心に探そう。」
「分かりました。」
馳田は、捜索のめどが立ったことに少し安堵していたが、部下が浮かない表情をしていることに気が付いた。
「おい、大丈夫か?」
「あ、はい!大丈夫です……。」
上司に無用な心配をかけまいと慌てて取り繕うが、言葉には葛藤が滲んでいた。鋭敏に察知した馳田は、心配そうな眼差しを向けている。根負けした彼は、苦し紛れに微笑みながら小さく呟いた。
「その……。怖い目に沢山遭い続けて、今もひもじいだろうに……、輝さんのこと、早く助けてあげないとって思いまして……。」
ぼろぼろになっても歩き続けなければならない、暗闇に投げ込まれた女の子を想っているのだろう。この人はいつもそうだ。冷酷な現実と相対する時、誰よりも悲しみ、苦しんでいる。
馳田は、微かに震える肩にそっと手を置いた。
「見失うなよ。確実に進展してる。……今は感情的になりすぎるな、貴方が辛くなってしまうから。」
優しく、それでいて力強い。諭すような掌の暖かさに、沈んでいた井波の心が少しずつ立ち戻る。
「すみません……、ありがとうございます。」
「いやいや。気にするな。……もう二時になるし、ちょっと休憩しよう。」
「そうですね、お茶入れてきます。」
「いや、たまには俺がやる、ゆっくりしてな。」
馳田はさっと給湯室へ向かった。甲高い蒸気音と急須に葉を入れる音が聴こえてくる。井波は申し訳なさを感じつつ、淀んだ空を見上げた。
……雨はまだ止まない。雫が、絶え間なく、激しく地面に打ち付けられている。
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