3.なぜ太宰治は「人間失格」を書いたのか

 前回は「人間失格」の構成について大まかに考察していった。そして、今回は本命のテーマ、なぜ太宰治は「人間失格」を書いたのかについて考えていこうと思う。


 まずは君に謝らなければならない。正直なところ、この評論の1と2はあまり面白い内容ではなかったと思う。しかし、今回私が主張する考察を誤解なく伝えるためにあれらの章を書く必要があるよう思われたのだ。これは私が君を信用しきれていなかった所為である。申し訳ない。そして、また私の話を聴きに来てくれてありがとう。


 では、前回の最後に載せた太宰とマダムの会話と読者の立ち位置について軽く説明しよう。あとがきでは葉蔵の手記を受け取ったマダムとそれを借り受けた太宰の、葉蔵についての短い会話で締めくくられている。そこで太宰は世間一般的な、ドライな感想を述べ、マダムは葉蔵を庇うような返事をしていた。


 まず注目すべきは、筆者であるはずの太宰が何故か読者と同じ目線、つまり手記の一読者として登場していることである。斬新な構造の小説にしたかったから、と言われればそれまでであるが、私はこの筆者の登場が大きな意味を持っているに違いないと確信している。


 少し私自身のスタンスについて説明しておく必要があるかもしれない。私は作中における筆者の意図と作品自体に対する筆者の意図は意外と離れた位置にあるものだと考えている。作中の細かい描写やストーリーは筆者が読者に見せること、伝えることを想定して書かれている。それに対して、小説そのものの目的は前者よりももっとメタ的な部分、つまり作品の構造や筆者の立ち位置に隠されていると思う。このメタ的な部分、小説を書いている筆者自身に読者がたどり着くことを望む作家と望まない作家の両方がいると思う。この考え方でいくと太宰は自分の心理(目的)を隠そうとしてはいるものの、実際には見つけて欲しい気持ちがあったように感じられる。


 話を戻そう。太宰自身が作品に登場して語る理由を探るためには、前回よりも更にマクロな視点で構造を捉える必要がある。この小説の設定についてである。

 葉蔵の人生が若き頃の太宰と重ねられていることは君も知っていることだろう。だが、ここである疑問が浮かぶ。なぜ主人公は太宰治でないのだろうか。自伝的な内容であれば遠慮することはない。堂々と自らの名前を出して自分自身の口から語ればよいのだ。しかし、実際には葉蔵が主人公であり、さらに手記を書いたのも葉蔵であるという設定である。おまけに葉蔵とは別の人物として登場するとういう、あくまで彼とは他人であると言わんばかりの徹底ぶりである。この葉蔵を客観視しようとする姿勢から太宰の心理に迫っていこう。


 まずは事実から推測できることを確認していこう。葉蔵は別人物として描かれてはいるが物語と太宰の経歴から見てほぼ間違いなく同一の人物を指している。そして、太宰は「人間失格」を最後の完結作にして自殺をしていることから、この作品は彼にとって遺書のようなものであったと考えられる。この二点はおそらく覆ることはないだろう。


 では太宰が葉蔵を別人物として描き分けた理由であるが、これは彼のキリスト的な思想によるものであると考えられる。彼は自らの苦悩を語ることを良しとしなかったのだ。これはマタイによる福音書六章十六-十八、断食についての記述を引用して語っていた。どの作品に収録されていたか忘れてしまったため引用できなかった。申し訳ない。しかし、彼がキリスト教の影響を強く受けていたことは他の作品からも窺えるだろう。

 この様な背景により、太宰は自身の過去を葉蔵のものとして彼に語らせたのだ。太宰が体験を自ら話すとあからさまに苦しみをアピールしているような印象を読者が抱いてしまう可能性が高い。それは彼にとって最も避けたい事態だったのだろう。故に用心深すぎるほど太宰自身と葉蔵を切り離した存在として描いたと考えられる。


 また、「人間失格」が彼にとって遺書のような作品であるという観点からも考察していこう。君は遺書を書くとしたらどのような内容にするだろうか。現在の心境かそれとも自分の人生の略歴か、親しかった人への感謝か。これは十人十色でこれと決まったものはないと思う。

 太宰は最後に自身の苦悩を読者たちに知らせたかった、という見方が多いだろう。確かに、上で述べたように手の込んだ構造を作ってまで自分の人生と内面を描いていたのだ。そう考えるのが自然だろう。太宰治に関する本をいくつか書いている評論家の奥野建男も巻末の解説で次の様に語っている。


『~死を賭して自己の内部をえぐり、現代人の精神の苦悩を、真実の探求、告白する「人間失格」を書く。~

~「人間失格」は常に読者への奉仕、読者をよろこばせ、たのしまそうとつとめてきた太宰治が、はじめて自分のためにだけ書いた作品であり、内面的真実の精神的自叙伝である。』(人間失格-解説より)


 成程、私の1と2で語った考察と似たような内容である。ここで私は安堵するのである。そこまで的外れでは無かったのだと。


 だが、少し待って欲しい。確かに奥野氏の解説は核心を突いているように思える。しかし、いくつか結論付けるには性急だと感じる点がいくつかある。勿論、文庫本の巻末に載せる解説など文字数が少ないことは知っているし、彼が敢えて触れなかった可能性も十分にあると思う。

 でも私は気になるのである。今まで読者への奉仕を信条としていた作家が最後の最後でそれを破るのは不自然であると。そして、なぜ書き終えた後に死ぬ必要があったのか。この二つをハッキリとさせないことには、太宰治の心には近付けないだろう。


 一つ目の疑問は、結論から言ってしまうと、太宰は「人間失格」を自分のためだけに書いたのではなく、読者への最後の贈り物として書いたのだと思う。これは、彼が作家としての矜持を曲げるとは考えにくいという点と、今まで説明してきたようにこの作品は自分だけのためと言うにはあまりにも読者を意識した構造になっている点から導き出された考えである。

 ただ、やはり単純に読者を楽しませようとして書いたものではない。どちらかと言えば私たちに対する忠告に近いだろう。これは太宰が経験した過酷な人生とその原因として思い当たる節を包み隠さず開示しているのだ。


 ここからは完全な推測になるが、おそらく彼は自分の苦悩を他者に理解して欲しかったのだ。しかし、それを直接的に語ることは信条に反する。小説は読者への「サーヴィス」なのだ。そこでこの矛盾した二つの要素を何とか共存させるために葉蔵の手記という形式を採用したのだ。そして読者を少しでも楽しませるために若干お道化た比喩や語りを盛り込んだのだ。

 ただ、太宰は本心ではこの「人間失格」どおりの、大庭葉蔵の様に冗談めかして自身の人生を語りたくはないのである。それを読者にそれとなく伝えるために第二の手記で葉蔵の綴り方と絵画に対する心構えを描いたのだろう。葉蔵にとって文章はお道化の一種であるが、絵画には真剣に取り組んでいたのだ。そして彼の描き上げた自画像は恐ろしく陰惨なものであったのだ。つまり、字面ではお道化ているが本来はとても暗くて鬱々とした、ありのままの自分を描きたかったのだと考えられる。

 少し加えると最後の太宰のセリフでも「多少、誇張して書いているようなところもあるけど、~」と、手記は事実をありのままに書いたものではない可能性をわざわざ示唆している。

 これらのことから、太宰は表面上は読者への奉仕の小説に仕上げたが実際にはいくつかの予防線を張ることで、ここで描かれている姿はお道化が混じっていて自分はもっと暗くて悲しい内面の持ち主なのだと主張したかったのだと考えられる。

 しかし、正直なところ彼のお道化は私たちの心に突き刺さる笑えない冗談であり、ここまで手の込んだ構造にしなくとも十分に太宰の意図は伝わるように思われる。だが、これは太宰が誤解される可能性を極限まで減らそうとした結果なのだ。


 二つ目の疑問は比較的シンプルな答えであると思う。太宰は、彼が「人間失格」で語った内容が本気であると証明するために自ら命を絶ったのだ。似たようなシチュエーションで言えば夏目漱石の「こころ」で先生が主人公に自身の過去を告白する文章を送った後、自殺するというものがある。これは先生が自分の心を真実のものとして伝えるために自分の血を以って表現したと解釈されている。私はこの先生の心理に太宰は近かったのではないかと思う。ただ、若干異なる点を挙げるとするならば、本気であることを伝えたかった相手は読者というよりも当時の文壇、太宰と一際仲が悪かった連中であったかもしれない。彼は読者や自分を批判する者たちに「人間失格」と自らの死で自身の言葉、思想を叩きつけようとしたのだろう。


 さて、大分長く語ってしまったが、今回のテーマに対しての考察を簡単にまとめておこう。


 太宰は自身の苦悩を吐露するために「人間失格」を書いた。しかし、自分の苦しみを喧伝していると思われては心外であるため、葉蔵というキャラクターを活用した複雑な構造で物語を作った。また、自分のためだけの小説ではなく、あくまで読者に伝えることを慎重に考慮した作品でもあった。そして、自殺によって自分の言葉を真に迫るものへ昇華したのだと考えられる。


 冗長的な文章で申し訳ない。しかし、私の考えを正しく聴いてもらうためには必要であったと思う。次回でひとまず最後にするつもりだ。と言ってもほとんど目新しいことを書くわけではない。本で例えるならあとがき、若干の言い訳と妄想の付録を付けておこうと思っている。付き合ってもらえると嬉しい。


私の主張を最後まで聴いて下さった方、本当にありがとうございました。

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「人間失格」についての考察 高見 灰夢 @TakamiHaimu

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