第68話 好きの裏返し
「キス……ティルラとキス……ううっ」
「あーこれはだめですね」
「はい。やはりお嬢様には少々刺激が強すぎたみたいです」
ソファーの上で横になった幼馴染は、先程から『キス』、『ティルラ』という二つの単語を繰り返し呟いていました。
流石にそこまで嫌がられるとちょっと傷付きます。昔はよくキスをしていたというのに。
「……フィア、実はあなたのご主人様は子供の頃はところ構わずキスしてくるキス魔だったんですけど、思春期に入ってからそれがピタリと止んだんですよ」
「へぇ、それは良い事を聞きましたー。そうなんですか、お嬢様は幼少期の頃ティルラ様とキスをしていたと」
「ええ。仲良くなって一年くらい立った頃、屋敷の廊下で急にキスされました」
「え!?」
「わぁ、お嬢様大胆」
フィアは自分の主人が昔やらかした事に興味津々のようで「それでそれで」とわたしに話の先を促してきます。逆にリベアはわたしがキス経験済みと知って、顔から表情が消えました。
「……リベア?」
「はっ、すいません師匠。今よからぬ事を考えてました。大丈夫です。たとえ師匠が経験済みだとしても、私にとって師匠はファーストキスの相手であり、特別な人になるって事は変わりありませんから。それになんならリードされる方もありかなって……えへへっ」
「はぁ、真面目な話、リベアはわたしには勿体ないくらい良い子なんですから初めての相手はちゃんと選んだ方がいいですよ」
「はい! よく考えた上でやっぱり師匠が――」
「それで、ソフィーに初めてキスされた日の事でしたね」
「師匠っ〜!」
うわぁーんと手をぶんぶん振って抗議してくるリベアの頭を片手で抑えつつ、幼馴染が唸っているのをいい事にフィアさんにあの日の話を教えてやりました。
起きたら絶対ぶっ飛ばされますね、これ。
「それはいつもと同じ、天気の良い日の事でした……」
ソフィーの部屋でたくさん遊んだわたし達は気分転換に庭へ向かっていました。
その途中、窓の外で綺麗な鳥が飛んでるのが見えたから、隣を歩く物知りな少女にあの鳥はなんていう鳥でしょうか? と聞こうとした所、わけも分からずほっぺにキスされ、『ティルラの方が綺麗で可愛いから』とこっちまで顔を覆いたくなってしまうような、そんな小っ恥ずかしいセリフを彼女はちょっと顔を赤くしながらも、今みたいにテンパる事なく言い切ったのです。
「今のお嬢様からしたら考えられませんねー」
「わたしもそれには思わず焦りましたよ。幸い他の人には見られていなかったものの、ソフィーの告白に近いセリフに当時のわたしの胸が高鳴ったのは確かですね」
あの時はもう言葉に言い表せないくらい心臓バクバクでした。好き、とかそういうのではなく別の意味で。
あの、人を茶化す事しか考えてないバカ師匠にこんな現場を見られたら一生からかわれるに決まっていますから。
「……それで師匠はなんて答えたんですか?」
「ありがとうございます。でもソフィーもとっても可憐ですよって、そしたら『はうっ!』って変な声が出たので、可笑しくて笑ってしまいました」
「かれっ――!」
もちろんその後、官能小説の読みすぎだと彼女が小脇に抱えていた本を指差して指摘してやりましたがね。あんなにドキドキするのは一生に一度くらいが丁度いいのです。
「ふむ。今のお話だけ聞くと、お嬢様の初恋の相手はティルラ様で、ティルラ様の初恋の相手はお嬢様になるのですがあってます?」
「ソフィーがどういう心境で言ったかは分かりませんが、ソフィーはわたしの初恋の相手ではありませんよ」
「え?」
「えっ!?」
「リベア……その期待するような目で見てくるのやめて下さい。これは今だから言える事ですが、わたしは師匠の事を……シャルティア様に対して心から慕っていました。拾われた当初はこの人となら結婚したいとも……。ま、当時8歳でしたからね。大人のお姉さんに惹かれるのも無理はなかったかと」
あの頃のわたしは自分を孤児院から連れ出してくれた師匠に何か恩返しをしなくては、この人の為に頑張りたいという想いでいっぱいでした。
でも師匠は「そんなものはいらん。自分の為に生きろ。私だって自分の為にお前を引き取ったんだから……私の事は気にするな」と言いましたから。最初は照れ隠しのつもりかと思いました。しかし一緒に過ごす内に、本当にこの人は自分の為に日々を生きてるのだと分かりました。
あの研究も自分の為、だったのでしょう。
一度だけどうしてわたしの事を引き取ってくれたのか聞いた事があります。その時の師匠の答えは今でもはっきりと覚えています。
『それはお前、知り合いにちょっと頼まれてだな――それに私も可愛い娘は欲しかったし……』
普段厳しい師匠でしたが、その時ばかりはとてもお優しい慈愛に満ち溢れたお顔をされていました。ですが、わたしがそれを聞いて二マニマしていたら顔を赤くした師匠に真冬だというのに水垢離に行かされましたがね。
この鬼畜野郎。
当時のわたしはこれが愛情の裏返しって奴ですかと呆れたものです。
それ以来深い事は聞いていません。聞く前に亡くなってしまいましたし、聞こうとも思っていませんでした。でもいつかは本当の事を知りたい気もします。
もうそんな機会、二度と訪れないとは思いますが。
「でもでも、師匠はいつもシャルティア様の事をボロクソに言ってますよね?」
「それは……好きの裏返しみたいなものです。あ、悪口の9割近くは本気ですよ!」
「本気なんじゃないですか……」
「残りの1割は普通に好きでしたよ?」
弟子のお顔がわたしの言葉一つで多彩に変化します。笑顔になったかと思えば、すごく落ち込んだり、ぷくっと顔を膨らませてみたり。
「むぅ……じゃあ師匠は弟子である私の事をどう思っていますか?」
「弟子としては可愛いがってあげたいと思っています」
「将来の伴侶としては?」
「考えておきます」
なんでですか師匠ー! っと向かってくる弟子と戯れているとジッとこちらを見つめる眼差しが一つ。
「ねぇ、イチャイチャするならどこか他の場所でやってくんない?」
ソファーから身体を起こした幼馴染がフィアにお水を飲ませてもらっていました。
「あれソフィー。一体いつから目を覚ましてたんですか?」
「それはいつもと同じ――のくだりからよ」
「あらら〜聞かれちゃってましたか……前にもこんなくだりあったような気がします」
スッと立ち上がったソフィーは、ニコッと笑顔を向けたかと思えば伯爵令嬢とは思えない迫力で拳をバキバキ鳴らし始めました。
「知ってると思うけど、私も貴方と一緒にシャルティア様から護身術を習っているの――さて、覚悟は出来てるんでしょうね?」
「あはは……ソフィー、お手柔らかにね」
力なく笑うわたしに、ソフィーは逃げようとするわたしの肩をガシっと掴みました。わわわっ、殺される。助けてフィア、リベア。
「二人は先に客間に戻っていなさい。アリスさんをいつまでも一人で待たせておくのは忍びないわ。こっちも早めに終わらせて向かうから」
「はい。ティルラ様頑張ってくださいね」
「たくさんクッキーを用意して待っていますから」
「そ、そんな事言わないで助けて下さいよー」
「「無理です」」
息の合った声でピシャリと戸を閉められ、わたしはソフィーに羽交い締めにされるのでした。
本気で逃げ出そうと思えば逃げ出せました。
でもわたしはそれをしませんでした。
「このバカティルラぁーー! なに恥ずかしい事をペラペラ喋ってるのよ!! 後で二人の記憶を消しておきなさい」
「ソフィー、ギブギブっ!! わたしの記憶までなくなっちゃいます」
「あたしの黒歴史の記憶なんて早く忘れちゃえばいいのー!!」
あ、やばい嵌まった。
「ぐえっー!」
ひしゃげたカエルのような声を出すわたし。
暫くの間、彼女は物理的にわたしの事を離してくれませんでしたとさ。
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