二章

第9話 弟子との日常

「あの、師匠……」


 彼女と暮らし始めて早一ヶ月。この日、私のあげたローブを着込んだ弟子が、何やら思い詰めた表情で話があると私の前にやってきました。


 リベアさんにあげたローブは特別製です。私も弟子時代に使っていましたが、このローブはもしも魔法の制御に失敗して、魔力が暴走した時、着用者の身を守ってくれる優れものです。


 魔力を吸収する素材で出来ているので、よほど強力な魔法でない限りは、暴走した魔力を吸収してくれます。


 魔法の練習をする際は、これだけは決して忘れないようにと言い聞かせたのをしっかり守ってくれているようです。


 リベアさんがローブを着ていない時は、だいたいエプロン姿です。そのお姿は年相応といった様子でとても可愛らしいです。私と二つしか違いませんけど。


 私は読んでいた本をパタリと閉じ、弟子の話に耳を傾けます。


「はい。なんですかリベアさん?」


 もしかしたら弟子をやめたいというのでは? という考えが一瞬頭をよぎりました。


 そうだとしたら、一体私の何がいけなかったんでしょう? 


 昼夜毎日働いてもらい、雷が鳴った夜には一緒に寝て、気が向いた時には魔法も教えました。基本的には自堕落に過ごしていただけです。彼女を怒らすような事は何もしていません。


 それに私は、師匠のように特別嫌がらせもしていませんし、昼夜逆転の生活もさせていません。


 一体何が原因なのでしょう? 


 もしかしたら、近所の悪ガキにいじめられたのかもしれません。


 私も昔、孤児だからという理由で虐められていました。まあやり返しましたけど。私の弟子をいじめるなんて許せないですね。あとで、ぶっ飛ばしましょう。


 といった妄想はさておき、私はリベアさんと真摯に向かい合います。


「えっと、私たちが同居を始めてもう一ヶ月ですよね? そろそろ名前で呼んでいただきたいんですが……?」


 良かった。弟子をやめるという話ではありませんでした。しかし不思議な話ですね。私はちゃんと名前で呼んでいるのですが……。



「リベアさん。言い方に少し語弊があるようですが、もうすでに名前で呼んでるじゃないですか」



「いえ、呼び捨てで呼んで欲しいんです」



「リベア……と?」


「はい。嫌でしょうか?」


「嫌ではないんですが……」


 うーんと私は軽く顎に手を添えます。


 何となく人を呼び捨てで呼ぶ事に抵抗がありました。これまで同年代の友達がいなかった事もありますが、何より私の幼少、弟子時代は、私より年齢が上の人がほとんどでしたから自然とこのような口調になっていたんですよね。

 

 この村も若い人が少なく、年寄りの方が多いので敬語は継続でしょう。


 それに孤児院に居た頃も、私が最年少でしたし。


 ぐむむっと難しい顔をして悩んでいると、弟子が私の袖口を掴み、くいくいと引っ張ります。


「お願いします。師匠!」


 儚げに潤んだ瞳が、上目遣いにこちらを窺います。弟子を抱きしめたら犯罪でしょうか?



「……だめ、ですか?」



 途切れ途切れの言葉をぽしょりと呟くと、震える指先がきゅっとローブの胸元を握りこみます。その声音も仕草も表情も、切々としたものでした。


 なんともあざとい。リベアさんの可愛さは犯罪的です!!


 それにそんな風に頼まれてしまうと、どうにも無碍に出来ないのが私でした。



「し、しょう……」



 師匠が決めかねているのを見た弟子が、とどめとばかりに涙目になって追い討ちをかけてきます。


 むむむ。我が弟子ながらなんとも可愛いんでしょう。孫の可愛さに、なんでも買ってあげる祖父の気持ちが今なら分かる気がします。


 まあ私の師匠は、誕生日以外可愛がってくれませんでしたけど。


 ……でも今から思うと、常日頃他人の事には興味のないスタンスをとっている師匠が、私の誕生日だけはしっかり覚えてくれていて、毎年ケーキを作ってくれていたというのは、少し感慨深いものがあります。


 私も一度、師匠の誕生日を祝ってあげようと師匠に誕生日を聞いたことがありましたが、はぐらかされて教えてくれませんでした。

 ずるい人です。


 ぐぬぬ、と未だ変なプライドで粘る私に、とうとうリベアさんは切り札を切ってきました。


「呼び捨てで呼んでくれないと、師匠の弟子をやめちゃうかもしれません」


 ぬぐっ。その切り札は卑怯です。



「仕方ありません。これでいいですか――リベア」

 


「はい!」



 なんだか告白してるみたいで恥ずかしいですね。極力彼女の名前は呼ばないようにしましょう。


「あ、名前で呼びたくないからって、極力名前で呼ぶのを避けようとしても、私やめたくなっちゃうかもしれないです」


「…………」


「でも、お師匠様はそんな酷い事しませんよね?」


「……はい。もちろんですよ、私の可愛い弟子リベア」

「ふふ、素直な師匠も可愛いです。今日は記念にししょーの好きなキノコのシチューにしましょう」


 腕によりをかけますよと言って、リベアはエプロンの袖を大きく捲ってみせます。


「ほうほう。なんの記念かは分かりませんが、それは嬉しいですね」


 弟子の手前、表面上はクールビューティーを装っていますが、私の身体はキノコという単語に興奮気味でした。なんでしょう、私の身体はキノコ中毒なのでしょうか?


 まあ、単に私がキノコ好きなだけなんですがね。


 ほら、キノコって色んな種類があるじゃないですか。師匠と屋敷で暮らした時、お使いの薬草を山に取りにいって、周りに生えてた色んなキノコを持って帰って食べてみたことがあるんですよ。


 中には毒キノコとかも混じっていたので、誤って口にしてしまった時は死ぬかと思いましたが。なんにせよ、その時からキノコが好きになったんですよね。

 不思議な出会いです。


「あの師匠。それでキノコを好きになるのは絶対師匠だけだと思います。あと、キノコが夕食に出るたびに毒キノコを食べて泡を噴いた話をするのやめて下さい。食事が不味くなります」


「すみません」


 弟子に平謝りをする銀髪の師がいます。

 

 それは私です。


 とてつもなく低い声で注意されてしまいました。頭を下げていてわかりませんが、何言ってんのこの人頭大丈夫? といった視線を送られている気がします。

 

 師匠に対して失礼な弟子ですね。いえ、そういえば私も、師匠にそういった視線メッセージを送っていた事がよくありました。


 成る程。今思えば、お互い様という奴だったんでしょう。


 個人的な研究の為に、毒キノコをむしゃむしゃと食べていた所を師匠にお前頭おかしいよと言われ、その場で吐かされた事がありましたから。


 乙女をなんだと思ってるんでしょうかね。あのバ……若作り師匠は。



「分かってくれたならいいです。あ、師匠。もちろん敬語もなしですよ」


「リベア。それは勘弁して下さい」


 ……当分は弟子のペースに付き合わされる事になりそうです。

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