第9話 静葉

 久しぶりにピアノを弾く。


 もう二度と触らないと、関わらないと決めた音楽に私が自ら触れている。


 震えていた指も、息苦しくなるようなドクドクという心臓の嫌な高鳴りももうない。


 あの日、私たち5人で演奏して、ライブした時。


 私は、経験したことのない高揚感を感じていた。


 大きなコンクールで体よりも大きなトロフィーをもらうよりも嬉しかった。


 佐奈が、美咲が、真央が、奈々がいる。


 私は一人じゃなかった。


 入学してから私は一人で本を読んでいた。


 誰にも邪魔されず、一人になれる。読書というのはとても良いものだ。


 人の目を気にして、人の顔色ばかり伺っていた私に読書という趣味はとても心が安らいだ。


 もう、あんな想いはしたくない。


 大衆を前に、極度の緊張で弾けず、そのまま失神したあんな想いは二度と……。


「それ、有名なやつ」

「……はっ?」

「音楽、好きなの?」


 突然、話しかけてきた彼女は笑顔で私にそう声をかけてきた。


「……嫌いです。音楽なんて……」

「ふーん……でも、今読んでるの、音楽関連の本」

「……」

「ピアノのーー」

「失礼します!」


 ガタリという音を立て、私はその彼女から逃げるように立ち去ろうとする。


「楽しい?」

「……はい?」

「読書、楽しい?」

「……あなたに声をかけられる前までは……」

「そっか」


 そう言って、彼女は私にまた笑顔を向ける。


「……」


 ゆっくりとその場に戻り、再び本を読み始める。


「楽しい?」

「話しかけないでください。気が散ります」

「……昔は、好きだった? 音楽」

「……あなた!!!!」

「楽しいよ」

「……はい?」

「楽しいよ。読書も、音楽も、きっと」


 彼女は本当に楽しそうで……。


「奈々ー?」

「さて、真央がまた探してるなぁ」

「なら、行ってあげた方が良いのではないですか?」

「そうだね……楽しいことしたいならーー」

「?」

「3階の外れの空き教室に顔を出してよ。静葉さん」

「なっ!? なんで、私の名前を!!!」

「あたし、奈々。またね」


 それが、奈々と私の出会いだった。


 私がまた、音楽を楽しめるきっかけをくれたのはあなたなのよ……奈々、なのに……

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

「でん、わ? !?」


 仕事帰り、スマホに意外な人物からの電話がかかってきていた。


「もしもし……真央? 何? 手紙は渡したし、あなたと話すことなんてーー」

『静葉、明日、空いてる?』

「言ったはずよ。あなたと話すことなんてーー」

『明日、美咲と佐奈も集まる』

「えっ?」

『静葉、言ったよね? 奈々の面影を追いかけてるのはあなただけじゃないって……』

「……」

『割り切らなくちゃって……でも、私は、やっぱり諦めきれない割り切ることなんて出来ないよ! せめて、最後ちゃんとお別れぐらいはしたい!! 静葉もそうなんじゃないの!?』

「……」

『もし、そうなら、明日、来て。前、会ったあのお店に、じゃっ』

「ちょっ! ちょっと!! 真央!!! ……もー、奈々みたい……」


 そう、口からこぼしてはっとする。私はきっとこうなることを願っていた。


 奈々以外で私たちをまた一つにできるのは、真央だけだ。


 だから、奈々は卒業式の後、私にあの手紙を渡したんだ。


 自分がいなくなっても、私が楽しいことを忘れないように、失わないように……。


 でもね、奈々あなたは勘違いしている。真央は、もちろん美咲も佐奈も、もちろん私もあなたがいなければ真の意味で楽しむことはできないのよ……。



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