きっと翔べる、翔んでいく。

「うー、さみぃ」

 2月の下旬。

 既に高3は自由登校となっているこの時期に、俺は何故か学校のグラウンドに来ていた。いや、来るように指示されていた。


「おー、ごめん、待たせたな」

「待ったなんてもんじゃねぇぞ、人をこんな寒空の下にほっぽいて。もうとっくにお日様も帰ってんぞ」

「ここだと駄目だからもっとグラウンドの中央に行くぞ」

「いや人の話聞けよ。で、今日はわざわざ一体何飛ばすんだよ」

「飛ばす前提なんだな」


 しゃり、しゃり、と砂の音を立てながら俺らは歩く。


「先生との話が長引いて俺を30分も待たせたんだろ。話が難航するんなら、飛ばす系の実験じゃん、だいたい」

「あー……、まぁ 飛ばす系ってのは間違ってはないな。ただまぁ、残念ながら話が長引いたのはそのせいじゃない」


 香菜は悪人面で、こちらを見てにやりと笑った。


「残念だな、ただの世間話だ!」

「は、マジかよ!! 世間話で人待たせんな馬鹿!」

「まぁまぁ、仕方ないでしょ。卒業したあとの進路の話だよ」


 グラウンドの真ん中で空を見上げて、「うん、ここなら良いかな」と言って、香菜は実験道具を広げ始めた。


「香菜は、確か第1志望、前 提携して実験してた大学だよな」

「うん。実験を続けたくて。拓来は?」

「俺は……」


 俺はすぅっと息を吸った。2月特有の空気が肺を刺す。この空気が、俺は結構嫌いじゃない。


「俺は心理学系統の学部に行く」

「へぇ、臨床心理士とか?」

「ちゃんとはまだ決めれてねぇんだけど……。俺みたいに、コロナ鬱になった人っていっぱい居んじゃん。そういう人が、これからもっともっと出てくるかもしんねぇ。……俺は、そういう人たちの手助けがしたい」


 これは、担任と親にはぽつりとだけ話した、同年代の奴には誰にも言えてない、俺の小さな夢だった。

「いいじゃん」

 香菜はやっぱり、そう言って笑った。白い息を、彼女が吐き出す。


「……あー、とうとう卒業かぁ」

「何だよ、センチメンタルだな」

「卒業前にそうなるなって言う方が無理じゃね」

「……香菜でも、そうなんだな」

「何それ。私のこと何だと思ってんだ」

「いや、はは、安心したんだよ」


 そうだな、そうだよな。

 香菜はいつだって俺の先を歩いているみたいだったから、何だかそんな当たり前みたいなことが、凄く意外に感じる。


「……私だって不安だよ。研究は好きだけど、研究職に就きたい訳じゃないし」


 そう言いながら、香菜は組み立てあげたそれを目の前にかざした。


「……小っせぇ気球か」

「そ。可愛いでしょ」


 ほら、持ってきてって言ったチャッカマンは? と言われ、俺は鞄の中をまさぐった。


「おお、あったあった、はい」

「ありがとう」


 受け取って、彼女は少し目を伏せて気球の膨らむ部分と 籠の部分の間にそっと火を灯す。カチッと、辺りに柔らかなオレンジが広がった。


「だから、不安だよ。このまま卒業して、行先も決まってないのに、私 大丈夫かな」


 暖かい空気を含んだ気球が、香菜の手から離れた。オレンジが、ぽうと灯りながら浮かび上がる。風の加減もあってか、それは俺たちを置き去りにしてぐんぐんと高度を上げていく。


「……なぁ」

「ん、何? 気球が飛ぶ仕組みが気になった?」

「それは専門外だからいいわ。……あの気球ってさ、最終的に何処に落ちるとか決まってんの」

「まっさか。完全に風だよりだよ」

「……じゃあさ、」


 オレンジは、黒に染められた夜空によく映える。その向こうで瞬いているのは白い白い、冬の星だった。


「俺らだって、終着点決めずに翔んだって、いいんでないの。気球が許されるんだからさ」


 痛いほどに、横から香菜の視線を感じた。小っ恥ずかしいことを言っている自覚はあった。だから俺は気球だけを見つめていた。


「……ふはっ」

「何だよ、急に笑って」

「いや、拓来の居心地悪そうな顔 面白くて」


 腹を抱えて涙を浮かべ香菜は笑う。トレードマークみたいな白衣は着ていない。代わりに白のマフラーがはためいた。


「……そっか、そうだね。気球が許されるんだもんね」


 私も、自分に許してあげよ。

 目元の涙を拭いながら、香菜はそう笑った。何とも返しがたくて、「おう」とだけ、言った。


「……気球、星まで届くといいな」

「そうだね。あのベテルギウス辺りとかどう?」

「どれだよ それ」

「あれだよ、冬の大三角のあれ」


 香菜が指さしても、夜空の星はどれがどれだか判別がつかないほど、近寄りがたく しずしずと光を投げている。


「まぁある程度の高度になったら火が消えるように設定してるんだけどね」

「マジかよ。お前本当に技術力やべぇな」

「じゃないと、山火事とか困るっしょ」


 確かにな、と俺は頷いて、でもやっぱりあまり腑には落ちなかった。反対に、香菜は清々しい笑顔をしている。

「高校卒業くらいで、星になろうって気ぃ張らなくたっていいんだね。私たちは本質的に変わるわけじゃない。無理に変わる必要も無い」


 さっきのはつまり、そういうことでしょ?

 香菜が言う。

 あぁ、それなら確かにそういうことだな。

 俺が頷く。


 首の痛くなるくらい気球を見上げていた。

 気球は空高く舞い上がっていく。



 白い星じゃなくていい。

 あの柔らかなオレンジに俺はなりたいんだ。

 そう思った。

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未来ロケット 淵瀬 このや @Earth13304453

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