14

 亡くなった事でさえ未だに信じられないというのに、幼い娘に加えられた残酷な暴行の事実まで受け入れろというのか。


 警察の説明では死因は頚部圧迫による窒息死だった。


 犯人は直ぐに捕まった。

 幼女に対する強制わいせつの前科のある、園田という男だった。


 警察の取り調べで、小学校からの帰り道、一人になった隙を付いて拉致し、目的は性欲を満たす為、性欲を制御出来なかったから、愛美が泣き叫んだ為殺害したという自供内容を知らされた。


 尾形の悲痛な「何故愛美は殺されなければならなかったのか?」という問いに対する余りにも身勝手な答えだった。


 愛美の遺体と対面した限りでは、酷い暴行の跡は見えなかった。

 だからこそ余計にショックだった。


 身体を切り刻まれるよりも辛いと感じた。

 愛する者を奪われる事はこんなにも苦しいのか。


 園田を憎み、自分を責めた。

 愛美が泣き叫び助けを求めていたであろう時刻に自分は何をしていたのか。


 PM3時16分


 尾形の時は止まった。


 毎日、毎日、尾形は自分の心を切り刻んだ。


 抑え難い殺意に襲われる事がしばしばあった。

 もう、いっそこんな苦しみを味わうぐらいならば園田を殺して自分も死のうか。


 だが妻や長女の麗香を置いては逝けない。

 

 彼は夜も朝も恐れた。

 どんなに辛くとも、食事をし風呂に入り夜は寝るというサイクルには従うしかない。


 綾乃は家事を変わらずこなした。

 

 ベランダで洗濯物を手に、ぼぉっとしている妻の後ろ姿に危険を感じ慌てて駆け寄る。


「俺が干すよ」


「ううん……何もしていないと気が変になりそう」


 綾乃の言葉に涙が溢れた。


 彼の心は短針か長針のように3時16分で止まった儘なのに、容赦なく1日1日時が刻まれていく。


チッチッチッチッ──


 秒針の音が眠るな眠るなと毎晩責め立ててくる。


 眠る事にすら罪悪感を覚えた。

 当然十分な睡眠は取れていない。


 長女の麗香には出来る限り傷を負わないように愛美の死について伝えたが、学校で妹は悪い人に殺されたのかと聞かれて以来、頻繁に魘されるようになってしまった。


 両親に挟まれ真ん中で、手を握ってやらないと寝付けない。


 だが、まだ小さく柔らかい手の感触が唯一尾形にとっての生きる支えとなり、なけなしの勇気を奮い起たせる原動力となっていた。


 愛美──


 布団に入り、暗闇の中でじっとしていれば愛美の事を考えてしまう。


 どんなに怖かっただろう。


 恐怖の中、幼い命を奪われた我が子を思うと眠る事さえ罪深く思えた。


 抱き締めた時に触れる柔らかい頬。

 小さな手。

 無邪気に笑う愛らしい声。

 希望に満ちた澄んだ瞳。


 布団の中で声を押し殺し嗚咽する。

 繰り返される悲哀と殺意と憎悪。


 抗えない疲労が彼を不可思議な夢に誘う。

 常に悪夢だった。


 しかし、必ず愛美の姿はそこにあった。

 夢の中では愛美に会える。


 ところが同時に園田も現れ愛美を汚そうとする。

 切り刻む度に悪夢から目覚めるという繰り返しだった。


──



「パパ、サンタさんがプレゼントくれたよ」


 朝、麗香の嬉しそうな声が、虚ろな意識を現実に引き戻した。


「ああ、良かったね」


 だが、今日果たさなければならない重大な責務の事で、尾形の心は再び暗く打ち沈んだ。


「愛美の分もあるかなあ」


 自分だけが貰っていたらという罪悪感と姉としての思いやりが伝わってくる。


「きっとあるよ」


 麗香は仏壇の前に行くと嬉しそうに声を上げた。


「パパ、あったよ!愛美の分も!ちゃんとサンタさん置いてくれてた」


 仏壇に飾られた写真は、一番可愛く撮れていると愛美がお気に入りのものだった。

 

 カメラに向かって楽しそうに笑う。


 尾形は遺影を見つめ、幸せな思い出に暫し耽った。


 今日は公判の為、法廷が開かれる日だった。


 二年前に被害者参加制度が出来てから、法廷で被害者や遺族が加害者に対して証人尋問、被告人質問、論告などをおこなうことができるようになった。


 何も言う事の出来ない愛美の為に何をしてやれるのか。

 傷を負った家族の為に、父親として男として何をすべきか。


 そう考えた結果、尾形は法廷に立つ事を決意した。


 一番重要だと考えているのは心情意見陳述である。

 遺族としての苦しみ、そして何よりも愛美の思いを伝えたい。


 尾形はサンタクロースはいると信じた儘、天国に旅立った愛美の遺影に手を合わせた。


 綾乃が後ろから腕を回し尾形を抱き締めた。

 か細い腕。


 守るべき存在と思っていた彼女から伝わる温もりが尾形を包み込み、逆に守られていると感じた。


「行ってくるよ」


──


 街も電車内も皆がクリスマス気分一色で浮き足立っている。


 幸せそうに笑い合う恋人達。

 幼い子供の手を引く仲の良い家族。


 一年前には気に止める事も無かった風景の中、自分だけが取り残されていると感じた。


 尾形は地方裁判所に向けて足を進めた。




 






 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る