第9話 小さな灯は……

 数年後、アグリーとミシェルは結婚し子供を授かった。


 ミシェルとの話し合いの末、誕生した女の子はアリアベルと名付けられた。


「目元がミシェルそのものだね。とても綺麗な瞳をしている」


「髪の色はあなた譲りですね。とても強く燃える炎のような赤毛。ふふふ、くせ毛は私に似てしまったかしら」


 二人はとても幸せそうに笑っていた。


 ミシェルは冗談交じりでもう一人頑張らなくちゃと意気込んだ。ミシェルの体を気遣い、アグリーは程々にと囁いた。


 アリアベルはすくすくと健康に育っていった。どうやらそれも父親似らしく大きな病気に掛かることもなかった。だが不幸なことに回復して間もないミシェルの体を病が襲った。







 早朝、ミシェルは腹部に激痛を感じて目を覚ました。深呼吸をして痛みを和らげようとするが、徐々に吐き気までするようになってくる。苦しくて動けずにいたが、侍女が朝の身支度に来る時間だったこともあり王妃室の前まで来ていた。


「失礼します、ミシェルさ……まっ、どうなされたんですか!?」


 ミシェルはベッドの上で嘔吐し、荒い呼吸を繰り返している。侍女はすぐに医師を呼びアグリーに報告した。


 アグリーはすぐさまミシェルの元へ駆けつけたが容体があまりにも悪かったため会うことができないまま病院に運ばれた。従者が病院へ向かい戻るまでの間、アグリーはアリアベルと一緒にいた。アリアベルは朝の慌ただしい光景に理解できず、不安な顔でミシェルがどこへ行ったのかずっとアグリーに聞いていた。


 アグリーはアリアベルの体を抱き上げる。


「大丈夫、ママはすぐ帰ってくるよ。アリアも早く帰って来るようにお祈りして待ってようね」


 アグリーは恐怖で気が狂いそうだったがアリアベルの手を握って何とか気を保った。




 そして、夕方過ぎに従者が帰ってきて報告を聞いた。


「殿下……、医師の言葉によると事態はかなり悪いものです」


 帰ってきた従者の顔色が明らかに事態の最悪さを語っていた。


「ミシェル様に二つの病気が発覚しました」


 一つ目はイレウス(腸閉塞)。出産時、アリアベルは逆子の状態だったため腹部を切開する手術が行われた。その手術の後遺症としてイレウスを発症し酷い吐き気と痛みに見舞われた。




 そしてもう一つが子宮頸がんだった。




 アグリーの心臓が大きく鼓動を打つ。


 子宮頸がんとはウイルスの感染によっておこるもの。そのウイルス自体は女性に限らず男性にも感染することがあるもので、経験のある女性は過半数が一度は感染する機会のあるありふれたものだ。


「ただ、ミシェル様の場合っ、かなり酷い状態のようで……。子宮を全摘出しなければならないようです……」


 アグリーは茫然とした。


「ミシェル嬢はもともと病弱体質なので魔法を駆使して慎重に手術が行われていますが」


 従者は話を続けている。


 だがアグリーの頭は真っ白になり声は届かなくなった。先日話した時のミシェルの顔だけがぼんやりと浮かぶ。


 

 衝撃だった。不安しか感じなかった。



 従者の話を聞き終えておぼつかない足で部屋に戻る。するとそこへ侍女と一緒にいたアリアベルがアグリーに駆け寄った。


「パパっ、さっきお庭でお花の冠作ったの! ママが帰ってきたらこれあげるのっ」


 アリアベルは無邪気な笑顔でそう言った。そんなアリアベルを見てアグリーは涙腺が熱くなるのを感じた。ミシェルが必死に病気と闘っている今、自分がこの調子ではいけない。アリアベルには心配をかけさせないようにし、仕事も早急に終わらせミシェルのお見舞いに行った。


「悪いがアリアベルを頼む。少し様子を見たらすぐに戻るから」


 アグリーは侍女にそう言った。手術はまだ完全に終わってないためアリアベルは王室に残して様子を見に行った。


 病院に着き、どうしてもミシェルの顔を見たくて無理を言って病室に案内してもらった。目を閉じて静かに眠っているミシェル。手術と投薬で殆ど眠っている状態のようだ。


 医師の話では後二回の手術で終わるようで、手術が終わって数週間の入院が必要になるといった。


「入院期間が終わっても一月は安静にさせた方がいいですね。たまに体を動かすので少しだけ散歩をさせてください」


 医師の話を静かに聞く。


「……殿下、ミシェル様は必ず私たちの手で救って見せます。だから殿下もあまり気を重くしないでしっかり体を休めてください」


 ここに来る時間を作るため仕事を詰めていたせいか、疲れが溜まってきているようでアグリーの顔色はあまり良くなかった。医師の目は誤魔化せないもので注意されてしまった。


 話を終え帰宅した。アリアベルを宥めてその日は眠りについた。


 数日が経ち病院から連絡が入り向かう。


 手術が無事にすべて終わり二週間後には退院できるとのことだった。その言葉を聞いてアグリーはやっと肩の荷が下りた気持だった。手術を経てミシェルが無事であったことは奇跡ともいえる。イレウスは最悪の場合、死に至る可能性のある病気だからだ。


 アグリーは心の底から安堵する。帰宅してから使用人たちに伝え部屋の整備を整えさせた。一月の自宅療養となるがそれでもミシェルが帰ってくることにアグリーはアリアベルと共に喜びその日を心待ちにした。

 

 ミシェルが王室に戻ってくる日がきた。


 ベッドに運ばれ手入れが終わってから部屋の出入りができるようになり、アリアベルをミシェルの元へと連れて行った。


 アリアベルは泣いてミシェルに駆け寄った。そしてミシェルは優しくアリアベルを抱きしめた。


「心配かけてごめんなさい……」


  アリアベルの頭を撫でながら呟いた。


 ぐずるアリアベルを宥めながらアグリーは一度部屋を出て侍女に預けた後、病院から来ていた医師に詳しく話を聞いた。


 しばらくしてアグリーはミシェルの部屋へ戻った。


「君が無事に帰ってきてくれて安心したよ。本当に良かった」


 そう言ってミシェルの頬を撫でた。するとミシェルは栓が外れたかのように大粒の涙が溢れ出した。泣き出すミシェルにアグリーは驚いた。


「どうしたっ、どこか痛みだしたのか?」


 ミシェルは掠れる声で言った。


「ごめんなさい……。わ、私っ、この手術で……、子供を産めなくなってしまって……」


 それは先に医師から聞いた話でもあった。子宮を全摘出したため、ミシェルはもう子供を産めない体になってしまったのだ。身も心もぼろぼろになったミシェルを何もしてやれない自分に嫌気が差す。


「世継ぎも産めずに……、私は本当になんの取り柄もない疫病神です。どなたか別の……正妻を新たに迎えてください」


 涙で濡れた顔を両手で覆いながら言った。


 アグリーはミシェルの手を取り優しく体を押し倒し、握っていた手をベッドに押しつけミシェルの唇にキスをした。


「私が愛した女性はただ一人。ミシェル、君だけだよ。子供が産めなくなったっていいじゃないか。私達には既にアリアベルという神様の贈り物を頂いているじゃないか」


 優しく触れるキスにミシェルの涙が止まる。ただアグリーを見つめるミシェルに微笑んで言った。


「これ以上望むものは何も無いよ。ミシェルがいて、アリアベルがいて。私がいれば将来国だって立派に守っていける」


 アグリーの優しい笑み、けれど強い眼差しには確かな光もあり、ミシェルは止まった涙がまた溢れた。こうして見るとアリアベルとミシェルの泣き顔が本当にそっくりでアグリーはまた笑いながらミシェルの頭を愛おしく撫でた。


 それからは後々ミシェルの体調を気遣いながら何度か見舞いに来ていた友人で公爵家のウィンリッチ・バルバートンと話し合いをし、バルバートン家第一子息のシリウスとアリアベルの婚約が決められた。


 アリアベルが四歳の誕生日を迎えたときアグリーは婚約のことを話した。まだ話すには早いかとも思ったがアリアベルは元気よく返事をした。ちゃんと理解できているかは分からないが無邪気なその姿勢が子供らしくて微笑ましかった。


 その翌年。王室で開催された茶会に親戚も集まり賑わっていた。アグリーとミシェルが貴族たちと話している間、アリアベルは沢山の人が着ている豪華なドレスに目を取られ、気がついたら二人の元からかなり離れてしまっていた。人混みの中を進みなんとか戻ろうとするが運悪く違う方へと進んでしまい、アリアベルは人が少ない隅に出てきた。


 ここの使用人を見つければ頼んで二人のところへ連れて行ってくれるだろうと思い、人混みの方へは入らず会場のすぐ近くの廊下を通り会場外にいる使用人を探しに向かった。廊下を進み曲がり角を右に曲がろうとした時、反対側の客室から話し声が聞こえてきた。


(もしかしたらここの人かもっ)


 話し声がする部屋へと近づいてみる。よく聞くとどこかで聞いたことのある声だ。


「それにしても。王家の跡継ぎがあんないかにも何も考えてないような娘一人っ子じゃ、将来この国もどうなることか分からないわね」


「ミシェル様って疫病神の名で有名だったのよ。やっぱりそんな方を妃に選ぶ事が間違いだったのよ」


 シリウスの屋敷でどれも聞き覚えがあった声だ。アリアベルは母親の名前が出たことに食いつくように反応してしまう。


「陛下はミシェル様の噂のこと知らないのかしら」


「どうかしらね。もうしかしたらミシェル様が騙してたりするかもしれないわよ」


 笑い声が響く。


「やだぁ。だとしたら意外とやり手な人ね」


「もうしかしたらの話よ」


 アリアベルは何だか嫌な気持ちでいっぱいだった。幼い子供でも明らかに悪口を言っているということは分かる。


「そんな人の子供がバルバートン家の第一子息と結婚だなんて、可哀想なこと。何か変な病気が移ったりしないといいけど」


「本当よね。シリウスもこれから大変になるわ。跡継ぎもできないような小娘の代わりにされるんですもの。休める時間もなく必死に勉強して、時には戦場にも駆り出されるなんて」


 アリアベルはこの空気が一気に怖くなった。


 今言っているのは、自分のことだ。


「王家にこき使われるだけなんて可哀想……。せめて」


(……。) 


「『女じゃなくて、男だったら』」


(……っ)


 アリアベルの鼓動が大きく跳ねる。


「こんな問題抱えずにすんだのにねぇ」


 怖い。ここにいて、もし見つかったら……どうなるんだろう。アリアベルは逃げるようにその場から離れた。いろんな気持ちが入り交じる。


 両親はもしかしたら自分のことを本当は好きじゃないのかもしれない。




 そんなことない!あんなに優しい笑顔を向けてくれる二人が……、そんなことあるわけないよね?




 涙が滲んでくる。


「あら。あれは、アリアベル様?」


 そこにいた使用人がこちらに走ってくるアリアベルの姿に気付く。


(シリウス様と遊ばれているのかしら、でも周りに意識が向いてないみたいだわ)


 人にぶつかったら大変だ。走るアリアベルの目の前にたって声をかけ静止させる。


「お待ち下さい! アリアベル様っ」


 それにしても走り回るようなところを今まで見かけたことがなかったのに珍しくはしゃいでいたのだろうか。と思ったがどうやら何かあったようだ。


 アリアベルは涙で顔を濡らしていた。


「え!? どうされたんですかっ、どこか怪我でもされたんですか」


 使用人は驚いて声をかける。だがアリアベルは泣きじゃくりながら顔を横にふる。


「パパっとママ……、のところにっ戻りたい」


 言葉を詰まらせながらもそう言った。


「陛下のところへ? 分かりましたっ、行きましょう」


 使用人はハンカチでアリアベルの顔を拭いて会場へ向かった。


(はぐれて迷子になったから泣いてたのかしら?……それにしてもなんだかおかしい気が)


 アリアベルのことを気にするがとにかく早く二人の元へ連れ戻そうと歩く。会場に戻ってきて二人の姿を見つけるがどうやら取り込み中のようだ。


(どうしよう、まだお話されてる最中だわ……)


 使用人はアリアベルに少しの間待つように言おうとしたが、アリアベルはアグリーの姿が見えた途端に走り出してしまった。


「あっ!」


 使用人が止める間もなくアリアベルはアグリーの足元に駆け寄りしがみついた。急なことでアグリーも驚いている。


「アリアベル? どうしたんだい、そんなに慌てて」


「陛下! お話の最中をお邪魔して申し訳ありませんっ。アリアベル様、あちらでもう少し待っていましょう」


「あぁ、いや、いいよ。アリアベルも一緒で」


 急いで駆け付けた使用人にアグリーはそう言って下がらせた。


「おや、お父さんとお母さんを独り占めしちゃったからすねてしまったのかな?」


 話していた侯爵がそう言って微笑ましそうに笑った。アグリーも笑ってアリアベルの頭を撫でる。


「アリアベル?」


 ミシェルが不思議そうに言うのでアグリーはアリアベルの方を見ると、アリアベルはしがみついたまま体を震わせている。


「一旦席を外したほうが良さそうですね、長話をしてしまいました。私はこれで失礼します」


 これには侯爵も驚き戸惑っているが気を遣ってその場を離れた。アグリーは挨拶を交わして侯爵が去ってからアリアベルを抱き上げた。


「アリア、何かあったのかい?」


 アリアベルは震えた声で言った。


「パパはっ私のこと、嫌い?」


 唐突な言葉にまた驚くがアグリーは言った。


「いきなりどうしたんだい。パパもママも、アリアベルのことを愛しているよ」


 ミシェルも寄り添う。そしてアリアベルは言った。


「本当に? 私が女の子で悲しくない?」


 二人の体が強張った。

 

 ミシェルが聞いた。


「どうして? アリアベルは可憐な女の子よ、悲しいなんて思わないわ」


「私がっ、男の子だったら。……パパとママは嬉しい?」


 アリアベルの言葉に二人共衝撃を受けた。


「誰がそんなこと……」


 ミシェルにはあまりにも衝撃が大きく言葉が震える。ミシェルが一番心に深く傷を負わせた罪悪感が今度はアリアベルの心にも傷を付けた。耐えられずにミシェルは二人から顔を反らして涙を流す。


 アグリーは心の底から這い上がってくる気持ちを感じながら静かな冷たい声で聞いた。


「誰かに言われたのか」


「シリウスのお屋敷に行った時にいたおばさん達の話してる声が聞こえたの……」 


 アグリーはアリアベルを抱きしめた。


「誰がどう言おうとアリアベル、君は私達にとって天使の様な存在なんだよ。だから泣かないで」


 アリアベルは泣きながら頷く。ミシェルは未だ両手で口元を覆い悲しみに暮れている。アグリーは近くで待機していた従者を呼んだ。アリアベルの背中をさすりながら従者に引き渡した。


「すまないがアリアベルとミシェルを頼む」


「はい」


 アグリーは振り返りミシェルを抱き寄せた。


「私は少し席を外す。アリアと待っていてくれ」


「……はい」


 ミシェルは小さく頷く。


 遠くで談笑していたウィンリッチと一緒にいたシリウスは内心退屈していた。親達だけは会話が進み自分は特に話し合える相手がいなかったため呆然としながら周りを見ていたところアリアベルとミシェルが二人でいるのが見えた。


 貴族たちとの絡みが無くなった今なら話しかけられるだろうか。


「母様っ、アリアベル嬢と話をしてきてもいいですか」


「もう少し待ってね、お父様の御用が終わったら一緒に挨拶に行きましょう」


 母、カルレンはそう言った。つまらなそうにアリアベルの方を見ると二人の異変に気づいてシリウスは無意識にアリアベルの元へ駆けて行ってしまった。ウィンリッチも慌てて話を終わらせてカルレンと一緒にシリウスを追う。


 シリウスは何故アリアベルが泣いてるのか理由は分からなかったが声をかけて慰めた。


「王妃陛下、息子がいきなり申し訳ありません。ご機嫌いかがですか。……国王陛下は御一緒じゃないんですか?」


 ミシェルに代わって従者が端的に説明した。


 その後茶会は予定していた時間より早くお開きとなり、騎士隊らとアグリーにより捕獲された会場裏の客室で溜まって話をしていた女性三名には軽い処罰と王室の出入りを禁止された。








「……後でウィンリッチが謝罪に来た。あの男は誠実でな、私も信頼をおいていたがウィンリッチの妹とその夫の姉妹に少々問題があったみたいでな。まぁ、あの件に関してはウィンリッチは何もしていなかったわけだから水に流すことにしたんだがな」


 アグリーは曇った顔をする。


「その日以来なんだ、アリアベルの態度が一変したのは」


 ノアは頭の中で現在と照らし合わせながら静かに話を聞いていた。


 おそらくアリアベルはその時の言葉が深く胸に刺さったのだろう。


「私達のことをパパ、ママと呼ぶこともなくなったし、話しかけても堅苦しい言葉遣い、遊ぶことを止め本と向き合うようになった。いいことなんだが部屋に篭る時間が増えていたからなぁ。それになにより気が強くなった」


 その言葉で以前ベルタから言われた言葉を思い出した。


(成程な。それでか)


 アグリーは紅茶を一口飲んだ。


「だが今となってはそれも慣れてきて、あれであってこそのあの子らしさだとも思えるようになってきたから。もう仕方がないんだがな……」


(……。)


 ノアはアグリーをじっと見つめる。


「……本当に、二人には辛い思いばかりさせてしまった」


 ノアはそれまで黙っていたがここでようやく口を開いた。


「そういえば、王妃がまだ一度も顔を出さないのは病気で寝込んでいるからか?」


「あぁ。ノア達が来る前日に風邪を引いてな。数日して熱が下がったんだが、またこじらせてしまったようでな、まだ安静にさせている。ミシェルの場合は熱が引いても症状がすぐに良くならないからしばらく寝かせておかないといけないんだ」


 そう言ってまた一口紅茶を飲む。どうやらそれが最後の一口だったようだ。時間も遅くなってきたので使用人が戻ってきた。


「長話に付き合ってもらってすまない」


 ノアは言う。


「いや、今の話が聞けてよかった」


「アリアベルのこと、引き続き頼むぞ」


 そう言ってアグリーは部屋に戻ろうと立ち上がる。


「……」


「ん? どうかしたか」


 黙ったままでいるノアにアグリーは不思議そうに振り返る。


「今回の依頼が終わったら、一度うちの医師に見てもらうといい。リージアとは違う能力を持つ医師もいる。もしかしたら王妃に合った薬があるかもしれない」


 アグリーは驚く。


「なに、本当か? それはとても光栄だ、是非ともよろしく頼む」


 アグリーの言葉に頷いてノアは寮へと戻った。




「俺も随分と人に甘くなってきたな……」 

 

 ぽつりと呟いた。少し前までのノアならきっと放置していただろう。自分でもどうしたと思うくらいだった。それでも何か声をかけなければと心が焦ったのは、きっと寂しげな顔をするアグリーを見ていられなかったからだろう。


 というより、見たくなかったのだ。


 自分が嫌悪を感じている種族に対して善意を向けるなんて考えたくないという気持ちがあったが、ここに来てからいろんな人間と関わり知ったことでその気持ちが薄れているような感覚を覚えていた。それでも嫌悪を思い出そうとするのも、意地になってるようで嫌だった。


 さっきまでの事を思い出す。


(もしもアリアベルが女達の言葉を聞いていなかったら、今とはもっと違った人間でいたんだろうか)


 人間は所詮、人間でしかない。


 善でも悪でもない薄汚れた存在。


 種族を語ればそれはひとまとめにされるものだ。ノアにとって、ノアに対して非道を働いた人間は一纏めにそれが人間と括られてしまっている。それでも中には傷つけられる者や、それを守ろうとする者もいる。




 この先、その二つの存在がノアの心を少しずつ衝き動かしていくきっかけとなる。


 


 

 








 








 




 

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