第8話 過去
王室に帰ってきた。
アリアベルは暗い顔のまま部屋へと戻った。
ベルタは何かあったのかと心配していた。ノアはただそっとしておけと一言いってそのまま部屋へと戻って行った。
夜が更け朝になり、二人はまた車に乗る。
ノアはアリアベルの顔をちらりと見た。目の下に薄くクマができている。
(……相当応えているな)
昨晩は眠れなかったのだろう。前から睡眠不足だったのだろう、疲れが溜まってきているようだ。学院に着いていつも通り授業を受け時間が過ぎていく。
休み時間になりアリアベルは一人で廊下を歩いていた。そこにカリアーナとフィリーシャが駆け寄ってきた。二人は声をかけるがアリアベルはどこか上の空だ。
「今は、一人にしてもらえませんか」
アリアベルは小さく言って一人で歩いていく。
庭園へ入りベンチに腰を下ろし、息をついた。何も考えられなくなった頭でただ花を見つめていると隣にノアが座った。
「何かあったか」
嫌気がさしていた。もうどうでもいいと考えることを辞めようとしていたが、ノアの声が背中を擦っているような気がした。全部吐き出して、文句もぶつけて、心に溜まった鬱憤を消したい気持ちもあったが言葉にすれば自分が更に惨めな思いをしそうで躊躇する。
何よりこの事をノアに話すのもどうなんだろうか。他国の人間に関係のないことを言うのも違うだろう、一体どうすればいいのか分からなくなった。
辛いの、と言いたかった。
だがその時、誰かの話し声が聞こえてきた。アリアベルは口を紡ぐ。その声は近づいてきて、こちらに気づくとその高い声で話しかけてきた。
「あらぁ? アリアベル様ではございませんか」
声の主はアグナリシアだった。そしていつもの三人の令嬢も一緒だった。
「そうそう、噂を聞いたのですがシリウス様とご婚約を解消されたとか。何があったのかは存じませんが、お気の毒でしたわね」
アグナリシアはそう言うと他の三人もクスクスと笑っていた。アグナリシアは隣りにいるノアを見て笑いながら嫌味らしく言った。
「まぁ……、それにしても婚約者が居なくなったとはいえ、さっそく他の殿方と密会されていたのですか? 行動が早いですわね」
勝手にベラベラと喋るアグナリシアの声が鬱陶しく感じたノアは苛立って思い切り睨みつけた。
「なっ、何よ、その目。誰かは知りませんがお気に触るようなことを何か言ってしまったかしら?」
挑発的に言うがノアは冷たい目を向け続けた。ノアの瞳を見た瞬間アグナリシアの体が金縛りのように動かなくなった。ノアの目は元の竜の眼に戻っており、真紅の眼光が人間からは感じたこともないような計り知れない恐怖に全身を襲われた。
動かなくなったアグナリシアを不審に思い三人が声をかける。
「っっ!! 無駄話をしてしまいましたわ、皆様っ行きましょうっ。アリアベル様、御機嫌よう」
そう言い捨てて踵を返し早足でその場から去っていった。
アリアベルは今までの一連に置いてけぼり状態で呆然としていた。
「はぁ。お前は戻らなくていいのか」
溜め息混じりにノアが言った。
休み時間が終了間近に迫っていたことに気づき慌てて教室へと戻った。
午後の授業が終わり車が着くまでの間に借りていた本を返しに行きすぐに図書館を出た。帰路につき王室へ向かう。
二人は車から降りた。アリアベルが部屋へと帰っていく。ノアはアリアベルの後ろ姿を見つめる。
ノアは会議室にて今日の報告を交わす。相変わらず大きな進展はないままだった。翌日からは二日間学院は休みのため犯人を突き止めるための見回りを強化することになった。
ノアはリージアのまとめた書類に目を通し、調査に出る。
調査を終えて王室に戻ってきた。いつもはすぐに寮へ向かっていたが、なぜか無意識に本館へ入っていた。無意識というよりもノアは悩んでいた。アリアベルの事をアグリーに報告するべきなのかを。
(結婚は国を揺るがす重要な問題だ。もうすでに話は進んでいるだろうがアリアベルの精神状況は良いものとは言えない。正直あの男と女の事を話してしまえば……、だがそれを今更伝えたところでどうにかなるわけでもないしな)
考えながら歩いているといつの間にか中央部にまで来ていた。中央は開けた庭になっており花壇には沢山の薔薇が植えられている。ガラスの天井から入る陽の光の下で椅子に座り紅茶を飲んでいるアグリーの姿が見えた。
アグリーの側にいた使用人がこちらに気づく。使用人の様子で気がついたアグリーも振り向いた。
「おや? そこにいるのはノアか。本館に入ってくるなんて珍しいじゃないか、どうかしたのか?」
ノアは特に反応しなかった。何も言わないノアだがアグリーは気にすることなく話をしようと呼びかけた。言われるままノアは側に寄っていき使用人が用意した椅子に腰を下ろした。
「ノア達が来てもう二週間は過ぎたか。どうだ、アリアベルとは上手くやれてるか」
アグリーの問いかけにどう答えるべきか考えるがどうせ後にしたところで話すことになるだろうと思いシリウスの名をだした。
「話は、もう進んでるのか」
アグリーの手の動きが止まる。一瞬顔が曇ったが紅茶を取り、笑いながら話した。
「先日、ここに出向いてきたな。アリアベルの学院での行為を熱く語っていた。まぁ殆ど聞き流していたが仕舞に婚約を破棄すると言い出したときは少々混乱したが」
紅茶を飲み机に戻す。
「バルバートン家とは古くからの付き合いだったがな、シリウスのあの様子だとアリアベルにとってもあまり良くない影響が出るだろう。まぁ他にも候補はいくらでもいるからな、別に困らんよ」
最後の言葉には冷たさを感じた。シリウスがどんな態度でいたかは知らないがアグリーでも何かしら勘付いてはいたのだろう、怒りが滲んでいた。
アグリーの話を全て聞き、ノアも学院でのアリアベルの状況を話した。
アグリーは深い溜め息をつきながら聞いていた。
お互いに出る言葉がなかった。するとアグリーは思いついたようにノアに言った。
「少し、話は変わるんだが。私の昔の話を聞いてくれないか」
そう言われノアは頷くと、アグリーは使用人に席を外すよう言った。使用人が紅茶を注ぎ直してからその場を出ていくとアグリーは話はじめた。
アグリーが十歳の頃、婚約者はまだ決まっていなかった。
周りの女性からの猛アプローチに日々追われる毎日。アグリーは落ち着いた性格な上内気で引込み思案なところもあり目の色を変えて迫ってくる女性が苦手だった。話さなくても分かる女性たちの本音は大体がアグリーの王族としての肩書に目をくらませ王妃という権威欲しさに親子ともども圧をかけてくるものだった。
見え透いた考えに嫌気が差し逃げ回るうちに、アグリーはいつしか女性嫌いになってきていた。以来、近寄ってくる女性には嫌悪感しか感じなくなり時には冷たくあしらうこともあった。両親はそんなアグリーを心配していた。
とある夜会でのこと。
アグリーは女性を避けるように男性貴族とばかり会話を交わしていた。それでも最悪挨拶を交わすのは必要なことであり、仕事の会話も合わさって少し疲れを感じ、風に当たろうとバルコニーへ向かった。
会場の扉を出てバルコニーに差し掛かった時、そこには既に誰かが背を向けて立っていた。薄暗くてよく見えなかったが影からして女性のようだ。心の中で落胆しながらも気づかれないように通り過ぎようとしたが、足音が鳴り女性は気づいてこちらに振り返った。
振り返り、目があった瞬間。アグリーの世界が一瞬止まったようだった。
月夜が照らし明るさに慣れた目に写ったのは、白銀に輝き長髪がなびく真っ白な肌をした女性だった。
「アグリー殿下、御機嫌よう。私はミシェル・アルベルトと申します」
か細い声で挨拶をするミシェル。アグリーは女性を見て初めて心の底から綺麗だと思った。まるで月の妖精のようだと見惚れた。
だが、普段女性を毛嫌いしていたアグリーは反応に詰まってしまった。立ち止まるままのアグリーにミシェルは声をかけた。
「あの、大丈夫ですか?」
「あっ、あぁ、いや、少し人混みとお酒に酔ってしまってね。休もうかと、風に当たりに来たんだが」
「まぁっ、ご気分は悪くありませんか? よろしければお水を持ってまいりますが……」
「いやっ、大丈夫だよ」
笑ってそう言うとミシェルは不安そうにしていたが、人混みにも酔ったと言っていたアグリーを気遣いミシェルはそっと会場へと戻っていった。
(彼女、あまり顔色が良くなさそうだったけど戻って大丈夫なんだろうか。……もしかして私のことを気にかけてくれたのか?)
ミシェルを気にするも追いかける気にもなれず風に吹かれていた。しばらくすると、何やら会場の方が騒がしくなっているようだ。人のザワつく音が聞こえる。
何か問題でも起こったのだろうか。気になって会場へ戻ると先程顔を合わせたミシェルが倒れていた。周りには駆けつけた人が囲っている。その輪に割って入りミシェルに声をかけた。ミシェルは返事ができず苦しそうにしている。只事ではないと察し、アグリーはミシェルを抱き上げ客室へと運んだ。
ソファに寝かせ、先に呼んでいた医師が部屋に入ってきた。アグリーは外に出て待っているとそれほど時間が経たない間に医師が出てきた。容態を聞くと緊張とストレスによるもので大事には至らないとのことだった。
「少し落ち着かせればすぐ良くなりますよ。ですが、この後に会場へ戻らせるのは辞めておいた方がいいですね」
医師の話を聞いてからアグリーは様子を見に静かに部屋へ入った。アグリーが入ってきたことに気づき、ミシェルは体を起こそうとした。
「まだ起きないほうがいい」
「ご迷惑をおかけして申し訳ありません」
「何も問題ないさ。それよりも体の方は大丈夫かい?」
「はい、大分落ち着きました」
ミシェルは笑みを浮かべた。その表情も無理しているように見えてアグリーは言った。
「私が外に出た時、本当はミシェル嬢も気分が悪かったんじゃないか? 私に気を遣って無理して会場に戻ったんだろう」
アグリーは申し訳無さそうに言った。
「いいえっ、私もしばらく風に当たっていたので。気分が良くなったので大丈夫だろうと思っていたのですが、元々私は体が弱いこともあったのでこのようにご迷惑をおかけすることになってしまいました
」
ミシェルは目を閉じて言った。アグリーはこうして話をするのも辛そうに見えるミシェルにそれ以上は話すことを止めた。
その後、夜会は何事もなく終わりそれから数日が経った。あれからアグリーの頭の中はミシェルの顔ばかり浮かんでいた。今まで何人もの女性と会ってきたが、その中でも嫌悪を感じることなく逆に見惚れてしまうのは初めてだった。
執務中、来客が来たと報告が入り挨拶に向かった。応接室に入る。
「失礼します」
「アグリー殿下、失礼しております。私はトーマス・アルベルトと申します。こちらは妻のミーナです」
紹介されてミーナは一礼する。その後ろにもう一人立っているのが見えた。前に出てきた時、顔を見た瞬間その顔に目を見張った。
「御機嫌よう、殿下。ミシェル・アルベルトです。先日はご迷惑をおかけしました」
アグリーは驚いたが笑みをこぼしながら言った。
「君はっ。元気そうで何よりだよ」
アルベルト家は昔から高級品質の布を取り扱った有名なドレスの仕立て屋をしている。この日来訪したのは現代王妃の母、セレスティーナの新しいドレスを仕立ててもらうためだった。
「アグリー。ドレスについて話し合うだけですぐ終わるから、庭にある薔薇園へミシェル嬢を案内されてはどうだ」
父、スフィリアがミシェルを目にした時のアグリーの反応を見てからかうように言った。
「でも……」
アグリーがミシェルを見る。
「是非っ」
ミシェルは笑顔で頷いた。
そうして二人は薔薇園へと向かった。
「ミシェル嬢、体調が悪くなったら言ってね」
「お心遣い頂きありがとうございます」
そして薔薇園へ辿り着いた時、その光景を見てミシェルは目を輝かせた。花壇に駆け寄り薔薇を眺めるミシェルの歓喜する姿はまるで幼い子供のようだった。体の弱い彼女が笑顔で花壇の周りを歩き回る姿にアグリーもなんだか嬉しい気持ちだった。
一緒に見て回り、椅子に座って休んでいるとアッという間に時間が過ぎ使用人が呼びに来た。
「アグリー殿下、今日はとても楽しかったです。案内してくださってありがとうございました」
「私も楽しかったよ」
久しぶりに仕事から離れゆっくり時間を過ごしたアグリーの心も落ち着き、ミシェルの笑顔に癒やされていた。
ミシェルは少し口籠りながら何か言いたそうにしている。
「どうかしたのかい?」
「あの、……また来ても、よろしいでしょうか……」
「! あぁ、もちろんだよっ」
ミシェルの言葉にアグリーは笑顔で頷いた。
ミシェルにまた会えると思うと心が踊る気分だった。
それからミシェルは度々王室に来ては仕事の話はもちろん、アグリーと共に薔薇園でお茶をしたり書庫室に行って本を読んだりなどして過ごした。
ある日、アグリーはミシェルが読んでいる本が気になって何を読んでいるのか聞いてみた。
「それは何の本を読んでるんだい?」
「これは高貴な身分である男性と平民の女性が恋に落ちるという内容の小説です」
「そういえばこの前読んでいたのって神話に出てくる神様と人間が恋をして共に国を築く内容の物だったよね。ミシェル嬢は恋愛小説が好きなの?」
アグリーがそう聞くと、ミシェルは顔を赤くし照れ笑いをしながら答えた。
「私、小説の中で起こる情熱的な恋に憧れてて。ついつい恋愛小説ばかり読んでしまうんです」
「小説の中での恋に憧れ? ミシェル嬢のような女性を周りの男性は放っておかないでしょう」
ミシェルは首を横に振る。
「いいえ、そんなことはありませんよ。殿下も私の体が弱いことはもう十分分かってらっしゃるでしょう。生まれつき虚弱な私は幼い頃にある流行病にかかってしまってからは、私のことを疫病神だと言う者もいて誰も近づきませんでした」
アグリーは愕然としていた。ミシェルはそれでも気にしてないような笑みで話していた。
(夜会の時、倒れているミシェル嬢を誰も触れようとしなかったのはそれが理由だったのか……)
「ですから、私には到底叶うことのない恋を小説を読むことでその世界を体感してるんです。ですが今は恋などできなくてもいいと思ってるんです。今みたいにこうしてお喋りしながら、好きな本や綺麗な花に囲まれて過ごしているだけで幸せだから」
ミシェルの言葉を聞いてアグリーは胸の内が苦しくなった。自分の願いが叶わずとも些細な出来事がこれ以上にない幸せだというミシェルの心が、儚く、切なく思えてアグリーは咄嗟にミシェルの手を取った。
「ミシェル嬢っ、私と……婚約を結んでほしいっ」
急な申し出にミシェルは驚いた。
「え? な、何故ですか? 私では、駄目ですっ。殿下にはもっと他にふさわしいお方がーー」
「ミシェル嬢は私のことが嫌いかい?」
ミシェルの言葉を遮りアグリーは言った。真っ直ぐな瞳でミシェルを見つめる。
「私では、駄目か?」
聞かれてミシェルは顔を赤くしてうつむき、首を横に振った。
「私はね、初めて会った時から君のことをいつも考えていたよ。私自身あまり女性に対して好きという感情を持てなかったから、この気持ちが何なのか分かってなかったけど。やっと気づけたんだ」
アグリー自身にも不安はあった。ミシェルは恋をすることに諦めを感じている、だからもしかしたら受け入れてもらえないかもしれない。それでもここで言わなければ、気持ちを伝えなければならないと直感がいっている。頭がその言葉で一杯だった。
「で、ですが、私と一緒にいることを公にすると殿下までどう言われるか……」
仕事を理由にしないと会う勇気が持てなかった。この僅かなひと時を自分のせいで周りから冷たい目で見られて不快に思わせることが嫌だった。ミシェルはこの時間を失いたくなかったのだ。
ミシェルは呟く。それでもアグリーは言った。
「ミシェル嬢のことが好きなんだ。もう君が傷つくような思いはさせないよ。これからもどんな病が君を襲ったとしても、私はずっと君の傍にいる。苦しい時もっ」
そしてミシェルの両手を取り、跪く。
「だからっ。ミシェル嬢、私と結婚してくれないか」
アグリーの瞳を見つめるミシェル。ミシェルはアグリーの熱意に涙を零しながら頷いた。
「私でよろしければ、……お願いします」
アグリーは感激した。ミシェルを愛しく抱きしめる。
それから二人は正式に婚約を結んだ。
ミシェルを連れて四人が揃っている場で報告した時、スフィリアとセレスティーナは笑顔で聞いていたがトーマスとミーナは涙を浮かばせていた。
「ミシェルは周りの勝手にたてられた噂に心を傷つけていたので、心配もあり私たちの仕事に同行するようにさせて一緒にドレスを仕立ててきていました。結婚に関しては私たちが決めるよりもこの子が心に決めた人をと思っていたんです」
泣いているミーナの肩を撫でながらトーマスは言った。
そんな二人にスフィリアが言った。
「ミシェル嬢のことは私の息子が必ず幸せにするさ。だからもう泣くのはやめなさい。私達もアグリーの結婚については悩んでいたんだが、なんとも喜ばしい事じゃないかっ」
四人は笑顔でアグリーとミシェルを盛大に祝福した。
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