第4話 黒い婚約者

 

 ノアは学院内で人が一番集まりやすい場所を探して歩いていた。そこで目に入ったのが図書館だ。館内は他の教室と違い、本棚が立ち並び一室の中で二階造りになっていて出入り口から二階まで見渡せる開けた構造になっている。


 ノアは中に入り二階に上がる階段まで来た時、階段上から声がした。本を持って驚いた顔をするアリアベルが立っていた。


 黙ったまま階段を上っていく。その後ろをアリアベルはついていき小さな声で話しかけた。


「あなた、今までどこにいたの? それにいつの間に建物内に入ってたのよ」


 そう聞くのも無理はない。


 アリアベルは何も聞かされておらず、ノアがどういう行動をしているのかも分からず、見ることもできない。


 ノアは静かな声で返した。


「俺は薬を使ってこの場に溶け込んだことで一つの景色として誰からも疑われることなく歩き回ることができている。他の三人が外を調べている間、俺が学院内を調べるのが役目だ」


「じゃあ今までずっと学院内にいて生徒の中に紛れ込んでいたの? 」


「そうだ」


「そう。私はあなたの存在に気付くこともできないけど、あなたからはずっと私のこと見えてるのね」


 アリアベルの言葉にノアは眉をひそめて言った。


「おい、変質者みたいな言い方するなよ。俺はお前の護衛も任されてるんだぞ。俺から見える場所に常にいるのは当たり前のことだ。俺がここに入る前からお前がいることは分かってた」


 ノアの言葉にアリアベルは口が開いたままになっていた。姿を見ていなくても気配で認識できるということがいまいち理解できていない様子だ。


 分かりきっていた反応ではあるが、ノアはそのことで注意するように言った。


「俺とお前の関係を周りに知られると調査上で支障が出る可能性がある。ここで話をするときはただの顔見知りな関係を装うようにしろ」


 アリアベルはどことなく不服そうな顔をしている。アリアベルが何かを言おうとした時、ノアがアリアベルに動かないよう手を小さく動かし静止させた。


 反射で動きを止めたとき、背後から男の声がした。


「そこにいるのはアリアか? 何をしている」


 声をかけた男はアリアベルが一緒にいた人間が男だと気づくと睨むようにノアを見据えた。


 ここは図書館。普通この場所で何をしていると聞かれても、本を持っている二人からすると不思議とも思わない光景だ。だがその場には、ノアとアリアベル以外に人がおらず、一瞬の見た目だと逢引きの様に見えなくもない状況だ。


 固まっていたアリアベルは息を浅く吐いて振り返った。


「御機嫌よう、シリウス殿下。こちらの方が本を探すのにお困りのようでしたのでお手伝いしておりました」


「ありがとうございました。では俺はここで失礼いたします」


 そう言ってノアはアリアベルの横を通り過ぎ一階へ降りて行った。


「なんだあの男は、君が国王の娘と知っていての態度か?だとしたら無礼な奴だな、逃げるように去って行って。それともアリアはああいう腑抜けが良くて声をかけたのかな?」

 

 棘のある冷たい言い様にアリアベルは無表情で否定した。


 そうしているとまた別の生徒が歩いてくる音が聞こえてきた。一人の女生徒がアリアベルたちのいる棚に入った時、二人を見て慌てて頭を下げた。


「すっ、すみません! あの……お邪魔するつもりはなかったんです。ちょっと本を探してて……」


 必死に謝る女生徒にさっきまでとは打って変わった優しい顔をしたシリウスが話しかけた。


「気にしないでくれ、何もしていなかったから。それより君、ここの棚の本を読むのかい? ここの本は古い歴史書ばかりなのに素晴らしい趣味だね」


 そう言われてた女生徒は顔を赤くして照れているようだ。アリアベルはそんな二人のやり取りを何も言わずただただじっと見ていた。


「向こうにも興味深いことが書かれている面白い書物があるんだ、教えてあげるよ」


 シリウスはアリアベルの方をちらっと見て言った。


「じゃあ、僕らは失礼するよ」


 二人はそのまま他の本棚へと移動していった。


 三人がいたすぐ近くの窓の外、木陰の中に身を隠していたノアはすべてを見て聞いていた。アリアベルに関わる周囲の人間も調べるために二人を見ていたが、丸聞こえになっていた話の内容に苛立ちを覚えていた。


「腑抜け……か。人間風情に言われるとはな。それにしてもあのシリウスとかいう男なんだか黒いな。悪い気を感じる」


 アリアベルが窓の方に振り向き思いつめたように立ちすくみ外を眺めているとノアに気付き目が合った。しばらく目が合っていたがすぐにノアは木から降りてどこかへ歩いて行ってしまった。


「どうして……」


 アリアベルはノアの背中を見つめながら呟いた。その呟きさえも聞こえてしまうノアは更に苛立ちがつのった。





 授業が終わり帰る時間。アリアベルは一人、学院前で待つ車まで歩いて向かっていた。車内にはノアがすでに座っていた。隣に静かに腰を下ろす。アリアベルの動きが止まったところでノアが口を開いた。


「他の生徒に聞いたんだが、図書館で会ったシリウスっていう男はお前の婚約者らしいな」


 シリウスの名を聞いたアリアベルの顔は曇っている。


 シリウスはバルバートン侯爵家の一人息子で、幼少期の頃にアリアベルと婚約が結ばれた。アリアベルとシリウスは幼いころから特に仲が良かった訳でもなかったのだが、シリウスの両親とアグリー達の意向で取り決められたのだ。


「えぇ、そうよ」


 暗い顔のアリアベルにノアは何かを察したように聞く。


「あの男とはあまり関係が良くないのか?」


「あの人とのこと、説明しないと何か問題でもあるの?」


 余程シリウスとのことを触れられたくないのだろうか。


 間をおいてからノアは頷いた。


「あの男に何か引っかかる感じがする。探ってみようとは思っているが前もって得られる情報はなるべく集めておきたい」


 あくまでも仕事として。そんなノアの態度だったが、アリアベルは話そうにも重い口が動かず喋りにくそうにしていた。


「お前の身にも危険を及ぼす可能性がある。それにここで聞いた話は他の三人や国王に報告したりすることはない。俺が今後の動きを考えるために知っておきたい。話せること少しでもいいから教えろ」


 アリアベルはノアの顔を見つめた。


 仕事といへどこちらのことは一切無関心だと思っていたが、ノアの言い方に冷たさを感じるも自分のことを気遣ってくれていると感じてアリアベルは内心驚いた。その言葉に重い口をようやく動かし、どことなく落ち着いた気持ちで話せるようになった。


「私たちが幼い時にお父様とお母様、そしてバルバートン家の話し合いによって殿下との婚約が決められたわ。それでも当時の私はまだ五歳で婚約なんて言葉がうまく理解できていなかった」


「ということはお前にとって親の話し合いで決まった婚約は望んでいないものだったのか?」


 アリアベルは苦笑しながらも首を横に振った。


「いいえ。最初こそは分かっていなかったけど教育を受けるにつれて理解できたし、国王の娘として私がこの国を治めなければという思い一心で勉学にも励んだわ。それに私は彼のことを少しずつ好きになっていってたから」


 ノアが見たときのシリウスの態度はあまり良いものには見えなかった。それでもノアはアリアベルの目を見て黙って話を聞いていた。


 シリウスは夜会や茶会などの社交の場で優しくアリアベルをエスコートし、気配りもしていた。そんなシリウスの優しさに自然と心が寄っていたのだ。


 王家に男児が生まれなかった分アリアベルは自分がしっかりしなければと一生懸命に教育を受けてきたが、シリウスもまた優秀で学院での成績も良く将来国のために熱心に勉強しているシリウスとならどんな壁も乗り越えていけると思っていた。


 だがそんな矢先の事だった。


「……私が二学年に上がって間もなく、ある事件が起きたの。それ以来彼は私に対して冷たくなってしまったわ」


「事件?」


 アリアベルは悲しそうな目でうつむいていた。


「ごめんなさい。……あまり言葉にしたくないの」


 小さな声でつぶやくその言葉は震えていた。


「でも多分……あなたも時機に知ることになると思うわ」


 沈黙が走る。


 ノアが外を見るともう王室の門が見えてきていた。車は門扉をくぐって行く。


「今ので十分だ」


 ノアが話を区切り、車は停車した。二人は車から降りる。ベルタが出向かいに出ておりアリアベルに深く頭を下げた。


「お帰りなさいませ、お嬢様。お荷物を」


 ベルタにカバンを渡し三人は玄関の方へ歩いていく。広間に入るとダリア達とカトラーの四人に、数人の使用人がいた。使用人はアリアベルに頭を下げるとベルタも一緒に自室へと歩いていき、ノアは四人の元へ行く。


「お疲れさんっ。初日の学院だったけど様子はどうだった?」


 ダリアはノアの肩を叩きながら聞いた。


「人が多くて疲れる……」


 ノアは溜め息をつきながら言った。そこへカトラーが二人に言った。


「とりあえず寮まで行こう。会議室があるからそこでお互い報告しあおう」


 二人は頷いて会議室へと移動した。


 

 会議室に入ると三人の隊員が居て談笑していた。三人はカトラー達を見ると、軽い口調で話しかけた。


「おっ! 団長、やっと帰ってきたか」


 そう言ったのは銀髪が映える男で、ノアを一目見てニカッと笑い言った。


「俺はクリスだ、よろしくな! こっちはアリスだ」


 アリスという男は金髪で、二人に顔をノアはまじまじと見つめた。


 クリスが言う。


「俺らは王室にいる中で唯一の双子なんだ。アリスが弟」


「髪色以外じゃ見分けがつかないくらい似てるんだな」


 ニサの屋敷でも顔の似た兄弟はいたが双子であるクリスとアリスはその比にならないほどに瓜二つだ。


 そんな二人の後ろから少し背の低い黒髪の長い前髪で目が隠れている男がひょこっと顔を出した。


「あー、こいつはジャーミスな。口数少なくて普段あんま喋らないんだけど、まあそこは気にしないでくれ」


 クリスがジャーミスの肩をバシバシと叩きながら言った。三人はカトラーの呼び出しで今回の話し合いを一緒に聞くように言われていた。カトラーが手を鳴らし、皆に椅子につくよう言った。


 まずノアが学院で気にかかったこと、そしてシリウスのことを話した。普通の人間からは感じることがないはずの気配をシリウスから感じ取ったことを伝えるとクリスが呟いた。


「シリウス殿下か……。確かに最近では王室に来ることがあってもお嬢様とは一切会われずそのまま帰られてるらしいしな。一般人からは感じない異様な気配って……。もしかしてシリウス殿下、実は人間じゃないとか!?」


 クリスの言葉にノアは首を横に振る。シリウスは紛れもなく人間ではあるが、なぜそんなシリウスから異様な気を感じるのか、ノアは裏で何か企てている者がいるのではないかと疑っている。


「アリアベル自身への危険も考えられる。今日である程度目星をつけた人間も含めて明日から徹底して調べていこうと思う」


 ノアがそう言い話し終えた。そして次にリージアが話を始める。


「俺とドーマはここの寮や訓練壌他施設の説明を聞いた後諸個室に案内してもらって王室関係者の書類を少しだけ見てみたが、かなりの量があった。国外の分も含めると長丁場になるのは確かだ。ドーマと訓練をこなしつつ調べていこうと思う」


 ドーマも隣で頷いた。


「書類も多いことだから隊員を何人か付けてサポートしよう」


 カトラーが言った。


「それは助かるな、頼むよ」


 リージアとドーマは礼を言った。


 最後の報告はダリアのみとなった。


「俺は昼に学院外の周りの様子を見てきた。ザっと見てすぐ戻るつもりだったんだが、学院の裏手にある森に差し掛かった時かすかに瘴気を感じたんだ」


 ダリアはそう言うと立ち上がり、腰に巻いていたポーチから何かを取り出した。そこから出てきたのは折り畳まれた少しだけ膨らみのある布だった。その布をノアの前に置いた。ノアはその布を広げると中にあったのは一本の花だった。


 その花は異様に鋭い棘のある茎に、花びらは赤黒くまるで血のように見えた。


 ノアはそれを手に取り、花びらを指でそっと触れた。


「これは……この花を森の中で?」


 ダリアは頷いた。


「森の中へ続く川に沿って奥まで進んでいったところだったと思う。それも川の水面上のくぼんだ岩陰に一本だけ。周囲をくまなく確認したけどそれ以外は見つからなかったんだ。」


 ノアが持つ花に皆の目が集まる。カトラーはダリアが戻ってすぐにこのことを聞いていたが、実物はまだ見せてもらっていなかったためそれほど危険な物とも実感できていなかった。そうしてやっと目にすることができたが、確かに植物にしては針のような棘に色の濃い花びらは異様にも見える。


 だが花の形はまるでユリのような見た目で意外と普通だった。


 この花が一体どんな危険物なのか、カトラーが聞くとノアは言った。


「この花はヘルブラッドっていう名前で魔界に咲く花だ。瘴気を放って生き物を弱らせ寄生し血を吸って成長する。地面から抜いてもしばらく瘴気を放ち続けるから人間が素手で触るとすぐ体に負荷がかかる」


 ノアの言葉にカトラーは顔を引いた。


「けど今は抜いてからだいぶ時間が経ってる。瘴気はもう消えてるから素手で触っても大丈夫だぞ」


 そう言ってカトラーに花を手渡した。カトラーは若干警戒しているがノアの持っている部分と同じところに触れて受け取った。カトラーが手にすると他の三人も待っていたかのように近づいてじっくりと見つめた。


 アリスが花びらに指をやると、何やらザラザラとする感触に気付いた。聞く話では、そのざらざらしている部分は無数の小さな針のような棘が並んでいるからで、そこから体を麻痺させる毒が出るのだという。それを聞いた瞬間にアリスは咄嗟に手を離した。


「ノアも言ってたろ? その花はもう死んでる状態だから触っても問題無いよ」


 ダリアが笑いながら言うがアリスは引き攣った顔でそれ以上は触らなかった。


「なんにせよその花があるっていうことは犯人像も絞られてくる。かなり有力な物が入手できたな」


 ドーマがそう言うとカトラーも反応して深刻な顔になる。相手が人間でないとなってくると調査も難しくなってくる。ダリア達はこの気配に気づけるからこそ見つけることができたが、カトラー達は魔法が使うことができても皆が皆、魔法を使えるというわけでもない。


 騎士団は全員修道院での修業を積み、対悪魔用の戦闘部隊として構成されており魔物などの気配を感じ取ることができる。一方の魔法が使えない者でも聖書を使って魔力とは異なる自身の精神の一部となる霊力を用いたり、対魔用武器を使って対応することができる。


 だがあの花はそれらとは全くの別物になってくる。魔力も霊力も人によって個人差があり、花が放っていたとする微弱な瘴気にまで気付ける能力を持つ者は国全体を見てもそうそういない。


 それになにより騎士隊が一度調査をし終えた場所からダリア達があっさりと見つけてきたことが隊員たちへの不安の根となってしまう。


 あの花のような毒物に気付かないまま触れてしまうことや、放置されて増殖させてしまうことも可能性はゼロではない。


 カトラーの様子を見てリージアは、カトラーの手から花を取って言った。


「いいか、もし調査中に気付かず体のどこかに触れてしまった時は、どんなに些細な変化であっても異常を感じたらすぐに俺のところに来い。触れていたことすら分からない場合もあるから知らない間にできた切り傷とかでもいい」


 カトラー達はリージアの目を見る。


「逆にこの花を見つけた時は、花全体を覆える布やなければ最悪服でもいい。絶対に肌に触れないように包んでから根本の土を掘って茎全体を抜き取るんだ。根っこは放っておいても時機に枯れて消失するから大丈夫だ」


 リージアの言葉の後にノアが頷きながら言う。


「そうだな。花の処理も大事だが体に影響が出た時が一番問題だ。リージアは屋敷内でも兵団に就いているが交代で医務室に医師として仕事をするときもあるくらい医術にも長けている。多少苦しい思いをする時もあるだろうが瀕死な状態でも死なせるようなことは絶対にない。それだけリージアには認められた腕があるから安心しろ」


 ダリアとドーマもノアの言葉に強く頷いている。


「それに俺達が最初に見つけられれば、今回みたいに全員へ注意を促すことができる」


 医術の腕がどれほどのものなのか、たとえ目にしていなくともダリアの実績が十分な証明になる。それどころか能力の差さへ感じられるほどだ。どことなく不甲斐無い気もするが、こんなにも心強く感じるのも確かなものだった。




 以上により明日からは例の植物があった森全体と、魔物の疑いが出てきたためダリアが引き続き調査することになった。


 後の二人も同様に、リージアは王室敷地内の見回りと書庫室での関係者の書類調査を。ドーマも交代制で敷地内の見回りをしつつ隊員の訓練指導をすることになった。


「よしっ、話は以上で終わりだ。この話にセパルとシンが参加できなかったからこの後、食事をする時に全隊員を集めてもう一度説明をする。それまでまだ時間があるからノアとダリアに寮の案内をしてあげてくれ」


 リージアとドーマは頷く。


「それでは一旦解散」


 カトラーは言うと先に会議室を出て行った。


「じゃ、また後でなっ」


 クリスが笑いながら手をひらひらと振ってアリスと一緒に出て行った。


「俺達も行くか」


 リージアが言い、四人は会議室を出た。

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