第2話 はじまりの手紙

「おはようございます」

 

 廊下を歩いていたノアは背後から声をかけられ振り向いた。


「ノア、先ほど姫様が呼んでいたのでこれから私と一緒に来ていただけますか」

 

 ノアに話しかけたのはニサの第一補佐であり秘書のハルトだった。


「あぁ、分かった」

 

 早朝からニサから呼び出しということは外部への仕事だろうか、そんなことを考えているうちにニサの部屋の前につきハルトが扉をノックし声をかけると二人は部屋に入った。


「おはよう、ノア。急な呼び出しでごめんなさいね」


「いや、大丈夫だ。何か外で問題でもあったのか?」


「えぇ、そうみたいなの。ただ今回はいつもと少し違う仕事なんだけど、今朝隣国の王室から手紙が届いたの」

 

 隣国のグロノワーズ王国は、海に囲まれた海産物が豊富なアシュタル王国とは違い山が多く森林と草原の広がる緑の国である。


「王室から? 国に大きく関係するようなことなのか」


「この手紙ではね、現代国王であるアグリー陛下の娘、アリアベル嬢が通う学院付近で立て続けに事件、事故が発生したり生徒から不審と思われる人物を目撃したと何件も報告されているらしいのよ。それで陛下からこのことの調査に支援を求めてきているの」

 

 ニサは持っていた手紙をノアに渡した。


「ということは今回の件に俺を要員として出すということか?」

 

 この屋敷に住む者たちは皆、何かしら一つの役割を持つことになる。世界の範囲で警備するために外に人の姿で人の中に紛れ込みいろんな場所や国で職について仕事をしたり、メイドや執事として主に屋敷内の整備やニサの周りの雑用をこなしたりなど様々あり、ノアはその中で兵団の戦闘隊に入団している。

 

 兵団は調査隊と戦闘隊の二つがあり、外部で起こる事件や人間に危害を加えようとするノアたちと同じ異種族の者、魔界から降りてきた悪魔や魔物が潜伏していないかを調査するのが調査隊の役目である。そしてその存在を見つけた場合、話を聞き入れ仲間になると了承した者以外は状況と場合によって討伐対象となり、戦闘隊が戦いに出るように構成されている。


「調査にはダリアとドーマとリージアを出そうと思っているわ」


 ニサの言葉にノアは聞き返した。


「じゃあ俺は?」


「この手紙に書かれているのは調査の支援とアリアベル嬢の専属護衛を一人付けてほしいということよ。ノア、あなたには護衛を任せたいの」


「俺が、護衛ぃぃ?」

 

 ノアは明らかに嫌そうな顔をしている。


「もっと他にも向いてる奴がいるだろう」


 ノア以外にメンバーとして名前が挙がったダリアとドーマは元々調査隊で、リージアは戦闘隊だが医術を持っているためこの三人の組み合わせはかなり良い。だがノアはニサに忠誠を誓ったといっても先代のシザーに託された思いを守るために命を代えてでもニサを守ると決めただけに過ぎず、そもそもは主従関係を嫌っている。そのためニサのことは呼び捨てでいるが、それは仲間として信頼から築いてきた関係があったからこそできることだ。それにノアは昔、大の人間嫌いだったこともあり全く知らない、しかも貴族の人間に護衛として何日間も一緒にいなければならないと考えるとクラエルの名に泥を塗りかねないとノア自身が感じていたのだ。


「ニサ、言っておくが俺は誰かに従うなんてことはしないぞ。確かに今の俺にとってお前は主人という立場だ。だからお前のことは守るし手助けもする。だが仲間でもない連中に対しては話が別だ。たとえ国王が相手だとしてもその娘にも俺は敬語も敬称も使わないし命令されても一切聞く気はないぞ」

 

 ノアの言葉にニサは微笑んだ。


「あなたらしいわね」


 笑いながら言うニサにノアは小さな溜め息をついて言った。


「それでも俺を護衛に出す気か?」


 ニサは真剣な眼差しで言う。


「ノアは戦闘隊において戦闘だけでなく戦略でもずば抜けた知恵と思考力を持っているわ。それにあなたはここにいる人の中で一番耳がいい。周囲の異変を瞬時に察知し、冷静な判断と鋭い勘はどんな状況でも迅速な対応ができる。だからあなたを出すべきだと考えたのよ」


 話を聞いて複雑な面持ちをするノアにニサは何とか説得する。


「私がアグリー陛下に前もってそう伝えておくからっ。承諾されなかったときはこの話は断るから、だからどうか頼めないかしら」


 ニサは少し困ったような顔で見つめてくる。ノア自身もニサに迷惑をかけたい訳でもなく頭をかきながら言った。


「分かった。お前がそこまで言うなら……。ただしさっき言ったことは絶対だからな」


 そう言うとニサの顔が明るくなる。


「ありがとう、ノア!」


 あれだけの我が儘を言ったのにこうして笑ってくれるなら別にいいかという気にも思える。


「ノアも前に比べると聞き訳がよくなりましたね」


 話が終わったころにハルトが後ろから口を挟んだ。


「何ならお前が変わりに行くか?」


 そうノアは言うがニサが笑いながら間に入る。


「だめよ。ハルトは私がいないときは代理になっていろいろ仕事をしないといけないんだから。」


「そういうことですっ」


 二人はにこにこ笑いながら言い、ノアはそんな二人を見ながら第一補佐が駄目なら第二補佐のケニーがいるだろうがと突っ込みそうになる気持ちを抑えた。ケニー自体がニサの代理をすることもあるが大体は外部に出ることが多い。それにノアも嫌々ではあっても一度は承諾した案件に文句を言うほど許容も狭くはない。


「まあまあ。王室からの要請は迅速に対応しないといけません。今日中にビーで手紙を送るので明日出発できるよう、他の三人にも伝えておきますからノアも準備を進めておいてくださいね」

 

 神獣であるビーは極秘な内容のやり取りをする際に飛ばさせる。この世界には連絡を取り合う手段として調教された鳥を飛ばすか、テルパという腕に装着する機械が使われている。


 テルパは表面に小さなパネルが付いていて、指先で触れると空間上にモニターが浮き上がり指紋を感知することで操作できる。魔法を注いで作られたチップが埋め込まれていることで、知らない人とサイトを通じてコミュニケーションを取ったり、動画をみたりできる。


 音声機能を遠隔魔法操作で繋げば遠くに離れていても話をしたりすることができる。裏面にスピーカーがありそこからお互いの音を拾う。    


 だがテルパを使う場合、第三者が特定した他人のテルパに魔法で阻害すると、持ち主の個人情報が漏洩してしまうことがある。専用の対策装置は開発されているが持ち主が相手に騙されて操作してしまったり、元から情報を盗むことを目的に他人のテルパに入り込んだりする悪人もいる。


 それらの被害を極限にまで減らすため極秘事項を扱うときはビーを使って届けさせている。


 神聖な生き物であるビーは人間に姿を見られることはなく、魔物に襲われたとしてもビーが放つ浄化の光で守られているため狙われることはない。そしてビーの優れた知能で行動できるため目的地に着くと人間の目に映るように姿を現し手紙を渡すとすぐに戻ってくる。




「話は以上よ、よろしくね」


 ニサがそう言うとノアは適当に返事をしながら部屋を出て行った。


 







 翌日。ノア、ダリア、ドーマ、リージアの四人はニサの部屋に集まった。


「おはよう」


「おはようございます」


 ノアは軽い会釈を、三人は挨拶をする。ニサはハルトに呼びかけ、ハルトが出発前の仕事内容の確認を行う。


「これから四人にはグロノワーズ王国へ行ってもらいます。本来外部へ調査に出るときは最低でも五人で行くようになっていますが今回はまだ事件の正体が人か悪魔か、あるいは別の種族によるものかも分かっていません。何であれこちらの動きに気付いて敵が存在をくらませたり、人に危害を加へ被害が広がる可能性があります」


 ノアは昨日、ニサと話していた時から気づいていたことだが不審な動きをするものが何なのか、意図も犯人像もはっきりしていない。連続する事件はこちらと敵対する悪魔が何かを企てているのかもしれない。それにノアは国王の娘、アリアベル嬢の護衛に回るため実質調査に専念できるのは三人となる。


「なので今回はノアを隊長として調査隊と戦闘隊を混ぜた最小限の人数で取り決めています。今回は犯人を突き止める調査を目的としているので問題はないかもしれませんが、なるべく敵に悟られないよう警戒して努めるようにお願いします。くれぐれも相手が人間だと分かったとしても気は抜かないようにしてくださいね」


 人間がいくら束になったところでノアたちに敵う訳がないということは分かりきっている。ただ、ここでハルトが言っているのは相手が人間でこちらに襲いかかってきた場合、咄嗟の行動で防衛だけならいいが反射的に攻撃を仕返してしまうと、それが人間にとって致命傷となることがある。だからこそ気を抜くなと注意を促しているのだ。


「分かってる。少なくとも俺は遠距離からでも気づけるし連絡も欠かさないからそんなへまはしない」


 腕組みしながら聞いていたノアがそう言うと、ハルトは頷いた。


「えぇ、頼もしいです」


 ハルトは言い終えると時計を見てニサに目をやる。


「そろそろ時間ね。無事にあなたたち四人が帰ってくることを祈っているわ。何かあったときは私の電話か、使いを送って知らせてちょうだいね。すぐに対応できるよう備えておくから」


 ニサの気遣う言葉にダリアが笑顔で言った。


「姫様、心配は無用ですよ。なんといっても心強いノアが一緒ですから、皆で調査を早く終わらせてすぐに戻りますよ」


 ドーマとリージアも後ろで頷く。


「では行ってきます」


「えぇ、気を付けて行ってらっしゃい」


 四人が外に出ると、庭で作業していた仲間や屋敷からも何人か見送りに出てきていた。四人はそれぞれ皆に軽く言葉を交わし見送りを受けながら高く飛び上がった。



 青空に遠のいていく四人の背を見ながらハルトがニサに言った。


「それにしても結構強引にいきましたね」

 

 ニサは見えなくなった後もずっと同じ方を見たまま言った。


「そうね。でもノアの実力もちゃんと見たうえで決めたことでもあるわ。お父様が願っていたことも踏まえてノアには少しでも早く人間のことを許せるようになってほしい。今もまだ受け入れられていないから」


 ニサの言葉を重く受け止めながらもハルトは不安気にしている。


「今回の件は上手くいくでしょうか」


 それでもニサは自信に満ちた顔でハルトに言った。


「きっと大丈夫! 信じて待っていましょう。あっ、応援に出られる準備段取りだけはちゃんとしておいてね」


 ニサの顔を見てハルトも不安が消える。


 主人が堂々として立っているのに部下が根を曲げていてはいけない。


「もちろん抜かりなく、お任せください」


 ニサの想いに応えるようにハルトは返事をした。


 






 大雲の海原に身を隠しながら飛び続けること数時間。ようやくグロノワーズ王国の国境までたどり着いた。


「このあたりで降りよう」 


ノアは少しずつ下降していく。


「了解」


 国境から少し離れた森へ四人は降り立った。そこからは徒歩で移動し門まで着くと警備をしている兵士にダリアが声をかけた。


「アシュタル王国からまいりました。クラエル邸の使者です」


 ダリアは紋章を見せた。


「遠路遥々ご苦労様です。ここからは王室まで車でご案内いたしますのでこちらへどうぞ」


 そう言われて通されると二台車が用意されていてノアとダリア、リージアとドーマに別れて乗り込んだ。


  数時間後、川を挟んだ大きな橋にたどり着き、橋を渡ると王室の入り口となる門が見えてきた。車は停車し兵士が下りて呼び鈴を鳴らすと門扉が開かれた。車は再びゆっくりと動き出し中へと入っていく。敷地内に入り駐車場で止まると兵士が降りて車のドアを開けた。


「到着いたしました」


 ノアとダリアは降りると後から来た二人とも合流した。石畳が続く先には綺麗に整えられた庭が広がっていて大きな時計台と、豪勢な花壇で飾られた噴水があった。


 なんとも王室らしい国王の地位と個性が見える外観だ。


「こちらで国王陛下がお待ちです」


 国王のいる謁見の間へと案内される。




「陛下、ただいまアシュタル王国から使者の方がお見えです」


「そうか、すぐに通してくれ」


  扉が開かれ中に入ると玉座の前に立つ国王、アグリー・グロノワーズ・アルフォンスが出迎えた。


「アシュタル王国から参りました、ダリアです」


 深くお辞儀すると後にドーマとリージアも続き、最後にノアが出た。


「ノアです」


 しかしノアは名乗りはするものの頭を下げることもなく終えた。それを見かねた従者が声をかける。


「ノア様、お疲れの所申し訳ないのですが今は国王陛下の前で御座います。表敬を現さないのは失礼にあたります。どうか……」


 注意に入った従者をよそにノアは言った。


「ニサ・クラエル嬢から知らされているだろう」


 その場にいた全員が驚きで口が開きっぱなしになっている。


 いくら何でもこれはさすがにまずいか。ダリアが咄嗟に言葉をかけようとしたその時、アグリーが声をあげて笑った。


「いやいや、すまない。あぁ確かに手紙で聞いている。そもそも今回こちら側から助けを求めて来てもらっているんだ、どんな対応にもこちらは一切口出ししないから自由にしてくれて構わない。ただそこまで警戒心を向けてくるとは思わずつい笑ってしまったが、まぁゆっくりでいいからここの者にも慣れていってくれ」

 

 今回は国の王が相手だ、もうしかしたら下手に出ると漬け込んで態度が大きくなるか、あるいは厳格なおうであれば威圧をかけてくるか、根が悪ければ傲慢な態度を出すか。いろんな予想で様子を見ようとしたがアグリーの態度は明らかに嫌悪がない。

 

 無垢な笑顔で受け入れたアグリーに対してノアも警戒を緩めて言った。


「だが我が主君からの命令だ。国王の娘、アリアベル嬢は俺が害悪から守ってやる」


「ほお、そなたがアリアベルの護衛についてくれるのか。それは心強いな」


 アグリーは嬉しそうに言った。


「では残りの三人は調査に回るということだな。手紙では万が一問題が起こった時のために名前は伏せてあったが、一人だろうと来てもらえたことは嬉しいことだ。

それで一応聞いておきたいんだが、もし調査中に何か事件が起きて負傷者が出た場合対処できる者はいるのか?」


 アグリーの質問にリージアが答えた。


「俺は医療の技術があります。怪我等は俺がすべて対処します」


「ふむ、やはりクラエル令嬢の許にいるだけあって優秀で特別な力を持った者たちばかりなのだな。羨ましい限りだ。是非ともそなたらの力添えで今回の問題を解決していただきたい」


 ノアがアグリーに聞いた。


「今現在で被害にあった件数は多いのか?」


 アグリーは重い息をつきながら頷き、従者が説明する。


「現在では重傷者が出たりなどの大事故は起きておりませんが、先週のうちで四人の生徒が黒服の不審人物を目撃していて、通り過ぎた後背後から近づき怪我を負わされたそうです。鋭利な刃物で切られたような小さな傷を負っていますが、生徒たちは犯人の確認をしようと振り向いた時にはすでに姿は消えていたそうです。そのため使われた凶器も明確になっていないんです」


 腕組をしたまま聞いていたノアが言った。


「四人はそれぞれ違う場所で不審人物と接触しているのか?」


「えぇ、四人それぞれが学院付近の違う場所で夕方の時間帯に被害にあっています」


 従者が言う。ノアは黙ったまま何かを考えている。


「なんにせよ明日からはアリアベルと共にノアは学院に行ってもらうことになる。後の三人はまたここに来てくれ。何か調査のことで考えがあれば聞かせてほしい。それと我が王室には聖堂と構成された騎士団があってな、団員も一緒に話し合いをしよう」


 アグリーの言葉に四人は頷いた。


「今日はもう遅い。疲れてるだろうから明日のためにゆっくり休んでくれ」


 アグリーの指示で案内人が出てくると頭を深く下げてから四人を呼んだ。


「では失礼する」


 ノアが言ってから三人も頭を下げると案内人に続いて部屋を出た。


 

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