第5話 どっちを選んでくれますか?

「━━か、香凜かりん!?」


「━━ま、真人まなと先輩!?」


 俺の名前を呼ぶ、小柄なツインテールの女子、朝日あさひ香凜は目を見開いて驚いている。多分、俺も彼女と同じような顔になっているだろう。


「なんで真人先輩がここにいるんですか!?」


「逆に俺が聞きたいわ!!」


「私は美咲みさき先輩の応援に来たんですよ! いつもお世話になっているので」


「そうなのか」


 美咲と香凜に接点があったなんて知らなかった。


「そんなことより私の質問に答えてください!」


「あぁ、すまん。普通に付き合っただけだ」


「えぇ!? 真人先輩、美咲先輩と付き合ってるんですか!?」


「そ、そ、そんなわけ無いだろ! 美咲が来て欲しいっていうから付き合ってあげただけだよ!」


「何ですかその付き合ってるのバレた! みたいな動揺の仕方は! しかもそれ付き合ってあげたって普通は言わないですよね!?」


「言葉の綾ってやつだよ」


「ただ使い方間違えただけでしょ!」


「細かい事を気にするんじゃないよ!」


 俺は生意気な後輩の顳顬こめかみをグリグリする。


「ぐぬぬ。なんて卑怯な真似を! こうなったら……」


 そう言って、香凜は俺の右腕に抱きつき、胸を押し当ててくる。


「もぉ〜、真人先輩は変態さんですねぇ。こういうことは私の家でやってあげますから♡」


 大きな声で言うので、周りの人からの視線が痛い。


「香凜の家に行ったこと一度も無いんだが!後、断じて変態ではない!」


「え? 今だってすぐに振りほどけばいいのに私の胸を堪能してるじゃないですか。それのどこが変態じゃないんですかね?」


「ぐぬぬ……」


 この策士め。


「どうしたんですかせ〜んぱい? 顔が真っ赤ですよ?」


「香凜だって顔真っ赤じゃねぇか!」


「ぐっ……! 私だってこうしてるのすごい恥ずかしいからしょうがないじゃないですか!」


「え? 恥ずかしかったの?」


「私のこと何だと思ってるんですか!?」


「痴女」


「まさかの即答!? 私に対するイメージが酷すぎる!」


「じゃあなんでこんな事するんだよ!」


「……! そ、それは……」


 香凜が何かを言おうとしたその時、大きな歓声が上がる。点を取ったことにより窮地に立たされていた美咲が巻き返し、マッチポイントとなったのだ。


「とりあえずこの話は後でにしましょう。私達は美咲先輩の応援に来たんですから!」


 香凜がやっと俺の腕を離す。


「そうだな」


 これ以上は言及しないようにしよう。思わぬ後輩との出会いで本来の目的を忘れかけていたが、今は美咲の試合を見に来たのだ。美咲のためにもしっかりと応援してやらなければ。


「「美咲(先輩)ー! 頑張れー!」」


 俺と香凜の醜い争いの声ではなく、今度は応援の声が響く。その声が届き、美咲が一瞬後ろを振り向いて、微笑みながら何かを言った後にウインクをしてきた。


「美咲先輩、なんて言ったんでしょうね?」


「さぁな」


 俺も声は聞こえなかった。普段ならこの距離から何か言われても絶対に分からない。でも何故だろう、今は何を言ってるかは分かった。だが、香凜には分からないふりをした。


 (真人のために頑張るね!)


 俺のために頑張るとはどう言う事なんだろうか。それにしても……


「これはヤバいな……」


「ん? 今なんか言いまし……って! 先輩顔真っ赤ですけど大丈夫ですか!? 熱でも出ましたか!?」


「いや、大丈夫だ」


 違う意味で大丈夫じゃないんだが、なんとか誤魔化せた。顔が赤いのは熱のせいではない。さっきの美咲の笑顔は今までにないくらい綺麗だった。もしかしたら見惚れてしまったのかもしれない。でもダメだ。美咲と俺は釣り合わない。


「第一、俺の事を好きな訳ないしな……」


「え? 誰がですか?」


 どうやら口に出してしまったらしい。どう答えようか考えていたら、美咲がサーブを打つところだったので、聞こえないふりをして注意をそらすことにした。


「香凜、始まるぞ」


「ですね……」


 美咲がサーブを打つ。それを相手が返し、沢山の技を繰り出していく。最初は美咲も相手も互角だったが、美咲が徐々に追い詰められている。右へ左へ、移動する距離が増えていく。


 何度ラリーが繰り返されただろうか、美咲がボールを取ることを躊躇ためらおうとする姿が目立つようになってきた。


「美咲先輩大丈夫ですかね……」


「ここでボールを取り損ねても負けにはならないが、ここで勝負を決めておきたいな」


「ですよね……それにしてもこのラリー長すぎませんか? 私ならもっと早くに諦めてます。美咲先輩の根性が凄いです」


 急に香凜の顔が曇る。


「羨ましいなぁ。私にも根性があったら、あの時だって……」


「そんな事気にするな。根性があろうとなかろうと、香凜には香凜の良いところが沢山ある」


 そう言って俺は香凜の左肩をポンポンとする。


「ありがとうございます。そうやって私の事を励ましてくれる優しさ、美咲先輩の応援に来てるのに他の人を放って置けない先輩のお人好しさ、そう言うところが……」


「ん? 何か言ったか?」


「何でもないです。そっとしておいてください」


 本人がそっとしておいて欲しいとの事なのでそっとしておこう。本当は美咲の試合を見てないといけなかったんだが、香凜の様子が心配だったので、美咲から目を離してしまった。美咲の方へと目を戻す。


 相手も美咲もヘトヘトで、いつどちらがボールを取り損ねてもおかしくない状況だった。美咲がネットの手前に打ったボールを相手が取り、サイドラインギリギリの所を狙って打つ。そこで美咲はボールを取る事を諦めようとする……ように俺は見えた。


 悔しそうな、苦しそうな表情を一瞬浮かべる。その横顔を、何故だろうか。俺は見ていられなかった。そして気が付いたら、


「美咲! 諦めようとするんじゃない! 俺が見てきた綾瀬あやせ美咲は、もっと凛々しく、たくましく、そして、美しかった! 何でも出来る人だった! 俺は負ける美咲の事を見たくないんだ! 美咲の澄んだ笑顔が見たいんだ! 諦めるなぁぁぁぁぁぁぁぁ!」


 声を張り上げて叫んでいた。その言葉が耳に届いたのか、心に届いたのかは分からない。だが、先程までとは明らかに違う、美咲の眼の奥に闘気がみなぎる。


 サイドラインから出そうになったボールをギリギリの所で打ち返し、体勢を立て直す。

 そして、相手は美咲が打ち返せると思っていなかったのか、体勢を崩しながらも何とか打ち返す。その瞬間を美咲は見逃さなかった。相手のコートへ渾身のスマッシュを打つ。


 ボールはライン内ギリギリの所でワンバウンドし、コートの外へと出て行く。


「「「うぉぉぉぉぉぉぉぉ!」」」


 一瞬の静寂の後、大きな歓声が一帯を包む。


「先輩! 美咲先輩勝ちましたよ!」


 隣にいる香凜が喜んでいる姿が見える。だが、声が聞こえない。しかも心なしか香凜の顔がぼやけて見える気がする。香凜に返事をしようとしたが、声が出ない。更に少しずつ視界が狭くなってきた。


「大丈夫ですか!? 先輩! 真人先輩!」


 後輩が必死に何か訴えている様子を最後に俺の意識は途絶えた。


**********


「うっ、うーん……」


 意識が覚醒する。どうやら寝てしまっていたみたいだ。


「あっ! 先輩!」


 真上に泣きそうな顔をしている香凜がいた。


「大丈夫ですか?」


「あぁ、まだ少し頭は痛いが」


 ようやく頭が回ってきた。そういえばなんで香凜が上に見えるんだろうか。そう思いつつ横に寝返りをうつ。


「ひゃっ!」


 香凜の艶めかましい声と同時に"ムニッ"っとした感触が俺の頭に走る。少し下に目をやると、まるで薄く雪が降り積もったかのような白い脚がそこにはあった。


「もしやこれ……膝枕か!?」


「恥ずかしいことを大きな声で言わないでください! 急に先輩が熱中症で倒れちゃったんで仕方なくやったんです!」


「そうだったのか……悪いな」


「いや、ま、まぁ、そこまで深刻に言うことでも……そ、そんな事より! 先輩を寝かせるの大変だったんですからね! 周りの人は盛り上がってて誰も気づかないし……」


「すまん……」


「謝るのはもういいです! それより!曇ってるからと言って水分補給はちゃんとしてくださいね!」


「分かった」


「真人くーん! 大丈……夫?━━━」


 俺と香凜が喋っていたら、試合を終えた美咲が戻ってきた。


「━━━そうだね。それじゃあごゆっくり〜」


「待ってくれ美咲!」


 俺は香凜の太ももから飛び起き、美咲を呼び止める。


「何?」


 美咲が少し不機嫌になっている。ここで変に言葉を並べるのも良くないし、素直な気持ちを伝えるか。


「美咲、優勝おめでとう」


「あ、ありがとう……」


 急に言われるかと思わなかったからか、美咲は少し驚き、長い髪をくるくるとする。そして少し頬を赤らめながら言う。


「あの……さ、勝ったから真人くんからのご褒美が欲しいんだけど……」


「俺に出来ることなら何でも言ってくれ!」


「真人せ〜んぱ〜い! 倒れた先輩を看病していた私にもご褒美をください!」


「まぁ、しょうがねぇ。聞いてやるよ」


「「じゃあ━━━」」


「━━━真人くん、明日私と一緒に出かけない?」

「━━━せ〜んぱい! 明日私と2人で予行練習しませんか?」


「…………はい?」


 斯くして、明日は美咲、明後日は香凜と出かけることになったのだ。

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