第9話 立夏
星を見に行ったはずなのに、結局湖畔でいちゃいちゃしていた時間の方が長く、流石にもう帰ろうかという話になったのは、もうすぐ日付が変わるような時間だった。
ハンドライトの明かりを頼りに暗闇なのをいいことに手を繋いで戻り、広いキャンプ場で何とかテントまで辿りつく。
もしかしたら三時間くらいあの場にいたかもしれないと思うと、今更ながらに立夏は頬が赤くなるのを感じた。
立夏には学生時代につきあった恋人はいたが、社会人になってからは何度かチャンスはあったように思うが、いつも仕事を理由に逃げていた。そんな心の余裕はなかった。
でも、そんなことを理由に逃げていられない程大事な人ができた。
「立夏ちゃん」
火を確認してくると後からテントに戻ってきた叶野が、立夏の名を呼ぶ。
先程まで手を繋いで歩いていたのに、まだ慣れない呼び方に立夏はそれだけで照れを感じる。
大好きな人が立夏だけを見て微笑んでくれるのは、これから先の幸運を使い切ってしまったかと思うくらい幸せなことだった。
「誕生日おめでとう」
「……なんで知ってるんですか?」
流石に叶野に誕生日を言った覚えはなく、会社の同期だって誰も立夏の誕生日は知らないだろう。
「だって立夏ちゃんの名前わかりやすいから、多分そうだろうなって。立夏ちゃんの生まれ年のカレンダー確認したら今日だったから」
立夏に生まれたから立夏なんて安易なネーミングの両親をちょっぴり憎んだが、まさかそれを逆読みしてくれる人がいるとは思わなかった。
「ありがとうございます」
「って、言いながらもプレゼントまでは用意してなくてごめんね。今度渡させて」
「いいです。気にしないでください。今日だってキャンプに誘ってくれたのすごく嬉しかったので、それだけで十分です」
社会人になれば恋人でもいなければ、誕生日など一つ年齢をインクリメント(+1)する日でしかない。
維花に誘われた時、自分の誕生日に重なることを立夏は気づいていたが、その日に用事があるわけでもなく遊びに行くことを優先したからこそ今があるのだ。
「……わたしね、立夏ちゃんが誕生日なのを知っていて、わざと誘ったんだ」
座り込んだ立夏の隣に維花も腰を下ろすと、立てた膝を抱えながら維花は小さな声で呟く。
立夏ちゃんに誕生日を過ごす大切な人がいるなら、多分断られると思ったからと。
それは叶野は少なくともゴールデンウィーク前には、もう立夏を意識していたということだった。
「そんなの、精々家族だけですよ。しかもいないならやらなくていいわねって家族なので、全然大丈夫です」
「つきあうとか、そういうのまでは考えてなかったっていうか、同性だし無理だと思っていたんだ。
でも、一人でキャンプに行っても、立夏ちゃんは今他の誰かに誕生日を祝われているのかも、って悩みそうだったから、少なくとも一緒にいられればその可能性は無くせるなって」
叶野にもそんな臆病さがあるのだと、今日立夏は知った。知れば知るほど離れられなくなる。
叶野の背にそっと自らの体を載せ、背後から抱きしめたまま叶野の手に自らのものを重ねる。
「私は離れませんから」
手触りの良い細い指を撫で、その間に指先を割り込ませて握り込む。立夏よりも少し大きな手を包みこむことはできなかったが、それでも繋ぐことに意味はある。
「離れたら泣くかも」
「維花さんでも泣くんですか!?」
「泣くよ。人間だし」
酷いと立夏に振り返った存在は、そのまま笑って、その後再び立夏の唇に触れるだけのキスを贈る。
「今のおめでとうのキスね」
じゃあ、と立夏はありがとうのキスを返す。
「立夏ちゃんの唇って柔らかくてずっとくっつけていたいくらい」
「維花さんのだってそうですよ」
お互い顔を見合わせて、似たものだねと笑い合う。
「何にしようかな、立夏ちゃんの誕生日プレゼント」
「今日のキャンプで十分ですって」
「駄目。絶対駄目。立夏ちゃんがいらないって言っても渡すから。そう言えば立夏ちゃんの趣味って何?」
「何でしょう?」
「なんで疑問系なの? 自分の趣味なのに」
「あまり拘らないので、誘われたらわりと何でも気軽について行っちゃう方なので。会社でもたまにフットサルとか誘われて行ってます」
「それはこれからは駄目……って言いたいけど、束縛強すぎる?」
「維花さんが誘ってくれたら、もちろんそちらを優先させますよ」
「わかった。毎週誘う」
「毎週キャンプは勘弁してくださいね」
「来週はじゃあ立夏ちゃんの誕生日プレゼントを探しに行こう。希望があったら教えて、なくてもどこかに無理矢理連れて行くけど」
考えておきますとの返事でようやく叶野は納得したようで、じゃあ寝ようかとの提案に立夏も肯きを返した。
興奮で眠れないかもと心配しながら寝袋に入ったが、キャンプに来ると普段とは違う体力を使うこともあり、疲れていたのだろう。立夏はすぐに眠りに落ちていた。
恋人になった夜、色気はなさすぎるかもしれないが、隣に大切な人がいて立夏の心は満たされていた。
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