第32話 襲撃の、裏側で


 小高い丘の上で、にこやかに中継施設の混乱を見つめる男がいた。

 諜報員ちょうほういんクルードだった。


「うまく行くと、思ったのかねぇ………」


 中肉中背で、さしたる特徴もなく、帽子の下の笑顔から受ける印象もまた、希薄だった。

 第一印象としては。

 しばらく行動を共にすれば、その笑顔が、決して本心からのものではないと分かる。ゴマをするための作り笑いは、ただの仮面なのだ。

 それだけではない。勘のいい人物は、その顔の奥を知って恐怖する。相手を誘導するため、低い腰である人物は、いくらでもいる。

 だが、違うのだ。

 その笑顔の裏に、底の見えない、深い闇を垣間見るのだ。全てを見通してくる悪魔のようにすら、思えるだろう。

 クルードは、まぶしそうに目を細めた。


「雷の………ゼレーティアのお譲ちゃんか………はしゃいじゃって、まぁ~」


 目の端が感じた、雷のまぶしさに、笑みを浮かべる。

 事が終わるまで、ここで待つのも面白い。そんな誘惑ゆうわくられながら、そのわずかな時間が命取りだと、歩き始めた。


「はぁ、大変だねぇ~」


 月夜に照らされた笑みは、楽しそうであった。



 *    *    *    *    *    *



 広い部屋だった。

 部屋と言うには広大で、数百の通信機と、対応する通信士がいる。都市保安局の頭脳、中央司令室だった。

 男は、天井を見つめていた。先ほどは、不安になる演出には十分と言う、明滅を繰り返したのだ。わずかな時間であっても、都市の保安を司る重鎮としては、見過ごせなかった。


きざし………か――」


 名前を、ワジット・ルーベラル。

 年齢は五十七歳と、そろそろ老人と呼ばれ始める年齢である。彼は、都市保安局の最高位、都市保安局長閣下であった。

 普段は就寝している時間帯なのだが、なぜ、通信室にいるのか。この場の通信士たちには、だれも局長閣下へと質問する勇気を持たない。

 だが、何かは感じていた。

 天井の明りが、パチパチと暗くなったのだ。エネルギー供給施設に、小さな異常があったかもしれない。そう思って見上げた者も、気にするような事がないと思うのだ。

 システムは、完璧なのだから。

 しかし、気にした人物がいた。保安局長の、ワジット・ルーベラルである。小さな兆しでも、その兆しのうちに解決すべき立場の人物が、動いたのだ。

 側近の一人が、担当官に尋ねる。


「おい、施設からの連絡は、まだか」


 担当官は振り返り、無言で首を振る。

 あまり大声で返答すると、近くの会話を邪魔してしまう。そのため、内々の会話は基本、身振り手振りであった。瞬間の判断には、むしろそちらが早い。

 イスに座っていたワジット・ルーベラルは、静かに目を開けた。

 老人と言う言葉は、この老人には似合わない。むしろ、地位に就いたルーベラルは日々、その存在を強くしていると言っていい。衰えと無縁に、より強大なる、支配者としての貫禄の持ち主だ。


「出動準備をさせろ。中継施設を完全制圧できる規模でだ」


 控えていた幹部達は、一斉に了解の言葉を発した。

 ただの停電で部隊を動かすはずがないと、部下達は知っている。ワジットの命令の根拠は、長年の経験なのだと、無条件で従ったのだ。小さな異常から、なにかの予兆を感じ取ったのだと。絶対の信頼から、質問をすることなく、命令に忠実に動いた。

 その後姿を頼もしく見つめながら、ワジット・ルーベラルは改めて瞳を閉じた。


「長い夜に、なりそうだ」


 後ろめたさを隠した、小さな呟きだった。

『牙と爪』との密約は、いったい誰に明かすことが出来るのか。真相を知る仲間がいない、孤独の城の主である。仲間がいると言う点にのみ、『牙と爪』の犯罪者達が、うらやましく思えた。

 ワジット・ルーベラルの持つ秘密を、その一端でも知る人物は、どれほどいるだろう………


 その、数少ない例外は、夜空の下で見張りをしていた。『牙と爪』の幹部のエプロンさんから、お手紙を届けたコンビだった。


「先輩、さっきの停電。結局一回だけでしたね」


 十八歳の新人巡回員ギルタークは、まっすぐ前を向いていた。

 しばらく前に、緊張する事態が起こってからだ。以前のギルタークであれば、あぁ、どこかの作業員が、ミスしやがった――と、気にしなかったはずだ。それは、この都市に住む多くの人々が抱く感想に過ぎない。

 気付いたときには、戻っている。


「あぁ、ちょっとびっくりした。それだけだ」


 答えたバッカスも、心底安堵した表情だ。

 巡回員の構成は、二人でセット。経験豊かな先輩と、経験をつんでいく新人のコンビである。もしかしたら、短い人生の政府の仲間。

 そんな予感は、今は予感で済ませたい二人は、遠くを見つめていた。


「あ、出動サイレン」

「へぇ、ってことは、事が終わったって、ルーベラル閣下が判断したわけだ」


 真相を知る二人は、静かにサイレンを聞いていた。

 俺が首謀者を捕まえた。そんな夢は、夢でしかないしがない二人は、平和な夜を見守っていた。



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