第20話 夢と、平和と
世界は、滅びた。
そして、平和になった。
人類が夢見た理想社会を、ドートム政府が実現させたのだ――そんな夢から
「ライネちゃんは、お散歩かしら?」
ほわほわ~とした笑顔があった。
ブラウンのロングヘアーは優しく波打って、優しいお姉さんと言う印象が、そのまま年月を重ね、やさしいお母さんへと成長した笑みだった。
実際、子供たちの母親代わりを、十年にわたって勤めてきた経験の持ち主だ。
雷の女王が住まいの、管理人だった。
「うん、そろそろ、時間だから………」
金髪の美人さんが、静かに微笑んだ。
柱時計は、かなり年季が入っている、この建物が作られたときから、あるいはそれよりも前から時を刻んでいるのかもしれない。いつ、止まるとも誰も不思議に思わない、それでも動き続ける姿は、力強さを感じさせた。
フラーズさんと共にいるのは、ここの主である雷の女王ライネリアだ。
愛称は、ライネだ。『牙と爪』に近しい人々には、女王や、女王ライネとして親しまれている。黄金のストレートロングに、同じく黄金の瞳の十九歳の美人さんだ。
古代貴族の
「また、戦うのね………」
フラーズは、寂しそうに夜空を見つめる。やさしい笑みは失せ、本来の弱さがにじみ出ていた。みんなのお母さんと言う地位を不動のものにしている女性であっても、絶対の存在は幻である、本来は流されるままに、悲劇をただ見守る無力に心を苛む日々を送った女性だった。
かつては、収容施設の職員だったためだ。
そこそこの家庭に生まれ、権威主義の家族の要望に押され、望まない役目を与えられた。さして有能ではないが、愚直といえるほどまじめな態度に、救いの手を差し伸べられたのだ。
その場所が、収容施設だっただけだ。
政府に仕える、大切な役割に違いはない。雑用係であっても、政府の直轄という頭文字がつくことは、家族の望むところだった。
すぐに、心が限界を迎えた。
夢見た理想社会の真実が、目の前に広がっていた。ドートム政府が理想とする社会にとって、いてはならない人々が、押し込められていた。
力が、全てだった。
それが、真実だった。
古い国家はそうして侵略を受け、名残として議員のイスに腰掛けていた一族は、今や収容施設へと押し込められていた。
女王ライネリアの一族だ。
侵略戦争の、最後の仕上げだと感じた。
その後がどうなるのか、幸いにして、フラーズは知ることはなかった。
幼きライネリアが、立ち上がったのだ。
「戦わない方がひどくなから………あなたも、よく知ってる通りにね――」
女王が、静かな瞳で告げた。
少し、寂しさと、諦めが入り混じっている。それは、自分の感情を、相手に反映しているためではないかと、フラーズも微笑む。
今の日々は、幸せといっていいだろう。
「危ないことはだめですよって、言わせてください。私は、みんなのママですからね」
それは、心から生まれた言葉だった。
いつものフラーズの微笑みに、女王ライネも、つられて微笑んだ。
「は~い」
子供っぽく笑った女王は、黄金に輝いていた。
* * * * * *
――平和
世界から戦争が消えた、ドートム暦の事を言う。人類が何度も夢見て、夢を見るままに終わった夢が、ドートム政府によって実現されたのだ。
保安局は、その平和の担い手なのだ。
「本当に、そうだろうか………」
広い部屋にただ一人座る男、ワジット・ルーベラルは、深刻に苦しんでいた。
この都市の、都市保安局の局長と言う重職に就いている御仁だ。
手元には、開封された手紙があり、冗談であって欲しいキスマークがついている。ただのキスマークつきのお手紙であれば、彼もまた、男なのだという、生易しい目線を送られるだろう。
キスマークのサイズが巨大であるため、なにがあったという
事情を知る方々は、沈黙を貫く。フリルがいっぱいのエプロンを身につけた、二メートルオーバーのマッチョの姿を知ってしまえば、沈黙以外の言葉は命取りだ。
このキスマークが自分に迫ると思えば、恐れ、震えて、沈黙をしても仕方ないのだ。
輝きが、舞い降りた。
ワジットは静かに眼をあけると、柱時計に目を向ける。手紙に記されていた、時間だ。
「よく、たどり着いたな………」
悪役の台詞だと、ワジットは苦笑する。
そして、言葉通りだと、自嘲する。
「悪役のセリフですね、それ………」
侵入者は、歩を進めた。
考えることは同じだと、微笑みあいたい気持ちを、押し込めた。そんな資格はない、相手が、例えそれを許したとしても――だ。
「オレも、そう思う」
明りを落とした室内に、黄金の毛髪は光り輝いて、尾を引いていた。保安局長を前に気後れをするなど、あるはずがない。
彼女は、雷の女王である。
ワジットは、静かに顔を上げた。
「――さて、ゼレーティアの末裔は、今夜はどのような厄介ごとを持ち込むのだね?」
糾弾されるべきは自分であり、その資格を持つ人物が、目の前の少女だ。
いいや、少女扱いは失礼だろうと、ワジットは年月の経過を自覚する。小さな子供は、いずれは大人となる、その実例が目の前の女王ライネリアなのだから。
女王は、軽い調子で、危機を口にした。
「いつもどおり、世界の危機ですよ」
両手を腰に当てて、困ったような笑みを浮かべていた。
大げさだと笑いたいが、大げさでないところが、困ったところなのだ。ワジットは額にこぶしを当てて、うなだれた。
「………また、悪霊かね?
「いいえ、メイゼ博士関係です。娘さんは、うちにいますから」
女王の軽い物言いに、今度こそ、ワジットはため息をついた。そんなに軽い話ではないだろうと、老人らしく説教したい誘惑が湧き上がる。
即座に抑え、考えをめぐらせるあたりは、さすがは上に立つ人物である。政治の話にはほとんど関わらないワジットであるが、メイゼ・リョーグ博士の立場は耳に入る。
新規エネルギー炉心に反対する筆頭で、かつての天才が、地位に固執していると
悪意が真実をゆがめると知っていても、全てを調べることなど、出来るわけがない。ワジットは、悪意ある噂と予感していたが………
エネルギーシステム関係の危機であり、解決の手立ては、こちらに無いと知った。
「すまんな………本来なら我らの役割であるのに、そして――」
続く言葉は、無意味だと、押し黙る。
古い貴族の末裔、ゼレーティアの名前を受け継ぐライネリアを前に、何度も口に出そうになる。本来の支配者は、彼女達であるべきだと。地位を奪った側として、ワジットは今でも地位を返上して、裁きを受けるべきと言う義務に苛まれる。
意味が無いために、もはや全ては終わったことであるために、口にしない。
ワジットの言葉を待つことなく、女王ライネはねぎらった。
「あなたに、鎖を断ち切れとは言いません。法律、偽り、
自由に動ける範囲。
振るうことの出来る力。
力が強いほどに、力を振るった後の代償が大きいことも知っている。
共に、知っている。
雷の女王は、静かに宣言した。
「戦います、今の居場所を守るために………三日後の夜に、騒ぎが起こるから――」
女王ライネは、リーシアたちと立てた計画を語った。
黄金の瞳が、静かに細められる。ワジットは、その瞳を見て、何度と無く叫びたい欲求に駆られる。戦う必要はない、共に戦わせてくれ………それを自然に抑えられるほどに、ワジットの心は叫び続けていた。
今の平和が、平和の名前に値しないと苦悩する理由だった。
それでも………
「今回は、おまえが力を振るうほどのものなのか」
ワジットの問いかけに、女王は背を向けた。
「もう、いきます」
会談は終わった。
目的は、これからの事態に対する黙認と、事後処理の要請。いつもの事であるために、言葉は少なく終わる。
「あと、三日か………」
ワジットは、女王ライネが立ち去った夜空を、しばし見つめていた。
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