第17話 巡回員のお兄さんと、悪夢


 世界は、今も危機にさらされている。

 物語の書き出しとして、使い古されたフレーズだ。それは、ドートム政府が支給する教材が原因である。ドートム政府に従うように教育するための、脅し文句であるためだ。

 本当に危機にさらされていると、誰が知る。

 とある巡回員の若者は、悪夢を見ていた。


「………マッチョが………エプロンで………ぅあ………可愛い笑顔がぁ~」


 訂正、悪夢の中だった。

 巡回員の詰め所の入り口にある、囲いの中だった。二人一組で、いつ誰が訪れても対応できるように、夜の見張りをしていたのだ。

 約一名は、夢の中でうなされていた。

 昼間、不幸の神様メイリオに出会った若者であった。


「――わんっ!」


 起き上がった。

 なぜか、犬の鳴きまねをしていた。


「おう、起きたか、ギルターク」


 先輩の巡回員バッカスが、笑いをかみ殺していた。どのような夢を見ていたのか、心当たりがありすぎた。昼間に、マッチョの前に引き据えられたコンビなのだから。


「はい、すみません」


 十八歳の新人君のギルタークは、ばつが悪そうに謝罪した。

 今は夜。人々がご家庭に戻り、あるいは夜の街に繰り出している時間帯である。隠れ居酒屋の数は、数知れず、見ぬふりと取締とりしまりのバランスをとってこそ、一人前という教えである。

 らんらんと、いたるところに明かりがともっていた。


「信じられるか、この明かりが突然、消えるんだぜ」


 浸るようにバッカスが語る。

 あっさりとしている、抗うことの出来ない恐怖を前にした心境だった。一方のギルタークは、うずくまる。


「それも、俺たちの誰かの手で、その後何が起こるか、考えずに………」


 バッカスのように、町明かりを見る勇気がなかった。まだ少し先のことであっても、来週に起こる、世界の危機なのだ。

 のんびりと、バッカスは続けた。


「最悪なのは………そう、最悪なのは、その後に何が起こるかを、実行犯達は理解していないってことだな」


 他人事と言うか、現実感がともなわない口ぶりは、現実感がともなっていないためである。驚き、パニックを通り越した、あきらめに似た心境だった。

 ドートム政府の支配する世界、その姿を外側からながめる気分だった。

 昼間の出来事が、原因である。


「不幸の神様って、いるんですね」


 ギルタークの言葉に、バッカスはずっこける。何を言ってやがると振り返りつつ、バッカスの脳裏にも映っていた。

 土下座をしていた駄犬の姿が、映っていた。


「あの駄犬………メイリオって言ったっけ、おまえと同じ新入りで」

「一緒にしないでくださいよ、僕、あそこまでひどくはないでしょう」


 言いながら、ギルターク君は自信がなくなっていくようで、言葉がしぼむ。

 必死に何とかしようと慌てて、やらかして、土下座する。その姿が、なぜか自分と重なるのだ。

 なお、悪夢にうなされ、ワン――と叫んだことは、ギルタークの記憶にない様子。あえて追及しないバッカスさんは、優しい先輩である。

 バツが悪い後輩君のギルタークは、つまらなそうに反論した。


「土下座は、してませんよ。局長の前で、深々と頭を下げただけです。先輩も一緒にね」

「はっ、地位が高い方の前だと、オレとおまえは、等しく下っ端だ」


 笑っていた。

 女王の事務所から開放された二人は、都市保安局の本部へと直行した。フリフリなエプロンと言う姿のマッチョから、お手紙を預かったのだ。

 本来は、一介の巡回員が面会できる人物ではない。だが、それが許されたのだ。『牙と爪』からの手紙を預かったと、その知らせを聞いた幹部の方が現れたのだ。


「よく信じてくれましたね。あんなサインで………」

「取り次いだ幹部のヤツも、きっと面識があるぜ。俺たちと同じ目をしてやがった………マッチョを、絶対に知ってやがる」


 同時に、マッチョを思い出す。

 むしろ、鉄パイプでも持っていた方が、なじみがあった。いや、怖いことには変わりないのだが。周りのお兄さん達は、そういうお姿であったわけであるし………

 しかし、思い出してみると、それだけの話なのだ。二メートルオーバーのマッチョがフリフリエプロンを着ても、個人の趣味である。こちらに強要されない限り、尊重すべきである。

 悪夢に見る程度の衝撃は受けたが、本当にささやかな問題なのだ。

 問題は………


「メイゼ博士のお嬢さん、行方不明って話は聞きましたけど………」

「思えば、おかしな話だったんだ。娘が行方不明なのに、父親の声明がないんだからな。メイゼ博士ほどの重鎮だったら、心配している、探しているとか、そういった言葉の一つくらい、読み上げるはずなのに………本人が監禁中なら、無理もねぇ」


 陰謀論なら、娯楽扱いだ。世界を壊す恐れのある、スリルのある楽しみである。

 今、体感しているだけだ。

 新人巡回員のギルターク君十八歳と共に、ベテランのバッカスは身震いをする。陰謀論ではない、世界を巻き込む危機が、迫っていた。

 どこか上のほうが、考えたくないが都市の保安局長であるルーベラルと同等の、あるいはそれ以上の影が見え隠れするのだ。


「メイゼ博士の娘さん………本当に賢い子供なんですね、ヤバイってわかって、すぐに行動して………」

「どこのお偉いさんか知らんが、バカだよな。都市を混乱させて、博士を追い落とす………で済むって思ってるんだから」


 ぞっとして、バッカスは震える。夜風のためだけではない、明かされた真実を思い出したのだ。この都市が混乱し、大惨事になる。

 では、すまないのだ。


「博士の言葉も、デモ隊のせいで………まさか、誰かがわざと?」

「………今回の事件が落ち着けば、分かるかもな」


 遠くを見つめる。

 この都市へエネルギーを中継する、エネルギー中継施設の方角である。万が一のために、適度な距離という、徒歩一時間ほど離れた、山々で隔てられている施設である。

 城塞都市のような施設である。

 そして、今回の事件の発生場所となる。


「分かっているのに、何も出来ないってつらいよな」

「閣下は、いつもこんな気持ちだったんでしょうか………」


 隠された真実を知った今、つぶやく。

 ドートム政府という、世界を支配する体制の正体や、犯罪組織であるはずの『牙と爪』との協定。

 そして、失われた力、魔法の力。

 使い手の一人を思いだし、ギルタークはつぶやいた。


「あの駄犬も、戦うのかな」


 とたんに、バッカス先輩は、笑った。

 つられて、ギルターク君も、大笑いだ。それはないだろうと、あれはただの雑用係だろうと、笑った。

 今はただ、笑っていた。


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