第12話 駄犬、メイリオ
誰もが夢を見た、理想社会は実現された。
そんな夢のような話は、夢でしかありえないと、さもしい床を歩くたびに、かみしめる。みしみしと、不安げな音色を上げる足元が、教えてくれる。
いいや、だからこそ、夢を見たいのかもしれない。水色のロングヘアーの女の子は、現実を前に、びしっと言い放った。
「駄犬、おすわりっ」
腕をまっすぐ伸ばすその姿は、とても凛々しく、可愛らしい。
以前は質素なワンピーススタイルであったが、今はフード付きのシャツと言う灰色のパーカーと、だぼだぼの紺色ズボンはキャロットと言う、ボーイッシュスタイルに変わっていた。
お古の寄せ集めと言うにも、真新しさがある、リーシアのために仕立て直された衣服であった。誰の作品であろうか、サインのように、絵本のクマさんが刺繍されていた。その衣服の作者は、両手を地面についた犬すわりをして、楽しそうにお返事をした。
わん――と。
お世話の達人メイリオは、下っ端の下っ端と言う整備員の十七歳であるが、今は人間であることを捨てたようだ、はっ、はっ、はっ――と、見事にお犬様の真似をしていた。
いや、駄犬であった。
メイリオの住まう、築うん十年と言う、ボロボロとさもしい独身寮ではない。建てられてからの年代は、こちらのほうが上かもしれない、素人の補修と言う現代アートの
お引越しをしたのだ。
そこへ、ノックの音と共に、新たなご近所さんが現れた。
「あらあら、今日も仲良しさんねぇ~」
おば様であれば、愛嬌もあろう。あるいは、妖艶なお姉さまであれば、胸がドキリとするかもしれない。
だが、声の主は、どちらでもなかった。
ぬっと、扉を開けて現れたのは、身の丈は二メートルを優に超えるマッチョだった。
血のように赤い瞳に、毛髪の色は分からないスキンヘッドで、そして、その肌は健康的な、ムキムキマッチョと言う、ムキムキマッチョだった。
それなのに、身に着けているのは、冗談であって欲しいフリフリのフリルがたっぷりの、エプロンドレスなのだ。淡いピンク色が、凶悪だ。
さらに冗談であってほしいのは、彼女?こそは、犯罪組織『牙と爪』の幹部のお一人と言う事実であった。
リーシアが助けを求めた、こわ~い方々のいる組織の、幹部さまなのだ。
大丈夫だろうか、そんな感想も、過去のこと。リーシアたちが裏社会デビューをしてから、すでに一週間である。
「駄犬は、デリカシーがないの。だから、デリカシーが身につくまで、人間に戻っちゃだめなのっ」
リーシアちゃんは、精一杯、お姉さんぶった。
頭の上では、クマさんパンツも応援していた。
まるでここがクマさんの居城と宣言するかのように、高らかに
ここはメイリオとリーシアの新たな居場所、ここは犯罪組織『牙と爪』の皆様のお住まい。正しくは、メイリオとリーシアのためにあてがわれた、個室である。
「いいじゃないの、可愛いわよ」
「そうだよ、リーシア、可愛いよ」
そうだ、そうだといわんばかりに、クマさんが刺繍された作品たちが、頭上でたなびいていた。
衣装タンスがない環境では、地面に積み重ねるしかないが、壁に吊り下げることで飾りにもなるという、メイリオの計らいであった。
クマさんパンツは、外せない。にっこり笑顔に、双子にと、バラエティーが豊かである。
もちろん、クマさんパンツ以外にも、色々と
古着を寄せ集めたもので、寸法もややあっていないのだが、ちょっと挑戦的なデザインと見ることも出来る。
その全てに、クマさんパンツと同じ絵柄のクマさんが刺繍されている、徹底振りである。子供が喜ぶであろうと、穴あきの衣服への救済手段に笑顔のクマさんを選んだあたりは、さすがはお世話の達人、メイリオである。わずか十七歳で、よくもこれほどの芸当が身についたものだ。
「でも、よくもこれだけ………さすがメイリオちゃんよねぇ~」
クマさんの大群を前に、マッチョのエプロンさんは、にこやかに
技術として、本当に褒め称えるべき衣装の全てに、可愛らしいクマさんが微笑んでいるのだ。大人の感想としては、その技術を褒め称えておかしくはない。
おかしいのは、女の子への配慮である。
当のリーシアちゃんとしては、辱め以外の、何物でもなかった。
それでも、ご機嫌斜めを貫くことは出来ない。お世話になっている組織の幹部様が、目の前に現れたのだから。ご近所づきあいの挨拶だけで、終わるはずはないのだ。
ここに身を寄せたのは、目的があるため。
「さぁて、リーシアちゃん、駄犬ちゃん。今日の予定なんだけどね?」
リーシアと駄犬メイリオは、共にお返事をする。
駄犬のお返事は、もちろん「わん」――である。
「リーシアちゃんは、作戦会議ね。女王のお部屋には………もう、一人で行けるかしら」
ダガルトというエプロンの巨体を見上げて、リーシアちゃんはコクリ――と、うなずいた。
「そして、メイリオちゃんは、配線修理の依頼がたくさんよ。二人とも、慣れてきたと思うけど、ここは怖い人の集まりなんだから、油断しちゃだめよ?」
マッチョなエプロンが、ウィンクをした。威圧されているわけではないのに、一歩下がらないように、気合が必要である。
慣れれば、ただの挨拶に過ぎない。リーシアはすたすたと、一人でお出かけだ。向かう先は、女王と呼ばれる人物の待つお部屋である。
そして、メイリオはマッチョなエプロンさんの案内で、修繕箇所に向かう。
裏社会生活での日々が、また一日、始まった。
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