第6話 リーシアちゃん、化かす
「お兄ちゃん、起きて」
夢のようだと、メイリオは夢うつつに、笑みを浮かべる。
可愛らしい妹が、甘えてくれる夢を見たのだ。いいや、夢ではない。瞳をあけると、可愛らしい水の妖精が、目の前にいた。
そう、水の妖精だ。
水色の髪の毛はまっすぐで、深い緑色の瞳は可愛らしいパッチリと、理的な輝きを秘めている。将来は美人になるだろう。それはほめ言葉というよりも、予言だ。
恋人にするには幼すぎるが、愛さえあれば、年齢など関係ないとよく言われる。今はまだ子供でも、いずれは大人へと成長するのだ。
そう、これは新たなる出会い――と言う、都合のいい夢は、夢に過ぎない。
「とっくに朝だよ、起きて」
リーシアちゃんは、メイリオを
起きろ――と。
子供のお遊びなので、ちっとも痛くはない。人間の尊厳が、ちょっと痛いだけだ。
これが新しい日々なのだと、メイリオの意識が覚醒していく。ついでに、リーシアの着替えをどうすべきかと、お世話の達人の気分がよみがえる。
とりあえずとリーシアに差し出した衣服は、メイリオのシャツである。ひざまでのワンピースにも見えるが、大事なものが欠けているのだ。
そう、パンツだ。
かといって、メイリオが女児用の下着売り場に向かえば、どうなる。間違いなく、冷たい目線が注がれるだろう。
そう、足でゲシゲシしている、可愛い暴君の瞳のような………
「私が悲鳴を上げたらどうなるか、分かるよね、お兄ちゃん」
にっこりと、可愛らしい笑みだった。
瞳だけが、笑っていなかった。
本気と書いて、マジと読むという瞳であった。さすがは女の子。メイリオの目線が何を意味したか、分かったようだ。
「さって、起きるか。お休みの日だからこそ、時間は大切にしないと」
大げさに言いながら、メイリオは起き上がった。
もとより癖のあるブランショートヘアが、かなり大変なことになっているが、気にしない。気にすべきは、今後である。
まずは、リーシアのパンツだと考えながら、洗面所へ向かう。
軽くギシっと音がする新生活に心躍ったのは、去年の思い出のメイリオは、ゆっくりと洗面所の扉を開けた。脱衣所を兼ねている。リビングから玄関方向に右側である。
さび付いた蛇口をひねると、勢いよく水が飛び散る。さび付いているおかげで、調整が難しいのだ。メイリオは飛び跳ねる水を気にせず、寝ぼけた顔を洗い始める。
のんびりとまどろみを味わいたい誘惑が、徐々にあきらめていく。
本日は休日なのだ。予定では、新人ちゃんと一日デートの、もしかしたらお泊りの、それはむなしい夢と消えた。
夢は、しょせん夢でしかない、いつもの展開だ。
新たな出会いは、予想外の展開だ。
保安局すら頼ることが出来ない。そんな大きな事件に巻き込まれたのだ。ここにもし、捜査員が踏み込んできたらと思うと、笑えて来た。さすがに考えすぎかと、顔を拭きながらリビング向かうと、リーシアの態度がおかしかった。
緊張して、様子を探っていた。
かすかな物音、
どうして、嫌な予感ほどよく当たるのだろうかと、メイリオは思った。水場にいたため、気付けなかった。
遠くで、呼び鈴がしていた。
もう、お隣だった。
――ジリリリリリー………ジリリリリッリ………
表札で無人だと分からないのか、念のためなのか、お間抜けさんなのか、判断は出来なかった。
窓をそっと開けて、音を入れる。
「(――ボソボソ)留守か………」
「(――ボソボソ)仕方ない、独身寮なのだから」
二人組みのようだ。
メイリオの人生の一大事、今が正に、選択のときだ。平穏な日々を生きるつもりならば、ここで強引にでもリーシアを差し出せばいい。暴れるだろうが、小さな子供を押さえつけるなど、たやすい。
メイリオの天秤は、どのように揺れるのだろうか、天秤にお
隠れろと、時間を稼ぐと言う合図だ。
メイリオは、そういう少年なのだ。
――ジッ、リリリリリー………ジリ………リリリリ………
緊張が、頂点に達した。
お隣より、間の抜けたベルの音だった。
まるで、家主の人格を表すように、情けない鳴き声だった。出来るだけ時間を稼ごうと、しかし、何をすればいいのかと考えつつ、メイリオは、普段通りを装って扉へ向かった。
はいはい、今出ますと言わんばかりのタイミングで、扉を開けた。
そう、いつも通りに、無警戒に。何も知らない、いったい何の御用ですかと言わんばかりに、ごく自然に。
「はい、どちらさまで――」
扉をあけながら、メイリオは後悔する。
玄関からそのまままっすぐ奥を見れば、リビングである。
すなわち、寝室である。
緊張の面持ちでこちらを見ていた女の子、リーシアのいる場所である。隠れろと合図を送ったにもかかわらず、その時間を、自らが奪ってどうする。隠れ終わるまで、どうして待たなかったのかと、自分をののしるメイリオ。
この状況は、最悪である。
いや、仮にリーシアを探していない、別の誰かでも、まずい状況である。
よくて、少女誘拐の罪で、逮捕である。
――あいつ、根はいいやつなんですよ。お調子者なだけで………
――普段は明るくて面白い人なんですけど、たまに、はじけちゃうって言うか………
――あぁ、いつかやるとは思ってましたけどね。でも、まさか子供を………
次々に浮かぶ知り合い、友人達の証言。
さらばだ、我が人生。
こんにちは、犯罪者の烙印。
ふるさとのお父様、お母様、申し訳ありません。あなたの愚息は、愚かな事をしてしまいましたとさ――
メイリオは、人生の走馬灯を見ていた。
「君、いくら独身とはいえ、もう少し生活を正したまえ」
「よせ、俺たちは風紀を正すのが役割じゃない、いや、失礼、邪魔をした」
走馬灯の間に、何か終わったようだ。
そして、あっけにとられるメイリオを尻目に、次の部屋へと向かっていた。
「はぁ………」
返事にならない返事をして、メイリオは扉を閉める。
緊張していたのだろう、大きく息を吐きながら、情けなく、扉の前に座り込んだ。
数度、呼吸をして、ようやく落ち着く。緊張していたのだと自覚して、一体何があったのかと言う疑問を探る余裕が出来た。
立ち上がりながら、振り返る。
そこは、ゴミ溜めだった。
言い過ぎではない、空の缶詰や、ごみ箱の中身が優雅にシーツの上で泳いでいた。それだけではない、本日洗濯する予定の、自らの作業着や下着などが、偉そうに椅子にもたれている。
独身男の悲哀。
メイリオの部屋の惨状を表す言葉であった。
とりあえず、この惨状を起こした元凶をひっとらえよう。そう思いながら、この惨状を起こした原因、リーシアの機転に、行動力に感心する。メイリオが緊張で周りが見えていない間に、リーシアは独身男の悲哀を演出したのだ。
さすがであった。
ゴミ箱を倒し、脱衣所からメイリオの衣服だけを選び、方々に放り投げる。そして、自らはだらしない洗濯物の間にもぐりこんで、息を殺す。
小さな体なのだ。どこにでも隠れられるだろう。メイリオは丁寧にシーツを、衣服を崩し始める。
「お~い、もう出て行ったから」
小声だった。
念のためだった。
メイリオはお調子者だが、馬鹿ではなく、何より、愚かではない。
窓を開ければ、外の音はそれなりに漏れ出るものだ。あくまで聞き耳を立てていればであるが、こちらの様子を伺う人物が近くにいれば、さすがに慎重にもなる。
しかし、小さな暴君は、本当に機転が利くようだ。洗濯物の山は、洗濯物の山でしかなかった。では、どこに隠れたというのか。
まさか、出て行ったというのか。そんなはずはないだろうと、メイリオは一枚、一枚と、タオルや衣服をたたみ、仕分けし、片付けていく。
この一枚をはぐれば、丸まって隠れている小さな暴君を抱きしめてやろう。いや、からかうのも悪くない。いやいや、まずは大人の対応として、事情をしっかりと聞くべきだ。
だが、甘かった。
さぁ、どうしてやろうと楽しみながら、発見できなかったのだ。全ての洗濯物が仕分けされ、片付けられると、空だった。
ならばと、ベッドの下に、ソファーの下、カーテンの中と、子供ならばあるいはと思われる狭い隠れ場所を、徹底的に探す。
そして、可能性は消えた。
「おっかしいなぁ~………どこいったんだ………」
仕方がないと、とりあえず、洗濯に取り掛かることにした。玄関から見て左が脱衣所だ。そして、リビングからは、玄関方向の右側である。
思い知る。
人間の視界は完全ではないと。
死角だらけだと。
そして、十歳のリーシアちゃんは、十七歳男子メイリオの、胸元ほどの身長である。目線を合わせるためには、かがむ必要がある身長差である。
そう、普段の目線からして、子供の姿は、視界の外なのだ。大人が、ちょろちょろと動き回るお子様を見失ってしまう理由である。
リーシアもまた、人の死角を利用していた。
訪問者が扉を開けて、完全に死角になる場所とはどこか。扉を開けたメイリオの後ろには、常にリーシアがいたのだ。
その上で、訪問者の目線を誘導するために、リビングを派手に散らかした。
メイリオの情けない服装と、散らかったリビングから、ここは違うと訪問者に思わせたリーシアちゃんは、本当に頭のよいお子であった。
ただ、イタズラっ子も子供ゆえ。メイリオがいつ自分に気づくか、わくわくしながら後ろに付きまとっていたのである。
メイリオがそれに気づいたのは、脱衣所だった。
「………………」
背後霊。
印象としては、そうだった。
全身鏡と言う贅沢品には手が出ないものの、備え付けの鏡はあった。取り替えられたことがないのかもしれない、少しひび割れたが、用は成している。
なにかが映れば、無意識に見てしまうものだ。メイリオの目が、見開いた。
メイリオの背後に、すっと、影が映っていた。
髪の長い女の子が、ぼんやりとたたずんでいた。その感情をともさない瞳が、まっすぐと前を向いていた。見つめる相手は、鏡に映るメイリオである。
メイリオは、目を離すことが出来なかった。
目が合ったまま、つぶらな唇が、かすかに動いた。
ささやき声よりもかすかに、メイリオの耳元に、言葉が送られた。
「見つかっちゃった」
リーシアは、感情を込めずに、隠れんぼのセリフを口にする。この方が効果的だと、知っていたためである。
メイリオが腰を抜かしたのは、言うまでもない。
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