第2話 缶詰様、万歳


 ドートム暦も、すでに暦は三桁さんけたを迎えて、117年だ。

 技術発展は目覚しく、かつての王侯貴族の暮らしが、今は日常になったとさえ言われる。

 スイッチ一つで明かりがつく。

 蛇口を開けば、清潔な水が出る。

 少し時間を必要とするが、狭いながらもバスタイム。

 エネルギー供給が豊かなおかげで、メイリオのような下っ端の下っ端の作業員でも、優雅なる一人住まいを満喫できるのだ。

 独身寮に住まうようになって、一年と少し、我が王国と言う言葉が、ふさわしい。

 それも、缶詰様がいらっしゃるおかげだ。

 食糧事情が豊かであるからこそ、優雅なる暮らしだと、浸っていられるのだ。肉、ソース、スープに、えぐい野菜。かつての庶民は豆のスープが常食だったという。比してみれば、ご馳走が毎食のように出てくる日々といえるのだ。

 メイリオさん17歳もまた、その繁栄を謳歌おうかする一人であった。たった一人で、たった一人の王国で………

 この瞬間までは。


「おなか、すいた………」


 さらばだ、平穏な日々よ。

 メイリオの中の、14歳がつぶやいた。ご丁寧ていねいに、マントまでひるがえしている姿が、まぶたに浮かぶ。シーツを首にくくりつけた、かつての自分だ。

 一体何が起こっているのかと、頭の中が大混乱で、身動きが取れないメイリオ。

 だが、可愛い生き物は、確かに目の前にいるのだ。

 可愛らしい女の子と言って誰も異議を挟むはずがない、むしろ、美少女と格を上げてもよいだろう。透き通るような水色のロングヘアーに、深い緑色の瞳。まだ女性らしさは見受けられない、この瞬間だけの美しさ。

 水の妖精。

 この少女をたたえる言葉として、浮かぶ言葉だ。まさか、実は魔法が使える自分を頼って、妖精の国から迷い出たと言うのか。

 そんな妄想だけが、空回り。


「………えっと」


 言葉を発するまで、メイリオはしばし時を必要とした。

 メイリオは、口がかわいていた。

 これが、心を奪われた――と、言うことなのだろうか。残念ながら、そんな甘い話ではない。メイリオは、嫌な汗をだらだらかいていた。

 いったい、何が起こっているのだ。そんなメイリオの混乱をよそに、少女は可愛らしい声で命じた。


「ごはん………」


 新たな単語が入力された。

 だが、理解できる、対応できる単語であった。

 男の本能が訴えた。こんなに可愛らしい女の子が空腹を訴えているのだ、何も提供できなければ、あまりに甲斐性かいしょうがないと。


「あぁ………はいはい、今用意するからな~」


 とりあえずも、理解できる単語を、行動できる言葉を抽出した。親戚の子供を預かっていた学生時代、色々と身についたわざである。

 現代独身男子の例に漏れず、メイリオは保存食を買い込んでいる。

 手先が器用なメイリオであるが、ついものぐさになる今日この頃。急ぎ、空腹を満たす手段としては、インスタント食品様に感謝である。

 お湯を沸かした。

 缶詰に手をかけた。

 そして、乾燥パスタの袋を開く。

 慣れたものだ、この作業で十五秒。自画自賛してもいい、気分はコックさんだ。


「はい、召し上がれ」


 十数分後、お皿にパスタが盛られていた。

 ナプキンをテーブルクロスに見立てて、少し贅沢な気分を表した。フォークとスプーンが、清潔なテーブルクロスの上に並ぶ。女の子へのマナーのつもりで、形としては、ちょっとしたレストランだ。

 本日、張り倒された現場の、少ししゃれたレストランの光景がかさなって、あぁ、思い出し涙が頬を伝う十七歳。キミの瞳に乾杯かんぱい――だなどと、ふざけたセリフは、メイリオは夢で見るしかないのだ。


「いただきます」


 お利巧りこうな女の子の挨拶あいさつに、メイリオのほほが緩んだ。

 悲しみは、遠くに消え去った。

 インスタントとはいえ、いくつか手間を加えるだけで、立派な料理なのだ。缶詰ソースは、ただ温めればいいというわけではない。おいしいと思える温度と言うものがある。熱すぎず、ぬるくもないそれは、経験がものを言う。

 そして、乾燥パスタはもちろん、レストランも驚きの、今が食べごろ湯で時間。軽くお湯を切って、さぁ、どうぞ。

 お気に召したのか、少女は一心不乱に食べ続ける。

 時折、ふー、ふー、と冷ましながら食べるしぐさが愛らしい。この姿を見るだけで、料理を用意した甲斐かいがあったというものだと、メイリオは満足の笑みを浮かべる。

 どうだ、すごいだろうと、腕を組む。

 自分が楽しみ、相手も楽しませる男、それがメイリオなのだ。今新たに、小さな女の子の召使としての地位を獲得した。

 何かを忘れている気がしたが、忘れた。

 忘れたことに、したかった。


「この子………だれだろう………」


 可愛らしい姿を見て、思い出す。目の前の女の子は、気付けば自分の部屋に入っていた、不法侵入者なのだ。

 と、ようやく気づく。

 可愛らしい女の子だが、どこか違和感があった。その理由を、お世話をし始めて、ようやく気づいた。

 薄汚れているのだ。

 まるで、家を失った子供たちのように、清潔は過去のことになった、汚れた衣服だ。

 しかし、それにしてはこざっぱりしているようで、それが違和感。まるで、つい最近、何かが起こり、家を失ったかのような印象を受ける。

 メイリオの葛藤かっとうを知らず、少女はもくもくと食事を続けた。


「おかわり」


 訂正、食事が終わっていた。

 子供の食欲を侮っていたと、ただちにお嬢様の隣に向かう。その姿は、コックさんと言うよりも、ボーイさんだ。


「はいはい、今用意しますからね」


 なぜか、敬語になっていた。

 どこに出しても恥ずかしくない、立派なボーイさんの姿である。

 本職は、エネルギー供給関係である。

 正しくは、三級補修整備員である。手先が器用であり、周囲への気遣いを自然にできることから、採用されたのだ。

 その明るい性格も、めげない性格もまた、高く評価されていた。本日も、事務の女の子を食事に誘って、張り倒されたばかりであった。

 今年に入って、四人目だった。

 メイリオの、人気の理由だ。今月は、何人に振られるのだろうという、賭けまで存在する人気ぶりだ。

 まだある長所の一つが、気配り上手。

 デリカシーと言うか、女子への配慮と言う一点を除いて、メイリオは出来る男なのだ。


「同じ料理でいいよね」


 服装や、ここにいる理由など、色々気にしない風を装う。

 確認しても、出せるメニューはパスタだ。乾燥パスタの袋を再び開け、お湯を沸かす。それでもボリュームを考えて、スープにサラダに、干し肉も出せる。

 缶詰様に再び協力を願おう、缶詰を開発した人に、日々祈りをささげたい独身男子、メイリオ。

 今は、少女も含まれるだろう、メシはまだかと、可愛らしいお顔で、こっちを見ている。

 十数分後――


「はい、お待たせ」


 お皿は、二つ。

 まだ、名前も知らない少女と、そして、メイリオの食べる分である。栄養バランスを考えて、サラダ付きだ。


「熱いから、気をつけて」


 作り立てだと、改めての気配りの言葉だ。

 少女は、馬鹿にするなと言わんばかりに、ふーふーしながら、危なげなく食べ始めた。幼くとも、食べさせねばならないほど幼くないのだ。

 メイリオもとりあえず、自らの傑作を口に運ぶ。さすがは自分だと、すでに疑問は吹き飛んだ。

 しかし、そのためにメイリオは貴重な情報を見逃してしまった。

 少女の瞳が、キラン――と、輝いたのだ。

 こいつ、使える――と、少女の姿をした悪魔が微笑んだ瞬間だった。

 だが、少女の中の悪魔は、すぐに後悔することになる。赤面して、女子のプライドを守ろうと、必死にあがくことになる。

 メイリオと名乗った男が、思った以上に有能だったのだ。

 お世話役として。


「じゃぁ、お風呂の準備、してくるから」


 メイリオの言葉に、少女はとっさに、顔を上げた。

 この男は、なんと言ったのだ――と。

 感情をともさない瞳でメイリオの後姿を見つめる少女は、嫌な予感しかしなかった。女子としての危機感ではなく、女の子のプライドが、叫んでいた。

 お風呂用のオモチャ、どこだっけか――と、つぶやいていたのだから。


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