第二夫人レギーナ=ゴワシェルの場合
「おやすみ。レギーナ」
「はい。おやすみなさいませ」
私は健一さんにお休みを告げ自室へ戻ると、そのまま倒れるようにベッドに横になりました。地球から取り寄せた最高級ベッドのようで、慣れてしまうともう二度と市販のベッドでは満足できません。
ですが、最近はろくにベッドで寝れていない気がします。
なぜなら、最近疲れるのです。
チャロは親の介護をする言って出ていったまま行方がわかりません。そして、エリーザベトに至っては突如として失踪し、足取りも理由もわかりません。
一体何だというのでしょう?
おまけに一部の市民からは何やら怪しく見られているようで、週刊誌記者と思しき姿もちらほらと見かけています。
少なくとも、私はやっていません。それに、他のカーリンもヴェルディアナも、健一さんもやるわけがないのです。
火のない所に煙は立たぬとはいいますが、本当に出どころなんてあるのでしょうか? 健一さんを快く思わない誰かが嫌がらせ目的で吹聴しただけだと私は考えます。
「はぁ……」
自分の知らない内にため息が溢れました。
そりゃため息もつきたくなりますよ。買い物のためにちょっと外に出るたびに妙な視線を感じて、それが好意的なら嬉しいんですけどどうも訝しげというかそんな視線です。
おかげで外に出にくくなってしまいました。
ですが、健一さんも必死に悪質なデマの出所究明に当たっているようなのでもう少しの辛抱でしょうか。
そう考えると、瞼がどんどん重くなっていきます。私はその重さに耐えきれずに瞼を閉じました。
◇
私が寝室で眠って少し経ったぐらいでしょうか。私は部屋の外から聞こえる不快な音に起こされました。
「うるさい……」
エルフというのは、敏感な種族です。耳が大きく尖っているのも、一説によると森の中で狩りをしやすくするために些細な音も聞き逃さないように進化したのが原因だとも言われています。
私はベッドの上をゴロゴロ回転させて気分を紛らわそうとするも、不快な音は一向に去る気配がないです。
何なんでしょうか。
苛立ってきた私は、安眠のために音の発生源を見つけることにしました。音の発生源は恐らく庭。庭に何かあるのでしょう。
自室のドアノブを回した途端、妙な違和感に襲われました。
部屋の中では不快な音としか認識できていませんでしたが、廊下に出てよくよく聞いてみればそれはパトカーの音にそっくりでした。
何が起こっているのか、確かめないと。
私はいてもたってもいられませんでした。スリッパのまま外に出てみると、そこにはヴェルディアナ。そして、複数人の警察官とパトカー。警備兵もちらほらと。
ヴェルディアナが必死に警察官に何かを語っているようでした。
「あ、レギーナ」
ヴェルディアナがこちらに気がつきます。ですが、面持ちは晴れません。何かあったのでしょう。
「ヴェルディアナ、教えて。何があったの?」
私はヴェルディアナの肩を強く揺さぶりました。
「わかった、わかったからよせって」
ヴェルディアナは私を強引に引き剥がすと、咳払いをした。
「庭で死体が見つかったんだ。恐らく週刊誌記者で、犯人は不明。警備兵はその時交代の時間で警備が手薄になっていたらしい。急いで駆けつけると、道路を走っていく男の姿があったらしい」
「その人が犯人なの?」
「さぁ? でも、その可能性は高いよね」
ヴェルディアナはそう私に言うとそのまま何かを考えるように黙り込んだ。夜行性のヴェルディアナもさすがに何か思うことがあるようです。
「何があった?」
そのとき、健一さんも騒ぎを聞きつけて庭へとやってきました。
「あ、健一さん……」
私が近づくよりも早く、警察官が健一さんに近づきました。どうにも健一さんを訝しんでいる様子です。いろいろ警察官が健一さんに問いかけていますが、健一さんがそんなことをするわけがないのです。
「あの、誰かが別の場所で殺してここに置いていったという可能性はないんでしょうか」
私は健一さんから事情を聞いている警察官に話しかけます。
「ここの邸宅は警備が非常に厳重です。一瞬の寸隙をつかれてしまったとはいえ、警備が交代する一分もない時間内で重たい遺体を敷地内において逃げれるでしょうか。何かしらの道具を使えば、音がしますのでさすがの警備も気づくでしょう。そういった意味でも家の中にいる人が怪しいのです」
「まさか、健一を疑うの?」
ヴェルディアナが剣幕で警察官を非難します。夫が疑われたのですから、ある意味当然の反応と言えるでしょう。警察官は、非難されようと顔色を変えません。
「いえ、別に岡田さんだけを疑っているわけではありません。犯人が確定していない以上、誰であれ犯人の可能性はあります」
これが仕事だからとばかりに、なんの感情も込めず淡々と述べました。つまり、健一さんの奥方も全員疑っている。そう警察は言うのだ。ヴェルディアナ同様苛立ちも覚えますが、仕方ないとも思います。一刻も早く犯人が捕まるのを願うばかりです。
◇
警察官が一旦引き上げた後、私たちは明朝にも関わらずリビングに集まっていました。
けれども眠たいとか、そう言った感情は微塵も感じません。それは、ここにいる他の三人──健一さん、カーリン、ヴェルディアナも同様でしょう。
明かりも点けず、閉まった窓のカーテン越しから漏れる僅かな光がリビングを照らすのみ。
私たちはこのほとんど闇と言えるような暗さの中、一秒単位で音を刻む掛け時計の音色を黙々と聞いています。私たちは互いに目をやり、誰かが言葉を紡ぎ始めるのを待っていました。
ですが、誰一人として率先して言葉を紡ごうとしようとする者は、この中にはいませんでした。そんな重たい静寂に耐えられなくなったのか、健一さんは両手でテーブルに勢いよく叩きます。
「とりあえず、今後のことを話し合おう」
「……そうしましょうか」
私は、健一さんに賛同します。この機会を逃してしまったら、次は一体いつ話が再開するかわかりませんし。
「それがいい」
「ええ、そうしましょう」
ヴェルディアナとカーリンも同調してくれました。
「ありがとう、三人とも」
健一さんは、私たちを一瞥しました。彼なりの感謝なのでしょう。
ですが、私は妻。夫婦は互いに助け合うものですから、感謝は不要です。ありがたく受け取っておきますが。
私がそんなことを考えながら健一さんの瞳を見つめていると、向こうはこちらの目線気づいたようです。そして、表情が少しばかり明るくなりました。
「さて、議題は二つ。エリーザベトの失踪。そして、私たちを悩ます根も葉もない噂だ」
皆の表情が真剣なものになりました。家族なのだから、気にするのは当然のことでしょう。私も、膝に置いていた手を握りしめます。
「エリーザベトについて、なんでもいい。情報はないか?」
健一さんがこんなに必死になって、エリーザベトを探しています。家族なのですから、探すべきなのです。ですが……私は妬いてしまいました。
私だけを見ていてほしい……というのは、健一さんと結婚する際とうに諦めたはずなのです。でも、あんなに、必死になって妻一人だけを探すというのも考えものです。
エルフというのは、長命で温厚。だからこそ子どもができにくく、エルフの遺伝子に刻まれているであろう性欲や嫉妬というのは他の種族に比べて薄れているはずでした。私は健一さん、そして他の種族の方と暮らしている内に変わってしまったのでしょうか。
私でさえも妬いてしまうのだから、とくにヴェルディアナは相当妬いていそうですね。なんたってサキュバスなのですから。
健一さんの必死の呼びかけにも関わらず、二人はなにも情報がないのかただ俯くしかないようです。もちろん、私だって同じように俯いています。健一さんから見れば、私たち三人は同様に見えていることでしょう。
「そうか……」
健一さんまで私たち同様に俯きかけました。
「あの……。エリーザベトはさ、防犯カメラとかに映ってなかったの?」
カーリンは、小声で確認するように言います。小声で言ったのは、既に確認している可能性があるからでしょうか。
「ああ、映っていないんだ。どこにも、ティニッジすべての防犯カメラを照合したが、一フレームとて見つからないんだ」
ティニッジは、健一さんがいたからこそ発展したようなもの。それ以前はただの町だったようです。だからこそ、随所にカメラが仕掛けられておりカメラに映らず脱出することは不可能とすら言われています。
「まだティニッジ内にいるということですか?」
確証はありませんが、私なりの考えを言ってみます。
「……その可能性が高いな」
健一さんは、ずっと俯いていました。返答も、元気がありません。
「健一? どうしたの」
ずっと黙っていたヴェルディアナは、表情の冴えない健一さんはを見るなりすぐさま駆け寄りました。ずっと黙っていたのは、ただただ健一さんのことが心配だったのでしょうか。
そんなことを考えていると、健一さんは嗚咽を漏らし始めます。
「健一? どうしたの? 大丈夫?」
健一さんは、手でその顔を覆います。ですが、指の間からは涙が垂れています。
「ごめんな、みんな……。こんな不甲斐ない夫で……」
初めてでした。こんなに弱った健一さんを見るのは。
初めて出会ったときから、健一さんは頼れる方でした。私たちは、彼に甘えすぎていたのかもしれません。私たちが甘えるすぎるから、彼も彼なりに努力して。
そして溜まりに溜まった疲労やらストレスやらの限界が、妻の失踪という大きな出来事を前にして来てしまったのでしょうか。
「健一は立派だよ。もっと自信持って」
ヴェルディアナが、健一さんに抱きつきました。単純に慰めているようにも見えますが、心做しか誘惑しているようにも受け取れます。サキュバスにとって、長い間相手にされないというのは苦痛なのかもしれません。
「そうだよ、健一。気にしないでエリーザベトを探そう。多分まだティニッジにいるなら早々に会えるはずでしょ」
カーリンも、健一さんを慰めます。
対する健一さんは、袖で涙を拭うというらしからぬ行動を取りました。
「ありがとう、カーリン。ヴェルディアナ」
カーリン、ヴェルディアナに向かって改まって感謝を述べお辞儀をします。私が呼ばれていないのは少し残念ですが、まあ慰めなかったですし仕方ないかもしれません。
私も健一さんの元まで向かい、後ろから健一さんの頭を胸の中で覆うようにかぶさります。
「健一さん。あなたはもっと私たちに頼ってくれて良いんですよ。妻なんですから。家族なんですから」
「……そうだな。レギーナもすまない」
そういった健一さんは、またもや嗚咽を漏らしてしまいます。さっきとは違い、そう簡単には収まりません。
結局、家族一同が集った明朝の会議は明日に延期になりました。健一さんは、仕事を休み明日に備えるそうです。
それにしても、エリーザベトは一体どこへと行ってしまったのでしょう? 買い物に行く時、街中を詳らかに見てみることにしましょう。
◇
あの会議から翌日──と思っていましたが、実際には明朝だったので当日です。感覚的には翌日なんですけどね。
「買い物に行ってきます」
私は、家族全員の食材を買うために近隣のスーパーマーケットに行くことにしました。一応交代制なのですが、チャロが帰りエリーザベトが失踪してからというもの感覚が短くなっています。
「いってらー」
返ってきたのはカーリンの声だけです。ですが、ヴェルディアナは昼間は寝っぱなし。そして今日は健一さんの体調が優れない。カーリンしか返事してくれないのは寂しいですが、仕方ないのです。
私は、邸宅を出ると足早に歩き始めます。
理由は簡単です。つけられてます。
マスメディアでしょうか。本人は尾行がうまく行っているのだと思っているのかもしれませんが、エルフの耳を舐めないでいただきたいです。僅かに聞こえる音でも容易に聞けるのですから。
高級住宅街を抜け、近くのスーパーに立ち寄ります。隠れ蓑になってくれればよいのですが、スーパーに潜入しているという可能性も否定できません。
それに、スーパーの客はさまざまな目で私を見てきます。嫌悪感の混じった目、好奇の目、不憫の目。けれども、誰も決して私には近寄らず遠くから眺めています。
人が買い物しているのがそんなに気になるのでしょうか。
私は買い物カートに食材を詰め込み、そそくさと会計レジへと向かいます。気にしないようにしているとはいえ、長居したらさすがに耐えられる自信がありません。
会計のためにスマートフォンを取り出し、決済アプリで支払います。最初はかなり抵抗ありましたが、今ではすっかり慣れたものです。
『支払い完了』の表示を受け、買い物カートをサッカー台へと移動させます。
さて、マイバッグに詰めるためにスマートフォンの画面を切りましょう。
『新着メッセージがあります』
おや、誰でしょうか。
その通知をタップし、メッセージを開きます。表示されたのはカーリンからのメッセージでした。
『大丈夫? 家の周りにいろいろいるみたいだけど付けられてない? 何かあったら代わるからね。あと、健一の食欲がないようだから、栄養ドリンクか何か買ってきてくれる?』
もう少し早く送ってきてくれればよかったのですけどね……。買い忘れってなんか恥ずかしいんですし、何より今はただでさえ私が注目される状況下。
どうしましょうかね。別のスーパー──は遠いですね。そういえば、ドラッグストアがありました。栄養ドリンクを買う店としてもうってつけでしょう。
私は商品をマイバッグに詰め込むと、そのまま周囲を確認しながら外に出ました。
スーパーからドラッグストアまでは徒歩数分のため、寄り道も別に苦ではありません。周囲の目さなければの話ですが。
到着したのは、ティニッジを本拠地にして国内に展開しているチェーン店のドラッグストアです。ここでも客は同様に私のことを見てくるので栄養ドリンクだけ手に取ると、そのままセルフレジに行き会計を終わらせました。
早く帰りたい。
そんな思いが浮かび上がるほどに、買い物は不快でした。ですが、家に帰れる。そう思い安堵しながら帰路につきますが──。
家までの道には、一台の車が停まっていました。テレビ局のロゴが書かれており、咄嗟に近くの影に隠れました。
中から出てきたスタッフは、近隣住民に片っ端からなにかを執拗に聞いているようです。
まあ、健一さん関連のことでしょうが。
何より問題なのは、裏口から帰ろうと思ったのにこのままでは道を通れません。無視してもいいですが、健一さんの立場を考えるとあまり良いようには思えません。
「はぁ……」
マスメディアそのものは否定しませんが、是非とも人の気持ちを慮ってほしいものです。
私は、別の道を通ることにしました。川沿いの土手にある道です。かなり大回りですが、人も少なくたまに散歩すると心地よいのです。
私はその道に入りました。
街路樹が整然と並んで植えられており、道の大部分は木陰に覆われています。
ところどころ漏れる木漏れ日に当たりながら歩いていると、ふと川に怪しい影が見えました。
マスメディアでしょうか?
私は柵に隠れ、その人物の様子を見ます。
その影は、橋の真下にいました。体格からして、男性のようです。恐らく人間でしょう。ですが、黒いローブのようなものを深くかぶっており、その上橋の下ですからよく見えませんね。
何をしているのかはわかりませんが、一人であるところを見るとマスメディアではない気がします。そもそも、川に入っているのもおかしいですし。
では、彼は一体川の中で何をしているのでしょう?
怪しい男の様子を見ていると、男は何か大きな荷物を取り出しました。五〇センチくらいはあるでしょうか。
男は橋の真下に荷物を置くと、そのまま逃げるように消えました。
気づかれたのでしょうか。ですが、私は隠れていますし偶然でしょう。
私は、ふと気になったので川の真下に行きます。橋の下にあったのは、巨大なビニール袋でした。何重にも袋入されているようです。
何が入っているのかはわかりませんが、他人の物を勝手に開封するというのは少し抵抗がありました。ですが、蝿が一匹そのビニール袋に留まりました。
多大な違和感を感じ、私は開封することにしました。結んであるとは言え、所詮はビニール袋。力を入れれば簡単に穴が開きます。
そして、違和感はますます強くなりました。
「……」
心做しか、腥い気がしたのです。ですが、蝿も一匹とは言わず数匹。袋に停まっています。
ビニール袋の中には新聞紙が見えましたが、新聞紙はそんな臭いなどしません。
では、一体何なのでしょう。
ビニールの層を破るごとに臭いはきつくなり、ついに最後の層を破ると思わず裾で鼻を塞ぎたくなるような強烈な臭いがしました。
私は決心して新聞紙の内側に手を入れました。
感触としては、何やら泥状の何かでした。そして、触った指を見ると赤い液体。
「……血?」
身の毛がよだつとは、こういうことなのでしょう。気がついたときには私の手は震えてました。
いえ、手だけではありません。脚もです。
そんなとき、ビニール袋から音がしました。恐る恐るその袋の方へと目をやります。
中身の自重に耐えられなくなったのでしょうか。そして、新聞紙の内側からとある物が落ちてきました。
「ひぃ……」
腕です。見た感じ、大人の……女性の……でした。
私は、腰を抜かしていました。川の水で服が濡れていますが、そんなこと気にしている場合ではないのです。
こういうときは何をすればいいんでしたっけ。
警察? だったら番号は?
ええっと……。
とりあえず他人に聞こうとして辺りを見渡すと、そこには先程のローブ姿の男がいました。男の手にはもう一つの袋を持っています。また捨てに来たのでしょうか。
でも、そんなことよりも驚きを隠せない点がありました。
その男は──。健一さんにそっくりでした。
男は、私と目が合うと慌てふためいたように逃げていきました。
「えっ……?」
もう、何がなんだかわかりませんでした。あれは健一さん……?
いや、でも。カーリンは体調の悪い健一さんの側に居ると言っていました。なんで健一さんが? じゃあカーリンは一体?
そもそも、健一さんが外に出るならカーリンは止めたでしょう。あんな体調で外に出すわけにはいかないと。
私の心の中に一つの答えが浮かびました。
──健一さんが事件の当事者であるのは本当で、カーリンはグル?
信じたくないです。
だって、妻なのです。夫と第一夫人がこんなことしていたなんて──。
いえ、やめましょう。
私は、深呼吸をします。腥さを感じますがこの際気にしません。
私はなにも見なかった。そう、なにも見なかった……。
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