探偵オレール・アダンの場合

「あー眠い」


 俺、オレール・アダンはティニッジの郊外にて、探偵事業を営んでいる。ティニッジは、貿易都市として帝国の中でもトップクラスの急成長を遂げている都市だ。インフラが整備され、帝都よりも整っている。


 だが、決して良いことばかりではない。急激な人口流入に伴って犯罪も増えているからだ。もちろん、警察官の数も増員はされているが犯罪件数は増加の一途をたどっている。


 そこで、俺が目をつけたのは探偵業だった。街の郊外に位置する一階建ての何の変哲もない事務所。それが俺の探偵事務所である。

 創設した当初は瞬く間に大量の依頼が入ったのだが、俺の模倣犯が雨後の筍の如く増えたため売上は決して良くはない。


 入る仕事といえば猫探しだの配偶者の浮気の証拠などの軽いものだ。前者はキャットフードを事務所の前に設置したら匂いを嗅いでやってきたし、後者の場合は初日の昼間から白昼堂々異性とホテルに入っていったのですぐに終わってしまった。


 俺のイメージ的には、もっと連続殺人鬼がこの街に潜んでる! ってみたいのをやりたかったんだけどな……。


 どうしてこうなった。

 そんな時、机の上にある電話に着信が入った。何だろうと思いつつ俺は受話器を手にとった。


「あの……。そちら、ティニッジにある探偵事務所でよろしいでしょうか」


 受話器を通して聞こえてきたのは自信なさげな女性の声だった。怪しく思い番号を確認するが、非通知である。


「ええ、そうですが。ご依頼ですか」

「はい。……岡田健一氏の奥方が消えたという話はご存知で?」


 週刊誌が報じたというニュースは聞いたことがある。どうやら一人は親の介護を理由に別居とのことだが、居場所が不明らしい。もうひとりに至っては普通に行方不明だと聞いた。

 だが、週刊誌の情報なんて嘘や誇張にあふれている。どこまで本当かわかったものではなく、とても信じきれるものではない。


「はぁ……。週刊誌に載ったらしいとは聞いたことがあります」

「そうですか、では依頼させてください。岡田健一という人が犯罪者である証拠を掴んでください」

「はぁ!?」


 あのティニッジにおける大恩人である岡田健一氏が犯罪者!? とてもじゃないが信じきれるものではない。だいたい、逮捕されたらこの街はとんでもないことになってしまう。ティニッジは岡田健一氏の会社に経済を大きく依存している。会社が大きな影響を受ければこの街の経済はほぼ壊滅状態だ。

 それに、電話の相手が主張しているだけであって根拠もなければ報酬も聞いていない。


「失礼、いくらまで出せますか?」

「それは……。失礼ですが、あまり多くは出せません」


電話の相手は、かなり噤んでいた。相当懐事情が芳しくないようだ。申し訳ないが、受けるメリットがなくデメリットの方が多いようであれば無意味だ。


「……今回はご縁がなかったということで。第一、電話のみでは信用しかねます」

「……会えないんです。私はティニッジに入ることができないから、あなた方に頼むしかないんです。もし信用しろというのであれば、後日あなたの事務所に荷物を送らさせてください。お願いします──」


 電話の相手はそう言い切ると、電話を切ってしまった。

 一体彼女は何だったのだろうか。俺の疑問は深まるばかりだ。


 そして、後日。事務所あてに怪しいダンボールが届いた。送り主の住所を調べてみたが、架空の住所である。それほどまでに居場所をバレるのを恐れているのだろう。俺は恐る恐るそのダンボールを開けた。入っていたのは一枚のカードと紙。

 俺は先に紙を読もうと手にとった。


『先日、電話をして依頼を断られたものです。なので、あなたに私の個人情報を送ります。どうか信じてほしいです』


 ダンボールの中に入っていたカード。それは、女の個人情報らしい。そもそもの話、女の名前が一人わかったところで何になるというのか。

 俺は面倒ながらもカードを見た。


『チャロ=リーリョ』


 どこかで聞いたことがある名前だと思い、ふとPCで調べてみることにした。


《短期間に二人の妻が行方不明!深まるDV疑惑》


 検索結果の一番上に出たのがその記事だった。運営元は大手週刊誌のウェブサイトで、俺はその記事をクリックする。


 ……まじかよ。


 俺は内心、こう呟かざるを得なかった。だって、この記事では岡田健一氏の妻の二人の失踪疑惑について追っていたが、その記事に書いてあったのだ。失踪した妻の一人、本名チャロ=リーリョと。

 もしこれが本当ならば、本当に岡田健一は……?

 いや、電話の相手が単に本人から強奪した可能性がある。なら、何のためだ?わざわざ岡田健一を探らせて何がしたい?競合他社による妨害?ならもっと報酬は弾んでくれてもいいはずだ。

 必死に俺は悩んだ。この明らかに違和感のある依頼を受けるか否か。


「まあ、暇だしな」


 現在、依頼は入っていない。その間の暇つぶしとしては有意義だろう。

 俺は、身支度を整えると、事務所を出た。



「とはいってもな……」


 俺は岡田健一が起業した会社の本社を遠くから見張っていた。帝国内でさまざまな事業を営んでいるだけあって、金があるのか本社ビルはティニッジで最高峰の高さを誇るビルだ。ティニッジにも高層ビルが建ち始めているといえ、やはりこのビルクラスは一つしかない。

 そして、天を穿つほどの高さであるにもかかわらず、入居しているのは全て岡田の関連会社だ。思った通り、ティニッジの経済は岡田が握っていると言っても過言ではない。


 俺は本社ビルとすぐ近くにあったカフェのデッキ席に座ると、軽くコーヒー一つを注文し穴の空いた新聞紙を眺める。もちろん、それはフェイクで実際には本社ビルの様子を眺めているのだ。

 本社ビルにはさまざまな企業が入所している。即ち、人の往来など当然のように多いわけで、カフェで一人コーヒーを啜っていようとも誰も気にしないだろう。


 それにしても、気になるのは岡田健一の正体だ。何かをやってはいるのだろうが、テレビで見てもネットで見ても天才経営者としての顔しか見つからない。

 天才経営者だけあって、頭は回る。そうなると犯罪のもみ消しなども容易いのだろうか?


 そして、時間は立ち昼頃になる。


 簡単なランチを注文し頬張っている間、俺は持ってきたPCを使いいろいろと岡田のことについて調べてみた。

 岡田は朝早くから夜遅くまでずっと働き詰めらしい。われわれ帝国人からすれば到底考えられないのだが、ニホン人というのは皆そうなのだろうか?

 他にも探っている間に、時刻はどんどん過ぎていき夕暮れ時になる。そのころになると本社ビルからは帰宅するであろう社員がぞろぞろと出てきた。


 それにしても、ニホンと接触するまでは日が暮れてもまだ家に帰らないとは恐れ入ったな……。

 ニホンと接触する前は、明かりなんて限られていたため日の出とともに起き、夕暮れと共に寝るのが一般的であった。光魔法などが使えるものもいたが、やはり数は限られていたため実際に体験したことがある人などほんの一握りだった。


 懐かしさを感じながら本社の様子を窺っていると、一人の異邦人が黒スーツを着た大勢の側近を連れて本社を出たのが見えた。ネットで調べた岡田の写真と照合するが、間違いなく本人であった。


 よし、行くか。


 俺は急いで会計を済ませ、そのまま岡田の後を追う。


 だが、岡田は本社に隣接している駐車場まで行くとそのまま自動車に乗り込んだ。

 自動車なんて高級なものに乗っているあたり、富豪であるという認識を改めてさせられた。なにせ、自動車は帝国ではあまり普及していないからだ。一部の金持ちの特権であり、しがない探偵を営んでいる俺は買えるはずもない。


「ま、いいか……」


 俺の口からはそんな言葉が漏れた。

 そもそも、岡田が出勤している間に何らかの行動をとれるとは到底思っていない。やるとしたら、非番の日か夜だろう。

 俺はその日に備えて、事務所へと戻った。



 茜色の太陽が沈もうとしているころ、俺は岡田邸宅へと向かっていた。

 岡田邸宅はティニッジの郊外に堂々と鎮座している。三階建てとはいえ、土地面積は非常に広大であり、庭ではゴルフなどもできるように設計されていると聞いた。また、ティニッジで初めて建った異世界風住宅ということもあり、観光名所になっているくらい有名な建築物だ。

 まあ、そうなれば当然警備も厳しいのだが。

 

 俺は近くにある物陰に隠れ、邸宅の様子を見守る。邸宅の前には警備兵らしき人物が二名、ただ呆然と立ち尽くしている。

 さて、これから暇との戦いになる。

 俺は買っておいたあんぱんの袋を開け、かぶりつく。

 ってなんだこれ!? あまっ!?

 なんか異世界ドラマであんぱん食べてたからそれっぽい雰囲気を出すために今初めて食べたけど、甘いなこれ。ニホン人はこれが好きなのか。

 

 まあいいやと、俺はあんぱんを食べ終えて注意深く監視する。

 そんな時だ。暗闇の中に怪しい、影がちらりと見えた。普通の人なら見落としてしまうだろう。だが、俺は伊達に探偵をやっていない。

 もしかしたら、岡田が警備の目を掻い潜って何かやっているのかもしれない。

 

 俺はすぐに行動に出た。カメラをいつでも撮れるように準備をし、暗闇の中にわずかに動いた影に近づいた。

 だがその影は、俺のことに気づいたようで逃げ出した。せっかくのチャンスを無駄にするわけにはいかない。俺は覚悟を決めてその影を追った。

 とはいえ、ここは住宅街。路地が大通りから何本も伸びている。一度角を曲がってしまえば途端に見失ってしまった。


「ちっ。逃したか」


 その時、後ろからふと殺気を感じ俺はギリギリのところで回避した。続くように、俺は予想が外れた謎の影を取り押さえる。

 そして二人は、同時に質問した。


「「おまえ、岡田か?」」

「「……は?」」


 事前に打ち合わせでもしたのかと言われても仕方がないほどに、俺たち言動は一致してしまった。

 落ち着いて話をし、互いに名刺を交換したことで相手の正体が判明した。


「何だ、君も岡田を追っていたのか」


 正体がわかり気さくに俺に話しかけたのは、ティニッジに本社を置く週刊誌で記者を務める男。カールというらしい。


「岡田の妻二人の失踪事件。あれは怪しい何か隠している。君もかい?」

「ええ、だいたい似た感じです」


 実際には妻から情報提供があったのだが、さすがに顧客の個人情報は流せない。


「そうか、なら一緒に見張らないか? ライバル記者とかならまだしも、そちらにその気はなくただの依頼なんだろ?」

「ええ、そうしましょう」


 お互いメリットがある。俺は躊躇うことなくその記者の言うことに同意した。


 そして、邸宅の前の警備兵に見つからないように影に隠れる。同じ場所にいてもどうしようもないため、俺は記者のいる反対側で見張ることとなった。

 言い方は悪いが、仮にもあの記者は人の粗探しのプロである。彼についていけばきっとこの依頼も無事に達成できるに違いない。


 だが、実際のところは何もすることがない。ただただ暗闇の中邸宅から不審人物が出てこないかや、邸宅に何か怪しい動きがないかを調べるだけなのだ。眠いったらありゃしない。

 大きなあくびをし、目を擦りながら邸宅の様子を見ていると警備兵が交代する時間らしく警備兵が邸宅の敷地内にあるであろう詰め所へ戻っていった。


 恐らく、岡田が動くとしたらこの一瞬だろう。俺は気合を入れ直し、暗闇の中に動く影も少し動く。

 思った通り、邸宅の中から影が現れた。だが、その影は門扉の面している大通りに出ようとはせずに、庭へと入っていった。怪しいが、不法侵入になる。


 どうすればいいのかと思い悩んでいる間に、記者は動き出し平然と塀を飛び越え敷地内に侵入した。

 記者の場合、責任を全部出版社がとってくれるので気にしなくてもよいのだろう。


 だが、俺は違う。責任は全部俺と探偵事務所に降り掛かってくる。ただでさえあまり繁盛していないのだから、倒産は免れないだろう。

 そもそも、この依頼だって隙間時間にやると決めたものだ。報酬だって期待できないだろう。俺はこの塀を乗り越える必要性があるのか?


 自問自答をした俺は、急にこの塀の向こうに行く決心がつかなかった。


「……帰ろう」


 ある記者には悪いが、依頼が取り消されたとでも言えばいいだろう。

 俺は探偵事務所の方へと踵を返した。

 だが、その時液体が敷地内で撒かれた音がした。

 一体こんな時間に何を撒いたのだろうか? せっかくここまで来たんだし、見てから帰ろう。

 俺は塀に近づくと、少し登ってみせる。


「……は?」


 血液であった。敷地内一体に撒かれてあり、深夜ということも合わさって不気味なほど赤黒く見える。

 トマトジュース……じゃないよな? うん。完全に血だ。


 血液特有のにおいを、トマトジュースで再現したりすることはないだろう。

 俺は恐る恐る敷地の奥を見る。


「ひぃ」


 思わず体が竦んで塀の上から落ちそうになるほどに、はありえないものだった。

 人間の死体である。そして、よく見ればカメラまで落ちているではないか。


「うそ……だよな?」


 口では必死に否定しても、脳はしっかりと物事を認識した。あれは記者の遺体だと。

 どうする? 落ち着け、俺は探偵だ。慌てふためくな。と、取り敢えず写真だ。そうだ、俺はこのために来たんじゃないか。

 俺はカメラを起動し、動画撮影を開始した。

 幸いにも今は殺人犯と思われる人物はいないからだ。だが、こうしている間に俺はを忘れていた。


「おい、何をしている!」


 近づいてきたのは、懐中電灯を持った警備兵である。俺は彼らのことをすっかり忘れていた。そして運が悪いことに、記者の死体がある。間違いなく俺は疑われるだろう。

 そう気がついた瞬間、自分でも意識しない内に俺は駆け出していた。


「追え!」


 警備兵に捕まったが最後、俺は間違いなく殺人の疑いをかけられる。そうなっては駄目だ。逃げるんだ。だが、どこへ? それに、懐中電灯でばっちり俺の顔を見られた。

 ……まずい。実にまずい。

 俺はこの事件の謎を解決するしかないのか。

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