第五夫人エリーザベト=アーンシェの場合
私はエリーザベト=アーンシェ。吸血鬼です。そして、今岡田健一さんの第五夫人でもあります。そして今は、別の夫人方の子どもの保育をしています。
「さて、今日はみんなお絵かきをしましょう。一人一枚厚紙とクレヨンを箱から出してきてね」
声を張り上げ子どもたちは一目散に箱に向かい、思案顔で声を出してない子どもは少し頷き恐恐と箱に向かった。一歳の子のおむつを替えていると、「よーし。描けた! 見てみてー。おれいちばーん!」と、 先程声を張り上げていた子どもが笑顔に満ちた顔をしてこちらに持ってきた。
子どもというのは幸せです。大人はいつも人目を憚ってばかりですが、子どもは自分の思ったままに行動する。ここは適格な感想を言って、己の個性をしっかりと涵養してほしいです。子どもたちが健全な大人になれるように。
「どれどれ~」
私は紙を受け取ります。しかし、あまりの異質さに思わず絶句してしまいます。
何だこれ。
厚紙には黒いクレヨンで描かれた足と手の生えた頭、そしてとぐろを巻いた茶色の塊。
「なあに? これ」
もしやと思い、顔を顰めて質問します。
「エリーザベトさんが、うんちをしているところ」
思っていた通りで溜息を吐きそうになるが慌てて抑え、子どもに優しく話しかける。
「へ、へえ。うんちが大好きなのね」
「うん」
その子どもは大きく、誇らしく頷いた。描ききったことを誇っているようにも見えます。
子どもってうんち本当に大好きですね。なんなんでしょうか。
「でもね、人前でうんちって言っちゃだめですよ」
「なんで? なんで言っちゃだめなの?」
「汚いからです」
「汚いけどみんな出してるじゃん」
正論に、反論の余地がない。諭そうとしたにも関わらず、こちらが諭されてしまった。大人としてどうなのでしょうか。感染症なんて言ってもわからないし。
「そ、それはどうですけど……」
直ぐに否定しなければ。下品な子どもになってしまったら周りの子にも影響が出る。これだから子育ては難しい。
冷静に紡ぐ言葉を考えていたとき、どこからか雷が直撃したかのような轟音と地響き、そして金属音が聞こえました。咄嗟に近くの机に捕まりと子どもたちを確認するため目を配ります。
「大丈夫!? みんな無事!?」
子どもたちは一瞬の出来事に行動を起こす事もできず唖然としており、一人は留まることが出来ずに腰を打っていた。
「腰大丈夫? 怪我はない?」
音が収まったのを確認すると、私はすぐに彼の元へ向かいます。すると、彼は涙目になり喚いた。彼の声を聞くと心が痛んだ。私は彼をゆっくりと抱きかかえる。
「怖かったね……」
彼の背中を幾度も撫で下ろし、彼の小さい鼓動に耳を向けて治まるのを待った。
「泣き止んだね」
彼を降ろし、タオルを取り出す。
「はい。タオル」
彼はタオルを弱い力で奪い取り、鼻をすすりながら顔を拭った。
「ありがと……」
恥じらいながら彼はタオルを差し出す。
「どういたしまして!」
彼の頭を撫で、湿ったタオルを受け取った。
「さて、お絵かきの続きをしましょう。出来た子は周りの物を描いてみよう!」
それにしても、なんだったんでしょう。さっきの轟音と地響き。子どもたちが慄いているため、私は出来れば原因を突き止めたかった。けれども、子どものことを放り出すこともできません。
「お絵かき……? またさっきの来ない?……」
彼はひどく怯えた様子でした。はっきり言って、原因がわからないので次また来ないとも限らない。嘘のことを言って安心させるべきか、本当のことを言うべきか。
「と、とりあえず休憩にしましょう」
一息入れようと思い、子どもたちに飲ますジュースを配った後、私は血液製剤を湯煎していました。そんな中、奥の方から足音が急いで近づいてくる。扉が、壁にドアノブが叩きつけられるほどの勢いで開く。固唾を呑んで様子を見ると、それは第四夫人のチャロだった。
「あら? チャロさん。さっき大きな音がなりましたけど大丈夫……どうしたんですか?」
チャロの様子をよく見ると、明らかにおかしかった。口を手で押さえ、瞳は涙ぐんでおり苦しそうな顔をしていた。彼女は、私の方を見ると涙ながらに何かを訴えようとして口をパクパク。けれども、彼女は結局何も語らずに玄関の方へと走っていってしまいます。
◇
その後、中国の大企業の社長が突如体調不良を訴えたらしく、会議室で行われる予定であった健一さんの会社と中国の大企業との商談は延期になったとメールが来ます。私は了承した旨のメールを送り、玄関で待ちます。
私は不安で仕方がなかった。チャロが突然涙ぐませて家を飛び出て、すっかり辺りは暗くなったのに戻っていないからです。
すると、玄関に足音が近づいてきた。ドアホンの親機を確認すると私の夫、健一さんが居た。しかし、いつもの優しそうな笑みを浮かべている彼ではなく、真剣な眼差しだった。扉を開けると、健一さんは真っ先に私に質問をした。
「チャロの様子どうだったか教えてくれ」
「涙ぐんで外に出ていってしまいました。それ以外のことは何もわかりません。でも、すごく悲しそうでした」
「そうか。ありがとう。チャロの親御さんが認知症になったってさっきヴェルディアナから連絡された時は驚いたよ」
──え?
急いでポケットにしまってあったスマートフォンを取り出す。そこには“新着メール1件”と表示されていました。
「もしかして、連絡されてない? 施設に入れようにも呆けて火を噴くからとどこの施設からも断れたんだそう。それで、しばらく戻ってこれないそうだ」
「そうだったんですか……」
安堵の気持ちと不安の気持ちが入り乱れ、時計の音が玄関に響き渡る。
「夕飯食べます……? 後は私と健一さんとエリーザベトだけだけど」
カーリンが足音を立てないように近づいてきた。
「俺は……食べるよ」
「私も摂ります。製剤を」
「夕飯の準備と血液製剤湯煎しとくね。別に逢えなくなった訳じゃないんだし、元気だしなよ。じゃ」
別に逢えなくなった訳ではないけれど、引っかかるものがある。声には出ていなかったけどあの悲痛の叫びは一体なんだったんでしょう。別に亡くなったとか意識不明になったとかでもない。そりゃ、認知症になったのは悲しいだろうけれども……。そういえば、ヴェルディアナさんは知っていたのでしょうか。
「そういえば、なんでヴェルディアナさんは知っていたのでしょうか」
「あの後ヴェルディアナがチャロの部屋に向かったんだって。そこに親御さんからの手紙があったんだって」
ティニッジと帝都の一部でしか携帯電話サービスが始まっていない以上、手紙で送ることは可笑しくはない。けれども、行くと決めたら真っ先に連絡すべきは健一さんではないのか。……もしかして、健一さん何か隠してる?
湯煎された僅かに黄みを帯びた血液製剤は、人肌程度に温まっていた。吸血鬼用血液製剤についているチューブから血液を袋を握り潰し飲み干した。
「その血液製剤安かったけど、どうです? 異世界産は高いので」
血液製剤を飲み干したことを確認し、カーリンが話し掛ける。パッケージの後ろに“採血国:帝国”、“製造:帝都血液銀行”と書かれていているところを見ると、安全な血液なのか不安な気持ちになる。
「黄色い血でした」
カーリンは意味がわからなく反芻している様だが、健一さんは理解したらしく夕食の最後の一口を頬張った。
「今度からは高いけど異世界産を取り寄せよう」
「そうだ。健一さん。製薬事業に参入したら? 医療機器にはもう参入してるし」
「製薬事業か、種族によって効かない薬もあるし何より開発費が高いんだよ。それに、いろんな資料を参考にしないといけないから。でも、民間企業が発展すれば良い血液製剤作ってくれるよ」
「健一さん優しーなー」
カーリンが頬杖をつきながら、甘い声でそう言った。
「カーリンにも何か買ってあげよう」
健一さんも応酬するように艶っぽい声を出す。
「ありがとうございます。健一さん」
健一さんとカーリンがいちゃついてる間、私はふと思いました。地下一階に経営秘密資料室あるけどなんで自宅なんでしょう? 経営秘密なら会社に造った方がいいと思いますが……。
「エリーザベト? どうしたの。ぼーっとしてるけど」
ふと我に返り、察知されないように誤魔化す。
「あ、いえ。チャロさんはまぬけな部分があるので、きちんとご両親のもとに辿り着けたのか心配で。血液製剤ごちそうさまでした」
血液製剤のパッケージをビニール袋で縛り、自室に戻った。血液製剤は医療廃棄物なので普通ゴミと一緒に出せないのどうにかしてくれませんかね……。
自室に戻り、私はベッドに落ちるように寝転がりました。
そう言えば、今朝の爆発音。あの後にチャロが走っていった。何か関係が?
そう思った私はすぐに行動することにしました。深夜二時、吸血鬼は本来夜に活動します。なので、懐中電灯なんか無くてもこの暗い廊下も十分見えます。
◇
とはいえ、健一さんの生活リズムに合わせているのでどうしても眠い。そのため、目を擦りながら恐る恐る倉庫に入るも、特にこれといって変わった様子はない。爆発によって焦げた食料がばら撒かれているくらいです。そして、歪な形をしている中華鍋を取ります。鍋のそこを大きく叩かれたような歪みです。
爆発によってどこかにぶつかったのでしょう。それにしても、なんで爆発なんか──ん?。
私は急いで倉庫の奥の土嚢袋の後ろに隠れます。
誰かいる。
廊下を歩く足音は、倉庫を気に留めず経営秘密資料室の前で止まる。解錠している様子もなく、ドアノブを回すと中に入っていった。鉄扉らしい重たい音しなかった。
もしかして健一さん? それと経営秘密資料室には鍵が掛かってた筈ですが……あ。
再び中華鍋を手に取る。
歪んだ中華鍋、掛かっていない鍵、爆発、チャロの悲痛の叫び。
間違いない。そう確信した。経営秘密資料室に何かあるのだと。
私は経営秘密資料室の前に立つとゆっくりとドアノブを捻った。そして、鉄扉を引く。鉄扉に貼られている防音シートと消音シートを見ると、鼓動が早くなった気がした。ドアから見える室内の様子は物が高く積んであり、窺うことはできないが、隠れるには良かった。音を立てないように室内に入ると、急いで物陰に隠れて耳を立てる。
「鍵が壊れてたんだよね。俺以外に来た奴居る?」
健一さんの声です。話しかけてるということは誰か居るのでしょうか?
問いかけに対して、何一つ反応が返ってこないことを考えると、独り言の様にも思えてきます。
「居るよね? 来たよね? 見たんでしょ? チャロのこと」
背筋が凍る悪寒に襲われ、鼓動がより一層早くなった気がします。
汗ばんだ震えた手で体を抑えつけた。
「なんで知ってるの?」
声は掠れて小さいが、荒々しい女性の声だった。
「ここは俺の最重要機密が保管してある部屋だよ? 当然セキュリティも万全。監視カメラに赤外線。そして──」
健一さんはここで一度大きく深呼吸する。
「扉が開閉すると自動で俺のスマホに連絡が来るんだ。すごいだろ? エリーザベト」
嘗てない悍ましい声に足が竦み、痛みすら感じる戦慄を覚えた。思わず体が硬直する。
「全く。流石に二人も居なくなると他の俺の嫁への説明が面倒くさいことになる」
まずい。このままではまずい。
そう思い、覚悟を決め積んである物を魔法で跳ね飛ばすも、手と脚の震えは止まらない。
「勝てるとでも思っているのですか?」
挑発的な言動に奴は不満そうな顔をする。
「私は生まれたときから魔法が使えます。けれども、あなたは魔法のない世界から来た。魔法耐性も低い。私が本気を出せばあなたなんて──」
急に体が重くなり、倒れ込む。奴は笑みを浮かべながらこちらに来た。奴の俯瞰に対して行動を起こそうとするも、魔法が出ない。 おかしい。なんで?
「誤算だな。エリーザベト。それは生身の時だろ?」
奴は服の中から棒状の物を取り出した。
「魔力増幅器。マナを溜めておけば最大で千二十四倍の濃度の魔法が出来るんだ。そんな攻撃を食らったら。いくら耐性があろうとも、マナ中毒になることは知ってるよな。最悪の場合。……死に至る」
チャロはこれを見て逃げたのか。でも、私は逃げる前に死ぬだろう。だったらもう殺すしかない。
立とうとするも平衡感覚の鈍化と痙攣によって碌に立てなかった。
「この死体どうしようかなー」
必死に策を練る私に対し、奴は余裕そうに腕を組み考え始めた。
「そうだ。転送魔法でどっかの山に捨てちゃうか」
その瞬間、奴は魔法を使った。魔力増幅器を使っているのか、その威力は絶大だった。途端に視覚が喪失する。辛うじて残った聴力も、心もとない。
「じゃあ、エリーザベト」
──チャロ。これからも強く生きて。
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