第四夫人チャロ=リーリョの場合

 私たちの朝は早い。毎日を愛する彼の為のために動くからだ。

 彼は朝早くに起きると風呂を済ませ、食事を摂りに居間へ向かいます。私たちはその間に食事の準備をし、テレビをつける。テレビではアナウンサーが健一さんをインタビューしていました。

 

岡田健一おかだけんいちさんは、帝国随一の複合企業を創り上げた。ということですが、なぜ帝国で企業したのでしょうか。ニホンではだめだったのですか?」


 アナウンサーの問いかけに対して、テレビの中の健一さんは笑顔で答える。

 

「日本はバブル崩壊以後衰退しています。いずれはアルゼンチンの様に成り下がってしまうでしょう。そんなとき、帝国と日本の国交樹立の記事を目にしました。ここなら思う存分伸びることができると」

 

 自分がテレビに出ているというのに朝風呂を終えた健一さんは、テレビには目にもくれず食事を摂りスーツを着こなして彼は玄関へと向かいました。

 

「今日は中国の大企業のCEOと自宅で商談がある。チャロは会議室の掃除を、カーリンは接待料理を、レギーナは迎賓を、エリーザベトは子どもたちの世話をしてくれ」


 今玄関で靴を履いている私たちの夫──健一さんは社長です。それも帝国随一の複合企業。飲食チェーン店の経営から鉄道経営まで、今日も帝国を発展させるために家の向かい側にあるビルで頑張ってくれています。

 

「わかりました。健一さん」

「それじゃ」


 健一さんは私たちに手を振り、今日も出かける。


 異界の国“ニホン”と我が帝国が国交を樹立して数年。帝国と日本は文化交流や経済交流が進み、友好関係を保っています。

 国交樹立して間もない頃、日本の天才プログラマー兼起業家「岡田健一」は帝国に於いて起業し巨万の富を得ました。彼の会社は帝国とニホンの貿易都市であるティニッジに本社を構えており、その彼の寝食を行う場こそ日本の大手ゼネコンが建設した大豪邸。そんな大豪邸に於いて彼は我が国が認めている一夫多妻制を利用し、様々な女性と結婚しているのです。

 第四夫人でリザードマンの私、チャロ=リーリョは健一さんから任せられた会議室の掃除という重大な任務を負っています。弱いながら火も吹けるのでホコリやゴミなら一瞬で燃やせます。

 

 掃除も終わったことなので、掃除用品を地下の物置に戻すとしましょう。家の中央を貫く螺旋階段で会議室のある三階から地下一階まで降り掃除用品を片付ようと物置の扉を開けると、ホコリが宙に舞い思わず噎せてしまいました。ここもそろそろ掃除したほうがいいです。

 窓を開け、掃除機を掛けます。舞い上がるホコリは、破局噴火で吹き出した火山噴出物の様であまり想像したくないです。一通りのホコリを掃除機で吸い取ると、ホコリの下にある物が次々と顕になっていきます。掃除用品の他に季節家電、催し物の用具。ひどくひしゃげた本に、中華鍋と保存期間を優に過ぎた保存食。そんな中、白い粉が大量に入った紙袋を見つけました。


 この白い粉、これって小麦粉でしょうか。そう思い怪しい白い粉が入った袋を確かめます。中に入っていたのはどうやら本物の小麦粉のようでした。粉物は放置するとダニが繁殖しちゃうのでこれは捨てちゃいましょう。

 捨てようとゴミ袋に入れて移動しようとすると、掃除機のコードに引っ掛かり小麦粉が袋から飛び出て舞い上がりました。私の気管に入ったのかひどく噎せます。さながらダイヤモンドダストのような景色なのですが、ダニも一緒に舞っていると考えると全身に掻痒感を覚えました。服も小麦粉まみれになり、散々です。後でよく洗いましょう。

 

「……炎で燃やしてしまいましょうか」

 

 すぐに鎮火魔法を使えば、大事にはならないという軽率な考えでした。大きく息を吸い炎を吐くと、地響きとともに熱風が襲いました。とっさに鎮火魔法と防御魔法を発動させるも、黒煙が漂い、きれいな空気を欲するあまり思わず窓から外に乗り出してしまいます。呼吸を整えて物置を確認すると、物置にあった物は爆発により廊下にも散らばっていました。

 今の爆発は何だったんでしょうか。それよりも片付けないと……ん?


 廊下に散らばった物を回収すべく廊下に出ると、最奥部にある扉が開いているのがわかりました。どうやら物置にあった中華鍋が飛んで鉄扉に直撃して開いてしまったらしく、鉄扉には中華鍋の跡が残っています。

 確かここは、経営の重要書類を保管しているとかで健一さんしか入れない筈の部屋です。

 その目的通り、重厚な鉄扉によって塞がれています。荘厳な雰囲気のある鉄扉は、入ることを躊躇ってしまうほどのものです。

 鍵を掛けるのを忘れてしまったのでしょうか。中国の大企業のCEOが間違って重要書類を見てしまわれないように取り敢えず扉だけでも閉めておきましょう。

 中華鍋を回収して鉄扉を閉めようとして少し暗い部屋を除くとチーズを彷彿とさせるかすかな悪臭が漂いました。入ることを禁止されているとはいえ、ゴミがたまりゴミ屋敷のようになっては臭いなどが他の部屋にも移る可能性があります。言いつけを守るのか、ゴミの片付けを取るのかで天秤にかけましたが、ゴミを持って立ち去るくらいなら問題ないと判断しました。

 

 悪臭の元を捨てようと中に入った瞬間、思わず目を見開き驚愕しました。見間違えを確信し、机の近くに寄るが間違っていなかったようです。恐怖のあまり近づいてはいませんが、人間子どもの死体のようでした。

 そして、死体を認知したことによりかすかに臭う程度だった悪臭が苛烈なものとなり鼻を襲います。形容できない極めて不快な臭いです。

 恐る恐る子どもの死体へと近づきました。遠くからでは、見間違いもあるかもしれないと思っていました。しかし、目の前にあるのは間違いなく人間の子どもの死体でした。

 そして、その死体の隣には黒いビニール袋。袋を恐る恐る覗いて見ると、見た瞬間思わず中華鍋を落とし腰が抜けるものでした。掃除のことなどすっかり忘れ、今はただ目の前にある信じられない物がここにあるという恐怖に衝撃を受けたのです。


「骨……人の……子どもの……骨が……いっぱい」


 もしかしたら豚の骨だったという可能性までは否定できない。けれども、隣には子どもの死体が置かれています。見た感じ十数人はいるほどの量です。一つ一つは小さく、赤子の骨でしょうか。


 しばらくその場に留まり、心臓の鼓動が治まるのを待ちます。ゆっくりと深呼吸をして、喉の奥から上がってくる酸っぱいものを宥める。

 生まれたての子鹿の様に脚を震わしながら近くの机を掴み立ちます。覚悟を決めその先に進んでいると見えてくるのは注射器と家畜用飼料。ですが、家では家畜なんて飼っていません。

 リビングにある水槽でクラゲを飼っていますが、それ以外に飼ってはいません。一瞬この部屋で豚でも飼ってるのかと思いましたが、こんな薄暗くて埃っぽい部屋で飼う必要性が感じられません。そもそも、彼の資金力なら国中の豚舎だって買い占められます。そして何より、子どもの死体との関連が不明なのです。

 

 きっと……新しく豚でも飼うんでしょう……ね?

 断定できなかった。妻たるもの夫に唯一無二の信頼を置かなければなりません。しかし、予想に反して私から漏れた言葉は何とも懐疑的な言葉だった。


「だ……れ?」


 かすれた薄気味悪い声に驚いて手の震えが治まらないまま声の元に近づく。暗くてよくわからなかったが、そこの居たのは檻に閉じ込められている傷と痣だらけの全裸の人間の女性だった。

 彼女は私を見ても顔色一つ変えません。それどころか笑っているようにも見えました。

 

 なんでこんなところに? しかもなんで全裸?

 理解不能に陥ってる私を差し置いて、彼女は喋ります。

 

「あなた……オカダの……奥さんね」

「な、何が……あったんですか」


 こんな状態になっている方を放っておくわけにもいかず檻に駆け寄ります。聞いてはいけない。ふとそんな気がしました。でも、ここで助けなかったら夫の名が廃る。そう考え迷わず檻の鍵を探します。でも、暗いのが災いしてどこにも見当たりません。

 

「オカダ……オカダケンイチは……欲望を満たす為に人を拉致して弄ぶ……そんなクソ野郎よ。いや、……表現が悪かったわ。クソに失礼ね。……この世界の癌よ。直ぐに取り除かないといけない」


 愛する夫を罵倒され、本来なら怒って然るべきでしょう。でも、私にその気はありませんでした。この部屋で見てきた数々の物証を考えれば当然の結果なのです。

 とはいえ、信じたくないものなのです。愛して、愛されて、結婚までした夫が犯罪者であると。

 これは冗談だと信じたくて、でも実際はそうではないんだろうなと考え目に涙を浮かべながら振り返ります。

 

 彼女の瞳は弱々しいながらも、きれいな眼差しでした。嘘をついているようには見えません。それでも、心のどこかでまだ信じたくなかった。

 犯したのは彼女だけ。やり方は酷いとは思いますが、拉致監禁と性的暴行。数年では出られないでしょうが、十数年で出られる。そして、先程見た子どもの死体は……何かの間違いでしょう。流石に殺人までは……。

 

「私の夫が好色なお方だとは存じていました。でも、彼には私たち五人の妻がいる。それでも物足りないというの?」


 こんなこと言いたかったわけじゃないのです。衝撃的な展開に脳の処理が追いついていないだけなのです。こんな彼女を怒らせてしまうような発言、普段の私なら言いませんでした。

 けれども、怒るどころ表情一つ変えません。ただ言葉を紡ぐのみでした。

 

「クスリを打って嬲り殺すのよ」

「じゃ、じゃあ、あそこにあった子どもの白骨遺体は……」

「堕ろされた胎児たちよ。妊娠当初に堕ろすよりも、ある程度育ってからの方が面白いんですって」


 喉に酸っぱいにおいが流れ、思わず手で押さえます。


「……逃げなさい。……扉の鍵は奴しか持っていないわ? 誰かが来た痕跡がある以上、私に自白剤飲ませてまで貴方のこと吐かせるつもりよ。……そうなったら次の被害者はあなたよ。逃げなさい。今すぐ」


 なんで涙が出てくるんでしょう。愛する彼への失望? いや、これは……自分がこんな奴を愛して、子どもを身籠っているという自分への絶望?

 そう思った瞬間、私は逃げ出しました。

 お腹の子には悪影響かもしれません。転んで、ぶつけて、何か取り返しのつかない障碍が残るかもしれない。謝っても謝りきれないことです。でも、どうか……どうか許してください。

 

「……自分に……素直なんだ……」


 彼女は逃げ出す私を見てこう言ったのが聞こえました。意味がわからなかったけど、少しして彼女だって助けてほしかったのだろうとわかります。奴に殺されかけている人がいるというのに、私は助けるどころか逃げ出すしかできなかった。

 居間に向かうと、第五夫人のエリーザベトが子どもたちと遊んでいました。彼女にも本当のことを話しましょうか?

 そう思い口に出そうとするものの、酸っぱいにおいが再び喉の奥から流れてします。

 エリーザベト……ごめん。

 

「あら? チャロさん。さっき大きな音がなりましたけど大丈夫……どうしたんですか?」


 彼女の問いかけに対して、私は何も出来ない。帝国随一の企業の社長と結婚して周りから羨望された私は、こんなにも無力なのでした。

 私は玄関から走って逃げました。ティニッジ駅まで逃げる時、多くの思い出が走馬灯の様に脳裏をよぎります。

 私たちの種族。リザードマンは山岳地帯に暮らす少数種族です。あまり裕福とは言えなかったが、それでも家族で幸せに暮らしていた。

 しかし、私たちの住んでいる山が大噴火を引き起こしました。マグマや火砕流によって私たち達の家はことごとく潰されました。やむを得ず、人里に降りることになりましたが、人間という種族は冷たかった。

 帝国国民の九割が人間で、残りの一割が少数種族。けれども、リザードマンはその一割の中でも極一部しかいない。多くの種族は私たちを警戒した。時にはいじめることすらあった。なので私たちは居住地を転々としました。そして、ティニッジにやってきた。私が工場で働いていたときに彼と出会った。

 彼はは積極的に私にアプローチを仕掛けてきました。今思えば、なぜあの時奴は私にアプローチをしたのかはわかりません。けれども、冷遇されてきた私にとっては心温かい、優しい彼に見えたののです。そうして、私は結婚した。最初は好色な彼に戸惑ったが、徐々に慣れ、先月彼の子を身籠ったのだ。

 本当は、嘘だと信じたい。けれど、リザードマンという種族はいかなる場所に於いて冷遇されてきた。そこで見つけた新しい安泰の場所。みんな自分のことのように喜んでくれた。それなのに、無様に殺されたら、喜んでくれたみんなに申し訳が立たないのです。

 ティニッジ駅に着いた時、私は選択に迫られました。この駅も奴の企業の子会社が経営しています。防犯カメラから私がいた事は直ぐにわかることでしょう。

 帝国を駆け巡るか、異界へ行くか。異界には多くの国々と人がある。けれども異界は情報化されており、しかも彼の出身地だ。特定されるかもしれない。未だに情報化されていない国もあると聞きますが、労働ビザなど発行してもらう余裕もない。不法就労しても、バレてしまえば強制送還。

 帝国を駆け巡るのもリスクが有る。帝国の情報化は急ピッチで進んでいる。しかも、帝国随一の企業を運営している以上、各店舗の防犯カメラから私を割り出すのだって可能。急いで飛び出たため、持っている財布に入っているのはかすかなお金とパスポート。

 私なら……こうする。

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