7日目 後編 夢見よ乙女

 担架で運ばれるセミさんの後を追い、武道館の外に停まっていた救急車にたどり着く。私たちが乗り込み終わるのと同時に動き出す。


「あの……セミさんは大丈夫なんですか?」


「無責任に大丈夫と言いきれないが、心配しないで私たちに任せて欲しい」


 救急隊員はそう言いニッコリと笑みを作ると、すぐに表情を改めて、脈を測るためにセミさんに人差し指と中指を当てた。


「……っ!?バカな!後輩くん、この患者、脈がないぞ!!」


「バカなのは先輩です。昆虫に心臓も脈拍もないですよ!」


「やむを得ん!AEDだ! 後輩くん、AEDを最大出力で頼む!」


「先輩!そんなことしたらAEDの電圧でこのセミ吹き飛びますよ!」


 救急隊員のやり取りを見て、だんだんと心配が込み上げてくる。しばらくして搬送先の病院が決まった。

 非常に近場で、数分もしないうちに到着した。

 ストレッチャーに乗せ替えられたセミさんは、数人の看護師に運ばれて、手術室の向こうに消えていった。


 それから長い時が過ぎた。青空の頂点を泳いでいた太陽は、いつの間にか西の空へ傾いていている。

 酷い不安に駆られるな中、手術室前に置かれた丸椅子に座り、私たち姉弟は祈っていた。


「お願いします!」


「頼む!」


 私たち2人は、食い入るようにスマホを覗き込んでいる。画面には今話題の、セミ娘というアプリゲームが映されていた。私は慎重にガチャを引く。

 しかし排出されるキャラはどれもゴミばかり。


「はぁ〜もうマジ無理……課金しよ」


「おねぇちゃん!さっき立てた無課金の誓いをもう破るの?」


「大丈夫、大丈夫。夏元のカードで払うから。自分のお金じゃないから、まだ無課金だよ」


「他人の金で引くガチャほど、気持ちイイものはないよね!」


 夏元のクレジットカードで、課金石を買おうとするが……何故か買うことができない。


「あれ? おかしいなぁ今朝まで使えてたのに」


 首を軽く傾げ、しばらくスマホの画面と格闘していた。そんなことをしていると、突然、手術室の扉が開き中から医者が出てきた。

 私と弟は立ち上がり、医者に詰め寄る。


「セミさんは!?セミさんは無事なんですか?」


 その言葉に、医者の顔は険しくなる。


「大変難しい手術でした。ゴッド・ハンド・クラッシャーと呼ばれた私でも厳しいものでした」


「救った人数より殺した人数の方が多そうな称号だな」


 医者は急に力こぶを作ったかと思ったら、満面の笑みでその力こぶに話しかけ始めた。


「今回の手術、成功したのか失敗したのか、どっちなんだい!?しーーーーー!」


 そこまで言うと、医者の顔が険しく顔に戻り、落ち着いた口調で続けた。


「成功しました」


 成功した。その言葉を聞き、全身が安堵感で満たされた。


「よかったぁ〜。それで先生、セミさんが倒れた減員ってなんだったんですか?」


「原因は、栄養不足と過労ですね。数日間何も食べず、さらに多忙が重なって倒れたってところでしょうね」


 確かに思い返してみれば、セミさんが何かを食べているところを見たことがない。


「なるほど……。それにしてもよく原因が分かりましたね。流石お医者さんですよね。昆虫の手術したことがあるんですか?」


「いえ、今回が初めてです。なので手術室で昆虫図鑑とにらめっこしていたら、セミが腹の虫を鳴らしたので分かりました。虫だけにね!ハハハ!」


「しょーもないこと言ってないで、早いとこセミさんの所に案内してもらえます?」


 夕暮れが病室を赤く照らしている。

 そんな中、セミさんは窓際のベッドにポツンと寝かされていた。


「あぁ、弟さん、おねぇ様、来てくれたんですね」


 私たちに気がついたセミさんが話しかけてきた。


「セミさん無茶しすぎ」


「本当だよ!僕心配したんだからね!」


 ベッド横に置かれた椅子に腰を下ろす。


「無茶しなきゃ夢は叶わねぇだろ。それにさ、よく言うだろ『命短し、夢見よ乙女』ってね」


「『夢見よ』じゃなくて『恋せよ』ね。それとセミさんは乙女じゃなくてオスでしょ」


「心は乙女なんじゃい!」


「おねぇちゃん!多様性、多様性!」


「多様性を魔法の言葉と勘違いしてない?」


 私は足を組み直して、表情を改めた。


「ねぇセミさん、前から聞きたかったんだけどさ」


「うん?」


「セミさんってなんでアイドルになりたいと思ったの」


 その言葉の後、少しの間静寂があった。


「…………あぁ、そういえば話してなかったな」


 セミさんは言葉を一つ一つ噛み締めるように話し出した。


「俺は商店街の街路樹の下で育ったんだよ。お前らは知らないと思うけど土の中って真っ暗でさ、360度暗闇に染まってる。そんな所にずーっと1人でいるとさ、気分が落ち込んでくるんだよ。不安、恐怖、寂しさ、孤独……。ただただ辛かった。苦しかった」


 私はセミさんの言っていることに、何故か共感できた。土の中にいた事はない。けれど、先の見えない恐怖を、私は知っている。


「そんな時によ、地上の方から歌声が聞こえてきたんだ。可愛らしい少女達の歌声。朝から晩まで聞こえたのさ。俺は地中にいる時……それを聞いて心が昂るのを感じた。なんて素晴らしい歌声!なんて心揺さぶられる曲なんだ!その時俺は、暗闇の中で確かに光を見た!……決心したよ。頑張って成長して地上に出た時、この歌声の正体をこの複眼に焼き付けよう。そんでもって……ありがとうと伝えよう、ってさ」


 セミさんの口調から、情熱がひしひしと伝わってくる。


「それからの6年間、俺は必死に生きた。木の根っこに張り付いて、その木枯らす勢いで樹液を吸い上げたよ。そしてその時がきた。羽化さ。本当は朝日が登る前の安全な時間に羽化するのが普通なんだけど、その時間は歌声が聞こえない。だから時間をずらして昼頃に地上に出たのさ。危険を承知でね。で、やっとご対面したわけよ。テレビに映された可憐なアイドル達にね」


「テレビ? 外に?」


 私は疑問をぶつけた。


「あぁ、どうやら俺は家電量販店の真ん前に埋まってたらしくてな。羽化した時に知ったよ。その店が宣伝のためか知らないが、店の前にテレビ並べて一日中アイドルライブのDVDを流してたみたいなんだ」


「なるほどね、それを聞いて育ってきたのか」


「そそ。でもって6年越しの対面を果たした俺だが、テレビに映されたアイドル達を見て、俺の体を再び落雷のような感動が襲ったのさ」


 セミさんは複眼を輝かせながら、話を続けた。


「俺はミンミンと鳴くのを忘れて見入ったよ。あぁ、なんて美しいんだと。天使のようなアイドルが、荒波のように畝るファンの声援を受け、ライトに照らされたステージの上で歌い踊り愛嬌を振りまいていた。俺はあれ程の絶景を見たことがない。で思った。あぁ、俺アイドルになりたいって」


「ふーん、なるほどね……」


 私は素直に感心した。人間の手のひらにも満たない身体に、こんなに大きな熱意が詰まっていたなんて思わなかった。


「で……どう?アイドルになれた感想は?」


 私の質問にセミさんは間髪入れずに答えた。


「最高だね」


 真夏の待っかな夕焼けに照らされ、セミさんの瞳は……ほんのちょっとだけ綺麗だった。ほんのちょっとだけね。

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