7日目 前編 命短し

 セミさんと出会って7日目。

 熱波を放つ太陽が、頭上に登る真昼時。私たち姉弟は、シケイドルのライブを見るために、またしても武道館へと足を運んでいた。

 3回目ともなると、ファンの中で、それぞれ推しが決まってくるものだ。推しのために推しのカラーに染めたサイリウムを振る。

 ただセミさんの色であるピンクは異様に少なかった。


「ねぇ、おねぇちゃん!」


「なに?」


「なんでセミさんのファン、なんでこんなに少ないの?」


 ピンクのサイリウムを振る弟が質問を投げてきた。


「当たり前だよ。だってセミさん気持ち悪いもん」


 新森さんのカラーである緑を振りながら答えた。

 弟は私の回答が不満なのか、頬をこれでもかと膨らませる。


「なんでおねぇちゃんまでそんなこと言うだ!プンスカプンプンプン!」


 そういうとスマホの画面を私に見せつけてきた。


「見てよこれ!」


 画面に映っていたのは、どこぞの掲示板だった。

 そこには『セミ気持ち悪い』『セミをアイドルとか夏元キメてるだろ』『セミをアイドルとして見れない』とかとか、誹謗中傷が書かれていた。


「あらら。セミさんには見せたの?」


「見せたよ!けど『凡人どもの嫉妬のきちぃ〜w』とか言ってまともに取り合ってくれなかったよ!」


「セミさんが気にしてないならいいんじゃない?」


「僕が困るの!こいういう人達のせいでセミさんのグッズが全然売れないんだよ!」


「セミさんのこと心配してるのかと思ったら、売り上げ金の心配してたよこの子」


 弟はこれみよがしに、ため息をついた。


「それにセミさん様子が最近おかしいんだ!」


「喋るセミの時点でおかしいでしょ」


「違うよおねぇちゃん!なんか焦ってるみたいだし、疲れてるのか元気もないような気がするんだ!昨日のライブ、いつもは70dBの声量が60dBまで減ってたし……」


「70も60も、うるさいことには変わんないと思うけどね」


 私は心配そうに項垂れる弟の頭を撫でてやる。


「大丈夫だよ。今だってこうして元気よく歌って……あれ?」


 セミさんの歌声が聞こえない。他4人の声しか聞こえてこない。私は視線をステージへ向けた。

 セミさんはステージの上でマイクスタンドに張り付いている。しかし微動だにしない。いつもしていたアイドルステップをせず、声も出さず動かない。

 様子がおかしい。シケイドルのメンバーも気がついたのか、歌いながら時々、セミさんを心配するような視線を投げる。不安は伝染し、ファンがざわつき始めた。


 ──突然、マイクスタンドからセミさんの足が離れた。木の枝から力なく落ちる、枯葉のように地球の重力に吸い込まれていく。

 この会場にいる全員、目の前で起きていることをすぐには理解出来なかった。

 セミさんが倒れた。その事が分かった時、反射的に私は叫んだ。


「セミさん!」


 群衆をかき分け、セミさんの元へ無我夢中で走った。

 シケイドルのみんなは目を見開き硬直していたが、私の声のおかげか、自分を取り戻しセミさんに駆け寄る。


「セミさん!」


「セミさん!どうしたの?!」


「セミさんが倒れた!心臓マッサージしなきゃ!」


「チッチやめて!そんなことしたらセミさんが潰れちゃう!」


 4人に囲まれるセミさんの元へ、私も何とかたどり着く。


「おねぇさん!セミさんが!セミさんが動かないんです!」


 ステージに到着した私に気がついた春子が、涙を溜め助けを求めるように叫んだ。

 ステージによじ登って、アイドル4人に囲まれるセミの元へ駆け寄る。

 腹を天井へ向けてピクリとも動かないセミさんを見た。背中に冷たい汗が流れる。


「お、おねぇさん、私たちどうしたら……」


「とりあえず、落ち着きましょう!私が119しますから、皆さんはセミさんに声掛けを続けてください」


 そう言って、カバンからスマホを取り出そうとするが、カバンが無い。情動的にここまで来てしまったばかりに、荷物を全部座席に置いてきてしまった。


「おねぇちゃん!ちょっと待ってよ!」


 振り返ると、全身を使って何とかステージによじ登る弟がいた。その手には私のカバンがあった。


「携帯忘れてるよ!」


「ナイス!119……119……」


 弟からカバンを受け取り、スマホを取り出す。


「通報なら大丈夫だよ! そこにいるスタッフさんにお願いしたから!」


「またしてもナイス!」


 近くで行われているシケイドルメンバーの必死の声掛けに全く反応しないセミさん。私の頭に死という文字がよぎった。


「大丈夫だよおねぇちゃん!」


 私の不安を察してか、弟が声をかけてきた。


「ほら見て!セミさんの足、まだ開いてる!」


 弟がセミさんを指さす。ひっくり返ったセミさんの足は弟の言うように開いていた。


「ホントだ!……それがどうかしたの?」


「セミの生死を見分ける方法の1つとして、足が開いてたら生きてて、死んでたら閉じてるってのがあるんだよ!」


「へぇ〜……じゃあセミさんは大丈夫ってこと?」


「違うよ、おねぇちゃん!よく見て!セミさんの足徐々に閉じていってる!」


 弟の言っていることは本当だった。開ききった足が、ほんの少しずつ胴体に向けて折りたたまれていっている。


「どんどん弱ってるってこと? どうしたらいいの?」


「それは僕にもわかんないよ……昆虫の医者じゃないし……」


「ていうか、昆虫の医者なんていないでしょ。アンタ何変なこと言って…………はっ!?」


 ここまできてやっと気がついた。獣医はいても昆虫医なんて聞いたことがない。というかいない。だとしたらこのセミさんを誰が診るのか。そもそも119に通報したら、来るのは人間用の救急車だ。


「すいません!通してください!通してください!」


 ザワつく会場を一喝するような、力強い声が聞こえた。見ると救急隊員の2人が担架をこちらに運んでいる。

 そしてステージに上がってきた。


「倒れた方は?」


 そう言い真剣な眼差しを向けてきた。


「スゥーーーー……そのぉー、こちらのセミなんですけどぉ」


「セミ!?」


 担架の後ろを持っていた救急隊員の口端が歪む。


「先輩!今回もイタズラ電話ですよ!今月入って1983回目ですよ!」


「あぁ、そうだな後輩くん!もう騙されすぎて、ストレスで胃に大穴アビスがあいちまうよ。ったくよぉ、冒険者に探索されたらどうするんだ!」


 先輩と呼ばれた先頭の救急隊員が、私を見据える。


「こういうイタズラの通報のせいで、本当に救うべき命が救えない可能性があるんだ。今回は許してあげるから、今後こんなイタズラはやめ──」


「私は!セミさんこそ救うべき命だと思います!」


 勝手に言葉が叫び出ていた。自分でも驚いた。けど止める気は無かった。


「確かにセミさんはウザいし、キモイし、うるさいです。けど!生きています!そしてその生き様に魅力された人も、少ないかもしれないけど確実にいます!私もその中の1人です!軽んじないでください!彼の人生を!命を!」


 全て言い切り、熱が冷めていくと、やってしまった、という恥ずかしさが込み上げてきた。

 後輩と呼ばれた救急隊員が、ため息をつく。


「あのね、命を軽んじるつもりはないよ。けどね私たちは人を命を救うことが仕事なの、こんな気味の悪いセミに関わってる時間は──」


「感動した!」


「先輩!?」


 後輩とは対象的に、先輩は目頭を熱くしていた。


「俺が間違っていた!人だのセミだのと、無意識のうちに命に値札を貼り付けていた!差別していた!俺は救急隊員失格だ!」


 そう言って私に熱い視線を向けてきた。


「私たちが責任を持って病院へと送り届ける!だから安心して欲しい!行くぞ後輩くん!」


「えぇ……」


 担架にセミさんが乗せられ、私たち姉弟が同乗するとことになった。


「セミさんのことよろしくお願いします!」


「「「お願いします」」」


 残されたシケイドル4人の思いを託され、私は武道館を後にする。

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